Act19-2_瑠璃色のシンメトリーⅡ

Date.日付7-September-D.C224D.C224年9月7日

Time.1830時間.18時30分

Location.所在地.Kingdom of Mystiaミスティア王国-The loyal Capital王都

Duty.任務.Farewell party壮行会

Status.状態.Green良好

POV.視点.Benedikteベネディクテ Lenaレーナ Mystiaミスティア


疲れた。それが率直な感想である。オイフェミアと計画していた食事会は身内だけを招いた小規模なモノだったのだが、なぜこんな大規模な壮行会になっているのか。

まあ愚痴っても仕方ない。仕方ないのだが王家派閥、地方領主派閥双方が顔を連ねるパーティというのは神経をすり減らす。ましてや王家派閥の中心の1人である私の立場からすれば色々と気を使う事も多いのだ。

だがひとまず1番気を揉む時間は終了した。シャーウッド砦攻城戦の戦果と停戦交渉団の発表。先日の会議以降各方面に根回しをしていた事が功を奏しすんなりと済ませる事ができた。色々と手を回してくれたオイフェミアとヴェスパー兄には感謝である。私も幼少期の頃から政治については色々と仕込まれてはいるのだが、どうにもあまり得意では無かった。出来るできないの話ではなく、本心にも思っていない顔を続けていると精神が磨り減っていくのだ。まあ向いていないんだろうなと自覚はしているのだが、如何せん次期女王となる身。戴冠すればこんな憂鬱な感情が毎日続くのだろうなと考えるだけで気が滅入る。日々の癒やしとなるものがなければやっていられないだろう。

そう、癒やしである。過酷な政務から自室に戻ってきて大好きな旦那に甘やかされるなど最高の癒やしだろう。そうに決まっている。別に誰とは言わないのだが、年上で強く優しい男などが適任だ。別に誰とは言わないが。名前がアサカだと尚良い。別に誰とは言わないが。


「呆けてどうしたのですか」


横に立ち並びワインに口を付けていたレティシアが声をかけてきた。言われ下らない新婚の妄想を中断し緩んだ口元を取り繕う。一応公の場であるのだから表に出ないように気をつけていたのだが、疲れが出ただろうか。


停戦交渉団の代表として指名されたアサカの紹介と経緯の説明、そして私の同行の発表が終わり10分程が経過している。現在は会場内の王家派閥が多く談笑をしている場でレティシアと共に飲み物を楽しんでいる最中。アサカはつい先程用を足すとの事で洗面所へと向かった。


「別になんでもない。それよりもウォルコットの損害はどんなものだ?報告書は読んだが、何か入用なものはあるか?」


照れ隠しも込めて話題の転換を行う。レティシアは少し微妙な顔をしつつもため息をついた後に口を開き始めた。不遜な、とは別に思わない。ウォルコット家も遠縁とはいえ一応は王家の血筋である。そもそもレティシアとは幼少期からの付き合いだ。オイフェミア程頻繁に顔をあわせていた訳ではないが、その実力も人となりも十分に理解している。まあ少しは態度を隠して欲しいとは思わなくもないが、それは私が言えたことではないだろう。


「戦死82名。重傷者365名。シャーウッド砦攻城戦の後存外骨のある抵抗を受け被害は出ましたが、あの規模の戦であったことを考えれば被害は軽微です。まあただ兵站が伸び切った上に即応大隊は連戦続きでした。しばらくはゆっくりさせてあげたいのと輜重部隊をいくつか回して欲しいですね。あと来季の対人族国家に置ける軍役の軽減をお願いします」


そういうレティシアの表情に変動はない。だが被害人数を述べる時声に少し力が籠もっていた。心根でくすぶっている感情があるのだろう。此度の軍役を直接命じたのは私。来季の軍役の軽減に関してはウォルコット軍の抜けた穴をどう埋めるか頭が痛い所ではあるが、今回の1件で相当酷使してしまった負い目を自覚している分強くは出れない。まあ封建主義的な御恩と奉公のバランスを考慮するという現実的な考えも多分に含まれる。実際此度のウォルコット、そしてレティシア本人が齎した成果というのは馬鹿にならない。これを考慮せず来季も今まで通り、となれば各方面の貴族からの信用低下にもつながる。それなり以上の対価は用意せねば示しがつかないだろう。


