第二編第十一章 亡国(ソラリス)の盾(うみ)を仰(およ)いで

東京都千代田区永田町

国会議事堂中央塔八階

令和十年四月十一日(火)


 地平線の殻を破り、目を射るような陽光が議事堂を照らす。激戦の末、やっと訪れた夜明け。そのまばゆい光の中、俺達の軍旗は傷一つなく掲揚されていた。

 両院の上で朝風をみ、旗は雄々しくはためく。この夜を通して旗が立ち続けたことこそ、俺達が戦い続けた証だった。

 俺達の軍旗は変わることなく、永田町の空にたなびいている。戦士たちの大地にたなびいている。

 ……ならば、まだ終われない。譲れない。ここで折れたら、戦後社会に殺された親父に合わせる顔がない。この戦いを確実に歴史に刻むために、俺達はここで終わるわけにはいかないのだ。

「はい晃嗣、朝ご飯」

「……ありがとよ」

 疲れ切った顔の雪緒が、レトルトの糧食を渡してくる。俺は射たれた腕の痛みに顔をしかめながら、歯で封を切って中身を口にした。

 とたん、児玉班長の死に様が脳裏に浮かぶ。思わず吐き出しかけてしまったが、気合いで飲み込んだ。

 兵士はどんな状況でも、食事を摂らねばならない。たとえいかなる戦場にあっても、自分の装備と肉体を最高の状態に磨き上げるのが俺達の務めだ。

 と、階段を上って鈴木副校長が臨時救護所にやってきた。

「石馬・山口両兵長はいるか?」

 懊悩おうのうに満ちたその表情に、俺は副校長の用件を悟った。……想像するだけでも虫酸が走るが、恐らく『戦後処理』の話だろう。

「「はい」」

 疲れに引きずられて寝ている者もいるが、ここにいる人間の大半は起きている。この場の注目を一身に受け、俺と雪緒は立ち上がった。

「展望室には誰もいないな? 両名とも、自分についてこい」

 半長靴で螺旋階段を踏みしめ、副校長のあとについて展望室に上る。副校長は外の音を遮断するため窓を閉じると、朝焼けに目を細めながら淡々と告げた。

「……用件は分かっているようだな。旧武山高に関しては、全ての責任を自分ら基幹要員が取る。自決して、教え子に責任を押しつける真似はしない。一般生徒は、『正当行為と信じ指揮命令に従った』として不起訴になる。だが大臣警護班に属した両名のうち、生徒隊を代表して一名だけは自分らと共に法廷闘争に臨んでもらいたい。それが、泉政権の出した条件だ」

 戦では勝者が正義で、敗者が悪だ。これは古今東西変わらない、戦後処理のルールだった。ゆえに敗者である俺達は、戦犯スケーブゴートを出さねばならない。……戦死は叶わなかったが、俺にはまだ戦場が残されているのだ。

「『自衛隊には今後も、現行憲法下における日陰者であり続けてもらう。それが、我が国の掲げるシビリアンコントロールの意味だ』――無念極まるが、それが連中の最終回答だった。これは、自分ら大人が始めた反乱だ。貴様らが首謀者として裁かれることはないだろう。……何年食らいこむかは分からんが、生徒隊を守るための尊い任務だ。熟慮して志願してほしい」

「副校長、俺が……」

 そう言いかけた俺を遮り、雪緒が強めの口調で歩み出た。

「石馬兵長は怪我人ですし、あたしはテレビで顔が売れています。あたしが行きます」

「いや、最先任兵長は俺です、俺が行きます。……山口次先任は学業優秀です。志望通り医者になって、多くの人間を救うのが国のためです」

 そこまで言ったところで、雪緒の平手が飛んだ。

「バカっ! どうしてアンタはそうやって、何でも一人で背負い込もうとするの……!?」

 ボロボロと大粒の涙をこぼし、雪緒は俺に抱きついてくる。

「お願い、晃嗣……最後くらいあたしにも、カッコ、つけさせてよ……!」

「お、おい……」

 どうしたらいいのか分からず、俺は固まってしまう。副校長は呆れたようにため息をつき、螺旋階段の手すりに手を掛けた。

「……結論としては、両名とも希望ということだな? では自分ら基幹要員で選考し、結果は一時間以内に下達する。邪魔したな、二人とも」

 それだけを言い残して、副校長は靴音を響かせながら大本営へと戻っていった。


         ▼


 目の前のマイクを固く睨む。痺れるような緊張感が、俺の全身を支配していた。

「――発、日本陸軍大本営。宛、日本陸軍全部隊。直ちに全ての戦闘行動を中止せよ! 繰り返す、直ちに全ての戦闘行動を中止せよ!」

 通信回線を用いない、議事堂のスピーカーを総動員した原始的な放送。ボリュームは最大にしているから、全館放送は外にも届いているはずだ。官邸の空挺部隊については、既に通常の通信で降伏の話を通してある。

 この放送が、日本陸軍に許された最後の政治的行動だった。マスコミが前線に寄ってくるのを待ち、俺は短い原稿に何度も目を通す。

 生徒隊を代表して逮捕されるのは、雪緒ではなく俺に決まった。俺の最後の任務は、闘争のシンボルとしてこの戦いを後世に伝えることだ。

 そのために俺は特命を受け、日本陸軍が出す最後の放送に臨んでいた。マスコミのスタンバイが整ったと連絡を受け、俺は深呼吸をして言葉を紡ぎ始めた。

「俺の名は石馬晃嗣。日本陸軍幼年学校生徒隊、最先任兵長です。祖国を憂う日本国民の皆さん、俺達の戦いは勝利でした。俺達の戦いは、決して終わっていません」

 一言一言を確かめるように、ゆっくりと文字を読み上げていく。原稿を握る手に力が入り、自然としわくちゃになってしまった。

「――俺達に代わって戦う憂国の士が、再び改憲の狼煙のろしをあげるその日まで。……一時、この闘争を中断します」

 次の瞬間には議事堂の外で歓声が上がり、敵が陣地に突入してくる気配がした。

 ……俺達が夢見た理想は、セカイに否定されここに終わった。だが、その実現のために俺達が戦った事実は未来永劫語られていく。


 俺達の志を継ぐ者が、再びこの国に現れるまで。

 大地と歴史は、流されたその血を忘れはしないだろう――

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