「かぼちゃ転がし」

夷也荊

かぼちゃ転がし

 農作業小屋にごろごろと転がるスイカを、一つ一つタオルで丹念に磨いていく。するとくすんでいた緑色や黒い縞模様が、鮮やかに浮かび上がり、つやが出る。そのスイカのヘタの下に、「尾羽おばねスイカ」と書いてある金色のシールを貼る。尾羽市のスイカは全国的にみても、最高級のスイカであり、県の特産品の一つだ。特に尾羽市の羽生はにゅう地区には、スイカ農家が多い。三軒に一軒はスイカ農家だ。最近はこの辺りのスーパーでも千葉県産や熊本産のスイカを見るようになったが、この県の人々は尾羽スイカを買う。断然に、甘さが違うのだ。

 

 私も、初めて尾羽スイカを食べた時には、その甘さに驚いたほどだ。今まで食べてきたスイカは何なのかと思い、スイカの概念が変わった。しかしさらに驚いたのは、私が付き合っている岸田満きしだみつるが、尾羽スイカの農家の一人息子だったということだ。彼は代々続く尾羽スイカ農家の跡取りで、農家の仕事が大変だから、私に逃げられることが怖くて、ずっとそのことを内緒にしていた。しかし私が満の実家に挨拶に行きたいと言い出したため、彼はやっと隠していたことを白状した。「農家は嫁に逃げられる」というのが、最近の農家の悩みなのだという。しかし私は、彼が親戚から貰ったということにしていた尾羽スイカを食べてから、そのスイカの虜になっていたため、彼の実家が尾羽スイカ農家だと聞いて、嬉しかった。こんなに美味しいものを作れることを、何故誇りに思わないのか、不思議に思ったほどだった。

 

 今では大学の夏休みには必ず満の実家に行って、二人でのスイカの出荷作業を手伝うのが恒例となっている。私の働きを、彼の御両親にも気に入ってもらえているし、私は充実した夏休みを彼の家族の一員として過ごしていた。これは私にとって、贅沢なものだった。


「今日の夕方、出かけるんでしょ?」


そう私に声をかけてくれたのは、麦茶を盆にのせた満の母親だった。私は大玉スイカを抱えて、専用の段ボールに四つずつ入れる作業をしていた。


しおりちゃん、今どきの子にしては偉いわ」


私は照れながら、麦茶が入ったコップを手にして、首から下げたタオルで汗を拭う。「ありがとうございます」と頭を下げると、奥から彼の父親が出てきて「いやいや」と首を振る。


「それはこっちのセリフ。本当に助かるよ。この時期、一番忙しいから。ありがとうな」

「もう今日はいいから、浴衣に着替えてお祭りに行ってらっしゃい」

「あ、でも、箱詰めがあと少しで……」

「いいから。あとは私がやっておくわ」

「すみません、ありがとうございます。じゃあ、行ってきます」


羽生地区の七夕祭りが、羽生神社のお祭りと重なっていることもあり、私と満がその祭りに行くことも、恒例だった。私は満の実家に上がり込んで、満の部屋に入って、着替えはじめる。満は大学のレポートを書いていた。満の母親が準備してくれた浴衣は、紺色の生地に朝顔が映えた綺麗な物だった。満の母親が「もう着ないから」と、去年の夏にくれた物だ。この時に浴衣の着方とたたみ方を教えてもらっていたため、一人で着替えることができた。帯が不格好ではあるが、取れてこないので良しとする。


「俺が冷房きいた部屋で座って勉強してて、栞が暑い小屋で農作業してるって、何だか俺の立場がないなぁ。ごめんな」

「謝らないでよ。私が好きでやってることだし。満は単位が危ないんでしょ? 今からお祭りなんて大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。息抜きもしないとね」


そんな会話をしながら、私たちはいそいそと祭りに行く準備を済ませた。ちなみに、満の浴衣は彼の父親からのお下がりだった。巾着や下駄などを探しているうちに、もう陽が傾きかけていた。そろそろ小屋で作業をしている満の両親も、家に帰って来るだろう。朝日と共に起きて、日が沈むまで働く。晴耕雨読。何て健康的な生活だろう。無理をして就職活動して、ブラック企業に勤めるより、農家で働いた方が良いと私は思う。大学の皆は「汚れるし汗臭いし」とか「安定収入じゃないし」とか言って私を変人扱いするけれど、人の幸せの尺度は人それぞれだ。

 

