走るなメロス!

空野いろは

走るなメロス!

 メロスは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の社長を除かなければならぬと決意した。

 突然の休日出社を命じた社長への怒りは収まらない。

 1時間でつけとは、何を言うのか。

 メロスは財布を持っていなかった。すられたのだ。

 持っていたのは、ウエストポーチとポケベルただ一台。

 メロスは懐古主義者である。

 キャッシュレス決済など頭になかった。


 メロスは駆けだした。人混みの中を縦横無尽に走る。だが、ここは現代。

 オリンポス社まで行こうにも観光客でひしめき合いちっとも前に進めない。


 歩道ではだめだと判断したメロスは直角90度右回転し、ガードレールを超え車道にでる。そのまま、車と共に走り出した。


 メロスはまれにみる俊足である。

 だが、車には叶わない。

 幾多もの鉄の塊がメロスを追い抜き先へと進んでいく。

 メロスは唇をはみ、それでもはっはっと規則正しい呼吸で走る。


 観光地を抜け、市街地をかける。後ろからピピーと甲高い笛の音が響く。

 後ろを振り返ると、白バイに乗った警察官が何か叫んでいる。

 騒がしいと思いながらもただ前だけをみてひた走る。

 クラクションの音を背に走る。


 400mほど進むと看板が見えてきた。

 オリンポス社はここから左だ。


 メロスは立ち止った。

 信号は守らねばならない。

 メロスは元来まじめな性格なのである。

 ピピーという音とともに、メロスの目の前に白バイがやってくる。


「制限速度を守ったら追いつけないなんてどうなっているんだ君の足は」と警官が愚痴る。

「君、名前は」

「メロスです」

 彼が言うには、車道は走ってはいけないという。


 長々と説教をされては会社に遅れる。

 場を納めるために、電話番号と社名とともに謝罪の意を伝え歩道へと戻る。

 そして信号が変わると同時に歩道をひた走る。


 ピピーとまたも後ろから笛の音が聞こえる。

 車道ではない。警官の言いつけは守っている。ならば、また別の違反者が出たのだろうと一人納得し爆走する。


 子供の頭上を飛び越え、老人の横をすり抜けながらメロスはちらりと腕時計を見る。


 このままでは間に合わない。

 メロスは熟考した。

 車道は走れない。歩道では間に合わない。

 悩むメロスの視界に鳥が映った。

 途端、脳裏に天啓というもかくやのひらめきがあった。


 地上がだめなら、空をかければいいじゃない。


 メロスは、ガードレールに足をかけ超人的な脚力で、バス停の屋根を足場に住宅の塀まで飛ぶ。

 下からピピーという甲高い音が響く。


 また違反者が出たらしい。

 けしからんことだ。


 メロスは長い脚を頼りに屋根に飛び移る。

 すると遠くにオリンポス社の高いビルのシルエットが見えた。


 やはりこちらの方が近道だと、満足げに頷き屋根から屋根へと駆け始めた。


「きゃあー」

 悲鳴が聞こえた方を見ると、窓からこちらをみて住人が目を丸くしていた。

 驚かせてしまったのだろう。

「すまない! 」

 大声で叫ぶ。

 これで誠意は伝わっただろうか。


 もう少しでビジネス街へ入るという時だ。ピーポーピーポーという音が遠くから聞こえてきた。

 パトカーのサイレン音だ。


 今日はよく鳴っている。

 治安が悪い。警察よ、ぜひともこの町の平和を守ってくれ。


 ビジネス街は高層ビルが多い。

 さすがにここからは飛べないだろう。

 地上に降りようと、メロスはブロック塀の上に立ち下をのぞき込む。


 右見て左見て右見る。

 ぴっしとスーツを着こなしたサラリーマン風の男性が歩いているが、ここからは5メートルほど離れている。

 衝突事故はないだろう。

 勢いよくメロスは空に身を投げ出し華麗に着地する。


「うわああああ」

 サラリーマン風の男性が、スーツケースを落とし尻餅をついている。

 驚かせてしまったのだろう。

 せっかくのスーツが台無しだ。


 メロスはウエストポーチからハンカチを取り出し男性へと差し出す。

「驚かせてすまない! 使ってくれ! 」


 そしてまたわき目も降らず駆け出した。

 ビジネス街に入ると次第にサラリーマンやOLで込み始める。

 休日にもかかわらずみな大変だ。


 ちらりと左腕を確認すると、出社時間まであと5分と迫っていた。


 メロスは、汗がにじみ酸欠気味の頭で考える。

 車道はだめだ。歩道は混んでる。屋根は高すぎる。

 メロスは辺りを見回す。

 ガードレールがあるじゃないか。


 メロスは細いガードレールの上を飛ぶように走る。

 途中電柱をつかんで遠心力を頼りに飛躍する。

 道中、男女の様々な悲鳴が聞こえるが些末なことだ。

 時間がないのである。


 後はもう目の前。

 このままひた走り、ロビーを抜け2階にあるフロアに入り、打刻すればいい。

 悲鳴だけでなくピーポーピーポーという音も混じるようになった。


 本当に今日は忙しない。

 警察にはぜひ頑張ってほしい。

 おれも頑張って出社している。

 通勤は命懸けだ。


 時計の針はあと一分を指している。

 このまま馬鹿正直にロビーを抜けては間に合わない。

 ちらりと上を見る。

 2階部分を囲むようにあるガラス窓は換気のために開いていた。

 加えて、おあつらえ向きの壁が2つ真下にあるではないか。


 行くしかない。

 メロスは覚悟を決めた。


 壁を足場に蹴り上げ跳躍し、右へ左へ飛び交いながら高く高く壁を登っていく。


 そして勢いよく窓の中に体を滑り込ませた。


 ころりと回転して衝撃を受け流す。

 顔を上げるとオフィスはもう目と鼻の先だ。

 そのまま立ち上がり、急いで社員証をかざす。


 表示された時刻は8:59。


 間に合った。

 万感の思いで扉を開け、社内へ入る。


 椅子に座り汗をぬぐいながら、ふーと息を落ち着けていると地鳴りのような音が聞こえてきた。


 いったいなんだと、横目で扉の方をみる。


 社長と警官がドスドスとすごい形相でこちらへ駆けてくる。

 社長とともに並走している警官には見覚えがあった。

 車道は走るなと教えてくれた白バイ警官だ。


 どうしてここにいるのだろうと訝しんでいると、社長が扉を粉砕せんばかりの激しさで開け放つ。


 ビル全体に響きそうな大声で叫ぶ。


「走るなメロス! 」


 やはり彼は暴君である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

走るなメロス! 空野いろは @sorano-iroha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