いつの日かモンペール

gaction9969

〇△◆

「さ、さぁ~て、とぉ……あ、あー今日はそのぅ……えぇ久しぶりにどこか行かないかい? せっかく二人きり、なわけだし」


 ようやく暑さがまあまあ収まりを見せ、開け放したリビングの窓から十月の、すずやかで心地よいけど、反面少しの物悲しさみたいなのも含んだ風が柔らかく吹き込んできているものの。


「こ、心愛ここあちゃんもおふくろと何か買い物に行って、帰りにあのお気に入りの何とかっていうスイーツに行くとかで夜まで帰って来ないってことだしさ、ば、晩御飯も多分いらないんじゃあないかなぁ」


 必死だねぇ。いつもはその「心愛ちゃん」優先で動いているように感じられるけどねぇ。


 私からの返事を引きれた変な笑顔で待っている、ここ数年で一斉撤退いっせいてったいを余儀なくされたひたいぎわに水かあぶらかその両方か分からない粒を散乱させ、かつそれらが天井からの落ち着いた暖色スポットライトの光を様々な角度に散乱させているという、大枠おおわくくくると物悲しさにはカテゴライズされるだろうものの、涼やかさや心地よさからは完全真逆のベクトルを有した丸顔に/ハの字眉じまゆに視点を合わせていると、うぅぅん、このヒトと結婚したのは何でなんだろう、という浮かばせてはいけない疑問がぷこり私の側頭葉そくとうよう辺りからシャボン玉のように浮き上がり、この無駄な開放感を持つ十二畳のリビングダイニングを横切って、小洒落こじゃれたウォルナットの椅子のカドに当たって弾けた、ように感じた。


「いいけど別に。どこ行くの」


 私が寝そべっているずっしりみっしりとした黒革のソファは見た目も寝心地ねごこちもお気に入りだ。こういうの選ぶセンスはいいのに、こと自分のことになると残念な選択しか出来なくなり、そしてそれらが二乗三乗されていってしまうという負の連鎖でいっつも惨状をさらしてしまう小太りの低身長の身体は今、モスグリーンのに蛍光黄色で「Livestockライブストック excrementエクスクリメント treatmentトリートメン systemシステム」と目いっぱいに大書たいしょされた首元だるだるTシャツと(意味を調べてみたら『畜産排泄物ちくさんはいせつぶつ処理システム』だった。どないやねん)、何のためなのか執拗しつように「うかんむり」の漢字が勘亭流かんていりゅうにてびっしりと芳一ほういち的に書き連ねられた白いハーフパンツとに包まれ、ワックス艶々つやつやフローリングの上に所在なくたたずんでいるのだけれど。いやなんやねん。


 ヒトのことはあまり言えないけどそれでも最低限部屋着へやぎとしての名目めいもくは果たしているだろうシンプルな黒とグレーの薄手のスウェット上下でL字の長辺に体を投げ出した姿勢のまま、おなかの上で何とはなしにぽちぽちしていたスマホの画面と言うよりは、昨日塗ったネイルの仕上がり具合をブルーライトを背景にうっすら眺めていた私は、鼻から息を抜きながらもそう応えてあげる。視界の隅では、そ、そそそうだなーとか喜びを隠せていない顔で何やらタブレットで調べているようなフリをしているけど。


 何日か前から色々準備してたの知ってるんだなー、その端末、私も入れちゃうから。今どきPINに四桁しかも自分の誕生日とか設定しちゃダメでしょうよー、個人情報漏洩。ま、家庭内の平穏平和へいおんへいわを維持するためには、そういうの、気づかないフリでいるのがきちなんだろうけど。脇が甘いのよ、文平モンペーくん。


 や、文平やすなりって読むんだよ、って初対面の時だかに言われたけれど、誰も初見じゃ読めないって。だから私はいちばん初めに頭によぎった「モンペーくん」でずっと通している。面と向かってそう呼ぶことはまあ無いけど。それより。


