#138 溟外の悪魔Ⅰ

 その日も今日のように嵐と言える風雨の強い夜だったらしく、地面を叩く鈍い音で住民達が外を見ると、この街の名物であるメタルイカが大量に地面に散乱していたという。


 その原因は今でも研究途中だというが、有力なのが嵐が沖合からイカを海岸沿いまで運んでいるという説。だがこれを立証しようにも嵐の夜に船を出して確かめるのは自殺行為といえるほどに難しく、さらに嵐が来たとしても毎回イカが降ってくるわけでもないらしい。この不確実性が法則を見出せない主な原因だという。


 メタルイカはその名の通り固く、当時の家々の屋根は穴だらけになってしまったらしい。以降も不定期にイカが街中に降り注ぐものだから、たまったものではないと住民達が屋根に鉄板を敷きだしたという。


「ああ、それで屋根が鈍色に見えたのですね」

「窮状を見かねた伯爵様が、建物の所有者全員に鉄の板を配るご決断をなさったのでございます」

「なるほど。ただの鉄の板とて、しょっちゅう取り替えるとなれば金銭的に厳しくなるのは避けられないからですね」

「左様でございます。でなければ余裕の無い家から板が錆びにまみれ、やがて美しいノーフォークの街並みが損なわれてしまう……それを避けたいというお考えもあられるようです」


 帝国内にある鉱山は全て帝国の持ち物である。であるなら、ここノーフォークにある鉱山は伯爵家が管理していることになるので、鉄の板の原料には困らないのも頷ける。


 ともあれ、イカが降るという現象とこの街の対策についてはよくわかった。そして女中の話はここからが本番である。


「最初はメタルイカだけだったのです。ですがそれから一年程が経ち、街の皆がこの不可思議な現象にすっかり慣れた頃でございます。とうとう街のメタルイカを捕食する魔物が現れたのでございます」

「……たしかに魔、ですか?」

「はい。魔ではなく、魔でございます」


 ありえない。


 魔物が何かを食うなど見聞きしたことがないし、ただ人を襲うだけの、それこそ嵐と同等の災害のようなものだというのが世の理のはずだ。


 しかし、女中はそのことを知った上で間違いないと言った。現にその捕食者を倒せば死骸は消え、魔力核が現れるというのだ。


「そろそろでございましょうか」

「……まさかっ!」


 俺は察し、探知魔法サーチを限界まで広げる。


「この数っ!」


 海側から続々と魔物の反応が上陸していた。


 ガタリと俺は椅子から立ち上がるが、女中は未だ落ち着いた様子で話を続ける。


「魔物の名はサニヤリ。メタルイカを捕食する、非常に稀な存在と伺っております」

「馬鹿な、イカだけですと!? 人を襲わないのですか!?」

「は、はい」


 つい大声で詰め寄ってしまったせいで、さしもの女中も身動みじろぎしてしまった。


「し、失礼……」


 だが、本当に人を襲わないというのならこの女中の落ち着き様も納得できようというものだろう。現状、サニヤリとやらはイカまみれになった街を綺麗に掃除してくれるという、魔物にあるまじきありがたい存在でしかないのだから。


「初めてサニヤリが確認された折は、それはもう街中が大騒ぎでございました。守護戦団、騎士団がほぼ総出で迎え撃ったと聞き及んでおります」

「それはそうでしょうな……突然、前触れもなく、しかも街中にこれほどの数の魔物が現れたとなれば」


 今も俺の探知魔法サーチには続々と魔物がかかっており、反応は街中をウロウロと動き回っている。イカを絶賛捕食中なのだとすれば、なんとも奇妙な心持ちだ。


 それとは対照的に、人の魔力反応はほとんど動いていない。


「はい。ですがサニヤリの戦闘能力は皆無に等しく、一方的に狩られたそうでございます。当然、両団に死者、怪我人はなし。後にサニヤリは脅威では無いと断定され、今では『亜鉄烏賊ノ雨飛シ際他行ヲ禁ズ』とだけ伯爵様から触れが出ているのみでございます」

