2nd Game【究極の選択】-7

「あなたの勝ちが決まったって? なんの冗談かしら」


「あんたが勝つ唯一の方法は、初手で俺に『150』ダメージを与えることだった。それができなかった時点で終わりなんだよ」


「言っている意味が分からないわ」


「すぐに分かるさ」


 会話の片時にも淀みなく作問していた俺の指が、『Complete』の文字列をタップした。


 光の矢が机の岸から岸へ走り、アゲハの眼前にパネルが炸裂する。俺が提示した二択に、アゲハはしばし目を丸くして――キュッ、と瞳孔を収縮させた。



『Q.このゲーム終了まで、必ず選び続けなければならないとしたら、どちらを選ぶ?


A:『A』 50

B:『B』 50』



「な……」


 泡を食った顔で、アゲハがカミサマを見上げる。こんな馬鹿げた二択など、認められるはずがないと訴えんばかりの彼女を、カミサマは愉快げに見下ろすだけ。


「何も問題はないだろう、カミサマ。禁止されているのは『ゲーム続行が不可能になる命令』もしくは『明らかに実行が不可能な命令』だけだ。これはそのどちらでもない」


『ケケッ、ケケケッ、あぁ、その通りだ! 片方の選択肢を奪われた"程度"じゃ、問題なくゲームは続行できるな!』


 今だけは、カミサマの悪魔めいた公平性に感謝しよう。眉間に皺を寄せ、アゲハは親指の爪を噛みながら目線を左右させ始める。――すぐさま頭を切り替えて、この状況からすら勝機を見出そうとするか。全く、強敵だった。


 一分しっかり悩んで、アゲハは『B』を押した。俺はどちらでもいいので、適当に『A』を選んでいた。結果俺に『50』ダメージが追加され、残りライフは『190』となる。


「これで、あんたはこのゲーム終了まで、『B』しか選択できない。回答側はもちろん、出題側でも、あんたにできるのは愚直な『B』予想だけだ」


「……あぁ、もう、ホントに面白いわぁ、キミ。こんなにゾクゾクするのは人生で初めて。――まだ、勝負は分からないんじゃない? 私がこれから二回、あなたに《実行》できない選択肢を与えれば、私がどちらに予想しようと関係なく、あなたは『150』ダメージを二回受けることになる」


「そう思うなら、やってみるといい」


 汗を浮かべて憔悴しょうすいしながらも、アゲハはかつてないほど、その美しい容貌の全面に高揚と喜色をたたえていた。負けを確信しながら、決して失望していない。まるでこの時間、今この瞬間を、心から楽しんでいるみたいに。



『Q.実行するなら?


A:水中で息止め五分 0

B:二週間断食 100』



 恐らくは渾身の出題が、眼前に突きつけられた。


 水中息止めの世界記録は実に二十五分。俺の年齢、性別、健康状態やさっき露呈した精神力が計算に入れられたなら、確かに『明らかに不可能』とは言えないラインだ。


 Bもまた面白い。二週間断食は決して不可能ではないし、何より、俺がBを選べばアゲハは二週間、俺に勝つ算段をつけるための時間を得ることになる。


 出題側が明記しない限り、《実行》の制限時間は設けられていない。そのシステムの裏をついた、いいアイデアだ。


 そしてこの配点。『B』しか選べないアゲハでも、この配点ならば、俺へのダメージも見込めないかわりに失点を防ぐことができる。アゲハが狙っているのは、俺の《実行失敗》、その一点のみ。


「――"拒否する"」


 俺の即答に、アゲハはぽかんと唇を開けた。


『回答側が《実行》拒否。ペナルティーとして、吉乃遥に『150』ダメージが入ります』


 心臓の痛みと共に、ライフが急降下。一息に『40』まで落ちた俺のライフアイコンを見上げて、アゲハは呆然としている。


「分かりきったことに驚くなよ。俺はこれから、もう一度だってこのゲームをまともにやる気はないぜ」


 さぁ、俺の出題ターンだ。


 手早くパネルを操作して、決まり手を送信した。




『Q.俺にハンデを与えるなら?


