第36話・探し物

 宿命の涙が欲しい。

「宿命の涙?」

「いかにも。伝承に語られる宝玉だ」

 宝玉。

 目の前の兵家は、財宝の類が好きな人物には見えないが……。

 などとオーリンは思ったが、気にせず話を進めることにした。人間誰しも意外な面はある。

「神話の時代、武神スレイズが悪の怪物アハトを倒した際、頭部から出てきたという代物だ。この世のものとは思えないほど妖しく美しい光を放つということだな、わしはまだ見たことがないが」

その話を聞いて、オーリンは首をひねった。

「神話の時代の宝物ですか……それは本当に存在するのでしょうか、失礼ながら、神話など、三流の吟遊詩人よりも信用のおけないものでしょう」

「懸念はもっともだ。しかしそう伝わるものは実在する。黎明地方の大競売場で見たことがある」

「あの大競売場でですか。それなら確かに……しかし……」

 黎明地方の大競売場は、競り売りの前に一流の鑑定士たちが厳しく審査することで有名である。

 つまり、そこで競り売りにかけられたということは、九割九分真正品であると考えてよい。

 兵家は続ける。

「もっとも、そのときは別の狙い目があったもんで、誰が競り落としたかなどは分からん。しかし、まず実在は信用してよいだろうな」

「なるほど。そうだとすれば、貴殿がお望みなら、確かに引き受けるしかないでしょう」

「やってくれるか」

 いうと、オーリンはうなずいた。

「そのお願い、お引き受けいたします」


 兵家を探し当てたはいいものの、再び手がかり皆無からの地道な調査が始まる。

 メリッサの家来が御者となっている馬車で、旅の二人は内密の打ち合わせをする。

「今度は宿命の涙……財宝探しか。まず黎明地方で聞き込みだな。何も成果が出なかったら、そのときはそのときで考えるしかない」

「失礼ながら主様」

「なんだ?」

「その、あの兵家が適当な話を吹いているようにも思えますが。まあ、ホラ吹きの証拠を押さえているわけではありませんが、しかし」

 オーリンはうなずいた。

「怪しい点があるのは分かる。全く飾り気のない庵を構えていたあの御仁が、単なる財宝を欲しがるのもおかしいし、ひとかどの兵家が、貴重とはいえ、ただの財物に釣られるのも不自然と言えば不自然だ」

「やはり、それなら」

「だが、あの御仁を黒とする証拠が何もない。全ては、まず調べないことにはどうしようもない。人間、誰しも意外な点はあるしな」

「それは、おおせの通りではありますが」

「疑うことがあるとすれば、それは充分に調べが進んでからだ。何も分からないところに、大した根拠もなく偽りを思い描くのは、さすがに智者の振る舞いではないだろう」

 馬車がガタリと揺れた。

「世間では、薄弱な証拠からズバリと真相を突き止めるのが賢者と思われがちだが、俺はそうは思わない。偶然当たった妄想と、証拠に基づく合理的な推測を、当たったからといって同視してはならない。もっとも、合理的な推測にも柔軟さは必要だが」

「もっともです、主様」

 メリッサが、言葉とは裏腹にどこか不安げな表情を見せる。

「納得していないようだが、ここは俺の顔に免じて、どうか一緒に調査をしてほしい。俺にはメリッサの力が必要だ」

「主様にそこまで言われましては、お断りすることもできません。筆頭の忠臣として、地の果てまでもお供いたします」

「すまないな」

 オーリンは、疑念がはっきりするまでは、粛々と内偵を進めよう、と道筋を思い描いた。


 やがて現地、黎明地方に到着した彼らは、各自で潜入した配下の間者たちと連絡を取り合いつつ、調査を進めた。

 しかし。

「全く報せがないな」

 まるで捗っていなかった。困ったことに、成果を何一つ挙げられていない。

 とにかく痕跡がないのだ。大競売場を中心に、くまなく聞き込みをするも、宿命の涙について、落札者の如何どころか、出品されたことを覚えている者が一人もいない。

「本当に競り売りされたのだろうか」

「やはりあの兵家、嘘八百を並べ立てていたのでは」

 しかしオーリンは、わずかにいら立ちの色を見せたメリッサを、あくまで冷静に制止する。

「いや待て。この競売場は日々色々なものを取引しているし、そもそも持ち込まれただけで競売には掛けられていないかもしれない。当時、現物を見た鑑定士も残っていないようだしな」

「しかし、どう見ても怪しいですよ、あの兵家は」

「まあまあ。とにかく聞き込みを中心に、もっと調べてみるぞ」

 あくまで前向きに彼は言った。


 しばらく滞留して調べていると。

「主様、当時の状況を知っている者を連れてまいりました」

 メリッサが一人の壮年男性を引き連れてきた。

「おお、そうか」

「どうもどうも、メンフィスといいます」

 メンフィスと名乗る男は、野太い声であいさつした。


 突然現れた情報源いわく。

 宿命の涙は、一人の老年紳士によって落札された。その名をテーベという。

 テーベはここからずっと北東の、風雪地方に住んでいる名士である。軍事力は持たないが、古くから高い身分の名家の主であり、地元の有力者たちにも太い人脈を有しているらしい。

 金貸し業もしている関係で、その資金も豊富であり、宿命の涙を落札してもなお別のものを競り落として買い受けるほどの余裕があった。

 ただ、本命はどう見ても宿命の涙だったらしい。他の貴重品はオマケのようなもので、一応丁寧には扱っていたが、その宝玉は特に厳重に守りつつ保持していた。

「今度は風雪地方の名士か。テーベ……宿命の涙は、おそらく彼にとってお気に入りの宝物だな、きっと一筋縄ではいかない。大金で買うか、新たなおつかいを引き受けるか、というところか」

「あちらへ行ったりこちらへ行ったりですね」

「そうだな。そして俺の勘が正しければ……」

「正しければ?」

「いや、いい。ただお前と同じことを考え始めたところだ」

「するとやはり」

「ああ。とはいえ、この時点でおつかいを投げ出すのは得策ではない。事情を推測できても、表向きは未だそうではないことになっている。まだ忍従の時だ」

「かしこまりましてございます。使い走りはつらいですね」

「全くだ。あの兵家は本当に」

 ブツブツ言いつつ、彼は目的地にしんしんと降る雪を思い浮かべた。


 到着後、ただちに彼らはテーベの捜索を始めた。

 しかし、やはりそのような名前の人物は見つからない。テーベは、話によれば名士であるにもかかわらず、どこにもそのような名前の人はいないという。

「ふぅ、寒いな」

「然り。外は冷えまする」

 オーリンとメリッサは、雪に吹かれながら、王都ではめったに見られない白い息を吐いた。

「これはもう、疑い濃厚だな」

「然り。あの男にはもはや、宿命の涙は見当たらなかったと報告してもよいと思われます。私たちへの嫌がらせでしょう」

「とすれば、最初から望みなどなかったということだな」

 言うと、彼はくしゃみをした。

「メンフィスは手の者に違いありません」

「そうだな。……帰るか」

 彼は宿へ、荷物を運ぶために戻った。

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