第18話
祖父の家からの帰り道、二人はどちらからともなく夏休み中によく行った公園へ足を向けた。そこからはあの定家本が見つかった城跡のある山が見える。
山の景色も夏は終わったと告げ、どこからともなく秋が忍び寄っていた。広葉樹の葉は夏の勢いを失い、少し暗い緑の檜の葉が代わりに山を彩っている。そしてもう少しすれば再び広葉樹が主役に躍り出て、赤や黄色で山を染め直すはずだ。
ベンチの前に自転車を置き二人は腰かけた。ベンチは初秋の日差しを受けて程よくあったまっていて心地よかった。
「ねぇ、修介。もしも、、、もしもだよ」
千佳は来る途中、頭の中で
「ん」
千佳の声に修介が眼を上げた。
「ほんとうにその千夏という人とお殿様の魂が私たちに乗り移っていたんだとしたら・・・。それってホントは私たちが互いに好きっていうことじゃなくて二人の思いが私たちをそういう気持ちにさせている。そう言うことかもしれないじゃない?」
「どういう意味?」
修介が千佳の横顔を見詰め、尋ねた。
「だからね、修介が私を好きでいてくれるのも、私が修介を好きなのも・・・その人たちの思いがそうさせているってこと・・・」
言葉が途切れた。
「違うよ」
そう言って立ち上がると、修介は千佳の両肩を優しく掴んだ。千佳は修介の目を覗き込み、そして、ゆっくりと目を瞑った。
修介は黙ってその唇に優しくキスをした。
父さん、ごめんね、と千佳はキスを返しながら思った。もう、約束破っちゃった。
「二人の思いは僕たちが愛し合っているからこそ、僕たちに乗り移ったんだ、僕はそう思うよ」
キスを終えると修介は千佳の顔をじっと見つめたまま言った。
「・・・なのかな?」
修介の真剣な視線に思わず千佳は目を逸らした。うん、でも修介の言っていることが本当なのかもしれない。それで・・・いいじゃない?
祖父の言った通り、主要紙や東京のテレビ局から取材の申し入れがあり修介や千佳も何度か取材に呼ばれた。大して取材もせずに千佳が襲われた事件だけを面白おかしく載せる記事が出たり、インターネットで誹謗中傷がなされたりと思いもよらないこともあった。中には定家本の発見自体、作り話ではないかなどというものまであった。そんなときも修介は千佳をしっかりと守ってくれた。テレビの取材の時に無責任な記事やネット上の誹謗中傷を敢然と非難し、自分の見たありのままの光景を話す修介の姿勢に次第に誹謗中傷は勢いを失っていったばかりか、それでも続けていたネットの投稿には批判が殺到し始めた。定家本の真偽は確定はしていなかったが、多くの学者が本物ではないかという鑑定を出しつつあり、作り話だという説はあっという間に消えた。
沼田たちの裁判はまだ始まっていなかった。根は深く、逮捕された者たちの供述で全部で14人が起訴されただけでなく、捜査は継続中だった。政治家が絡んでいるといううわさも絶えなかった。
そうやって、千佳と修介にとっては激動の二か月が過ぎた。それでも受験勉強を疎かにすることはせず、中間試験の千佳の成績順位は僅かだが上がった。それでも修介との成績の差はまだだいぶ開いていた。
中間試験の成績が発表された日の放課後、千佳は修介を誘って再び同じ公園を訪れた。千佳には修介に言いたいことがあった。
いつものベンチに座ると、千佳は思い切って修介に尋ねた。
「修介は・・・未来をどうしたいと思っているの?」
山のてっぺんは色づき始め、そこから吹いてくる風はもう冷たかった。その風に髪を靡かせ修介は不思議そうな顔で千佳を見た。
「僕は・・・千佳と一緒にいたいって思っているよ」
「ううん、そう言う事じゃなくてさ」
千佳は続けた。
「わたし、美術館や博物館の学芸員になろうと思っているの。おじいちゃんを見ていてね、そんな仕事につきたいなって思っている。そう言う意味で・・・修介は何になりたいの?」
