2019年3月と、「月の光」歌詞
夜七時を回っているのにスマホが鳴る。
本社からの連絡だ。営業所に近いスーパーでクレーム発生、取り急ぎ対応してくれとのこと。
沙和子は小さくため息をついた。
「沙和子さん、これから出るんですか……?」
新入社員のユキちゃんが、書類の山に埋もれて半泣きになっている。
豆腐や油揚げを作って地元のスーパーに卸しているだけの零細企業にはITもAIも縁遠い話だが、仕事中に音楽やラジオを聴いても許されるゆるさが気に入って、いつの間にやらもうすぐ勤続十五年だ。
「商品のパッケージに穴が開いてたんだって。ちょっと謝りに行ってくるわ」
手早く荷物をまとめながら、沙和子は言った。
「そんなの、沙和子さんのせいじゃないですよね」
「そりゃ私だって行きたくないけど、誰かが頭を下げないとね。これも仕事のうちだよ」
言いながら、沙和子は密かに噛みしめる。
うーん、大人だなあ、私。いい感じのダンナもかわいい子どももいないけど、立派な大人にはなってる。
「うう、理不尽だ……」ユキちゃんがつぶやいた。「仕事なんて滅びればいいのに」
沙和子は思わず吹き出した。
「ほんと、滅びればいいのにね」
少しだけ昔の友達を思い出す。
淳也は父親の地盤を継いで市議会議員に当選した。
ホリさんは不動産の不労所得で悠々自適の生活らしい。堀ビルは老朽化のために取り壊された。
トオルは街のカリスマ美容師だ。
……カスやんは、いまどうしているだろう。
それじゃ、と沙和子は営業所を後にした。
ひとり残されたユキちゃんが、寂しくなってラジオの音量を上げた。
《――続いてのリクエストは、東京都にお住まいのRN(ラジオネーム)「カスベーシスト」さん。いやカスって! そんな卑屈にならんでも!》
《「サトルさん、こんばんは」はいこんばんはー。「僕は昔からザフクロの大ファンで、ファンクラブの会員番号もひとケタです」なんと! ありがとうございます》
《「高校生のころ、仲間たちと一緒にザフクロのコピーでロック甲子園に出ました。本番では緊張してしまい全然指が動かず、出来は散々だったけど、いまとなっては最高の思い出です」かぁーっ、いいねえ。青春だねえ。というわけで、曲は俺たちthe Fukrocksの一九八九年のナンバー「月の光」です、どうぞ》
ユキちゃんの知らない古い曲が、流れた。(了)
***
月の光
作詞・作曲/森岡サトル 編曲/the Fukrocks
ああ それにしても
今夜は月がきれいだ
もし君に出会わなければ
気づくこともなかっただろう
ただ 過ぎていくだけの
人生に光が差したんだ
君と見るすべてが特別で
違う色にきらめいてる
僕は声を枯らして
君だけのために歌うよ
※永遠はないよ 君がいるから
僕は戻らない
この瞬間を 全部あげよう
たとえ僕ら いつか来る
終わりへと向かうだけだとしても
月は ずっと欠けないって
歌っていた大昔の
偉い人もいまはもういない
人間なんてそんなもんさ
それでもいま ちっぽけな僕ら
ふたり確かにここにいる
太陽が昇り 夜は燃え尽き
あの月が
変わらないものを 君にあげよう
運命が 僕の胸の奥を鳴らすのを
やめないうちは
※Repeat
愛してる
1999 ムーンライト・ロッカーズ 泡野瑤子 @yokoawano
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