1999年6月
あわてんぼうの恐怖の大王は、七の月前にやってきた。
ロック甲子園まで、あと一ヶ月と少し。
結局トラさんの代わりになる正式メンバーは見つからず、本番も沙和子が出ることになった。三ヶ月も付き合ってきたんだし、いまさら異論はない。それに、カスと一緒に演奏できるのも最後だ。
きっとこれから少しずつ「最後」の何かがやってくるんだろう。最後のテスト、最後の文化祭、最後の……。前日から降り続く雨のせいで、沙和子は少しセンチメンタルだった。
裏門から駅前に向かうバスは混んでいた。いつものように、沙和子は淳也と一緒に堀ビルの地下室に向かう。大きな傘と、練習へ向けられた意識とが、二人の視界を狭くしていた。
ずっと尾行されているのに気づかなかったのは、そのせいかもしれない。
「淳也」
二人が地下室に入った瞬間、背後から甲高い女性の声がした。すでに揃っていたメンバーも、ぎょっとしてその声の主を見つめている。
沙和子と淳也が一緒に振り向いたとき、そこには
淳也のお母さんだ。
「あなたが最近休みがちだと、塾から電話がありました。心配して見に来てみたら……これはどういうことなの。説明しなさい」
「あの、おばさま……」
「あなたには聞いてません」
フォローしようとするホリさんをぴしゃりと黙らせ、おばさんは淳也を見つめる。
淳也も母親から目を逸らそうとしなかった。その顔は、いつものへらへら笑いが消えて青白い。
「説明って……見ての通りだよ。俺は塾をサボって、ここでバンドの練習をしてる」
「冗談はよしてちょうだい!」
カミナリが落ちた。
「あなたはいつからそんな悪い子になったの。しかも沙和子ちゃんまでグルになって! ……さては、あなたが淳也をそそのかしたのね」
「へっ? えっ、えええ? 私っすか」
般若の睨みが沙和子へ向いた。とんだとばっちりだ。
「やめてよ、真壁は悪くない。俺が連れてきたんだ」
「何ですって!」
おばさんの絶叫が防音室を揺らす。
「こんなところに女の子を連れ込んで、チャラチャラ遊んで、いったい何を考えてるの! 何の役にも立たない音楽なんかより、ちゃんと将来のことを考えなさい!」
「……チャラチャラ、してません」
沙和子は思わず口答えしてしまった。
「そうですよ、僕たちは……」
「トオルは黙ってて。あんたのナリじゃ説得力ないから」
助け船を断って、沙和子はひとりでおばさんに向かい合う。おばさんの憤怒の炎に、焼かれる覚悟をした。
「私たちのやってることは、おばさまの言うとおり、たぶん将来の役に立ちません。でもいま、この瞬間を見ないふりして、どうやって将来のことを考えればいいんですか。大人になった後で、いまを取り戻せるんですか。絶対大人になれるって保証だってないのに……」
ノストラダムスの大予言が、沙和子の脳裏にちらつく。
どうか、みんなでステージに立つまで待ってほしい。その後は煮るなり焼くなり、好きにしてくれていいから。
「私たちには、いましかないんです。淳也君と一緒にバンドをやらせてください。お願いします!」
沙和子が深々と頭を下げたとき、淳也が歩み出た。
「母さん、黙って塾サボってごめんなさい。でも、もう少しだけ続けさせてください。俺、このバンドが好きなんだ。七月が終わるまででいい。八月からはちゃんと勉強するから。お願いします」
淳也も頭を下げた。お願いします、お願いします、お願いします。トオルもカスもホリさんも、次々に続いた。
沙和子は頭を下げたまま、おばさんの答えを待った。
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