第38話(決戦編終幕)・戦いの時
それから数日後、にわかに宮殿――のごく一部が慌ただしくなった。
これは始まったな、近頃は長いのか短いのか分からない、多かれ少なかれ不穏はあれど軍を起こすことはない日々だったが、再びこの日が来たか、と彼は直感で理解した。
何が?
合戦の時が。
まだオーリンのような主力となる士官にすら、合戦の告知は来ていない。しかしそれは、開戦に必要な諸手続をまだ完了していないからであって、それはすぐに通り過ぎ、まもなく開戦の宣告や、公的な軍事上の行動が始まるだろう。
「おお、オーリン、ここにいた……もとい、『臆病者』オーリン殿はこちらにいらしたのですね。ふふっ」
コーネリアが猫をかぶりながら彼に近づく。見やれば、後ろに見知らぬ女性貴族が二人控えている。
「コーネリア殿、いかがなされたのです」
オーリンもかしこまった物言いで応じる。
「うふふ、なんでもありませんわ。しかしどこか宮中の様子が変わりましたね」
「挙兵でもするのではないでしょうか」
あくまで確定事項ではないので、詳細を吐く真似はしない。たとえ相手が気心知れた親友コーネリアであっても。
「仮にそうだとして、しょせんオーリン殿は『臆病者』、せいぜい前線から離れたところで、安全を保ってもなお怯えているのがお似合いですわ。戦いは私たち勇敢な貴族の娘に任せておけばいいのです。おなごに守られながら、ですわね、ふふっ」
オーリンはこの言葉の真意が分からないほど暗愚ではなかった。
「お心遣い痛み入ります。しかし私は汚名をぜひとも返上したい身の上でございますれば、非才ではありますが最前線ででも戦う覚悟であります。貴殿こそ、本陣から私の戦いぶりに見とれていればよろしいのです」
人殺しを好むわけではない。殊更に武功を誇りたいのでもない。しいて言えば使命、使命感。その一言に尽きる。彼は自分を、誰から言われるでもなく、戦いと平和に対する信条は別として、最終的には、戦わなければならない人間だと思っていた。
「オーリン……」
刹那、コーネリアは悲しそうな顔をした。これほどまでに切実な表情を、彼は忘れない。
「うふふ、『臆病者』がよくも勇ましいことをおっしゃるのですね。その二つ名に甘んじてさえいれば、命までは危機が及ばないというのに……本当に……」
「おいコーネリア、我慢しろ、すまない」
本当に一瞬だが、彼女の泣きそうな気配を察知した彼は、小声でなだめる。
「……とにかく、せいぜい片隅で震えていることですわね。ではごめんあそばせ」
彼女はわずかにうるんだ瞳で去っていった。
戦争が始まった。
灯火国の参謀マグノートンの話は既に広まっている。あの男こそが敵軍の中で最大の脅威であると、第一王女とオーリンが中心となって、情報共有に努めたのだ。
ジャスリーの剣術やキャロラインの弁舌も、決して侮ってよい水準ではないが、マグノートンの恐ろしさはその程度を大きく超えている。
さすがに、かの異相の兵家には何度も辛酸をなめさせられていた王国側の人間は、割とすんなり危機感を共有した。最も深く同意した国王を中心として、どうにかしてこれを乗り切らなければならないという空気になった。
召集されたオーリンは隊列に入り、一通り予備行動を終えたあと、行軍を始めた。
やがて、国境近くで両軍が対峙。
オーリンら暁光王国は南側、マグノートンらが属する灯火国は北側に布陣した。
東西には山地があり、通常の戦をするなら、各軍勢はその狭い谷間にある森林を左右に見つつ進軍することとなるだろう。
つまり狭い一本道である。銃兵や弓、弩兵を置けば少しの足止めにはなるだろうが、実際はそういった戦いにはならないだろう。
……ということをオーリンは第一王女に説明した。
「なるほど。ではどういった戦いになるんだい?」
「順を追ってご説明します」
オーリンは説明を続ける。
相手はあの異才の兵法家マグノートンであり、そうそう生ぬるい戦いにはならない。特に戦場には灯火国のほうが先に着陣しており、あちら側が術策等を準備する時間も、残念ながら充分にあった。
つまり、相手方は十中八九、ガチガチに策を立てて待ち構えている。
こちら側としては、これを一つ一つ看破、打ち破って敵に肉薄する。
「――ような戦法は、お取りにならない方がよろしいかと」
「おお、これはさすがオーリン、意外な論をぶつねえ」
王女は凛とした鎧姿でありながら、いつものようにひょうひょうとしている。
「で、その苦境をどうするんだい。まさかここまで事が進んでから諦めるとか、根性で突破するとかは言わないよねえ、軍師様なんだし」
「半分は根性の一言を申します」
「……本当に?」
目をぱちくりさせる第一王女。
「しかし私とて参軍の端くれ、そうそう単純なだけの策は具申いたしません」
「なら、ぜひ聞かせてほしいな。私たちの勝算はいかにして立っているのかを」
「御意。まずは……」
王女は、勝つのが当然という前提をあからさまに見せつつ、オーリンの言に耳を傾けた。
オーリンは、参軍として第一王女が指揮する先鋒に現れた。
ほかにも、エレノア、コーネリア、そしてペデールなどいつもの面子が、部隊の長として第一王女の指揮下に入った。
彼ら先鋒の役割は、表向きには、一番槍を務め、敵に最初に打撃を与えるということであった。至極当然である。
彼らは短槍の重歩兵を主体とした編成であり、騎兵や飛び道具は少なく、軽歩兵もそれほど多くはない。今回はミレーベル兵装もない。
加えて、戦闘開始までの決して長くはない時間を、なにやら陣形整列の訓練に使っていた。
やがて、先鋒軍に出陣の下知があった。
第一王女はこれを率い、敵陣を目指して前進する。
オーリンも、特に反対する理由もないようで、他の将兵とともに、ひたすらに前進した。
途中、何度も執拗に伏兵と奇襲、火計に遭った。左右に広がる森林からである。
オーリンも自分の曲剣を抜き、自ら敵の群れに飛び込んで乱戦を挑んでいった。
しかし、本来は後方勤務たる参軍が、一人の戦士として最前線で戦うほど事態が切迫してる……はずであるのに、この先鋒軍は何度も奇襲に遭っても、それほど致命的な被害を出さずに済んでいた。
みるところ、少し前の陣形訓練は防御のためのものであり、これが功を奏して、部隊として素早く守りを固められているようだった。
また、兵科が装甲の硬い重歩兵中心であることも大きいようだ。ミレーベル兵装を使っていなかったことも、敵の火計で全滅しなかった点において正解であった。
幾度も組織的な特殊の攻撃を受けたにもかかわらず、先鋒隊は充分にこれを耐え切った。
やがて敵方はしびれを切らしたのか、主力を一気に放出した。
狭い林道から、暁光王国の先鋒を殲滅せんとして、濁流のごとく突撃が敢行される!
