第37話・マグノートン

 宿の入口にて、依頼主の兵家がいた。

「ようオーリン、待っておったぞ」

「そうですか。もはや貴殿に用はありません。委細全て把握しておりますゆえ」

「まあ待て」

 兵家は強引に道をふさいだ。

「なんでしょう」

 兵家は口を開く。

「オーリンよ、マグノートンという名前に聞き覚えはないか」

「また人探しですか、貴殿が一人でやればいい」

「勘の悪い男だな。わしがそのマグノートンだと言っておるのだ」

「だからなんです?」

 オーリンは迷惑そうに振り払おうとするが、しかし。

「いや待て、マグノートン?」

「いかにも。……わしこそが、お主の父ペデールの親友を討ち取り、コーネリアの従姉を罠にはめて葬り、以前、殿軍であったお主自身と交戦して『臆病者』周りの云々に関わった軍学者、マグノートンであるぞ。クク、まったく巡り会わせというものは数奇なものよな」

 目の前の兵家は、オーリンにとっての宿敵だった。


 かつて、灯火国には「最強の兵家」マグノートンが仕えていた。

 彼は戦術の神髄を自在に操り、数々の戦いで己の国を勝利に導いた。

 しかし優れた才能には問題もつきもの。彼は用兵術と武芸を除いては、内政、外交、果てには普段の素行やねじ曲がった性格も含め、お世辞にも上等とはいいがたい人間だった。

 そこである日、彼をよく思わない人間と、国の将来を真剣に憂える忠臣たちが手を組んで、彼を免職に追い込んだ。命まではとることができなかったものの、その後、彼は隠棲の庵で不遇の日々を過ごしていた。

 そこへ来たのがジャスリー。彼女はオーリンへの憎悪をむき出しにしつつ、マグノートンに活躍の場を与えることを確約し、最強の兵家はいま再び戦場へ立とうとしている。


 つまりマグノートンは、最初からジャスリーへの仕官を決心しており、オーリンには散々嫌がらせをして悦に入っていたようだ。

「まあ、祖国を裏切るわけにはいかぬからな」

「貴様らしからぬ殊勝な言葉だな。よくも心にもない台詞が浮かぶものだ」

「本心だ。わしは手前勝手ではあるが、逆臣でも尻軽でもないゆえな」

 マグノートンはにやつきながら話す。

「で、どうする、ここでわしを斬るか?」

 兵家が剣を抜く。同時にメリッサも短剣を取り出す。

 マグノートンの隙の無い構え。実戦経験を感じさせる鋭い眼光。吹き付ける雪をものともしない振る舞い。

 オーリンと互角に近い腕前か。

「いや、ここでは斬らない。戦場で、武略をもって屈辱を与えた上で生け捕り、衆目の中で斬首刑に処してやる。せいぜい首を洗って待っていろ」

 マグノートンは「そうか。せいぜい試みるがいい。恥をさらすのは貴様だ」と言って、意外にもあっさり剣を納めた。

 そして彼は言う。

「道中の無事を祈る。貴様には戦場で、わしの兵法によって死んでもらわないと、腹が収まらぬゆえな」

「減らず口を。せいぜい吠えておけ」

 マグノートンは「口喧嘩は何も生まん。戦いこそが全てを生む」と言い捨て、近くに用意していたのであろう馬車に乗った。


 王都に帰り、代表してオーリンがこのことを王女に報告した。例のごとく王女の私室で、である。

 彼は、結局自分からマグノートンとの交渉を打ち切った身であるので、懲戒を受けないかと内心怖かったが……。

「そうか。相手方はそんな奴だったのか。オーリンは本当に災難だったね。大きな苦労をかけてしまった」

 逆にねぎらわれた。

「いえ、ご命令を果たせなかった身にはもったいなきお言葉。このオーリン、まことに頭を下げるよりほかにありません」

「まあまあ。これでも飲みなよ。少しは気分も晴れるだろう」

 言って、王女は果実水の杯を渡した。

 渡された彼は素直に受け取り、飲もうとした瞬間、あることに気が付いた。

「あの、第一王女殿下、こちらの杯は」

「その通り。よく分かったね。私の飲みかけだよ。杯越しに接吻をしようとしたのだけども、どうもそれは叶わなかったようだね」

「殿下……」

「私のような可憐なお姫様と、熱い接吻だよ、どうだい、少しは口をつけてみては」

「殿下のお心遣い、まことに痛み入りますが、このまま頂くにはもったいなきものです。今後の真面目な話をしたほうが私はうれしく思いますゆえ」

 どうして目の前のお姫様は、頭の切れる聡明な女性であるのに、少しばかり性癖がおかしいのだろうか?

 なぜ天は、人の長所と欠点の均衡をやたらととりたがるのだろうか?

 彼は心底疑問に思った。

「真面目な話か。とはいえ、近々、大きな戦になるだろうとしか思えないね。マグノートン自身も合戦をほのめかしたことを言っていたのだろう?」

「全くもっておおせの通りです」

「そしてそれは、オーリン、きみにとってははなはだ不本意な流れなのだろう。……上官として、そしてきみの理想への志を知る者として、本当に申し訳なく思うよ。私は力不足だ」

 珍しく彼女は肩を落として、力なく述べた。

「殿下、殿下が気にされることはありません。きっとこれは命運というものなのでしょう。我々はもはや、この大きな流れに従って、戦いに向かうしかありません」

「……そうかな、そうだね。こうなった以上は仕方がない、戦うしかないんだ……」

「殿下が気落ちされていては、勝てるものも勝てません。前向きに行きましょう。私も微力ながら、合戦には全身全霊をもって望みますゆえ」

「そうだね。ところでこの果実水、余っているのだけども」

「おそれ多いので殿下が召し上がるのがよろしいでしょう。必ず、絶対に」

「いけずぅ。……まあいいや、合戦の準備はひとまず時機を待ってほしい。王女案件ではなく国王陛下の裁断案件だからね。とりあえず自宅でゆっくりしなよ」

「承知いたしました。これにて失礼いたします」

 彼は退室した。

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