「わかった。母上への進言と軍役の軽減については考慮しよう。輜重部隊に関しては王家軍からいくらか回す。具体的な要望を後で送ってくれ」


「御意に」


すました顔のままレティシアはワインを呷る。

切れ長の人形のような美しい瞳は、さて何処を見ているのやら。


革靴の足音が近づいてきた。そちらへと目線をやれば物珍しそうに会場内に目を向けグラスを握ったアサカの姿がある。黒のベレー帽に黒のスラックス、肩章付きの白いワイシャツという装い。彼の所属していたC.C.Cという組織の夏礼服に身を包み、髭を剃った彼の姿は普段よりも幾分か若々しく見えた。


「おかえり。迷ったか?」


私がそう声をかければアサカはこちらへと視線を向ける。そして苦笑しながら口を開いた。


「ご明察の通り。本物のお城なんて殆ど入ったこと無いから勝手がわからんよ」


苦笑いのままアサカはワインを呷る。その後レティシアの姿を見留たのか表情を取り繕って会釈をした。


「ああ、レティシア……様。改めてシャーウッド砦ではお世話になりました」


取り繕ったような敬称に対し、レティシアはくすりと上品に笑いをこぼす。相変わらず所作が様になる女だ。先程も言ったがまるで高級人形の様な気品が溢れ出ている。


「レティシアで構いませんよ。アサカ殿は私の家臣でも部下でもありませんので」


レティシアの返答に少し困った顔を浮かべつつもアサカは頷く。そしてワインを呷りながら私達の直ぐ側まで寄ってきた所で、何かを思い出したかの様に口を開いた。


「そうだ。この前、モンストラ戦線での偵察任務の依頼を下さりありがとうございました。報告書はベネディクテ経由でお送りさせて頂きましたが、あんな感じで大丈夫でしたかね?」


ああ、そう言えば。色々な事が起こりすぎて忘れかけていた。モンストラ戦線での偵察任務の依頼。あれの依頼主はレティシアだった。報告書に関しては勝手に中を見るのはあまりにも無礼だと思い目を通さずそのままレティシアへと渡していたのだが、どの様な内容だったのだろうか。


「ええ拝見させていただきました。まずはこちらこそ依頼をお受けして頂き感謝を申し上げます。非常に興味深い内容でしたわ」


優雅に一礼をしつつレティシアは口を開いた。


「興味深い内容?」


その報告書の事が気になりレティシア、アサカの2人へと問いかける。対して答えたのはレティシアであった。


「ええ。まずあの依頼の目的についてなのですが、異世界の戦士であるアサカ殿の目から見てモンストラ戦線の現状はどう見えるのかというものを知るためでした。オイフェミア殿下から聞いた話ではアサカ殿の世界はこちらよりも多くの戦火を経験しているとの事でしたから、興味があったのです」


「でしたらあまり望んだ報告は行えなかったでしょう。俺も歴史はそれなりに好きですが、専門家ではありませんので」


「いいえとんでもない。大変有益な考察でしたよ。何よりもであったことで色々と確信するものもありました」


レティシアの言葉に少し驚き彼女へと視線を向ける。アサカは合点のいっていない様な表情であったが、私には思い当たる前線からの報告があった。


「もしかして、北方魔物部族連合の目的か?」


私がそう問いかければレティシアはゆっくりと頷く。


「アサカ殿、改めてモンストラ戦線の所見についてお聞かせ願えますか」


アサカは少し困ったように眉を顰めつつも頷き口を開き始めた。


「俺が感じたのはあの魔物達はという事です。そう思った理由はいくつかあるのですが、まず第一に感じたのは魔物連中の侵攻の意思の無さです」


「どういうことだ?」


私が問いかければ彼はワインで喉を潤した後に言葉を続ける。


「実地で実際にこの目で確認した事と、ベネディクテやオイフェミア、アリシアから伝えられた情報をあわせて考えれば魔物連中はミスティアやフェリザリアを大きく上回る人的資源マンパワーを有している事が推察できます。これに間違いは有りませんか?」


「ええ、その通りでございます。フェリザリア側の仔細は存じ上げませんが、ミスティアは北方魔物部族連合の大南下以降50万を超える魔物を討伐してきました。ですがその数や勢力に衰えは見えません」


アサカがレティシアの言葉を受け頷く。


「次に。魔物連中の中にも逸脱者とまではいかずとも強大な力を有する個が存在している。これも間違いありませんか?」


「その通りだ。ドレイクやディアボロ、バジリスク。その中でも伯爵カウント侯爵マーキスと呼ばれる特異的な個体の一部は逸脱者にも匹敵する力を有していると考えられている」