「伝令、真正面から敵が来ます!」
「来たか。オーリン、手筈はいいね?」
「はい。先鋒隊はここで後退します。転進はさじ加減の難しい行為です、各士官には充分な注意と、指揮命令への徹底的な服従を、改めて呼び掛けてください」
「ということだよ。しっかり伝えてね」
「承知!」
伝令はまた駆けていった。
先鋒が少しずつ後退を始めた。これをみた灯火国の主力は、この機に追い詰めるべく、積極的な前進を行った。
――まさか、この後退が、先鋒の純粋な消耗によるものではなく、オーリンの軍略であったなど、つゆほども思っていなかったに違いない。
深いところまで後退した先鋒と、どんどん追い詰めていく灯火軍。
その左右から、突然として伏兵が襲撃。
オーリンらをではない。灯火国に対して、おそらく彼らのうち誰も予期していなかったであろう奇襲を、暁光王国が仕掛けた。
そのまま王国の全軍は包囲に転じ、防御など全く考えていなかったと思われる灯火軍に、裁きの一撃を下す!
オーリンは包囲陣の中で、ひたすら戦う。
灯火軍の劣勢、つまり、とりもなおさず暁光王国の優勢。幾度もの奇襲等を耐え切って、勝機をようやくつかんだ。
既にマグノートンは行方が知れず、セリアとキャロラインは戦死が確認された、と間者頭メリッサが言っていた。
マグノートンはこの手で斬りたかったが、まあ仕方がない。万事望み通りとまではいかないのだろう。
などと考えながら戦っていると、見知った姿、最大の宿敵が現れた。
「オーリン、こんなところにいたのか、臆病者の陰湿野郎め!」
「ジャスリー!」
言うと、彼女は余計な言葉は要らないとばかり、猛然と斬りかかってきた。
「死ね、今すぐに死ね、あの世で犠牲者たちに永遠になぶられるがいい!」
「あの世と霊魂を信じるなど愚鈍の極み。そんなものなどないからこそ、人はたった一つの生に全力で向き合うのだろう!」
「細かい理屈など知らん、いいから早く首をよこせ!」
ジャスリーが打ちかかった刹那。
「オーリン、助けに来たぞ!」
コーネリア、エレノア、果てには第一王女までが助太刀に駆け付けた。
「もうオーリンを死にそうな目に遭わせるのは充分だ、私たちも戦えるんだから!」
「そういうことだ。そこのジャスリーを今度こそ討ち果たす!」
三人は少数精鋭の手勢とともに、ジャスリーを取り囲む。
オーリンはジャスリーから距離を取り、包囲の構えに加わる。
「……どいつもこいつも、なぜその男を擁護する、なぜ人道を外れた獣を守る!」
「貴殿に言っても分からないだろうね。オーリンは立派な、私の家来だ」
第一王女が返す。
「それにもう、とうの昔に、話し合いの時間は過ぎた。投降してほしい、ジャスリー」
「クソが! あああぁ!」
ジャスリーは逆上し、包囲の一角に向かってきた。
間髪入れず、王女は命令する。
「一斉にかかれ!」
その一言で、包囲の兵たちは猛然と向かってゆき、ジャスリーは全身にその攻撃を浴びた。
「ああぁ……オーリン、悪魔め……畜生が……」
ズタズタにされた彼女は、その場で息絶えた。
戦いを終えた暁光王国は、王都に凱旋した。
オーリンもその隊列に加わっている。
戦った直後なのだから、正直なところ、ちょっと休ませてほしい。凱旋など後でもいいのではないか。
彼はそのように思いつつ、隊列の中で歩き続ける。
――悪魔め、畜生が……。
死に際にジャスリーが遺した言葉。きっとあれは、これまでオーリンの計略により死んでいった者たちの声そのものなのだろう。
ではオーリンは「臆病」なその姿勢をやめるべきか?
きっとそうではない。
彼はもう、それをやめていい段階を過ぎている。諦めたら、きっとオーリンの存在意義は空っぽになる。
もはやその正しさを信じて、思うがままに突っ走るしかない。その先に答えはあるのだろう。そう信じないと、彼はたやすくあの世に引きずり込まれるに違いない。
俺は正しかった。そしてこれからも正しい。異論は認めない。
彼はただ、凱旋の道を歩き続けた。
★★★★
この話をもって、カクヨム版の本作は完全な完結となります。
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[臆病者]の戦記――最も平和を尊び、最も陰湿で血まみれの手段を用いた者 牛盛空蔵 @ngenzou
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