真夏の探し物(或いは、アイスコーヒーの魔法)(花梨と志真④)
胡桃ゆず
お守りと、子供と、アイスコーヒー。
アスファルトは鉄板のように熱されていた。その上を歩くだけで、丸焼きになりそうなくらい。ただ、じりじりと暑いだけならまだしも、日本の夏は、そこにむったりとした湿気が加わるから、心にも体にも余計にきつい。
こんな時は、喫茶店へ行って、アイスコーヒーでも飲みながら涼むのがいい。
休日の一日をそう過ごすと決めて、花梨は志真が働く喫茶店へと向かおうとしていた。
お店は、駅から歩いて徒歩五分。そう遠くはない、その道すがらのこと。
「あれ……」
人にぶつかっては謝りながら、しゃがみこんで何かを探している様子の、高校生くらいの女の子がいた。
どうしたんだろう、と思いながら通り過ぎるところであったが、彼女はうっかり花梨にもぶつかりそうになった。そうすると、どうにもそのまま通り過ぎるわけにもいかなくなる。
このまま、ただ通り過ぎて行く人たちに邪険にされながら、一人でぶつかり続けているのも、切ないではないか。
「ごめんなさい……」
「いえ……何か探しているんですか?」
「はい。……お守り、失くしちゃって。学業成就の。……今、予備校の帰りなんですけど、どこかで落としちゃったのに気が付いて……」
あまりにも切羽詰まった顔をしていて、彼女は今にも泣きだしそうだったので、花梨としてもこう言わざるを得ない。
「一緒に探しますか」
「え……いいんですか?」
特に時間が決まった予定があるわけでもない。花梨は頷いた。
三十分、あるいは一時間ほど探し回っていただろうか。彼女は、すっかり肩を落として、また泣き出しそうになっていた。
「こんなに時間をかけてお守りを探している間に、勉強した方が受かるだろうって……そう思いますよね」
「あー……」
確かにそうかもしれないが、このまま諦められないそれなりの理由が、彼女の中にはあるのだろう。それでは、この時間机に向かっていたとしても、勉強は手に付くはずもなく。
どちらにせよ、見つけないと勉強は身にならない。
見つけてあげたい。
ふと目をやった歩道の生垣の中。こういう盲点にないものかと、半ば意地になって探していると、そこに紺色のお守りがあった。
学業成就、確かにそう書いてある。
「……あっ……あった!」
「えっ」
彼女は花梨のところへ駆け寄ってきた。生垣の中からお守りを拾って見せると、彼女は安心したように、その場にへたり込んでしまった。
「ちょっと汚れちゃってますけど」
「いいんです……これが……必要なんです」
ここまで必死になって探して、ぎゅっと、大事そうにお守りを握りしめる彼女の姿を見ていると、やっぱりただのお守りではないことはわかる。
「誰かからもらったんですか」
きっとそういうことだろうと思って、何気なく訊ねると、急に彼女の顔が耳まで真っ赤になった。
「あの……す……好きな人からもらったんです。受験、上手く行くといいねって。私も彼にあげて……」
「なんという青春……」
思わず漏れた声が、街のざわめきの中でも彼女の耳に届いてしまったのか、彼女はますます顔を赤くした。
本当にありがとうございます、と、何度も頭を下げてから、彼女はお守りを大事にしまって帰って行った。
もう無くさないように気を付けてね。
背中にそんな風に無言で語りかけながら、花梨は見送る。
このことを早く話したいから、喫茶店に行こう。
そう思ってお守りを探していた場所から少し歩いたところで、花梨は足を止めざるを得なくなった。
「たかしくん、たかしくん……どこ?」
荷物をたくさん抱えた三十代くらいの女性が、切羽詰まった泣き出しそうな声で、しきりにそう叫んでいたのだ。もしかすると、子供とはぐれてしまったのか。
何だろうか。この辺りは、今日は鬼門なのか。そう疑いたくもなる。
さっきの出来事で、多少声をかけることにもハードルが下がっていたし、このままでは寝覚めが悪くなりそうなので、思い切って声をかけてみる。
「あの……もしかして、お子さんを探してますか?」
「はい!……見かけませんでしたか?」
彼女は、縋るように詰め寄って来たので、花梨は思わず身を引いてしまった。
