Act20_憐憫のレイブン
心臓の鼓動が煩い。顔は内側から茹でられているかの様に熱く、恐らくは頬が紅潮しきっているのだと直ぐに理解できた。そんな姿を他人に見られているのだと自覚すればするほど、顔の熱は更に上がっていく。
幸いお姉様と朝霞様は落ち着ける場所へと向かうため、私の少し前を歩いておられるので自身の赤い顔を見られることは無いが、それでも人の目は気になった。壮行会には様々なお歴々の顔が並んでいる。そんな方々の前でりんごの様な真っ赤な顔をしているのはミスティア王族の1人としてあまりよろしく無いことだろう。
故に私は自身の舌を思い切り噛んだ。チクッとした鋭い痛みの直後、口内に鉄の味が広がっていく。一見すると奇行。だが私の自傷行為にはしっかりと意味がある。それを理解してくれる人は少ないが。
水に落としたインクの様に口内へとじんわりと広がっていく血に対して意識を向ける。そして
代わりに口内に滲み出た血をそのまま飲み込む。自身の欠片が満たされていく様な感覚が広がっていき、身体に馴染んでいった。
私は自身の事を欠陥であると自覚している。ミスティア王族、つまりは神人の特色たる白い髪も、
そう。厳密にいえば私は人間では無いのかもしれない。だが通常の
故に私はミスティア国内の貴族達や一般の使用人からは大いに嫌われている。神人であるミスティア王家から生まれた化け物なのだから、それは仕方ないだろう。それはそれとして悲しいと思う気持ちも、辛いと思う気持ちも持ち合わせている。これが真正の
本来であれば私は生まれ落ちたその瞬間に産婆によって絞め殺されるはずであったのだという。だがお父様が烈火の如くお怒りになってそれを止めたのだと、お母様は仰っていた。
『この子はどうあれ私の子だ!それを手をかけると言うならば、まずは先に私を殺せ!』
お父様はそう慟哭していたのだとお母様は悲しげな顔で語っていた。
まあそんな事情もあり私は半ば幽閉され人生を過ごしてきた。とはいえお母様やお姉様を妬んだり、恨んだりといった感情は一切ない。寧ろ
『こんな中途半端に生まれてしまってごめんなさい』
という罪悪感の方が強かった。
お母様もお姉様も月に一度は私の住んでいる塔に顔を出してくれる。その度に取り留めの無いお話をして、最後には私の頭を撫でて、抱きしめてくれる。それだけで、お二人からの愛は十分すぎるほどに頂いているのだ。こんな欠陥姫と揶揄される身内にすら慈悲と自愛を向けてくださるのだ。そんな最愛で尊敬する家族に対して憎悪を向けるなど言語道断。そして絶対にあり得ない。私はお母様とお姉様が大好きなのだ。
その様な事情もあり、私は今回このような壮行会に顔を出させて頂いた事に大変驚いていた。それもその話をお母様から伝えられたのはつい先日。今回もメイドから壮行会のお話は聞いていたが、自分には関係のない話だろうと思っていたので焦りに焦った。まあ事前の予想通り大多数の貴族方からは汚物を見るような視線を向けられ、度々欠陥姫だの
正直な所お母様のお考えはわからない。何故この様な場に私が顔を出すことをお許しになったのか、またその意図は何なのか何もわからない。
とはいえ何かしらの目的があってのことだということは理解できる。私がお母様の目的達成に役立つのであれば存分に利用してくださって構わない。それが何もできていない私にできる最大限の恩返しになれば寧ろ幸いであった。
だが一部の貴族の方は普通に私と接してくれたのにも驚いた。その1番の例が二ルヴェノ伯である。かのお方は王家派閥では無く地方領主派閥の筆頭。故に私という王家が抱える欠陥は1番に攻撃しやすい要素であるはずなのに、嫌な顔ひとつせず丁寧に接してくれた。何故だろう、そう考えるものの、私は政治に関しては素人。何かしらの考えや打算ありきであることは想像に難くないが、仔細を予想するほどの知識は無い。
前を歩いていたアサカ様が唐突に足を止め振り返る。その瞳には何かしらの懸念が含まれていた。そしてその瞳のまま私の顔を覗き込み、心配そうな表情で口を開く。
「何処か怪我でもしているのかい?大丈夫?」