家を出ると、小屋の前で満の両親とすれ違った。


「行ってきます」

「行ってらっしゃい」


私は気さくに挨拶するが、満は照れているのかうなずくだけだった。

 いつもこのお祭りには人が多く、夫婦なのか恋人なのかは分からないが、男女が連れだっていることも多い。道の両端に並んだ露店の前は歩行者天国となり、その通りは人でごった返す。羽生地区が超高齢過疎地域にもかかわらず、このお祭りの時だけは地区の住民の三倍くらいの人が集まると言われているほどだ。


「迷子になるなよ」

「じゃあ、こうする」


私は満の浴衣の袖をつかんだ。満は黒っぽい浴衣に、浅黄色の帯をしていた。手には青い巾着を持っている。


「神社、先にお参りするか」

「当たり前でしょ? 元々は神社のお祭りなんだから」


そうは言うものの、この歩行者天国の中を突っ切って進まないことには、神社にたどり着くことはできない。迂回すればいいかもしれないが、慣れない下駄で遠回りするのは手間だった。満に従う形で、群衆の中に身を投じる。ぶつからない方が無理な状態だ。誰かに肩をぶつけて謝ったり、誰かから足を踏まれて謝られたりしながら、満の背中も見えない中、握りしめた浴衣の袖だけを頼りに歩を進める。もみくちゃになりながら、たった五十メートルくらいの道に、時間と体力を奪われ、やっと人ごみから抜け出す。人ごみの圧迫感が消え、握りしめたままの袖を見て安堵の息をもらす。急に開けた視界に、満の背中がある、はずだった。


「え? 満?」


私はいつの間にか、知らない人の浴衣の袖を握っていた。満と同じ色の浴衣を着て、同じ下駄と巾着を持っていたが、雰囲気が満とは違っていた。私の声に振り返ったその男は、やはり、満と同じ顔をしていたが、別人だった。私は急に薄気味悪い様な気がしていた。私は慌てて握っていた浴衣の袖を放した。


「あの、誰ですか?」


私は思わず一歩後退りしながら問いただしていた。男は眉をあげて、答えた。


「俺は満の双子の兄弟のうしおだよ。なあ、あんた、満の彼女だろ?」

「双子? そんな話しは聞いたことがありませんけど?」

「年明けの、かぼちゃ転がしには、二人で来てくれよな」


私の問いかけを無視する形で、潮と名乗った男は約束を迫る。断りにくい状況だ。かぼちゃころがしは、この羽生地区に伝わる奇習だ。高い位置にある鳥居から、かぼちゃを転がして、その割れ方で豊作や子孫繁栄を占う。割れたかぼちゃの欠片を煮て食べると、その一年は無病息災で過ごせるという。この奇習を知っているということは、羽生地区の住民だろう。世の中には自分と似ている人が三人はいると言うが、潮は満に似ているどころではない。満そのものだ。しかし声の調子や身にまとう空気の違いが、耐え難い違和感となって私を襲っていた。


「約束だぞ」

「満はどこにいったの?」

「約束しろ」


このままでは埒があかないと思った私は、「分かったから」とイラついたまま答えていた。すると潮は微笑んでうなずき、「ありがとう」と言って再び群衆の中に消えた。私が呆然として立ち尽くしていると、人ごみの中から押し出されるようにして、満が出て来た。今度こそ、私の知っている満であることに、私は胸を撫で下ろした。それと同時に、さっきの潮という男はどこに行ったのかと思う。


「ああ、いたいた。駄目じゃん、途中で手、放したら」

「え? 私、放してないよ。ねえ、それより満って双子だったの?」


満の表情が固まり、目だけが見ひらかれる。顔は青ざめて、幽霊でも見たかのようだ。


「何で、知ってるの?」


私も背筋が冷たくなるのを感じた。


「もしかして、名前は、潮って付けてた?」

「誰に、聞いたの? 母さん?」


私は首を振る。


「今、そこで会ってた」

「嘘だろ? だって、潮は消えたんだぞ?」

「消えたって、どういうこと?」

「文字通りだよ。潮は、生まれてこなかったんだ」


満は狼狽し、私も全身があわ立つのを感じた。


「帰ろう」


満の言葉に、私は強く頷いて、手を取り合った。二人とも何も言わなかったが、人込みを避けて、遠回りして満の実家まで帰った。祭りの喧騒が遠くから聞こえていた。

 二人の早い帰宅に、驚いたのは満の両親だった。どうしたのかと問われ、満は神妙な面持ちで、二人で神社の前で話したことを伝えた。満の両親の顔も固まって、青ざめた。この潮に関する話題は、この家では禁忌だったのだ。だから、満はこの家の一人息子だったし、跡取り息子だった。震える声で、語ってくれたのは、満の母親だった。


