生まれ変わる母音

人は、この世に誕生する時、混じりけのない音を出して生まれる。その音には純粋無垢というが、かく言う私も例外に漏れずそのようにして生まれた。唯一例外なのはお釈迦様だが、誰一人として母親から生まれるとき、「オギャー」と泣き声を出さないで生まれた人はいない。みんな、生まれる第一声は「オ」から始まる。


私の人生は日本語の母音「オ」から始まった。赤ん坊から幼児になって「ブーブー」など一語を発し、「かーか」「とーと」など母親、父親の呼び方を言葉に出せた。三歳になって言葉を話せるようになり、小学生で文が書けるようになる。中学生で社会情勢や周囲に配慮するようになり、高校、大学と知識の幅が広がっていくようになる。


社会人になって、私は課長職などある程度の責任を持つ立場に立つようになった。三十代に転勤族になり、営業の成績を全社で上位を常に取っている状態で、将来を嘱望された人生を送る手筈だった。


しかし、会社がヘッジファンドの買収に遭い、今までの会社の方針が百八十度変わったことで、私のいる場所がいなくなり、やむなく退職せざるをえなかった。


会社を去る羽目になっても不幸は訪れた。息子の逮捕、妻の脳梗塞の発症、そして会社から退職金の不支給。外資にやられた会社の体力はハゲタカのように持って行かれてほとんどなかった。


なぜ、私にばかり不幸が訪れるのか不運に思った。正直、天を恨んだ。退職後もある程度順風満帆な生活をある程度期待してたのに裏切られた。そんな気持ちが強かった。


さらに、追い打ちをかけるように、私の人生の考え方が百八十度変わった出来事に遭遇した。

独立して新規事業を立てたいと資金を貸した親友の行方が分からなくなり、連帯保証をした私に取り立てが来るようになった。


執拗にドアのたたく音が絶えない毎日が続き、私は心底疲弊していた。もうこんな毎日を過ごすのはイヤだ。早く楽になりたい。

十五階ある自宅マンションの屋上に遺書をしたためて靴底に置き、フェンスを乗り越えて下を見た。風が頬を切る。上昇気流が下から突き上げ、今にもダイビングしてふわっと体が浮きそうな感覚になる。


そのとき、私は思いとどまった。同時にこんな馬鹿馬鹿しいことで人生を強制的に終わらせるのはつまらないと思った。風を感じる感覚。その感覚が私が今ここに生きていることを感じさせた。過去の出来事は“いま”ここにいない。太陽の日差しの感覚、ビルが点在する都会の風景、雑踏とした車の音。今感じている五感が正に今生きている。


過去も未来もたった“今”存在しない。この瞬間感じているすべてが“今”この瞬間。それなのに私は取り立ての苦しさに囚われて“今”を生きてなかった。この瞬間の“今”過去・現在・未来と繋がっているかと言えばそうではない。過去に起こった出来事は今変えることはできるし、未来を変えることだってできる。


そして私は遺書を破り捨てた。そしてこの瞬間私は日本語の母音「ウ」から歩きだした。「ウ」まれ変わる瞬間、人は誰だって母音に戻ることができる。その音の構成は他の要素と組み合わせのない混じりけのない音だからだ。「か」を構成するのは「k」と「a」で母音の「ウ」は「u」単独で音を構成する。


そして単独で構成する混じりけのない音だからこそ、素に戻ることができる。そしてリスタートできる最初の音「ウ」


私は屋上のドアを開き、静かに階段を下りていった。

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ショートショート劇場 @watarikazu

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