僕と話さない彼女
リルもち
第1話
草が生い茂り、乱雑に散らばった瓦礫を乗り越えて今日も僕は彼女の下に訪れる。
お日様が古びた塔を照らし、所々に生えた苔についた水が反射して光輝く。
僕はその場にしゃがみ込むとヒビの入ったその古びた塔にそっと触れて優しく語りかけた。
「やぁ、今日も来たよ」
「……」
今日も彼女は答えない。今日で18日目だ。
彼女はよく僕に悪戯をしてくる。その度に無邪気に笑う彼女に釣られて僕もまた笑ってしまう。だけど、僕はそんな彼女が好きだ。
「なぁ、早くネタバラシをしてくれよ」
「……」
そっと彼女に触れる。赤子を撫でるように僕の手は彼女に吸い寄せられていく。
彼女の側にたくましく生えていた二本のマリーゴールドは一本が消えてもう一本は茎が折れて地に頭をつけている。
その様子はあまりにも可哀想で悲しく感じたものだから、またあの日みたいにたくましく育つことができるように元の形に直してやろうとした。
だけど、そのマリーゴールドはど生きることを諦めたかのような、まるでそれが本当の自分だと言わんばかり元に戻ることを拒んだ。
先程まで眩しいくらいに顔を出していたお日様は雲に隠れて辺りは暗くなる。ゴロゴロと音を立てて、鬼たちが騒いでいる。
「君がネタバラシをしないから鬼が来たようだね」
僕は意地悪そうに笑いながらそう語りかけた。
「それとも君が怒っているのかい? ごめんね。今日は何かと忙しかったから来るのが少し遅れてしまったんだ」
「……」
先刻まで辺りを包み込んでいた日差しの代わりに雨水が僕たち二人を……いや、僕と君を包み込む。
僕は持ってきた傘もささずに、ただその場でじっとしている。特に何かするわけでもない。ただ見守るだけだ。
多分彼女にとってもそれがいいのだと思う。その場でじっとして、自然を感じる。
置いて忘れられた文明と同じように僕と君もきっとすぐに力強い自然に覆い被せられて忘れられるだろう。
いつの時代も人の世とは早いものだ。そもそもここ数キロに人がいるのかも不明なのだが。
「人の世とは早いものだね。そう君も思うだろう?」
「……」
彼女は話さない。話すつもりがないのだろう。当たり前だ。
「僕がこうして君の元へ訪れるのは自己中心的なことなのかもしれない。自分自身のことしか考えてなくて、そして君のことを考えていないのかもしれない。ただ自分が楽になりたくて君の元へ訪れている。僕はそんないやらしい人間だ。」
「……」
降り出した雨は次第に強くなっていく。雨が葉や草に当たって音が鳴り響く。君は細くて弱々しいからこの雨で折れてしまいそうだ。
「本当にすまなかった。君を助けるなんて啖呵をきっていたのにも関わらずに結局君を助けることはできなかった。」
「……」
「今日は君に渡したい物があるんだ。だけど、君はきっと受け取ってはくれないだろうからここに置いていくよ」
そう言って僕は雨の中、彼女の前に指輪をそっと置いた。当然ながら彼女は何も話さない。
ふとあの頃を思い出す。のんびりと過ごした小さな農村での出来事を。
彼女は太陽をお日様だと言った。僕が太陽と言ってもお日様だと言い張る。意地っ張りな人間だ。もしかすると君の方がいやらしい人間なのかもしれない。
あの頃は楽しかった。君はよく寝ている僕の顔に落書きをしただろう? 君は違うと言っていたけど僕は知っていたよ。
「いい加減もう一度君の笑顔を僕に見せてくれ」
「……」
「なぁ、頼むよ……」
雨は降り止まない。むしろそれどころか雨は次第に強くなっていく。僕の目を大粒の水滴が流れ落ちる。
どうしてだろう。彼女を見るために下を向いていても水滴が流れ落ちる。視界が雨水のせいでぼやけて彼女がよく見えない。
僕は君のはにかんだ顔が好きだった。ちょっぴり意地悪なところが好きだった。嘘をつく時に目を泳がせるクセが好きだった。不器用なところが好きだった。泣いた顔も笑った顔も怒った顔も少し拗ねた顔も全部が好きだった。
そしてそれら全てがこれからも続いて僕が愛し続けるものだと思っていた。だけど、だけどそれは……。
「どうしていつも君は僕に意地悪ばかりするんだい?」
雨水のせいでもう視界が定まらない。目の前にいるはずの彼女ですら視界に映らない。
僕は目に溜まった雨水を服の袖で拭いた。
そして、
「このマリーゴールドはまるで僕みたいだな。君がいなくなって生きることを諦めた」
「……」
彼女は話さない。それでも構わない。
「君にこんな僕を知られたら怒られてしまうな」
僕が笑うと一瞬彼女が微笑んだように見えた。彼女は微笑まない。微笑まないはずなのだが、僕には確かにそう見えた。
「君が残した手紙に書いてあった約束を果たすことにするよ。多分これからは長い旅になると思う。だから君には会えない。今日で会うのは最後とするよ」
「……」
彼女は話さない。
「君は僕のことを強いと言ってくれたけど、実は僕はとても弱い人間なんだ。君がいなくなって生きることを諦めたようにね。だから、僕に勇気を与えて欲しいんだ」
「……」
彼女は話さない。だけど、降り注いでいた雨はピタリと止み、お日様が再び顔を出す。まるで一点を照らすかのような。彼女にスポットライトを当てているかのような。
きっとこれは彼女なりの励ましなのだろう。僕は立ち上がってそっとそっと彼女に告げる。
「ありがとう。僕は君が好きだったよ」
「……」
彼女は話さない。だけど構わない。きっと彼女はこの地で永遠に生き続けるのだから。
ブロロンと自然に似合わないエンジンが聞こえてくる。そして白衣を片手にした男が僕の元へ歩いてきた。
「先生、お迎えにあがりました」
「悪いね。探したかい?」
僕の言葉に男は笑って首を振った。
「いいえ。ここだろうなと思ったので」
「流石だね」
「毎日よくこんな距離を歩きますよね」
「なんだろうね。上手くは説明できないけど自然を感じることができるんだ」
男は首を傾げると「そうですか。僕にはまだ理解ができません」と言った。
「まぁ、いずれ分かるさ。それよりお迎えと白衣、ありがとうね」
そう言って僕は彼の肩に手を置いてから白衣を受け取って彼の車へ向かった。運がいいことに雨はもう止んでいる。
差し込む日差しが次第に僕らを包み、風が草木をすり抜けて僕の元へ届く。
「ッ!!!」
「どうされましたか?」
男は首を傾げた。僕は笑った。盛大に笑った。
「やっぱり君らしいな」
男は理解出来ずにその場に立ち尽くしていた。それもそうだ。これは彼女から僕へ対しての言葉なのだから。
「すまんね、三尾君。何でもないんだ。さぁ、行こうか」
風に乗って彼女の言葉が僕に届いた。
“なーんだ、もう頑張れるんだ。つまんないの”
僕が塔の方へ振り返るとそこにはより一層太陽に照らされた場所があった。そこで折れたマリーゴールドが一輪のアルストロメリアにもたれかかっている。
僕は未来永劫この風景を忘れることはないだろう。
僕と話さない彼女 リルもち @Riru0124
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