最終話 今年も書くんジャー
取れた上着のボタンを、マキ子がつけたくれた。母親以外の女性にそんなことをしてもらうのは、もちろん生まれて初めての経験だ。堀は感激に震えた。
堀辰徳は、矢野マキ子のためなら死ねる!
心の中で、そう叫んだ。
根自子が自宅に来るのはイヤ、というキミ子の要望やコロナの問題もあって、当分、シニア創作サークルは、オンラインでの活動に限定することになった。
シニアのお世話をやめたいという願いは叶ったが、マキ子に会えなくなるのは辛い。
そんな堀の心を見透かしたように、キミ子は時々、家に呼んでくれた。その時は必ずマキ子が在宅しており、一緒にキッチンに立ったり、ダイエットについて話したり。堀にとっては最高の時間が流れた。
ある日、キミ子はついに堀に告白した。
「実は私も、書いてるの」
「えっ、小説を?」
「そうなのよ、おとうさんのパロディを打ってるうちに、私だって、て気になってね。あー、すっきりした」
PNが「ヒポポタます美」だとキミ子が告げると、一瞬、堀は黙ったが、
「ユニークですねえ」
それしか言いようがなかった。
「あの。本当言うと、僕も書いてます」
「あら」
「でも、暗い恋愛小説ばっかりで」
どうしても悲しい結末になってしまうのだ、と、堀はため息をついた。幸せな恋愛経験がないためだろうか。思えば四十二年の人生の中で、両想いになったことは一度もない。
「でも、これからはハッピーーエンドを書きたいです」
マキ子のおかげで、明るい未来が開けそうな気がする。
「そうね、それがいいわ」
キミ子が微笑む。
「ところで、堀さんのPNは?」
「えーっと、それはですね」
堀は冷や汗をかいた。
覚悟を決めて、「野原スミレ」だと答えると、キミ子は笑い転げた。
誰にも内緒だった恥ずかしいPNだが、キミ子になら笑われても腹がたたない。長いつきあいになるかもしれない人だし。
しばらく笑った後、キミ子はまじめな顔になり、
「あの子の元ダンナはね。不倫したの、それも何度も」
堀は、なんと返答していいか分からない。あんな素敵な奥さんがいて、何度も裏切りを?
「イケメンだったの、私も見かけに騙されていたわ。やっぱり人間は見かけだけじゃない。今度はマキ子には、地味でも誠実な男性がいいと思ってるの」
「そうですよね!」
「マキ子もそう思うって。まだ若いんだから、性格のいい人と結ばれてほしいわ」
「はい」
地味さなら、自信がある。マキ子だけを愛し続けるという誠実さにも。
「堀さんには本当に感謝しているのよ。うちのおとうさんの長話に付き合ってくれて。他のメンバーのことにも親身になってくれて。なかなか出来ないことよ」
「いえ、そんな」
気が弱くて、世話役やめます、と言えなかっただけだが、ついお節介してしまう傾向も自認している。
「猫田さんも、堀さんのおかげで書けるようになって感謝してるって言ってたわ。いま、長編にチャレンジしてるんですって」
「長編!」
長いこと「今日も小説が書けなかった」という一行日記しか書けず、先日のUFOエッセイも500字程度だった柳之介が、長編を書く?
「素晴らしいですね」
少しは自分も役に立ったのかと思うと、誇らしい。
「お、いえ、キミ子さん。今年もいっぱい書きましょう」
思わずお義母さん、と呼びそうになった。
「はい、そうしましょうね、辰徳さん」
キミ子は、にこやかに答えた。
(了)
【あとがき】
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
当初は10話程度かな、でしたが、思いがけず長く続けることができました。
開始早々、「5人のシニアが出てきそうジャーん」とのレビューをいただき、焦りました。何も考えずに「ジャー」をつけてしまったんですよね、とほほ。
根自子はすぐに思いつきましたが、5人目のシニアは、うーん。
そうだ、シニアと縁を切りたいのに出来ない、気弱でお人好しな堀を混ぜちゃえ、ということになりました。気のいい彼にハッピーになってほしかったし。もしかしたら本当に矢野家の義息になっちゃうかも?
銀次郎をメインに、その妻キミ子。野望だけはあるものの、さっぱり前に進めない柳之介、バズーカ根自子、そして堀辰徳。楽しく書いてくることができました。
今後は、柳之介の無謀な長編予定、の「大河小説『銀河』」
https://kakuyomu.jp/works/16816927859636158087
をよろしくお願いします。
2022、1,29
シニア暴走便;難でも書くんジャー チェシャ猫亭 @bianco3
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