「私のお腹にできたのは、双子だったの。でも、名前を考えて付けた頃、エコー検査で異常が見つかったの。潮と名付けた方の赤ん坊が、満に吸収されるようにして、消えてしまったの。一卵性の双子の場合、稀にそういうことがあるらしくて。悲しかったけど、忘れられなかった。そう。潮がいたのね。満のために会いに来たのかもしれないわね」


そう言って、満の母親は大粒の涙を流し、自室にこもった。私も、満と一緒に彼の部屋で話しを聞いた。


「母さんの言っていたことは、本当らしい。俺も中学の時に聞かされて驚いたよ。でも、俺に二人分の命があるって思ったら、何だか頼もしいって言うか、誇らしい気持ちになった」

「私、その潮さんと約束しちゃった。年明けのかぼちゃ転がしに、満と一緒に行くって」

「約束か。それって、きっと守らないといけないよな」

「そうね」


この感情をどう名づければいいのか、分からなかった。恐怖もあるが、それほど怖いわけでもない。気持ち悪いと言えば言い過ぎだし、失礼なようにも感じる。不可解な現象ではあるが、不思議な事ではないような気もする。頭の中がもやもやするが、一番私の中で大きかったのは、疑問である。どうして、潮さんは、あんなに「かぼちゃ転がし」にこだわったのだろう。


「ねえ、何でかぼちゃを転がすのかな? 何で、約束させたんだろう?」

「俺だって知らないよ。だから奇習なんだろ」


私は急に腑に落ちた気がした。地元の人でも理由を知らない奇習。おそらくどこにでも、本人たちが知らないで繰り返している風習はあるのだろう。ただ、私の頭の中に、一つの単語と大学の授業で教わった、神話が降ってきた。


「瓜、だ」

「瓜? ああ、そう言えば西瓜も南瓜も瓜って書くな」

「夏の瓜と、冬の瓜。水と土。どちらも蔓性植物だわ!」

「何だって? それがどうした? ん? 水と土? 俺にはさっぱり分からないよ」


思わず叫んだ私に、満が苦笑している。


「西瓜は夏に採れる瓜で、七夕にも星の起源説話で、瓜が出てくる。その七夕の伝説で、男は瓜の切り方を間違えて、天の川ができる。つまり、夏の瓜は天上の水の起源なの。そして南瓜は天上から落ちてきて、粘土の起源になるっていう神話があるの。つまり、冬の瓜は天上の土の起源なのよ」

「確かに西瓜は夏に採れて、南瓜は冬近くに採れて、冬に食べるな」

「それだけじゃないわ。カボチャは薄い皮で身が硬い。西瓜は厚い皮で身は柔らかい」

「うん。確かに」

「そして、もっとも重要なのは、種の状態よ」

「そう言えば、南瓜の種はぐちゃぐちゃに入ってるけど、西瓜は綺麗に並んでるな」

「そうよ。西瓜と南瓜は、反転している食べ物なんだわ! だから、西瓜栽培の盛んなこの地域の奇習たりえるし、年明けに南瓜で豊作や子孫繁栄が占えるのよ!」

「さすが神話学専攻だな。で、何で潮はその奇習にこだわったんだ?」


満の質問は、すっかり舞い上がっていた私を現実に引き戻した。神話学の弱点だ。確かに神話だけを見れば、そこに対比や反転があって、議論としては面白い。しかし現実でその通りに人々から受け止められるかと言えば、そうではないことの方が多い。事実、神話の起源論を知らずとも、羽生地区の人々は年明けにかぼちゃ転がしを続けてきたし、これからも続けるだろう。そして、南瓜と西瓜の漢字すら書く機会がなくても、尾羽スイカというブランドスイカを作り続ける。その人々の生活に、神話など入り込む余地はない。私の勝手なこじつけでしかないのだ。だから今は神話学と言っても、神話が語られる場所に赴き、調査するという研究手法がとられているのだ。