 仕事はわざわざ有休取って私の休みに合わせて。いとしの心愛ちゃんも、今日の朝から早々にばあばの所に行かせちゃって。うん、取ってつけられたような「せっかくの二人きり」。うぅんもしかしてぇ、冷えに冷え切っている私との関係をどうにかしたいとか思ってたりするのかな? それは別にいいんだけれど、全部が全部、消臭しきれないほどにわざとらしいのよねぇー。


 今日という日を選んだのも、そう。


 三年目ってことだよね? 自分は何も気づいてませんよ、みたいな顔とか素振りしてるけど、女の方が記念日とか普通に覚えているから。


 壊滅的に下手くそなサプライズ。その下手へたさの方が逆に驚きサプライズだよねぇぇ、なんて思いつつも、実は少しだけきゅんとしている自分がいるのも感じている。下手くそであれ何であれ、こういうことが出来ちゃう男の人って、あんまり周りにはいないから。分かりやすかろうがなんだろうが、そこはあまり大した問題でもないって思っちゃえるほどには、このヒトのことが分かってきてはいるわけであって。この私には。


 と、ととととりあえずランドに行ってみようかぁ今日は水曜だし多分そこそこいているんじゃあないかなぁ、との白々しいことをのたまう四十間際しじゅうまぎわの小太りおっさんだったけど、確かに空いてるかな。去年の夏に家族三人で行った時は土曜日だったこともあってめちゃくちゃ激混みだったし心愛ちゃんも暑さでぐったりしちゃったりで大変だったもんね。十月の今なら、気候としてはちょうどいいかも。


 よぉぉし、じゃあ行ってやりますかぁぁ。と、体を起こしつつぐいと肩甲骨けんこうこつ辺りを伸ばしながら、足元辺りにほうってたスリッパを突っかけると、私はちまたの女性たちが費やすだろう時間の八分はちぶんの一くらいにて手早く身支度みじたくを済ませると、玄関先で何もせずただぽつり待っていた後ろ姿にお待たせぇ、とテンションを少し上げてあげつつ大袈裟に手を振ってみる。本日の私のちは蛍光黄色イエローよりは落ち着いて品のある華やか色感いろかんのレモンイエローが眩しいひざ出るくらいたけのワンピに黒革のごついシルエットのライダース。これでもかの甘辛あまからコーデで攻めてみました。年不相応としふそうおうとか思われちゃうかもだけど、ま、夢の国に行くんだもの、これくらいのはっちゃけかた、全然ありでしょ?


 スマホと定期入れだけを突っ込んだジルのポーチバッグはまあそれだけしか入らないくらいの低容量ではあるんだけど、雑誌付録とは思えないくらいに見た目が赤茶にぬめってて質感しつかん最高。夜更よふかしして日付が変わると同時に瞬速の早押しにて予約したまでの甲斐はあった。と思う。どうよこの全体コーデ。分からんとは思うけ↑ど→。と、


 私を見たモンペーくんはと言うと、うぅん、さ、早希サキはそういうのもすんなり着こなせるんだねぇ、い、いいねえ実にいいぃ……とかまたもこちらをも緊張させてくる緊張感をただよわせつつも、一応そんな不器用ぶきような称賛をしてくれるのだけれども。うぅん、もうちょっとすんなり言ってくれればいいのにねぇ。でも久しぶりの名前呼び。またちょっと嬉しい私がいる。


 それよりもその焦げ茶色と灰色の中間色みたいな、もさっとしたジャケットはどうにかならんもんかな……うへへ、今日のがけに心愛ちゃんがわざわざパパに選んでくれたんだぁ、とか喜んでいるけど、そもそも着るもののまともな選択肢ってのが無いしなぁ……うぅぅんまあいいかもうそこは。