「なるほど……外に出るどころか戦う事も禁じられているのですね。ならばシリュウとセロットさんは」

「はい。共に最寄りの建物に避難しているものと存じます。赤の他人であろうと外出中の者を無条件で匿わなければならない。義務ではありませんが、ノースフォークのいわば不文律となっております」


 街に鐘が響き渡ったのは、メタルイカが原因だった。


 そしてそのメタルイカを食べるためにサニヤリがやってくる。


 なんとも不思議で滑稽な話だったが、そんな珍しい日に居合わせたのはある意味運が良いのかもしれない。


「街中のメタルイカを食せば、サニヤリは静かに海に帰っていきます」


(これも良い経験かぁ)


 イカしか食わぬ魔物の存在は腑に落ちないが、実際にそうなのだから俺も認識を改めなければならないだろう。この世はまだまだ謎に満ちているという、ありきたりなまとめで今日は店仕舞いだ。


 少なくとも今晩はシリュウは帰って来ない事が分かった。俺は街明かりも月明かりもなく、イカが降っているだけなはずの窓の外を眺める。


 店という店が閉まり、民家も木戸を閉じてしまっているので街は暗闇に包まれている。 ポツポツと街灯の淡い光があるとはいえ、風雨で視界は悪いことこの上ない。


 そんな中、煌々と灯りが焚かれている場所がある。位置的に街の中央付近だろう。


「あの灯りはなんでしょう」


 嵐の中、あれだけの火を絶やさず灯すのは火炎魔法を用いずには難しいはずだ。


「はい。あちらは街の中央広場で待機している守護戦団と騎士団の方々でございます。やはり無害だとしましても、魔物が徘徊することに変わりはございません。念のために態勢を整えている……と申しますのが、この街の逗留者とうりゅうしゃへの方便でございます」


 つまり、ここまでが広く一般に知られても問題はないという事だ。


「……方便ではなく真実を話すよう、ラインハルト殿は仰った訳ですね」

「はい」


 ようやくと言えるだろうか。全てを話すと言った女中は先ほど、『現状なら笑い話で済む』と言ったが、済まない状態、最後の最後に看過できない事を語り始めた。


 これまでの話と一線を画すそれは、旅行者、商人、流れの冒険者といったこの街の人間以外には一切知らされないことだと言う。


「サニヤリが出没するようになってから一度……同じ嵐の日に悪魔の襲来によりこの街は大勢の民を失っております」

「悪魔……ですか」

「はい。ノースフォークでのみ確認されている凶悪な魔物だと聞いております」


(はぁ……またか)


 スルトの魔物大行進スタンピードもそうだ。良くも悪くも、もはや街ぐるみの情報統制は帝国のお家芸とも言えるのではないか。民に不安を与えぬようなどと耳障りの良い事を盾に、恥でもない恥を隠そうとしているとしか思えない。


 二年前にその悪魔は討伐され、以来姿を現していないというが、街の中央に陣取っている戦団と騎士団はまた悪魔が現れた場合に備えているらしい。


 今のところサニヤリと思しき魔力反応以外に異常はない。できればそいつを一目見ておきたいが、外に出るのは禁止されている。窓から覗き見るしかないのだが、如何せん視界が悪すぎる。


 激しい雨のおかげで物音もかき消されているとなれば、もはや諦めるほか無いだろう。


「一つよろしいですか」

「はい。何なりと」

「あの食前酒、まだありますか?」

「えっ……ふふっ、失礼致しました。すぐにご用意致します」

「それと、お話ありがとうございました」


 女中はペコリと頭を下げ、部屋を後にする。


 他人の家に世話になっているであろうシリュウが迷惑を掛けていないか不安もあるが、今はどうしようもない。酒を片手に読書と洒落込もう。



 ―――ドン ドン ドン



(なんだ……?)