「それは、何でだろ?」

「ただ単に、一緒に楽しみたかったのかもな。お祭り」

「そうかもね。今日は都合がつかなかったから、年明けに来たいのかも」

「結局、そこに落ち着くか」

「いいじゃない。ほら、満はレポート書きなさいよ」


満は残念そうに顔をしかめて、パソコンと本が乗った机に向き合った。私は台所に行って、満の母親と一緒に遅めの夕食を作った。


◆ ◆ ◆


 そして年があけて、「かぼちゃ転がし」の日が来た。地区の青年部が、朝からお神酒を飲んだり社の掃除をしたりして、夜を待つ。主役となるかぼちゃは、地区の区長の家で保存されていた物を使う。夕方、神主がかぼちゃに祝詞を奉じ、青年部もお祓いを受ける。この時期の夕暮れは早い。あっという間に暗くなって、神社の鳥居の前にある街灯以外の明かりはなくなる。私は厚手のコートとマフラー、手袋に長靴といった防寒対策をして、神社の階段の前に陣取っていた。周りには地区のおば様方が多くいるが、私くらいの歳の人はいなかった。正月でもあるから、帰省している若者もいるはずなのだが、こうした昔からの行事に参加する人は年々減っているという。確かにただかぼちゃが転がって来るのを見るために、正月の夜に神社に出かけるよりも、大型ショッピングモールなどで夜更けまで遊んでいたいという人が、私の周りでも多い。大学生くらいになると、こうした地元の年中行事は、ただ面倒臭いという考えになるのも分かる。満ですら、私が行かなければ行こうとは思わなかったと言っていたほどだ。そして、満の両親の代ですら、「寒いし暗いしね」と言って行事に参加することはない。こうして徐々になくなっていく地方の年中行事があることは、何となく理解できるが、それと同時に寂しい気もした。

 それにしても、急な石段だ。確かにここを転がせば、包丁が入らないかぼちゃも、バラバラになりそうだ。


「これって、やらせなんだよ」

「やらせ?」


私がその不快な単語を鸚鵡返しすると、満はホッカイロを手で揉みながらうなずいた。


「かぼちゃが割れないと、豊作にもならないし、子孫繁栄も見込めないから、不吉なんだよ。だから、一度上でかぼちゃを石なんかで叩いたり、木にぶつけたりして、傷つけておくんだって。だから、かぼちゃが盛大に割れるってわけ」


白い息をもくもくと吐き出しながら、満が言った。私はそれを聞いて、興奮した。不幸の芽を摘むと言う行為は、やらせとは言わない。儀礼における一種の手順のようなものだ。しかも、神話において「ばらまかれること」や「中身が飛び散る」ことは、豊穣の証でもある。


「それって、かぼちゃの種が盛大に飛び散るわけね」

「震えているのに、楽しそうだね」

「楽しくないの? 武者震いするくらいよ?」

「ああ、栞が彼女で良かったよ。農家の上に年中行事が多い地区だから、栞みたいな子に出会わなかったら、俺は一生独身だった」

「褒めてるの?」

「もちろん」

「ありがとう」


そんな話をしている内に、石段の上がにぎやかになった。懐中電灯の明かりがいくつか揺れているが、真っ暗で何も見えなかった。周りにいたおば様方が、急に臨戦態勢に入るのが分かる。私もかぼちゃの欠片を手に入れるために、今晩ここにいるのだから、負けられない。


「せーの!」


男性の掛け声とともに、くぐもった音がした。かぼちゃが割れながら石段を転がり落ちてくる。種があちこちに弾け飛ぶ。石段の途中、かぼちゃが一度大きくバウンドする。その落下の衝撃で、かぼちゃのオレンジ色がかった黄色い実が、ばらばらに粉砕される。石段の下で待ち受ける人たちは、転がり落ちてきたかぼちゃの欠片に群がり、争奪戦を繰り広げる。他人よりも大きな欠片を狙い、より多く欠片を集めようと奮起する。私も負けじとかぼちゃの欠片を目指して、手を伸ばす。満はそんな私の姿に引いているのが分かる。次々とかぼちゃの欠片を手に入れていくおば様たちを押しのけるが、その時にはもう、黄色い欠片の色さえ分からなくなっていた。初めてで勝手がわからなかったのと、おば様たちに圧倒され、遠慮があったことが敗因だろう。