――純粋に驚いた。私はあくまで舌を噛み、そこを起点に
「ヒョ、い、いえ。お気になさらず!だ、大丈夫ですので!」
私は人とのコミュニケーションが相当に苦手である。特に初見の人であれば尚更。アサカ様は何故か遠い記憶にあるお父様と重なる温かみを感じるので初見でも饒舌に接してしまったが、とは言えこういったイレギュラーでは私のコミュニケーション能力の欠陥ぶりが露骨に表れ出た。噛みまくり、つまりまくり。情けないと自覚はするものの、身構えていなかった時に突然声をかけられると心拍数が跳ね上がる。
私が口を開いた時に一瞬舌の傷が見えたのだろうか、アサカ様は少し目を細めながらハンカチを手渡してくる。恐る恐るそれを受け取れば、彼は優しそうに瞳を揺らした。
「それ使ってください。返さなくて大丈夫なので」
この一瞬のやり取りだけで私のアサカ様に対する好意が早馬並のスピードで上がっていっている事を自覚する。いや自分でもチョロいなとは思うのだが、こちらは15歳引きこもり
半ば放心した様な感覚のままハンカチに目をやる。
端の部分には『C.C.C』という文字の刺繍。絹では無いが、相当に肌触りの良いもの。その材質は初めて見るものであった。普通の布とは違い、なんというかもふもふとした感触がある。表面は無数の繊維が丸められびっしりと並んでおり、これがこの独特な肌触りの原因だということは理解できた。だがそれはそれとしてこんなハンカチ見たこともない。というかこんな繊維一本一本を複雑な工程で編み上げたハンカチ、相当な高級品なのでは……。
私如きにこんなハンカチは勿体ない。と言うか恐れ多い。こんな高級品を頂いてしまっても、私には何も返せるものがないのだ。
「い、い、いえ!?こんな高級なモノ貸していただく訳にはい、い、いきま、せ、せん!どどど、ど、どうか!おきににゃ、にゃ、なさらず!」
噛みまくり詰まりまくりである。だがそんな事気にしていられない。こんな高級品を借りるわけにはいかない!という一心で、アサカ様にハンカチを返そうとするが、彼は少し困った様な表情を浮かべ、手で私を制した。
「気にしないでください。どうせ大量生産品ですので、高級品でもなんでも無いですよ」
????
大量生産品?これが?この見るからに複雑な工程を経て編み上げられたハンカチが??????
アサカ様の話はメイドから度々聞いていた。魔神と同じ様に異世界から誘われた
彼が本当に異世界人なのだという話の
これからそんな方のお話を聞くことができる。鳥籠の中の世界しか知らない私にとってそれはあまりにも甘美な期待に他ならない。
とはいえ何故アサカ様は私が傷を負った事に気がついたのだろうか。私は王家の人間としては欠陥そのものであるが、それでも魔力に対する感覚は常人よりも鋭敏である。だがアサカ様が感知系の術を使用しているようには思えなかった。お姉様も少し驚いた様に眉を上げていたことから、私と同じ感覚なのだろう。
「あ、ありがとうございます……。ですが何故……」
「何故キルステンが怪我していることに気がついたのだ?」
私の詰まった言葉をお姉様が代弁してくれる。すればアサカ様は少し苦笑いをしながら口を開いた。
「いや、特にこれといった理由は無いんだ。まあ強いて言うなら、俺には妹がいるんだけど、小さい頃は怪我してもそれを隠そうとするような意地っ張りな子でね。そんな妹の怪我を見抜こうとしていたら、いつの間にか他人の怪我には敏感になっていたって感じかな。ほら、さっきキルステンさん一瞬だけ歩調がずれたでしょ?だから何かあったのかなって」
なんてことの無いようにアサカ様は言う。だが全く理解出来ない。そもそも歩調がズレていた自覚すらないのだが、何故アサカ様は後ろを歩いていた私の歩調のズレに気がついたんだ。
「アサカ、お前は後ろに目でもついているのか」
お姉様が半ば呆れた様な表情で問いかける。私もそう思います。
「実は……。なんて訳ないだろ。ただ単にヒールの音だよ。それまで背後で聞こえていた規則正しいヒールの足音が一瞬乱れたら、嫌でも気がつくさ」
「いや、私は気がつかなかったが、嫌味か?」