「あ……すみません、見かけてはいないんですけど……一緒に探しましょうか」
「いいんですか?」
「はい。別に急ぐ用事もないので」
「……っ……ありがとうございますっ!」
迷子になった子は、四歳の小池孝くん。一緒に買い物に行っている途中で、ほんの一瞬目を離した隙にいなくなってしまったそうだ。
駅の周辺を二人で二時間探し回ったが、スマホで見せてもらった写真の男の子の姿はどこにもない。
母親の方も、子供を案ずる気持ちと自分を責める気持ちで、心がどんどん追い詰められていっているようだった。
近くにあった公園を一通り探してみたが見つからず、二人で途方に暮れていた時に、不意に携帯電話の着信音がした。母親は鞄の中身をひっくり返さんばかりの勢いで、携帯電話を探して、やっとのことで電話に出ると、女性の顔に笑顔が溢れて来たので、花梨は察した。どうやって連絡が来たのかのからくりはわからないが、孝くんは見つかったのだろう。
その事実に、こちらもまたほっと人心地つくと、暑さに体力が奪われ、喉がからからだったことに気が付いてしまう。
そうだ、今日は志真のいる喫茶店へ行こうと思っていたはずなのに。
花梨は、急いで志真にメッセージを送った。
今日はいろいろあって、あちこち歩き回ってくたくただよ。暑くて溶けそうだから、アイスコーヒーが飲みたいなぁ。もうすぐお店に行くよ。
メッセージを送ったタイミングが良かったのか、返事は直ぐに来た。
了解。水出しコーヒーをキンキンに冷やしてお待ちしております。
女性も電話を終えていたようで、花梨に報告をしてきた。
「孝、見つかりました。この近くにある『サリュー』っていう喫茶店の店員さんが保護してくれているらしくて、怪我もなく無事みたいです」
「へ?」
それはよかったですね、という言葉が出て来る前に、変な声を上げてしまった。志真が働いている喫茶店の名前。それがまさしく、『サリュー』なのだ。
「あ……えっと……私、お店の場所を知ってるので、一緒に行きましょう」
でも、同時にものすごくほっとした。
結局は志真が助けてくれることになるなんて。
五分ほどで喫茶店『サリュー』に着くと、ちゃんとカウンター席に少年が大人しく座っているのが見えて、ますますほっとしたのだった。
店内の冷房の涼しさにも。
「孝!」
「お母さん!」
少年は、ぴょんと座っていた椅子から飛び降りると、母親に飛びついた。今まで我慢していたのが、つい緩んでしまったのか、孝はわんわんと泣き出した。安心した母親も、一緒になって泣いている。
ふと、志真の方に目をやると、彼は優しく微笑んだ。
「……花梨……もしかして、この子を一緒に探してたの?」
「うん」
「そっか。それはお疲れ様」
「へへへ……」
志真がそう言ってくれただけで、なんだか今日一日の疲れが飛んでいった気がした。
その十分前の話をしよう。
店の前のアスファルトを少しでも冷やすために、水打ちをしようと、志真が店の外に出た時だった。
通りの向こう側に、まだ小学生にもならないくらいの歳であろう子供が、一人で立っているのが目に入ってきた。
これは、放っておくのもまずいのではないか。迷子の可能性もあるし、その上、こんな暑い中にそんなところに立っていたら、熱中症になりかねない。
志真は、通りの向こうに渡って、子供に声をかけた。
「……君……一人?」
「うん」
子供は小さく頷いた。やっぱり暑さにやられているのか、迷って疲れているのか、少しだるそうに。
「お父さんかお母さんは?」
「知らない。どこかに行っちゃったんだもん」
泣き出すのをぐっと堪えるように、その子は口を結んだ。
「猫がこっち見てたから、追いかけて行ったの。お母さんがいるところに戻ろうとしたら、ここがどこだかわからなくなっちゃった」
一瞬、親がわざと置いて行ったのか、ということも疑ったりもしたが、やはり、迷子か。
「ねえ……お母さんの電話番号わかるかな?」
正直、あまり期待はしていなかった。だが、持っていた小さな鞄の中に、メモ紙が一枚入っていて、彼はそれを志真に差し出したのだ。
「これ?」
メモを広げてみると、そこに母親の名前と電話番号が書いてあった。もし、迷子になっていたら、見つけた方はここに連絡をください、と、一言添えて。