「ああ、何にも取れなかった!」


帰り道、悔しがる私の横を、満が歩調を合わせるように歩いていた。


「やけくそになって叫ぶなよ。ほら、これやるから」

「ホッカイロなんていらない。汗かいたくらいだから」

「違うよ。ほら」


私は立ち止まって、満の方を振り返る。その手には、不格好で手のひらサイズのかぼちゃの欠片があった。


「ええっ? 何で私が取れなかったかぼちゃ持ってるの?」

「たまたま、俺の方に跳んできたやつを拾っただけ。栞は何かに集中すると視野が狭くなるからな」

「本当にくれるの?」

「だから、やるって最初から言ってるだろ」

「ありがとう」


私は種付きのかぼちゃの欠片を満の手から受け取って、大事にポケットにしまった。

 満の家に帰ると、かぼちゃ転がしに興味を示していなかった満の両親が、私を質問攻めにした。


「どうだった?」

「うまく取れた?」

「怪我しなかった?」

「寒くない?」


私と満は笑ってしまった。「大丈夫だよ」と満は両親をなだめる。私はコートのポケットから、先ほどのかぼちゃの欠片を出して見せた。


「今回はこれだけでした。来年はもっと頑張ります」

「栞ちゃん、すぐ煮てあげるから、ちょっと待ってて」

「すみません」


コートを脱いでコタツにあたっていると、満の母親が小さな鍋に砂糖と醤油で煮たかぼちゃを、私に出してくれた。


「ありがとうございます」

「いいから、温かいうちに食べて」

「いただきます」


私はいつの間にか満の家に置いてあるようになった自分の箸で、小さなかぼちゃの欠片を息を吹きかけながら食べた。あまりにもったいなくて、種までぺろりとたいらげる。


「ごちそう様でした」


私はそう言って、皿と箸を片づける。夜も遅くなっていたので、その日はそのままお開きとなった。

 

◆ ◆ ◆


 大学は夏休みと春休みが多いため、冬や正月の休みは少ない。私と満は翌日の朝には電車に揺られて、大学に戻らなければならなかった。野菜をいつも沢山貰って戻るため、食費が浮いて助かっている。つつがなく大学生活に戻り、学年が一つ上がって、私と満は最終学年を迎えていた。大学の就職課には、すぐに満が農家を継ぐことや、私も満と結婚して農家を手伝うと説明しに行った。就職課の女性事務員からは「幸せな卒業ですね。おめでとうございます」と言われたが、卒業論文を書かなければ卒業は出来ない。二人で卒業論文にいそしむことにした。私は神話学を専攻していたが、満は経済学部なので、同じ文系の建物にいても滅多に会うことはない。そんな私と満が出会ったのは、美術サークルだった。今はもうサークルに顔を出すことはなくなったが、今はスマホで気軽に連絡を取り合うことができる。二人で勉強したり、それぞれが別のゼミで発表したり、私と満は大学生活最後の年を、謳歌していた。

 

 しかし、私の体を突如異変が襲った。微熱と体のだるさを日々感じるようになり、生理が来なくなった。生理不順になったことは、今までに一度もない。これはさすがに病気かもしれないと思った私は、病院の産婦人科に駆け込んだ。大学近くの産婦人科は、優しい女医がいるということで、大学生の間では人気の病院だった。検査後に診察室に呼ばれ、私は信じられない結果を聞くこととなる。


「妊娠なさっていますね」

「え? 何かの間違いでは?」


私が大いに戸惑っているのを見た医師は、不思議そうな顔をした。


「今、お付き合いしている男性がいらっしゃいますか?」


遠回しではあるが、医師は私が、赤ん坊が出来るような行為をしていると言いたいのだ。しかし、私は首を左右に振った。


「います。でも、心当たりはありません」


私と満は付き合って三年目になるが、結婚前提の付き合いだったため、そういった行為を大学生の内からすることの必要性を感じていなかった。もっと言えば、大学生の二人に子供は育てられないから、わざとそうした行為を避けてきたほどだったのだ。子供は結婚したから作ればいいと、二人で話したこともある。私は混乱し、焦った。満にこれをどう伝えればいいのだろう。私に別の男性がいると思われても仕方がない状況だ。


「本当に、妊娠なんですか? 何かの間違いではなく?」

「はい。間違いないと思います。では、経過観察のため、通院して下さい。もう少ししたら、エコー検査でもはっきりしてくるでしょうから」


私は予約を取って、病院を後にした。お腹のはりが、急に気になり始めた。答えの出ない疑問ばかりが浮かんでくる。もしも、このままお腹が大きくなったら、妊婦だと誰にでも分かってしまう。隠し通すことは不可能だ。だからといって、命を粗末にすることは、抵抗がある。私は悩んだ末、満に相談することにした。

 

