第三編 永久平和のために(パーペチュアル・ピース)

埼玉県川越市南大塚

川越少年刑務所

令和十二年四月三日(水)


 決起当時十七歳だった俺は、少年法の適用対象になった。警護班員としてあれだけマスコミに露出しておいて、逮捕後は一転して仮名報道になったのだからお笑いだ。少年I――それが、俺を指すマスコミの呼び名だった。収容分類級はI。禁固囚の意味だ。

 家裁から『刑事処分相当』として検察に逆送された俺は、東京高裁で内乱罪の『謀議参与者・群衆指揮者』として禁固三年以上十年以下の『相対的不定期刑』に処せられた。検察には破壊活動防止法を適用するという案もあったらしいが、泉政権の強い意向で内乱罪一本での起訴に決まったようだ。無論、今回の事件が戦後における唯一の内乱罪適用例だ。言いたいことは裁判で言い尽くしたので、俺はあえて上訴せず判決を確定させた。

 内乱罪は高裁が一審となる犯罪類型で、三審制の数少ない例外だ。それほど特殊な犯罪ということだろう。俺の担当検事はことあるごとに、『内乱罪は政治犯であるから、破廉恥ハレンチ犯の懲役刑と違い名誉刑である禁固刑に処せられるのだ』と偉そうにご高説を垂れていた。

 俺と一緒に逮捕された基幹要員は、口を揃えて俺をかばってくれた。首謀者認定をされなかったのは、そのお陰だという。だがその代わり、『第二次東京裁判』で首謀者認定を受けた彼らに下ったのは、全員死刑という厳しい判決だった。最高裁に上訴した者もいたが、異例の速さで審理が進み先月には全員が死刑確定囚となっていた。

 鈴木副校長をはじめとした基幹要員に対しては、あの総選挙と決起の日からちょうど二年目にあたる今日、刑が執行されたという。対する俺は模範囚としての仮出所が許され、本日をもって少年刑務所を出ることになった。それはあの『反乱』の全てが、今日限りで政治的に手打ちになった証だった。

「お世話になりました、先生」

 俺は担当看守に自衛隊式の敬礼をして、少年刑務所の門を出た。刑務所では刑務官のことを、『オヤジ』もしくは『先生』と呼ぶのだ。

 時刻は既に、夕方になっている。俺はポケットの中の鍵に手を触れると、ここから実家までの路線を頭に思い浮かべた。……実家とは言っても、今は誰も住んでいないのだが。

「もう戻ってくるんじゃないぞ。――お前には言うまでもないだろうが、一応決まりでな。許してくれや」

「いえ、そんな……色々と便宜を図っていただき、ありがとうございました。おかげで勉強だけは続けることができました」

 俺は懲役囚ではなく禁固囚だったので、在監中は暇を持て余していた。当然ながら自衛隊も免職になった俺が獄中ですることと言えば、英語の勉強くらいしかなかった。シャバにも戻ってきたことだし、今は高認でも受けて東京外大あたりを目指そうと思っている。

 俺は最後に深く頭を下げると、刑務所の壁沿いの道を歩き始めた。

 要求通りに俺というスケープゴートが差し出されたことで、他の生徒からは一人の逮捕者も出なかった。これは、鈴木副校長と泉政権との間の密約に基づく措置だ。一応全員が形式的な事情聴取を受けたらしいが、政治事件の取り調べとは最初から筋書きが決まっているものだ。だが決起に参加し出世の望めなくなった大半の生徒は、自主退学してシャバの大学に進学していったようだ。雪緒も高認を受け、東大理Ⅲに現役で進学したという。

 莫逆ばくげきにして刎頸ふんけいなる戦友・雪緒とは収監されてからも何度も手紙をやりとりした。あいつも生活が楽ではないだろうに、書籍などの差し入れもしてもらった。

 結果的に憲法改正は国民投票で否決されたが、シャバでは今も生徒隊残党の『日本陸軍暫定派』がテロ活動を続けているらしい。だが俺にはもう、その活動に加わる気はなかった。

 何だかんだで俺は十分戦い続けてきたし、正直言って俺は『日本国』そのものに愛想を尽かしてしまった。

 日本民族というネイションは残念ながら、既に精神的に滅亡している。日本が目覚めることは、もはや永久にないだろう。

 この国はもう手遅れだ。日本という国家は、価値観と誇りと精神を失った『ニホンジン』という動物の飼育箱に過ぎなかった。である以上、このまま静かな安楽死を迎えるのがこの国にとって妥当な結末だと俺は考えている。

