故にその写真部は写真を撮らない

和泉

第1話

 真冬の放課後。写真部の部室、第一分割教室に俺たちはいた。


「なぁ、お前写真部だよな?」


 俺は顔を机にべたっとつけたまま横で本を読む中田に問いかける。


「そうだけど、何?」


 中田はチラリとこちらに視線をやって答えた。


「いやお前が写真撮ってるところ見たことないなと思って」

「そりゃ写真部だし」

「いや答えになってないんだが……」


 写真部だから写真を撮らない。わけわからん。


「カメラはあるのにな」


 俺はそう言って机に置かれたゴツゴツした黒いカメラに視線をやった。


「まあ写真部だし」

「そりゃそうなんだけど……」


 中田はまともに会話する気はないらしい。まあこいつはそういう奴だ。普段からあんまり表情を変えることもないしいつも飄々としている。


「あんたこそ写真部のくせにカメラすら持ってないじゃん」

「そりゃ幽霊部員だし」


 俺が写真部に入った理由はこいつに誘われたからで、写真を撮りたいからじゃない。


「でも部室には来るよね」


 中田は本から目を離さずに俺に話しかけてくる。


「まあなんだかんだ言って居心地良いしな」

「暖房効いてるから?」

「それもある」


 ぽわぽわした頭で答えていると中田は「ふーん」と言って会話を打ち切ってしまった。ホントマイペースだなこいつは。思えば初めて会った時もそうだっけ……。






***


 入学式の次の日。桜の舞う道中を抜け、どこか慣れない初々しい雰囲気の教室に俺は登校した。席を確認して座ろうとして隣のやつに目が行く。


 こいつ初日から爆睡してやがる。メンタルすげぇな。


 そいつは女子みたいだが、机に突っ伏して気持ちよさそうに寝ていた。友達作りにおいて初日ってめちゃめちゃ大事だろ。それを完全放棄するなんて……。


「なあ、お前今日何するか知ってっか?」


 そんなことを考えていると後ろから声をかけられた。ニコニコした明るそうな男だった。

 ラッキー、自分から話しかけてくれる奴がいるとは。貴重な人材だし、ここはなんとしても友達になりたいところだ。


「いやわかんねぇ。でも多分授業とかはないんじゃねぇか?」


 俺も相手のテンションに出来るだけ合わせて笑顔で対応する。


「やっぱそうだよな。いやぁ、にしても授業とかめんどいなあ。俺めっちゃ馬鹿だからさぁ」

「わかるー。まじでめんどいよなあ」


 そんな会話をして俺はそいつと友達になることに成功した。そんな朝から初日は始まった。

 


 その日の放課後。

 まあ初日はこんなもんかな。

 俺は教科書類を整えながらそう思った。結局あのフレンドリーな奴を通じて計四人と顔馴染みになった。高校に入ったら友達が出来るか不安だったけど心配なさそうだ。そして俺は帰る用意が終わったのでリュックを肩に掛け帰ろうとするうが一つやり残したことを思い出す。


 隣の奴、まだ寝てるんだけど……。まさか先生が強制的に起こした時以外ずっと寝てるとは……。一応学校終わったし起こしたほうが良いのか?


 そう思って俺は恐る恐る肩を揺すぶってみる。


「おーい、学校終わったけどー?」


 だが全然起きようとしないのでもう少し力を込めて揺らしてみる。すると「……んっ」という声が聞こえ、ゆっくりと彼女の目が開いた。


「……ん? ……ああ、あんたは? 誰?」

「大丈夫? 俺は中野秀介。学校終わってるから起こしたけど、嫌だったらごめん」

「いや助かった。ありがとう」


 それだけ言うと彼女は体を起こし「ん〜〜」と腕を頭上にぐっと引き伸ばした。そしてしばらく伸びをしていたが、ふとこちらを見ると突然こんな事を言いだした。


「あんたさ、嘘つくの辞めたら?」


「え……は、嘘? 嘘って何のこと?」


 完全に意表を突かれた俺は訳がわからず言葉に詰まりながら聞き返す。


「いやそれ。そのキャラのこと」

「キャラ? キャラなんてひどいなぁ。俺は俺だよ?」


 俺は手を広げるような仕草をしてとぼけてみせる。


「いやあんたの中学時代知ってるから。そんなんじゃなかったでしょ」


 彼女は呆れ顔で俺を見た。その目はどこか憐むような目をしていた。


「おいおい冗談はよせよ。俺は、えーと、中田さんみたいな顔の人は知らないよ?」

 