 夢の国の景観をけがさないことを祈りつつ、イチョウがほんのり黄色づいてきた駅までの大通りを二人並んで歩く。いろいろまくし立ててくる横からの必死感ただよう声には曖昧な返事をしつつ、なんか久々の開放感みたいなのに浮きだつ気持ちはうまく抑えきれてないかも。だって透き通るような黄緑と黄色の完璧なグラデーションを見せるこの時期の葉の色に視界上半分うえはんぶんくらいを覆われてたらねぇ。なっちゃうでしょ。それにこんな日常感ありきの非日常感を味わえるなんて思ってもみなかったわけだし、そこは感謝してるとこはある。と少し緩んだ口元のまま隣に目線をずらしたら、この涼しさの中でも玉の如き汗を並べておる上気した巨顔きょがんにぶつかってしまってせっかくの清々スガスガしさが足元からガスガスと瓦解がかいしていってしまうような、そんな前言撤回ぜんげんてっかい感が日常いつも通り漂ってきたところで私は今の数秒間の出来事を無かったかのように真顔でリセットすると、改札へのエスカレータにを踏み出していく。


 運良く隣同士で座れた京葉線にて一路、舞浜……夢の国へ。


 まあ言うて、そこそこの混み具合だった。外国人旅行客ハンパなぁい。あっるぇ~いてる予想出てたんだけどなぁああ……なんて隣で驚き嘆く声がかすれ漏れ出てくるけど、その脇の甘さも相変わらずハンパないわ。


 ファストパスを駆使して、人、人、人が群れなす園内を縦横無尽じゅうおうむじんに、なおかつ効率最優先で闊歩かっぽする。まあ、まったくのガラきだったらそこまでありがたみは無かったかもだし、そこそこ回りたいところは全部回れたりで良かったとは思うんだけど、それより何より隣のヒトの緊張感が時間経つほどに否応いやおう増してくるのがビリビリとこちらまで伝わってくることの方が凄いわけで。


 ここまでサプライズを仕掛けるのが下手な人もいないんじゃないの? とか思いつつも私はもう気にせず目の前のアトラクションを思う存分楽しむことに集中するって決めてるわけで。時刻はそんなこんなであっさり六時。空の上の方から、薄暗闇うすくらやみが降りてきて、辺りはそれに覆いかぶさられるように包まれ始めている。


 ば、晩めしはどうしようか、ってまた唐突に聞かれたけど「晩めし」は無いだろどこだと思ってんだ。それにあちこちでポップコーンやらティポトルタやらいなりチキンドッグとかをのべつまくなしで食べてるからそんなにおなかは減ってないし。て言うか予約とかしてないんだね、レストランとか。そこでその、いろいろ調べてた私へのプレゼント? を渡されるのかなとか思ってたけど。違うのかぁ……大丈夫かなぁ、諸々の段取り……とか、私が心配することじゃないにしろ、不安感はフアンフアンとプロペラのように私らの頭上で回転しているようでもあり。いやいや、詮無せんないことを考えている場合じゃない。


 それよりも最重要案件、あと三十分くらいでパレードでしょうよ、場所取りしないでどうすんの。と、すっかりここの空気感に浮かれ上がった私は、行くよ、と頭の中に叩き込んできた穴場を目指して、その丸まった大きな背中を押して急ぐ。


 大きな樹がその屋根よりも高く囲む、とある屋外やがいトイレ前の、白い縁石花壇えんせきかだんの上。ほんとは登ったらダメなんだけど、パレードの間だけは見逃してくれる、みたい……運もあるらしいけど。進行ルートの周りにはもうかなりの人垣が出来ていて、低身長の私らの視界はそのままじゃあ下半分以上が覆われちゃっているけれど、その「足場」のひと区画に何とか二人して、きつきつだったけど乗っかることが出来たわけで。


 うん、いい感じ。前に連なる人たちの頭の上に目線が上がったから、パレードの全容がたぶん邪魔されずにばんと視界に入るだろうし、手ぇ振ったら応えてくれる率も、きっとたかしと見た。


 へぇぇえ、ここからだと本当、ちょうどいいなぁ……と、少し息を弾ませながら辺りを見回す丸い横顔の、輝かせた少年のような瞳はなんか少し笑えた。でもそうやって目線を……物理的にも、意識的にも、私の高さにすっと合わせてくれるところは……普段は随所ずいしょに見せてしまうキョドいわざとらしさ無しで、こういう時にだけ自然にやってのけるところは、割と好きなところ、かも知れない。いや分からんけど。