私がそう返せばアサカは何度か咀嚼する様に頷いた後に言葉を続けた。


「以上の事を踏まえて考えると、やはり現状の北方魔物部族連合の動きには違和感を感じます。全体として戦略的な動きができないにしろ、局所的な戦術的動きはできる。人族国家と本気でやりあって勢力図を広げる気なら平押しなりなんなりで今よりも戦線を押し上げる事は可能なのではないでしょうか?」


アサカの言葉を受けしばし思考する。顎に手を当てゆっくりと酸素を脳に送り込む。

確かに彼の言う通り戦線の押し上げ、勢力の拡大が目的ならばいくらでもやりようはあるだろう。北方魔物部族連合の戦術的、戦略的目的の不透明さは私も参謀たちも前々から疑問に思っていた。何を目的で大南下をしてきて停滞しているのか。

真っ向からの全面戦争となればミスティアという国家の存亡危機であるためむしろ現状はありがたいのだが、やはり釈然としない。


「加えて連中の指揮官クラスはそれなり以上に戦術というものを理解している。これは私が現地で目にしたアルムクヴィスト軍への遅滞戦術からの推察ですが、間違いはありませんか?」


「おっしゃる通り」


アサカは一息飲んでから口を開く。


「では何故北方魔物部族連合は現状維持に努めそれ以上の勢力拡大には消極的なのか。先程戦線を押し上げることは可能だと言いましたが、その被害は連中も馬鹿にならないでしょう。侵攻作戦と言うのはかなりの練度と連携が要求される。加えて兵站線の確保と維持は必至。ミスティアは大打撃を受けること間違いなし、加えていくらかの失地は免れないでしょうが、そうなればレティシア……さんやアリーヤ、オイフェミアなんかの逸脱者クラスが大々的に動くことは想像に難くない。魔物連中は数に物を言わせた人海戦術での優位が取れなくなり双方が泥沼の戦況に突入する。恐らくは北方魔物部族連合の首領もこの事を理解していると思われます」


アサカの考察を果実水で脳に糖分を送り込みながら黙って聞く。


「そうして泥沼になれば他の人族国家も黙っていない。ミスティアが墜ちれば次は自分たちだからです。内心がどうあれ表面上近隣諸国はである魔物連中の撃退を大義名分に軍の派遣、もしくは物資兵器の供与を開始するでしょう。流石に数のいる北方魔物部族連合といえども周辺の人族国家すべてを相手に戦争が出来るわけがない。練度や数はひとまず置いておくにしても、戦争に置ける多正面作戦というのは作戦効率を大きく低下させます。加え既にミスティアとフェリザリアという大国2国と争っている。これ以上の戦線拡大、そうなれば滅びるのは魔物連中です」


レティシアも興味深そうにアサカの話を聞いている。


「"尊厳が無くとも飯が食えれば人は生きられる。飯が無くとも尊厳があれば人は耐えられる。だが両方なくなると、もはやどうでもよくなる"。これは俺の好きな漫画の台詞です。俺はこの世界の歴史に疎く知識も浅いですが、人間追い込まれれば何にでもなります。俺の世界では2度に渡る世界大戦、その他にも延々と戦争を繰り広げてきました。そういった歴史があるからこそ人間の事を歴史というフィルターを通して第三者視点で俯瞰する事ができる。また実際に戦場に身を置いていたからこそ、追い込まれた人間の恐ろしさというものは理解しています。だからこそ魔物連中の頭脳達が何を人間という存在をどの様に把握しているのかも少なからず伺えます。彼らも人族では無い傍観者ですから」


彼は手にしていたグラスを一気に呷る。僅かに残っていた赤い液体が飲み干され、真剣な表情のまま口を開く。


「彼らは人族国家との全面戦争の先には瓦礫と屍しか残らないことを理解しているのです。同じ人族同士であればいざしらず。人間が家畜を喰らう狼や害獣に遠慮をする、もしくは和平を結ぶことなどあるでしょうか。一度始まればどちらかが滅ぶまでその戦いに終わりは訪れない。そんな事を懸念しているんじゃないかなと俺は考察しています」


最後に"まあ半分くらい妄想ですが"とアサカは締めくくった。私は感心していた。彼の考察は非常にわかりやすく論理立てられている。実際500年以上前の話になるが我らの世界も深淵戦役と呼ばれる魔神達との戦争を生存戦争を経験している。多数の国家対し行われた魔神による大規模侵攻。当時の記録や人員は殆ど戦火によって失われてしまい概要程度しか伝わっていない戦いであるが、各国家は団結し迫りくる魔神と戦ったのだとされている。