 確か中田姫乃だったっけとクラス名簿を思い出しつつ俺は名前を言う。


「じゃあこうすれば思い出すんじゃない?」


 だがそんな俺に彼女はそう言い、眼鏡を取り出して、髪を簡単に三編み風に編んでみせた。それは見覚えある顔で……。


「お前……坂野か?」

「今は中田だけど。親が離婚して再婚してね。まああんたと同じクラスになったのは中二の時だけだから知らないだろうけど」


 彼女改め中田は肩をすくめながらまるで他人事のように語る。 


「そいつは初耳だ。だがまぁ何にしろ認めるよ。俺はキャラを作ってる。んでそんな事を俺に言って何がしたいんだ?」


 俺はキャラを作ることもやめてこいつと話す。


「あんた、私と写真部作らない? この学校部活作るのに最低2人は必要らしくて。別に活動する必要もないし、部費も取る気もないしどう?」

 

 すると中田は唐突にそんな事を言ってきた。俺からしたら拍子抜けだった。


「写真部? ……いややめとく。俺は運動部に入るつもりなんだよ」


 そう言うと中田はつまらなさそうな顔をする。


「ふーん。まぁそれは止めないけど。慣れないことしないほうが良いと思うよ」

「はあ、お前も中学の時から随分変わったようだが、それは慣れないことじゃねーのか?」

「私はこれが本当。中学時代は嘘だったし」

「はあ、そうかい。まあどうでもいいけどよ。俺が写真部に入るメリットはないだろ」

「あるよ。自分の居場所が手に入る」

「居場所?」

「あんたはさ、世界に一つぐらい素のままでいられる空間欲しくない? 写真部に入れば無料でそれが手に入る。それがメリット」


 そう言って中田は静かに笑った。その顔は意外と可愛くて。

 中田の笑うとこなんて初めて見た……。

 俺が何も言えないでいると中田はパッとリュックを肩にかける。


「まあいいや。また明日作りたくなったら声かけてよ。じゃ」


 そう言うと中田は出ていってしまった。


 残された俺は思う。

 なんだあいつ。中学から雰囲気変わりすぎだろ……。てかマイペースすぎる……。




***


 暖房の効いた部屋で俺たちはいたずらに時間を潰していた。


「結局一枚も撮らないんだな。もう卒業だけどいいのか?」

「いいんだよ。私が撮りたいのは本物の表情だけだし」

「ふーん、本物の表情……なんだそれ」

「自分に偽らない素の表情みたいな? それよりあんたは告白しなくていいの? 好きなんでしょ田口」


 中田は今日も本を読みながら話している。とは言え的確に痛いところを突いてくる。


「まあな。でも俺が告白して成功すると思うか?」


 俺が好きな田口彩芽は美少女だし優しいし人気は高い。実際俺も田口に群がるモブに過ぎないと考えるとしんどい。でもまぁ好きだし、その事を中田は知ってる。なんでも素で話せちゃうのは問題かもしれない。それはそうと、


「さあ、興味ない」


 中田は本から目を離すことなくそう答える。


「聞いといてなんだよ」


 俺は冷静にツッコむ。

 あー、まあでもちょうど田口の話になったし、こいつにも言っとくか。そう思い、俺は続けて口を開いた。


「あー、そういや、あのな、田口の話なんだけど、俺卒業式で告白するわ。ほら、あれ、卒業補正的なのを狙ってさ」


 そう言うと中田は少し驚いたようにこちらを見るとまた本に視線を戻す。


「へえ、まあいいんじゃない? 応援はしないけど」

「なんでだよ」


 そうツッコむと中田はふっと笑い、また読書に戻った。そうして会話が終わり、俺はなんとなく話題になった田口の事を思い出していた。



***


 はあ今日も田口は可愛いな。

 今は世界史の時間。本当は受験生として一言一句漏らさずノートに書き写すべきなのだろうけど俺はどうにも集中できないでいた。いや理由は明白で、前方に座る田口に意識を奪われているからだ。