A:与えない 100

 

B:今あるライフを『101』残し、すべて俺に譲渡する 0』



 アゲハはすぐに目を通し、長く、小さく息を吐いて、天を仰いだ。


「あぁ、本当だ……あなたの言うとおり、つまらないゲームね」


 憑物が落ちたように穏やかな顔で、薄笑いを浮かべ、アゲハは頬杖をついて、テーブルの向こうから俺の顔を覗き込む。


「ルールを初めて見たばかりのあの段階で、こんな勝ち方に気づいていたなら、そう言うのも無理ないわ」


 アゲハは"必ず"『B』を選ばなければならない。故に、拒否すらできない。


 アゲハの持つ『300』のライフがゴリゴリ削れて『101』となり、俺のライフはそのぶん『231』まで回復した。


 そして、《実行》完了したところで、『B』を予想していた俺は、選択していない側のポイント分――つまり、『100』ダメージをアゲハに与える。


 胸をおさえ、苦悶の表情でうずくまった彼女の頭上で、アゲハのライフは――『1』になった。


「『ゲーム続行が不可能になる命令』は禁忌。裏を返せば、ゲームが続行できる範疇であれば、俺たちは出題によって、互いのライフに干渉できる。あんたのライフを『1』残すプレイングなら、まかり通るのさ」


 極論、相手のライフを最小にするか、自分のライフを無制限に引き上げるという二択を迫るような手も考えられる。それをされた相手は"拒否"して同じことをすればいい。結局いたちごっことなり、完全な決まり手にはならないからこそ、選択肢としてまかり通る。


 だから俺は、最初にアゲハの選択権を奪った。


「同じように、今度は俺のライフを奪ってみるか? それとも自分のライフを、不可思議だの無量大数だのまで引き上げてみるか。――何を出題しようが、俺は拒否するけどな」


 俺のライフは今、『150』を超えている。


『出題側の作問を待たず、回答側が拒否を選択しました。吉乃遥に『150』ダメージを与えて、攻守交代します』


「決まりきったゲームを、長引かせる趣味はないってよ。それに関しては、俺も同感だ」


 ライフを『81』まで減らして、攻撃権が俺に映る。必ず『B』を選ばなければならないアゲハに止めを刺すのは、今や赤子の手をひねるより容易い。


 彼女は両手を上げ、静かに降参した。


「はぁ、完敗だわ」


「随分しおらしいんだな」


「もっと喚いてほしい? 死にたくない死にたくないー、って」


 アゲハは穏やかに微笑むと、席を立って俺の近くまで歩み寄ってきた。


「ねぇ、最後にキミは、どんな命令をしてくれるの?」


「さぁ。なんでもいいな」


「アタシはBを選ぶしかない。どんな非情な命令だって呑むしかない、完全にキミの奴隷」


 急接近したアゲハが、椅子に座る俺の上に跨る。滑らかな髪から、酔うような甘い香りが舞う。


「色仕掛けなら他のやつにしてくれって、言わなかったか」


 作問の制限時間は十分。ただ、タイムアップを狙って俺の気をそらし続けようとしている雰囲気でもない。


「もう死ぬんだもの、最後に惚れた人に、抱かれたいと思っちゃだめ?」


 ももから伝わるアゲハの体温が、徐々に熱を帯びていく。鼻先が触れ合うほどの距離で、俺たちは逸らすことなく見つめ合っていた。



「……やっぱり――死にたかったんですね、あなたは」



 ゲームは終わった。この女はもう殺すべき敵じゃない。ふっと自然体に戻り、一人の年上の女性として敬意を持って話しかけた俺に、アゲハの瞳が至近距離で見開く。


「あなたほど聡明な人が初手で選ぶには、最初の二択は遊びが過ぎる。手を抜いていたとは思いませんが、本気でこのゲームを勝ち上がろうという気もなかったんじゃないですか、あなたには」


