後編
ともかくもこのまま黙っているわけにはいかない。何らかのアクションを起こさなければ、自分は搭乗員のまま他人に死を強制されて、惨めに死んでいかねばならなくなってしまうのである。それを避けるためには中将に戻らねばならなかった。死を強制される側から強制する側に立ち戻ること、それ以外に生き延びる方法が思い浮かばなかった。
しばしの沈黙の後、不意に飛行隊長が
「やるのかやらんのか、はっきりせ~い!」
と、怒号を発した。
大喝のためにビクつく一同。アクションを起こすなら場の空気が動いたいまをおいて他にない。搭乗員は飛行隊長が上げた怒号の勢いに乗じるかたちで
「質問があります!」
と挙手しながら起立した。
教場中の視線が一斉に搭乗員を向く。飛行隊長を含めて、みな目を剥いて驚きの表情だ。
「なんだ貴様は!」
搭乗員の質問を受け付けず遮ろうとする飛行隊長の恫喝は、この任務が強制であることを図らずも暴露したのであった。
搭乗員は臆することなく質問した。
「自分は敵艦に爆弾を命中させる自信があります。一発命中させたら帰投して、また爆弾を吊り下げて出撃します。そしたらまた命中させて帰投して……。それでは駄目でありましょうか」
「良いわけないだろ馬鹿野郎が! そういうこと言ってんじゃねぇんだよ!」
元をたどれば自分は、自分に対して死を強制しようとしている目の前の飛行隊長よりもはるかに上位階級の中将だったという自負と、思いがけず隊員からの反論に等しい質問に遭遇して困惑する飛行隊長の表情とが、搭乗員を俄然勢いづけていた。
搭乗員は続けた。
「なぜですか! 特攻は一度突っ込んでしまえば命中しようがしまいがそこで終わりです。しかし生きて帰ってその都度出撃を繰り返せば、それこそ一人百殺でも千殺でも可能だと自分は言っているのです。それに特攻は自由落下の爆弾と比較して威力に劣り、大型艦の撃沈には不向きだと聞きます。そんな攻撃方法にこだわる理由が自分には分かりません。それでも、御国の今後を期するためにどうあっても特攻が必要だというのであれば、まずはそう信じる人から逝って下さい。それが物事の道理ではありませんか」
搭乗員は、中将だったころに他人を飛ばせておきながら、自分自身はあれこれと理由を付けて、決して飛ぼうとしなかった過去を棚に上げながら正論を吐いた。飛行隊長は恫喝で応じるのがやっとであった。
「上官を愚弄するか!」
「愚弄するのではありません。御自身が率先して範を示すわけでもなく、周りがどういう状況に立ち至ったのなら特攻されるのかも明言されないようでは口先だけと疑われても仕方がないと言っているのです。隊長のおっしゃる話は、およそ信じることができません。
それに、もし本当に特攻されるおつもりだったとして、あの世くんだりまで逝って隊長と顔を合わせるのかと思うと、安心もできません!」
「もう許さん! 棒もってこい棒!」
それまでの勢いもどこへやら、搭乗員は棒と聞いて一転慄然とした。それが私的制裁に使用される「海軍精神注入棒」であることが、搭乗員にはすぐ理解できたからである。
同僚たちは教場内の机を抱えてガタガタと移動させ、その中心部に即席の処刑場を形作った。或いは飛行隊長に言われるまま海軍精神注入棒をこの場に持ってくる者、または自分がこの臆病者に軍人精神を注入してやりますと自ら名乗り出る者。
搭乗員が中将だったころは、特攻のための自動操縦装置としてしか見做していなかったこれらの連中が、いまは教場の支配者たる飛行隊長の怒りを忖度し、その意を汲んだ自動殴打装置に早変わりして、搭乗員の尻や背中、下腿などあらゆる箇所を激しく殴打する。
次第に気が遠のいていく搭乗員。中将だったころ、軍内部に横行して奔敵や兵営脱走の直接的原因になっていた私的制裁の廃止が何度か建議されたこともあったが、新兵教育の名の下に黙認してきた過去が自ずと思い起こされる。このようなことになるのなら、もっと本腰を入れて、かかる悪弊を廃絶しておくべきであったと。
しかし一方で希望もあった。この
その希望は半分はかない、半分はかなわなかった。
激しい殴打が
「なんだ、こいつ中将だったのか」
「どうしましょう。多分死んでしまいますぜ」
「放っておけ、訓練中の事故死だ」
「おいみんな操練場に集まれ。重大放送の時間だ」
中将ひとりを残して、特攻の希望調査などまるでなかったもののように、みなぞろぞろと教場をあとにした。中将は、中将に戻りはしたがどうやらそれだけのようであった。中将はアザだらけのぼろ雑巾のようになって息絶えた。
昭和二十年八月十五日、正午前の出来事であった。
(終)
これまでさんざん特攻を命令してきた中将が命令される側に転生する不条理小説 @pip-erekiban
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