 この国の国民は、俺達の警告に耳を傾けなかった。そんな国を守るために、俺が命を張ることはない。それが二年間塀の中で考え抜き、たどり着いた結論だった。

 と。

 目前の歩道に落ちた影に、ふと視線を上げる。――そこには見間違えようはずもない、懐かしい姿があった。

「ゆき……お?」

 シャバの空気は心なしか温かく、優しく感じられる。広がるアスファルトは、まるで飴を流したかのような色に濡れている。見るとオレンジの光を引き連れ、斜陽が地平線に触れようとしていた。

 夕暮れの春風が吹き抜け、所内に咲いた桜の花が塀を越えてさやさやと舞い落ちる。

 金色こんじきの陽光に照らされ、地味なスカートのすそと、二年前とは違う長い髪が揺れた。

 彼女――山口雪緒は風を背に踵を合わせ、こめかみの横に颯爽と指先をやった。

「無帽で失礼します、石馬最先任上級陸士長。……申告します。認識番号G9265103、陸上自衛隊武山高等学校生徒隊、次先任上級陸士長・山口雪緒は令和十年四月十九日、本官を免ぜられました」

 日本陸軍ではなく、。その免職申告の言葉が、彼女の今の立ち位置を示していた。

 静かな森を思わせる雪緒のシルエットを、日没がくれなく染め上げる。再びそよいだ彼女の髪が、つややかな波となって光った。雪緒は軽く息を継ぎ、続ける。

「教育隊の同期を代表し、お迎えに上がりました。……お一人で生徒隊全員のとがを背負われたこと、一同深く感謝しております。お務め、お疲れ様でした」

 はすっぱな口調を自然に引っ込め、凜と背筋を伸ばして雪緒は告げる。俺はその律儀さに感服すると、雪緒ただ一人に向けて敬礼を示した。

「出迎え痛み入る、山口雪緒・次先任上級陸士長。戦闘行動に参加した基幹要員の全員が刑場の露と消えた今、生き残った生徒隊の最上級者は俺だ。……現在時をもって、陸上自衛隊武山高等学校生徒隊の指揮を解く。生徒諸官のこれまでの敢闘に、心から敬意を表する」

 もはやこれは形式的な儀式でしかなかったが、それでも言っておかなければならないことだった。

「ふふ……バカ。アンタ、そこで格好つけなくたって……」

「それはお前だ。……手紙、読んだぜ。すまないな、塀の外にいるほうがむしろ辛かったかも分からん」

 話によると、雪緒は准看護師の免許でアルバイトをしながら学費を稼ぎ、大学に通っていると言う。表情に出すことはないが、これでも色々と苦労は多いのだろう。

 雪緒は涙ぐみながら俺に抱きつき、耳に唇を寄せてささやいた。

「ねえ晃嗣、元気だった?」

「ああ」

 二年前に比べて驚くほど綺麗になった雪緒に、俺は強い抱擁ほうようを返した。ふと、柔らかいシャンプーの香りが鼻をくすぐった。

「ご飯、ちゃんと食べてた?」

「ああ」

「差し入れの辞書とか本とか、役に立った?」

「ああ、もちろんだ。感謝してる」

「浮気、しなかった?」

「ああ……っておいこら、ドサクサに紛れて既成事実を作るな。いつお前と俺がつき合い始めた? 、お前と俺とは同期の桜――」


 ――「じゃあ」と遮り、雪緒は俺の言葉を唇でふさいだ。


「好きよ、晃嗣。大好き。……これで……いい?」

 いつか見た笑顔の不意打ちに、胸を貫かれる。

「……ああ、いい」

 毒気を抜かれ、なかば呆然と間抜けな返事を返す。自分が口にした言葉の意味に気付く頃には、既に雪緒は俺の手を引いていた。

「お……おい、どこに……?」

「晃嗣。アンタ、これから行くところあるの?」

 ポケットの中の実家の鍵が一瞬だけ頭をよぎったが、すぐに質問の真意を悟って応える。

「……いや、特には」

「それじゃ……よかったら、うちに来ない? 積もる話もあるし、狭い部屋だけど――」

 雪緒は頬を赤らめながら、小さな、本当に小さな声でそう提案した。

 尻すぼみのイントネーションで言い終えた彼女は、何かを確かめるように俺の手を握り直す。手の平の優しい温もりに、自分の動悸を否応なく意識してしまう。俺は雪緒が痛がらないよう、そっと力をこめてその手を握り返した。

 ……そうか。俺にはまだ、帰れる場所があった。雪緒がそいつを守ってくれていたのだ。

 ならばこいつともう一度同じ方角を向き、新しい人生をやり直してみるのも悪くない。

 想像するまでもなく波瀾万丈の人生になりそうだが、それもまた、悪くない。


 俺が戦友かのじょと再会したのは、そんな春の日のことだった。

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シビリアン・コントロール 東福如楓 @MIYAGAWA_Waya

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