 不安定な足場だから、自然と並んで体同士をくっつけてしまう。十二色じゅうにしょくの絵の具を使い尽くした後の筆洗いの中の水みたいな色をした、ごわごわな質感のジャケットの背中辺りを左手で掴むと、分厚い生地を内側から果敢かかんに突き抜けてきたような結構なしっとり感があったけれど、構わず握りしめた。私のレザージャケットの右肩にも、優しく乗せられた感触と湿った温かさが感じられてくる。


「……」


 しばらく無言でそうしていた。相変わらずの緊張からなのか、触れているところが徐々にガチガチに感じられてもくるんですけど。もぉう、落ち着いてってば。と、


「も、ももももう三年になるね」


 辺りのざわざわに、かき消されそうなほどの小声で、心配になるほどのぎこちない切り出し方で言うけど。まあもう知ってるよ、今日が三年目だってことは。


「こ、ここここれ三周年のプレゼント。ぼ、ぼぼ僕と心愛ちゃんとで選んだんだけど」


 ここで渡すんだ。それより、もうっ……自分で選んだって言えばいいのに。でも、ずっとポケットに入れてたのか、これまたしっとりして温かいのビロード小箱を開けてみたら、中には綺麗なピンクゴールドのイヤリング。あれ、タブレットで調べてた子供っぽいがらの腕時計と違う。それはちょっとの驚きサプライズ。気が変わってどっかのお店で買ったりしたのかな。でも、


 ハートを波が包んでいるようなデザイン。いいセンス。またも自分以外のものに発揮されるやつが炸裂したねぇ、とか、無理やり頭の中でそんな事を考えて気をらしながら、少しの間、街灯ライトの光に色々な角度で当てつつ眺めていたら、見とれていたら。


「き、ききキミは、ぼ、ぼぼ僕のところに来て、し、幸せかい?」


 笑っちゃいそうになるほどの、英語の教科書みたいな構文調。何だかなぁ。でもそんな風にストレートに聞かれるとは思わなかったので、何て答えていいか逆に戸惑う。戸惑いながらも、聞いてくれたことが嬉しい自分は、やっぱりいるのだけれど。


「うん、まあそこそこ」


 でも口からすべり出るのはそんな言葉だ。でも……そんな私のソルティーな反応リアクションにも、そっかー、そこそこってことはまずまずだなぁーとか喜んじゃうそのヒトは、


「……」


 やっぱり私にとっても、大切な人なわけであって。


「ねえ、それより……」


 これがいい機会かも。いつまでもかたくななままでなんて、いいわけないもんね。私は少し緊張しながらも、さりげなく言葉をつむぎ出していく。


「パレード終わったら、トルバでソフト買ってよね、お父さん」


 う、ううううううん、ももももちろんさー、と、かなり上擦うわずった声でそう返事をすると、私の方から顔をらして、あれぇまだかなーとか言いながらパレードが来る方へとその歪んだ顔をそむけちゃうけど。やだ泣かないで? 夢の国だよ?


 ……この三年間、他人の私を大切に育ててくれてありがとう。


 面と向かっては「ねぇ」とか「あのさ」とかしか呼びかけられなかったけど、心の中では「モンペーくん」、だけじゃなくて、たまには「パパ」って呼んでたんだからね。


 でも、


 私もこの三年でとっくに「二分にぶんいち成人式」も終えた大人の仲間。これからは大人っぽく「お父さん」って呼ぶことに決めたの。


 いいでしょ? 私のお父さん。……これからも、よろしくね。


 歓声にいきなり体の全部が包まれた気がした。背伸びをしてみたら、お父さんのさびしくなった頭頂部とうちょうぶの髪の毛を通して、光の行列がやって来たのが、はるか遠くに見えてくる。


(終)

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