お姉様が冗談めかしてそう言う。それを受けたアサカ様は苦笑いを浮かべつつもそれを否定した。
「そんな訳ないだろ。屋内軍事訓練の賜ってだけ」
「ふむ……今度アサカの世界の軍事訓練について詳しく教えてくれ」
なんてことのない一幕。だが私にとっては間違いなく世界が広がっていく瞬間。この後に聞けるであろうアサカ様のお話に胸を弾ませつつ、私たちは会場横の談話室へと入っていくのであった。
「私も会場に行きたかったですー」
不満げな声を微塵も隠すこと無く、横に歩く兄さまにそう愚痴る。そんな私達を護衛隊形で取り囲み歩くのは、兄さまの近衛隊の精鋭が5人。月明かりとわずかばかりの魔照灯に照らされた廊下には私達がカーペットを踏みしめる音と、壮行会会場から漏れ出るオーケストラの音が微かに響いていた。
兄さまはいつもの皮肉めいた表情と口調を崩さぬまま口を開く。
「そう言うなって。そもそもオイフェミアが言い出したんじゃないか」
「そうですけどー!」
さて。私達アルムクヴィスト公爵兄妹が何故壮行会に顔を出さず廊下を歩いているのか。その理由は場所に向かうためである。
というのもつい2日ほど前、兄さま宛に一通の手紙が届いた。その内容はミスティア王城内の普段は使われていない客室という場所と、時間の指定だけというあからさまに怪しいもの。普通であれば配下のものに調べさせ結果を待つ所であるのだが、今回はそうもいかなかった。その理由は手紙の捺印。その捺印はフェリザリア王家のものだったのだ。
勿論偽装の線をはじめに考え魔力鑑定は行った。重要な案件の捺印には魔術刻印が用いられるのが常である。魔術刻印はそれぞれ事にブラックボックス化された独特のパターンが存在し、解析や偽装には尋常ではない手間暇がかかる。仮に偽装できたとしても、込められた魔力には術者ごとの特色が存在する。つまりは同じ真作の魔術刻印を用いたとしてもそれに魔力を込める人物によって若干の差異が発生するのだ。
そして今回のフェリザリア王家の捺印がされた手紙。過去にフェリザリア王家から届いた文書の捺印と比較し調査したが、魔力の
と、まあそこまでわかった上で無視する訳にもいかず、私から兄さまに進言して、私達兄妹と数名の護衛達は指定された場所へと向かっている最中という訳だ。
ラクランシア叔母様、改め女王陛下にも事情を話し、実際に指定された場所へと向かう事に関しては了承を得られている。ベネディクテにも話しておこうと考えていたのだが、それは女王陛下に止められた。何か考えがあるようであったが、思考閲覧魔術の行使は行っていない為、その真意はわからなかった。あの魔術は魔力耐性が高い存在相手だと行使が看破されるのだ。そして女王陛下の魔力耐性は異常そのもの。一般的な魔術師の
廊下をしばらく進み、目的の部屋の前へと到達する。そもそもフェリザリア女王は私の確保を初期目標として此度の戦役を引き起こした張本人。罠の可能性も多分に想定できるが、それならそれでかかってこいと言うのが本音であった。こんな国の中心、それもミスティア城内でいざこざを起こせば間違いなく全面戦争への突入は免れない。カミーラ・ケリン・クウェリアがそんな愚かな事をするほど愚鈍な君主では無いことに対しての一定以上の信頼はある。でなければ60年以上にも渡り大国フェリザリアを統治することなぞ出来るわけもない。
それに未だに私の無力化を狙っているならばこんな私の警戒をわざわざ跳ね上げる様な手段は用いないだろう。それこそ初戦の様な完全奇襲の方が合理的である。
護衛の近衛隊の面々が得物に手をかける。城内での抜剣は基本ご法度。露見すれば他派閥の貴族からの攻撃材料として利用される可能性があるので、できれば得物を抜かずに事を済ませたいが、まあ状況が状況である。
ドアの横に張り付いた近衛隊の隊員が緊張を貼り付けた顔で私に視線を向けてくる。
それに対してゆっくりと頷いた。そして目を瞑り、生物感知系魔術の詠唱を開始する。
私の特徴の一つである無詠唱で紡がれる魔術。それは3秒程で完成し効果を発現させた。
――反応なし……?
