江戸を越えて明治、大正――そして平成、令和に至るまで刃鳴流は途絶えていない。

 昭和には、岐阜に居を置く田越一族の幾人かが師範に。

 近代では他にも女性剣士の槍薙焉木。

 欧州を気ままに渡り歩く殺し屋レイリー・クラヴィリアに。

 そして令和には刃鳴斬哉、武儀境哉という青少年達が、師範を名乗れるほどの遣い手になった事が確認されている。

〝死返シ〟も、何代か後には〝曲輪〟という名前に。

〝遠雷〟はやがて、〝蹉跌〟や〝擦鉄〟に。

 最初は奥伝という形だった蛇――〝くちなは〟も、後に〝柳〟という名前に変わって初伝技へと落とし込まれており――全てが、連綿と継承されていた。

 飢餓に耐えて脱皮をする在り様から、不死を謳われる神話の蛇のように途切れる事なく。

 忠邦はこの後も師範として生き、後世に刃鳴流の基礎を伝え切ったのだ。

 ……それが意味する所は、つまり。



     ◆



 江戸における人の平均寿命は長くて四十歳とされている。

 が、田越氏の記録によれば伊草忠邦は、後に祇園忠邦へと名前を変えて七十三歳まで生きたとされている。

「う、あ――ああ、あぁああああああああっ‼」

 自ら断ってしまった弟の命を悔いて、鉦巻の胸に顔を押し当て忠邦が絶叫する。

 ここから、少なくとも四十年以上。

 自分達兄弟を救いながら、悲劇の遠因となった師と同じように弟子をとり――自分達がそうしたように、己を高め合う姿と末弟達を見守る日々が。

 いずれ誰かに継承させるべき新しい術理を、またも編み出さねばならぬ宿痾を課せられながら。

 不始末を拭わせた同門の徒と、止めようとした末弟と。

 家族を殺した責任を果たすべく。

 ――ほんの浅慮と無関心が招いてしまった、愚行を呪う生涯の始まりを意味していた。


                                    了

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