上位の魔物、魔族連中の寿命は永遠に近いとされている。であれば当時の戦争の様子を見ていた魔族がまだ居ても不思議ではない。まああくまで可能性の話であるが、そういった観点からもアサカの北方魔物部族連合に対する考察は存外外れてはいないだろう。

だがまだアサカが言った考察の中で解決されていない問題がある。それに対し私が口を開こうとすれば、背後からコツコツというヒールの音が聞こえてきた。そしてよく知っている凛とした声も。


「なるほど、面白い話だ。であれば最後の疑問を解消したい。なぜ貴殿は魔物共がと考察するに至ったのだ?」


声の方へと振り向けば母上の姿が目に入る。またその隣には伴うようにしてこちらに歩いてくる2人の女の姿。地方領主派閥の筆頭たる熟練貴族、ニルヴェノ伯爵と私の実妹である第2王女。黒く濡烏の様に綺麗な髪に真紅の瞳、作り物かと見間違うほどの儚さと美しさを持つキルステン・レイブン・ミスティアの姿であった。

キルステンは瀟洒な黒のプリンセスドレスに身を包み嫋やかな表情で私へと微笑みかけてくる。

想定外の人物達の登場に少し動揺する。特にキルステンが何故ここにいるのだ。いやオイフェミアが私の妹であるキルステンにもアサカの事は紹介しておくべきだと強く進言していたことから招かれている事は把握していたが、母上が公の場にキルステンが出ることを許可するはずが無いと勝手に思いこんでいた。キルステンはその特異な体質と性質から"吸血姫きゅうけつき"と揶揄され多くの貴族からは良く思われていない。公の場で言うものはいないが、多くの貴族が侮蔑と軽蔑の念を抱いている事は認知している。その為ここまで大きくなった壮行会には現れないと思っていた。

だが実際その母上と一緒に現れた事から想定するに母上本人が許可を出した事は想像に難くない。別に私はキルステンの事を嫌っている訳でも無く、寧ろ半ば幽閉されている事を哀れんでおり戴冠後は措置の緩和を考えていたぐらいなのだが、如何せん姉として妹に良くしてやれていない自覚と罪悪感を抱いている。苦手、という訳でも無いがどう接したら良いか自分でも計りかねているキルステンの登場に思わず呆気にとられた表情をしてしまった。


「これは女王陛下……ご不快に思われたのでしたら……」


アサカも焦ったように慌てて母上へと頭を下げる。だが母上はそれを手で制すると口を開いた。


「構わぬ。純粋に貴殿の話に興味が唆られただけだ。問に答えよ」


あっけからんと言う母上を受け、アサカは困った様な顔で私を見てきた。私としてもどうするものかと一瞬考えるが、続きを言うようにと目線で促す。すればアサカは小さく息をついた後口を開き始めた。


「では僭越ながら……。逃げてきたというのは確証があるわけでも確信があるわけでもありません。あくまで俺の個人的な推察です。その理由としては第一に北方魔物部族連合が勢力拡大を行わず現状維持に努めていることが挙げられます。先程考察した内容が事実であるとして思考する場合、一つの疑問が生じないでしょうか?」


「何故そもそも北方魔物部族連合は南下を行ったのか、だな」


そう答えたのはニルヴェノ伯である。アサカはゆっくりと頷き言葉を続ける。


「その通りです。他国への侵攻を行うのは様々な要因が考えられます。例えば此度のフェリザリア戦の様にオイフェミア……殿下という逸脱者を無効化し、軍事、政治的に優位に立つためなどですね。では北方の魔物達は何故人族の大国二つを相手に南下を行ったのか。考えられる可能性としてはいくつかあります。その中でもわかりやすい可能性が領土拡張です」


「それはそうだろう。だが何故その領土拡張からという話になる」


母上が訊き返す。すればアサカは一切淀みなく言葉を返した。


「領土拡張の背景には何らかの要因があります。例えば冬場に凍結しない港が欲しいだとか、文化的要衝を押さえたいとか。つまりは北方の魔物が南下して領土拡張を行った理由こそがのでは無いかと」


思考する。確かに辻褄はあっている。だが魔物達が逃げ出す程の何かとは何なのか。


「だが北方魔物部族連合の数は我が国とフェリザリアとの二正面で戦線を維持できる位多い。それだけの数がいれば逃げる必要など無いのではないか?そも人族国家との戦争リスクを取るより、問題の何かを圧殺した方がわかりやすいだろう」