 遠く、微かに音が聞こえる。


 膝の上の本に視線を落したまま耳を澄ますと、不規則に、だが確実に音の頻度は増えているようだ。


 何の音かと心当たりを探っている内に扉を叩く音がし、先ほどの女中が立派な酒瓶を手に戻って来た。俺の返事で扉が開き、備え付けのグラスを取ろうと立ち上がった矢先だった。


「きゃぁっ!!」

「如何なされた!?」


 女中が突然大きな声を出し、手にあった瓶の中身がまるでどす黒い血のように床に広がる。俺は慌てて駆け寄って身体を支えるが、女中の視線は固定されたまま身体は震えていた。


「あっ……あっ……」


 震える手で俺の後ろを指さし、声にならぬ声を上げる。


 即座に振り返ると、いつの間にか窓一面に乳白色の何かが張り付いていた。


 それは四つの手足で窓硝子にピッタリと張り付いており、首の先には目も耳も鼻もない。しかし口と呼べる空洞だけは備えていて、中は歯のような突起が奥までびっしりと連なっている。そこから強粘性を思わせる液体がドロリと長い糸を引き、べっとりと窓硝子を濡らしていた。


「うおっ! 気持ちが悪いっ!!」


 これまで多くの魔物、魔獣を見てきたが、三本の指に入るであろう異形である。魔獣は少なくとも生物の体を成しているが、見た目だけでもこ奴は間違いなく魔物だ。


 俺はつい心の底からの声を漏らす。目は無いようだが、じっとりとした視線を感じて怖気立ってしまった。


「も、もしかしてこやつがイカ食らい……えっと、サニヤリとやらですか!?」


 妙な興奮状態のまま確認するが返事はなく、女中はカタカタと身体を震わせて床にへたり込んでしまっている。先程までの凛とした佇まいとはあまりにかけ離れている様に、俺はつい眉をひそめた。


 そしてやっとの思いで声を絞り出す。


「……ちが……う」

「えっ?」

「ち、ち、違うのです……あれは……あれは私の知るサニヤリなどではございません!」

「っ!? ならば―――」


 何なのかと問おうと窓を見やると、異形の魔物の姿は消えていた。


 だが、逃がしてなるものかと探知魔法サーチを再度広げようとしたその時、事態の急変を告げる第一報が宿中に響き渡った。


「火急につき失礼する! 私はギルドの者! こちらに帝都の王竜殺しドラゴンキラーがおられるはず! ジン・リカルド殿っ! おられるのなら至急目通り願いたいっっ!!」


 その声と同時に宿は一気に慌ただしくなり、複数人の喧騒がこの部屋まで向かってきた。


「ここに」


 俺は腰を抜かしてしまった女中を抱えて急いでソファに移動させ、声の主を部屋に招き入れる。


「声を荒げて申し訳ない。私はノースフォークギルドのモーゼル。単刀直入に言う。 リカルド殿、手を貸してはくれまいかっ!!」


 いつ、どこで、何に、などを一切省き、モーゼルというギルド関係者は肩で息をしながら頭を下げた。ここからギルドまでは相当離れているはずだ。ずぶ濡れになりながらも余程急いで駆けて来たのだろう。


 さすがに状況がつかめないが、窓に張り付いていた得体のしれない何かの存在だけは知っている。


 ソファで震える女中と、それに寄り添い励ましている同僚達の悲痛な表情が目の前にある。


 これだけで、剣を取るには十分。


「参りましょう」

「あ、有難いっ!!」


 収納魔法スクエアガーデンから外套を取り出して羽織り、机に置いた二振りをく。


 同時に低く、長い鐘の音が街中に鳴り響き、轟音と共に地が揺れた。


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戦国武将異世界転生冒険記・続 詩雪 @shi_yuki

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