部屋の中からは生物の反応は無い。だが何か……揺らぎのようなものが感じられる。まるで物に布でも被せ隠しているような……そんな違和感。
手早くハンドサインで注意と警戒を促す。ドアの横に張り付いた近衛隊士は頷くと、ゆっくりとドアを開けた。
部屋は何の変哲もない客室であった。。部屋に備え付けられている窓は開け放たれ、そこからは満月の月光が差し込んでいる。カーテンが夜風に揺られ僅かに動いているが、誰の姿も無く無人であった。
いや……。置かれたベッドに視線を向ける。すれば不自然に布が窪んでいるではないか。
確かにベッドに人の姿は無い。だが間違いなく誰かが其処にいる。
「何者かな?」
兄さまもそれに気がついているようで、ベッドに飄々とした視線を向けたまま口を開いた。他の近衛隊士達はその言葉でようやく気がついたのか、私達の壁となるように前へと立ち、腰の得物に手を伸ばした。
「遅刻ですよ」
何もいないベッドの上から、冷たい女の声がする。前身の毛が逆立ち、急激に意識が先鋭化していった。
ベッドの窪みが変形し、通常の姿へと戻る。同時、ベッド前の空間が揺らぎ始め、その奥から1人の女が表れ出た。
息を呑む。護衛の隊士から生唾を飲み込んだ音が聞こえた。
その女は濃紺色のフードに白い上等な布を基調とした革鎧を身に着けていた。腰には私の背丈に迫るほどの長さを持つ真鍮色の刀剣が二振りぶら下げられ、フードからはみ出ている耳は笹の形をしている。印象的な薄桃色の瞳からは何の感情も伺えず、ただ無表情で私達の事を見ていた。
「水天剣舞……。まさか君自らとは驚きだよ、猟犬のゼータ」
全身の魔術回路に魔力を回す。体中の魔術刻印に青白い光が奔り仄かに発光していく。
――ゼータ。フェリザリア女王直属の特殊部隊、猟犬大隊の筆頭であり、フェリザリア第2位の
そしてシャーウッド砦でアサカに深手を負わせた張本人……!!
意識が怒りにも似た感情に飲まれそうになったとき、右肩を掴まれる感覚で急激に引き戻される。兄さまが私の異常を感じ取って制してくれたのだ。このままでは殺し合いになりかねない、そう判断し自身に対して感情抑制魔術を行使する。ヒートアップしかけていた思考が途端に平坦なものに変化していき、心の荒ぶりが収まった。
「光栄ですアルムクヴィスト公爵。改めまして、私はゼータ。カミーラの命で此度は参上いたしました」
ゼータはそう言うと優雅に一礼をする。だがそれは貴族的なものでは無く、常在戦場の戦士としてのもの。
国の中枢にフェリザリアでも二番目の
が、逆に考えることも出来る。ここまでの偽装技術を持ったゼータをわざわざ送り込んでくる程の内容。それも文書での直接のやり取りでは無いことを加味するに、相当デリケートな話題の可能性が高い。
「せっかく会ったんだし、色々と談笑支度も思うがあまり時間もない。単刀直入にお伺いする。此度はどのような用件かな?」
兄さまが飄々とした声のままゼータにそう問いかけた。私はゼータが何か行動を起こした際のカウンターとして
「はい。端的に申し上げれば、一部のミスティア貴族が王家のとある人物の暗殺を画策しています」
衝撃的な言葉であった。兄さまが視線でその先を促す。驚きつつも、私は一言一句言葉を聞き逃さぬように意識を更に尖らせていった。
■以下あとがき
カクヨムの方では纏めきれていなかった一部情報を以下の活動日誌にて書かせていただきました。よろしければ御覧ください。
https://kakuyomu.jp/users/AoAo0917/news/16817330655951717226
変遷上のノーマッド ArtificialLine @AoAo0917
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