「農業かな・・・。君の父さんが作った苺みたいな美味しいものを作りたい。でも、今日本で農業を本気でやるというのは難しい。制度的にも耕地の面でも。そういうものを変えていきたいんだ」
「農家になるっていうこと?」
「農業はしたい。どんな仕事についてもね、現実的に土に向かって農業をしなければ農業の本質は分からないと思う。でも農業だけをしていたら、農業は変えられないっていうのも現実なんだ。研究者になるとか、政治や行政に関わるとか、そんなことを漠然と考えている」
「そうなんだ」
千佳は遠くの山を見た。
「でも、それをするためには物凄く勉強しなきゃならないだろうし、一番いい大学に入らなきゃね」
「そうだね」
「だからさ、私と一緒の大学を選ばなくてもいいよ。私はキュレーターになるために一番いい選択をする。地味にちゃんと努力すれば資格を取れると思うんだ。だから修介も夢をかなえるために一番いい選択をしなよ。それが東京に行くことなら東京に行けばいい、アメリカで学ぶなら学べばいい」
「・・・」
「私、自信があるんだ。修介はどこにいても私のことを裏切らないって。自分の成績にはあんまり自信ないけど」
「うん」
修介は暫く考えてから頷いた。
「それ・・・どっちに対する、うん?裏切らないって方?それとも・・・」
千佳のむくれた声に修介は微かに笑った。
「僕が千佳を裏切らないってほうさ」
千佳は、良かった、と胸を撫でると
「私は自分の場所で修介を待っている。でももし、修介が連れて行ってくれるならどこへでも行くよ。そこで仕事を見つける。修介に振り回されるって意味じゃなくて修介に寄り添いたいんだ」
と付け足した。
「そうか・・・。ありがとう」
修介は頷いた。
「私たちは絶対大丈夫。だってあの二人だって、何百年の想いを私たちに託したんだもの。それを受け継いだ私たちが大丈夫じゃない筈がない、そう思わない?」
「そうだね」
「でも・・・きっと最後には私たちはここに戻って来る。そう思うんだ。私たちの想いはきっとここに帰ってくる。その時は修介が私に寄り添うんだよ。そしてここで農業をする、そういうのでどう?」
「いいね」
修介が首を縦に振った。
「そんな未来が待っている、って思えると頑張れそうだ」
うん、と千佳は強く同意した。
「でさ、修介、博物館の話、聞いた?」
市が、城跡に源氏物語の定家本を収蔵するための博物館を建設するという議案を上程したという記事が地元の新聞に載った。
「わたし、いつかはそこで働きたいなって思っている。おばあちゃんになった頃でもいいから。その時戻ってこようよ」
「うん、分かった」
二人は遠く山の頂を見た。色づいた紅葉を見つつ、
いさ君の
千佳は
「え?」
「見つけた本の中に栞みたいに挟んであった紙に書かれていた和歌だよ」
「ああ、そうだったね」
「誰の書いた歌なんだろう?」
「さあ・・・」
修介が首を傾げた。
「あなたが尋ねた京都の有名な紅葉とは、この里のもみじと変わることはありませんよ・・・。きっと都からここにあの書物を持ってきた人が書いた歌なんだろうね」
「そうだね」
修介は頷いた。
「なんだかさ、この歌は懐かしい気持ちにさせるの。なぜなんだろう」
「千夏って人とかかわりのある歌なんじゃないかな。その思いが残っているから、その人の想いが君に伝わったんじゃないの」
「そうなのかもしれないね」
千佳は答えた。
「でも私もそう思うよ。きっとこの歌を作った人はそう思ったんだんじゃないかな。東京や世界のどこかが羨ましく思えても、実はあなたの居る場所も十分素敵だって誰かに教えたんじゃないかな。だから修介も、私もきっとここに帰ってくる、そう思ったんだ。だって修介はあの谷がなくなるのを防いでくれた。修介はここが好きなんでしょ。私はとっても好きだもの」
ざあっと、風が鳴った。
き・せ・き 西尾 諒 @RNishio
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