 学食で待ち合わせすると、何だか食べ物の臭いで気持ち悪くなりそうだった。満には相談したいことがあるとしか、伝えられなかった。


「何かあった?」


あきらかに具合が悪そうな私に、満はいつもの気遣いを見せた。向かい合って座り、満は私の言葉を待つ。これで満ともお別れだ。彼の家族とも仲良くなれたのに、一体何が起こっているのか。私は、大学を出て、どこでシングルマザーとしてやっていけばいいのか。


「お願いがあるの。最後までちゃんと話を聞いて。それから判断してくれる?」

「もちろん」


満の笑顔に、言葉が出て来なくなった。息が詰まる。それでも私は深呼吸して、告白した。


「妊娠したの」

「え? それは、栞がってこと?」

「そう。でも、私に心当たりはないの。本当なの」


満の顔が驚きとも、笑顔とも取れる表情で固まっている。冗談だと笑いたいが、私の様子からは冗談の様子はない。だから、満も戸惑っていたのだ。


「どういうこと?」


心当たりのない妊娠。私自身、まだそれが本当なのか疑っている。いや、信じ切れていない。


「私にも、分からない」

「病院に行ったんだろ? 先生は何て?」

「通院しろって」

「今度、俺もついて行っていい?」


思わぬ言葉に、私は思わず満の顔を見て小さく「え?」と応えていた。


「怒らないの?」


満には、私を責める権利も、怒る理由もあるのに、何故そうしないのか理解できなかった。


「だって、まだ想像妊娠とか、検査の間違いとか、あるだろ? だから」

「そう。分かった」


満が激怒して別れるとばかり思っていた私は胸を撫で下ろした。しかし、それもつかの間だった。私のお腹が急激に、大きくなり始めたのだ。予約した一週間後の診察の時には、もう臨月かと思うくらいの大きさになっていた。これには、私だけでなく満も驚いた。私は母性も感じることができないまま、ただただ、困惑していた。

 

 病院に着くと、その様子に看護士だけでなく、医師まで診察室から飛び出してきて、驚きを隠せない様子だった。すぐさまエコー検査をすると、さらに驚くべきことが分かった。私のお腹の中の赤ん坊は、正常に育っていたのだ。もう、赤ん坊が男の子であるということまで、はっきりしていた。そして、赤ん坊の握られた手には、何かが握られていた。それを見た満は呆然としたままつぶやいた。


「これって、もしかして、種じゃないか?」

「種?」

「俺には、かぼちゃの種に見える」

「何で?」


私と満の会話に、医師が咳払いをして入ってくる。医師もたった一週間でここまで成長する胎児を見るのは初めてだったという。


「紹介状を書きますから、そこで、入院手続きを行ってください」


そう言われて、私は大きな産婦人科のある病院に入院した。そんな私の入院や大学への手続きなど、手助けしてくれたのは、満だった。私が「あり得ない」と言い続けても、満は「赤ん坊が握っているのはかぼちゃの種だ」と言い張った。そして、私が言っていた「心当たりのない妊娠」を信じてくれると約束し、自分の両親に、自分と私の間に出来た子供だと電話したのだ。彼の両親は初め、それが信じられず特殊詐欺だと疑ったほどだ。

 

 そして私は間もなく病院で破水し、男の赤ちゃんを授かった。そして、その赤ん坊の手には、確かにかぼちゃの種が握られていた。


「この子の名前は、潮にしないか?」

「え? 潮さんの名前を付けるの? ご両親に何て説明するのよ?」

「それは俺が何とかする」

「じゃあ、任せたわよ。パパ」

「馴染めないなぁ」


 二人で笑った。きっと誰も信じてくれないだろうが、私たちはこうして赤ん坊を授かったのだ。生まれてくる前は少し不気味な感覚もあったのだが、生まれて来てからは、かわいらしくてたまらなかった。潮と名付けられた赤ん坊は、すやすやとかぼちゃの種を握ったまま、眠っていた。

 

 大学を無事に卒業した私と満は、結婚式を「授かり婚」として開き、潮を皆に紹介した。潮はスイカ農家の跡取りらしく、野菜や果物をよく好んで食べた。夏になると、作業小屋で、満と一緒にスイカに埋もれている。

 

 潮が生まれた時に握っていた種は、潮のへその緒と共に大事に保管してある。その種は芽吹くことがないようだ。いつか潮がもっと大きくなった時、満と私で潮の誕生秘話を語るつもりだ。潮は奇跡の中でもとびきり奇跡的な、素晴らしい命なのだと。


                                  〈了〉


                                                       

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「かぼちゃ転がし」 夷也荊 @imatakei

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