そのことに、志真は安心した。きっと、母親も今は血眼になってこの子を探しているのだろう。
「……そう、これ。今、お母さんを呼んであげるから、あそこのお店の中に入って待とうか」
「うん」
志真は、その子をお店に連れて行くと、オレンジジュースを出して、大人しく待っているように言い含めた。
脱走したり暴れたりする様子もなかったので、とりあえず安心したが、子供の気まぐれがいつ発動するかわからないので、いそいで母親に電話をかけると、慌てた様子ではあったけれども、すぐに来ると言っていた。
本当にすぐ、五分でやって来るとは思ってもいなかったが。しかも、花梨を連れてくるだなんて。
出されたアイスコーヒーを飲みながら、志真の話を聞いていて、まるでパズルのピースがはめられたような一連の出来事に、花梨はやはり少し不思議な気がした。
ちょろちょろと動き回って、いつ見失うかわからない子供のために母親が持たせていた電話番号のメモを、ちゃんと志真が見つけた。
こんな綺麗な偶然ってあるんだ。
この親子が帰って行くまでに、ごめんなさい、と、ありがとうございました、を、何回聞いただろう。
氷だけが残されて、汗をかいているジュースとアイスコーヒーのグラス。
それを片付けている志真の姿を眺めながら、花梨も融けた氷で薄くなった、残りのコーヒーを飲み干す。
「アイスコーヒーが美味しかったです」
「それはよかった」
思っているよりも、疲れて重くなっていた体が、緩んで軽くなった気がする。安心しているのが、はっきり自分でわかった。
「ホッとするのはホットコーヒーだと思ってたけど」
「駄洒落ですか」
「違うんだよ。温かいから心が落ち着くんだと思ってたけど、今日はアイスコーヒー飲んでホッとしたよ。……結局のところ、ホットだろうとアイスだろうと、志真が淹れるコーヒーは癒しなんですな」
ふーん、と、ちょっと嬉しそうに笑みを浮かべた志真は、ぼそっとつぶやくように言った。
「それって、俺の技術がどうとかっていうよりも、俺のことが好きだからでしょ」
言葉自体はさりげなく口に出されたものだったが、後から恥ずかしくなったのか、急に目を逸らして俯いた。だから、花梨もまた恥ずかしくなってしまい、視線をテーブルの上に落とした。
「両方っ」
なんとなく、空気が気まずくなってしまった。花梨は意味もなく、ストローを弄んでこの気まずさをなんとか紛らそうとした。
ふふ、と、志真の笑い声が聞こえたような気がした。
「……そう。もう一杯飲む?」
「うん、飲む。ついでに、チェリータルトも一つ」
「かしこまりました」
花梨は女子高生のお守りを一緒に探したことも、志真に話をした。
話ながら、コーヒーを淹れている志真の姿に、なんとなく見惚れてしまう。その慣れた手つきや動作が、まるで魔法を使っているようで。
あっという間に、コーヒーがチェリータルトと一緒に出された。
「さっきみたいに、探しているのが子供の場合は別の話だけど……探し物ってさ、なくなった時に、縁が切れたと思わない?」
「じゃあ、志真はなくなったら、そういうもんだって、諦めるの?」
「必死になって探すことだって当然あるけどさ。……でも、血眼になって探したって見つからないものは見つからないじゃん。でも、見つかるものは探してなくても見つかったりするから。それは縁が切れてない。つまり、今日のその人たちの探し物は、切れないように花梨が縁を繋げたっていうことで」
「そんなつもりはないけど」
「でも、一緒に探してあげるって、そういうことじゃない?」
その一言で、自分が何か魔法でも使ったんじゃないかと思えてしまう。志真がコーヒーを淹れる時のように。
「そうか……」
でも、そんなわけないのに。
思わず笑ってしまう。
甘いチェリータルトに、苦いブラックのアイスコーヒー。この組み合わせの絶妙さ具合も、きっとまた縁なのかもしれない。
そんな馬鹿らしいことを考えている自分にまた笑って。
そんな、夏の暑い日の一日の、甘くて苦い夕暮れ時。
真夏の探し物(或いは、アイスコーヒーの魔法)(花梨と志真④) 胡桃ゆず @yuzu_kurumi
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