ニルヴェノ伯言葉を咀嚼する。――いや違う。彼らは逃げざるを得なかったんだ。


「その逃げる要因となったものがだとしたら……?」


私がつぶやいた言葉を受け、アサカは大きく頷いた。


「まさにその通り。実際俺が現地で活動をしていた際にアルムクヴィスト軍2万に対して2千程の下級魔物による攻撃があったと伺っています。橋頭堡部隊への救出作戦を邪魔する遅滞戦闘が目的だったとしても、こんな無駄に戦力を消耗させるだけの阿呆な作戦を人並以上の知恵を持つらしい魔族が行うとは思えません」


合点がいった様に母上が大きく頷いた。


「……なるほど。限定された生存域内での個体数整理。端的に言えば食料だけを浪費する下級魔物の口減らしが目的か。そして魔物が逃げ出す程の天災となれば……」


の出現……」


レティシアがそうつぶやいた。

全てを飲み込み拡大する深淵。通常世界とは異なった次元であるそれは触れたもの全てを飲み込む。深淵を排除するためには深淵領域に突入し、どこかに存在する深淵の核を破壊せねばならない。だが深淵からは魔神が無尽蔵に湧き出る為、大規模なものになればなるほど対処は困難を極める。また深淵の核を破壊した所で無事に生還できる保証は何処にもない。

なるほど。その説であれば全てに納得がいく。つまりはこうだ。


・北方魔物部族の生息域で深淵が出現

・深淵への対処が失敗し人族国家方面へと生存域を求める

・しかし人族国家との全面戦争になればどちらかが滅びるまで戦争は終わらない

・故に指導者たる魔族達は最低限の生存域を確保するに努め、増えすぎた下級魔物の口減らしを行っている


傍迷惑な話……と一蹴することはできなかった。なぜならミスティアも深淵の問題を抱えている為である。レティシアの統治するウォルコット領には深淵に飲み込まれた沿岸部が存在するのだ。他人事としてスルーできる問題ではなかった。


「なるほどな。貴殿の考えはよくわかった。だが全ては証拠のないただの考察だ」


母上の言葉にアサカは苦笑いを浮かべる。その言い分に少し苛つきを覚えるが、続けて母上は口を開いた。


「であるがゆえにその原因の究明は行わねばならぬな。実際深淵であろうとそうでなかろうとモンストラ戦線の解消は国家の急務だ」


「おっしゃる通りです陛下。うちの兵で良ければいつでもご命を受けましょうぞ。王家もアルムクヴィスト家もウォルコット家も現状余剰戦力は無いでしょうしな」


そう言うニルヴェノ伯に対して手放しで感謝……なぞ出来るはずもない。この御仁は歴戦の貴族。加え王家派閥とは敵対している地方領主派閥の筆頭。政治的打算が含まれている事は容易に想定できる。まあと言っても突っぱねられるほど何処も余裕が無いのが悲しい現実なのは間違いない。


「ふむ。何かあった時は卿を頼ることにしよう」


「御意のままに」


一切表情を変えずにそう言う母上とニルヴェノ伯に薄ら寒気すら覚える。こういう表面上は温和でも裏で何考えているか想定しなければならない状況が連続するから政治の場は嫌いなのだ。


「ではベネディクテ。私は他の方々と少し話してきます。アサカ殿、レティシア、キルステン。楽しいひとときを。そして成果を期待してるぞ」


母上はそう言うと他のお歴々の元へと歩いていく。ニルヴェノ伯もこちらに一礼をした後にそれへと続いていった。

ほっと一息。無駄に気を張る時間であった。母上だけなら兎も角としてもニルヴェノ伯とキルステンの前だと嫌でも取り繕ってしまう。たった一人の哀れな妹の前では格好いい姉でいたいのだ。


「うぉ!?」


直後素っ頓狂な声をアサカが上げた。何事かと目線を向ければ、黒い長髪とプリンセスドレスの後ろ姿。それがキルステンのものであることは直ぐに理解できたが、その行為を咀嚼するのにしばし時間を要する。

キルステンはキラキラと輝く宝石の様な瞳を見開いて好物を目の前にした時の様な楽しそうな顔をしていた。その表情のままアサカの両手を握り小刻みにプルプルと震えている。……何しているんだ?


「アサカ様!お噂はメイドから聞いておりましたが、実際にお会いして他言などアテにならないと改めて実感しましたわ!男性の身でお母様とニルヴェノ伯に萎縮せず自身のお言葉を伝えられるなんて驚きです!よろしければ貴方の世界のお話をお聞かせいただけませんか?」


????

