これまでさんざん特攻を命令してきた中将が命令される側に転生する不条理小説

@pip-erekiban

前編

 強い眩暈めまいに突然襲われた中将は、目を覚ますと若い搭乗員になっていた。

 兵学校の教場に似た一室。真夏の日差しが窓の外でぎらついている。

 搭乗員が教場内をぐるりと見渡せば、十代後半から二十歳そこそこの、未だあどけなささえ残した面立ちがずらりと並んでいた。初めて見るのになぜか知った顔ばかりという不思議。人によって小刻みに震えていたり、或いは気の毒なまでに目を泳がせている者、はたまた外部情報の一切から自己を遮断するものの如く瞼を閉じる者、それぞれの所作にこそ違いはあったが、みな押し並べて真っ青な顔をしているところだけは共通している。

 ふと見れば眼前の机にはまっさらな白紙が一枚と、戦端をぴんぴんに削り上げた鉛筆が一本。字消し(消しゴム)はない。

 中将だった自分が、どういったわけで搭乗員に身をやつしているのか、なぜ若返っているのか、その前後の経緯は分からなかったが、ともかくも搭乗員は、この目の前に置かれた紙に

「希望するか否か」

 を明記しなければならないことだけはなぜかはっきりと理解できた。

 教壇に立つのは飛行隊長。なめるように教場中を見渡している。

 中将だった自分が、どこまで行っても大佐、飛行隊長の如きを恐れる必要性はまったくなかったはずなのだが

(隊長と目を合わせてはいけない。ここで目立つわけにはいかない)

 と本能が告げる。

 搭乗員がとっさに俯いて飛行隊長から視線を逸らすと、思いがけず目に飛び込んできたのは、膝の上で固く握りしめられている自らの両こぶし。震えを抑えるためだった。眼前に突き付けられた死を、一個の生命体として持つ本能が拒絶している証拠であった。かつては海軍中将として、幾多の部下に死の恐怖を克服するよう訓示してきた身であってみれば、搭乗員は自らの身体に起こった死に対する拒否反応を心外だと思った。

「わしが思うに、諸君らは既に入隊その時から一命を国家に捧げた身なのであるから、特攻に打って出るからといってことさらその任務を恐れるというのでは理屈に合わぬ。もし気が変わって死を恐れる心境になったのであればよろしい、即刻この場を退去してもらっても一向に構わぬ。しかし当航空隊にはそのような惰弱の兵はいないとわしは固く信じておる。

 諸君らが戦うことを求めてやまなかった敵は、いまおのずから我々の庭に鼻先を突っ込んではいい気になって嗅ぎ回っているが、これなど憎っくき米鬼の出鼻を挫く絶好の機会である。加えて本作戦は搭乗員の精神力如何によって一人十殺どころか百殺、千殺さえも不可能ではない戦局回天の一大作戦だ。悦ぶべし、諸君らには一死以て報国の誠を捧げる栄誉が与えられたのである。

 いうまでもなく本作戦は特攻であるからして決して強制ではない。しかし入隊の初志を貫徹し本懐を遂げんと欲するのならば答えは自ずと定まれるところと考えるがどうか」

 志願制の建前をとりつつも、眼前の白紙に「希望」と大書せしめんものの如く大仰にのたまう飛行隊長。志願者を募るなどと言い条、強制以外のなにものでもない実態がそこにはあった。

 搭乗員は、たったいま飛行隊長が口にしたような言葉を、中将時代の自分がいやというほど訓示してきた過去を思い出していた。何の因果かは知らぬ、階級にものを言わせて他人に決死の任務を押し付けてきた自分が、いまはそれを強制される立場に立たされているのである。だから意地でも「希望」と書かなければならないような気にさせられるのだが、その簡単な二文字をどうしても書くことができない。歴戦の海軍中将として死の恐怖を超克したつもりになっていたが、どう言い訳してもやはり死ぬのは恐ろしい。他人に強制されたものとあってはなおさらであった。

 そんな搭乗員を尻目に飛行隊長は続けた。

「わしとて諸君らを死に追いやるだけ追いやって自分だけのうのうと生き延びるつもりはない。あとからきっと逝く。その点は安心してくれて良いし信じてほしい」

 これも、中将時代の自分が特攻隊を送り出す際に口にした決まり文句であった。相手を感銘させ、勇気づけるつもりで口にしてきた台詞が、これほどまでに白々しく聞こえていたとは、立場が逆転して初めて知った事実であった。

 生命というものは、当たり前のことだが一度失われてしまえば二度と帰ってくることがないものであった。特攻下命者が死んで自分が生き返るというのなら泣いてでも特攻死をお願いするところではあったが、そんなことは絶対に起こりえないのである。自分というものが消え去ったあとの、自分の与り知らぬ世界で、特攻の下命者が後追いしようがしまいが、そんなことはこれから死んでいく人間にとってはどうだっていい話であった。その、自分にとってはどうだっていい話を、あたかもまっとうな取引材料であるかのように言われながら死を強制される不条理と、かかる不条理に対する怒りは、これまで飛行隊長と同じ言い回しで散々他人に死を強制してきた因果応報というものを、元中将に忘れさせるに十分であった。

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