 氷のような美貌が、溶けていく。


「あなたは誰よりもこのゲームを楽しんでいたように見えた。敗北を恐れる様子もなく、負けを確信しても絶望することなく、まるで――」


 まるで死ぬために、このゲームに参加したかのような。そこまでは口に出さなかったが、俺の膝の上で、妖艶な美女が随分小さくなっていくように感じた。


 彼女がどのような人生を歩いてきたのか、俺には測りようもない。だから、なんとなく、そう感じるというだけの話だが――華々しくも猛毒の棲むような世界で、強く、気高く、全力で生きていた女性ヒトなのだと、命のやり取りをして思った。


「……自分の人生に後悔なんてないよ。でも、疲れたからさ、なんか。ガッコーも行ってみたかったなぁ、とか、親の借金さえなかったら、結婚したい人だっていたのになぁ、とか」


 氷の仮面は、砕けた。恐らくは、アゲハの素顔なのだろう、トゲトゲしくもどこか愛嬌のある表情と声で、ぽつりぽつりと俺にこぼす。


 俺に彼女の境遇は分からない。だから、自分の涙に気づいて「あれ?」と困惑するアゲハのまなじりに、そっとハンカチをあてて、一言だけ労った。


「――お疲れ様でした」


 大きな目から、次々涙が滴る。俺の胸に顔を押し当て、少女のように声を上げて泣くアゲハを、少しの間だけ、俺はそのままにしておいた。





「……ありがとう、吉乃君。最後の相手が君でよかった」


 俺の腕の中で、アゲハが囁く。制限時間が迫る。俺たちがこうしていられる時間は、もう長くない。


「さっ、最後の命令をちょうだい! 言っとくけど、二週間断食みたいな、無駄に長い期間の命令で延命しようなんて偽善、いらないからねっ! さっさと終わらせて」


「はい」


「まぁ、エッチな命令なら聞いてあげないこともないけど。自慢じゃないけど、けっこうテクいよ、アタシ」


「そういうのは、命令することじゃないと思うんで」


「かったいねぇ。まさか童貞?」


 死の間際とは思えない彼女に苦笑しつつ、俺は最後の命令を送った。



『――B:本当の名前を教えてください』



 目の前に展開した文言に、アゲハはしばし固まって。「……ぷっ」と心から楽しそうに吹き出した。


「なにこれ、かっこつけすぎーッ! 童貞確定だわこれ!」


「……放っといてくださいよ」


 今さら命令することなんてなかった。だから、最後に、知りたいと思ったことを聞いただけ。アゲハという源氏名ではなく、この人の本当の名前を。


「……はるか」


「え?」


 自分の名前を呼ばれたことに驚いて、思わず聞き返してしまった。


木野崎きのさき 晴香はるか。それがアタシの名前。……なに驚いてんの?」


「いや……俺も遥だから、下の名前」


「えっ、そうなの!? やばーっ!」


 互いにありふれた名前。決して奇跡とは呼べない、ただのちょっとした偶然。それでもアゲハ――晴香は俺の心が洗われるくらい、楽しそうにはしゃいだ。


『回答側《実行》完遂。出題側の予想的中。回答側に『1』ダメージが与えられます』


 そうして、晴香のライフはゼロになる。


「――……ありがとう、遥」


 不意打ちで俺に口づけした晴香の体が、次の瞬間闇色の触手に縛られて、俺から離れる。触手に引っ張られ、空中で四肢を広げた晴香の艶やかなドレスが、闇を舞う蝶のように、華やかに翅を広げる。


「ありがとう! ありがとう! ありがとう!! こんな思いで死ねるなんて、思わなかった! ――絶対勝てよ、遥! アタシの忘れかけてた乙女心もて遊んでおいて、さっさと負けやがったらたたじゃおかないからなー! いっ、いたたた、いってーなクソ、遺言くらい言わせろ!!」


 苦悶の表情で涙をこらえ、晴香は最後まで、気高くあろうとする。


「はる、か……ごめん、ちょっと、後ろ向いてて……。千切れる瞬間のブスな顔……遥に見られたくない……」


 俺は頷いて、晴香に背を向けた。それから数秒。


 最期の瞬間まで、蝶は気高く、悲鳴一つあげずに、その翅を闇に散らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カミサマゲーム 旭 晴人 @Asahi-Aoharu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