堰を切った様に話始めるキルステンの表情はどこまでも眩しい少女のもの。

キルステンはその境遇から他人とのコミュニケーションがあまり得意ではない。内向的で自身の世界に閉じこもりがちな哀れな少女。そのはずである。

私や母上、オイフェミアには年相応の少女らしさを見せることも多いが、彼女が初見の人間相手にここまで話しかけていることなど見たこともない。

驚きと状況の把握でしばしフリーズしていればぐいっと手が引っ張られる。


「お姉さまもご一緒に!アサカ様、如何でしょうか?」


目をキラキラとさせながら私の手を引いたのはキルステンである。なんだ、何か悪いものでも食べたのか。レティシアへと目線を向ければ、彼女はため息を付き口を開く。


「キルステン殿下。そんなに引っ張るとベネディクテ殿下のドレスがはだけてしまいます」


声をかけられたキルステンはビクッと身体を大きく揺らす。咬み合わせの悪い石臼の様なぎこちない動作でレティシアに身体を向け、キルステンは口を開いた。


「ァ、あ、あ!れ、レティ、シアこうちゃく!す、すみましぇ、しぇん!」


言葉を発するキルステンだが、最早何を言っているかわからないぐらいに噛みまくっている。表情も先程までの楽しそうなものではなく、実にぎこちない取ってつけたような笑顔だ。良かった、いつも通りのキルステンである。

私はキルステンの頭に手を伸ばしその髪を撫でた。すればぎこちない笑顔は成りを潜めとろけたへにゃりとした表情へと変化していく。うむ我が妹ながら、可愛い。可愛いが彼女がここまで他者とのコミュニケーションに難を抱えているのはその境遇から半ば幽閉されているためである。そのキルステンの環境を変えてあげられていない事に歯がゆさと罪悪感が湧き上がり、結果として自己嫌悪的な感情が加速した。

……兎も角、キルステンはアサカに対しては普通に接することができるようだ。普段彼女に対して何もしてあげられていない分、この場位彼女の望みを叶えて上げたい。


アサカは苦笑いを浮かべたまま私へと視線を向けている。


「アサカ、嫌じゃなければ話してあげてくれないか」


そう言えばアサカは少し以外そうな顔をした後に、妙に優しげな目を私へと向けた。

そしてゆっくりと頷き口を開く。


「わかったよ。えーっと、キルステンさん、ですよね?面白い話が出来る気はしないですが、お望みであれば」


アサカはそう言ってキルステンの手を軽く握り握手をする。対してキルステンはしばらく呆けた様な表情を浮かべた後に顔を真赤にした。


「ヒュッ、は、はえ……よ、よろしくおねがいしま……」


駄目だ。さっきは普通だったのにいつも通りのキルステンだ。殆どを周囲との関係を立たれ過ごしてきたキルステンにとって男に手を握られるなど父上を除けば初の体験であることは明白。つまるところ顔の良い年上のお兄さんお姉さんに手を握られる処女童貞特有のアレである。いや私も人のことを言えないが。


へにゃへにゃになりそうなキルステンの肩を支える。さてこの時ばかりは面倒事を忘れるとしよう。アサカが閉ざされたキルステンの世界を開いてくれるかもしれない。不甲斐ない姉のエゴであるが、そう願わずはいられなかった。まあだからといってアサカはやらないが。


レティシアに目線を向ければ呆れたように微笑み、レイレナード姉妹アリシアとアリーヤの方へと歩いていく。

私たちは追加の飲み物を受け取って会場隅のソファへと足を進めた。


……そういえばオイフェミアとヴェスパー兄はどこへいったのだ……。




以下あとがき


■ミスティア王家


"白金女王"ラクランシア・ヴェノ・ミスティア(Lacanthiae Veno Mystia)

-33歳。人間。女。現ミスティア王国女王。厳格で朴念仁なGカップ。


"白淡姫"ベネディクテ・レーナ・ミスティア(Benedikte Lena Mystia)

-17歳。人間。女。ミスティア王国第一王女。次期女王。


"吸血姫"キルステン・レイブン・ミスティア(Kirsten Raven Mystia)

-15歳。人間。女。ミスティア王国第二王女。血業化術(ブラッディパス)と呼ばれる血を用いた業には天才的な才を持っているがその他の魔術系統には一切適正が無いため"欠陥姫"とも揶揄される。

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