 田口と俺は二年間クラスが同じになったことがあり、席も隣になったことがある。それに行事だって数回だが一緒に作業したりもした。その時も変な空気になったり、明確に避けられたりはしなかったから別に嫌われてはいないと思う。一応「田口」と「中野」と、名字を呼び捨てにする仲にはなった。果たしてそれがどのくらいの親密度で可能な事なのか知らないけど。

 そんなことを思っていると俺の視線に気づいたのか田口がこっちを見た。


 あッ、やべッ、目が合った。

 

 俺は慌てて知らないふりをしてふいっと下を見る。

 ば、バレたかな?

 俺は田口の方を見る事ができなくて照れ隠しの一環のように中田の方に目をやった。だが中田は目が合うと「知らないよ?」とでも言いたげに目を瞑って肩をすくめてみせた。


 なんだよ、俺が田口との恋にモヤモヤしている時に……。


 俺はもう一度ノートに視線を移し、ノートが真っ白な事に気づき慌てて今度は黒板に視線をやった。だが俺の目は欲望に忠実で、そうやって急いでノートを書いている間にも自然と田口の方を見てしまう。するとまた目が合ってしまった。また慌てて視線を外すけどそれは向こうも同じだったようで、その後チラリと盗み見たらくすくすと隠すように笑っているのが見えた。その表情が可愛くて、俺はなんだか恥ずかしいような嬉しいような心地に包まれた。


 後で中田にニヤニヤして気持ち悪かったと言われたが、それは仕方ない。不可抗力ってやつだ。




***


 今日は卒業式だ。

 

 新入生の頃はこの日がずっと遠くにあるような気がしてたのにな。実際はあっという間に来てしまって、校門に立てかけられた「祝卒業」の看板を見るとどうしても実感してしまう。

 もう二度と高校生にはなれないんだと。

 そして自分の制服を見て、もうこの制服に袖を通すことはないんだと思う。それどころか、この皆がいる空間はおそらく二度と経験することができないだろう。皆が同じ制服を着て、同じ場所に集まって授業を受けて、弁当を食べて、友達と遊んだり、いがみ合ったり、笑い合ったりして。そんな日常が校舎を見れば容易に思い出される。ここは極めて特殊な空間。たった3年間の人生の特異点。

 なんだかんだ良い高校生活だった。俺はひらひらと舞う桜を見てそう思った。あとは……。




 俺は卒業証書の入った筒を脇に抱え歩き出した。


『卒業式が終わったらちょっと時間ある?』


 俺が昨日田口に伝えた言葉だ。俺は田口との合流場所である旧校舎に来ていた。しばらく待っていると約束の時間より早く田口も来てくれた。


「話って何かな?」


 田口の方から話しかけてくれる。田口も緊張しているのか少し早口だ。


 ああ、やっぱかわいいな。


 俺は田口を目の当たりにして、対面で告白するということの難易度を知った。でも俺は伝えなくちゃいけない。そうじゃないと絶対後悔するから。


「あ、あの……田口……」

「うん」


 自分の体温が上がっていくのがわかる。きっと頬も真っ赤だ。けど、それでもこれが俺の正直な気持ちなのだ。


「好きです。俺と付き合ってください」


 腰を折って伸ばした手。顔はあげられない。手が小刻みに震える。待つこと数秒。

 そして――。


「こちらこそよろしくお願いします」


 そう聞こえ、伸ばした手に触れる感触があった。俺は顔を上げると


「私も好きです」


 そう言って真っ白な歯を見せる、顔の真っ赤な田口がいた。


「は、はは、ははは、やったあああ!!」


 俺は思わず大きくガッツポーズをしてしまった。


「ありがとう田口!! めっちゃ嬉しい!!」

「こちらこそだよ!! 私もめっちゃ嬉しい!!」

 

 興奮して二人で向かい合ってつばを飛ばし合う。そんな光景に慣れなくて二人で笑ってしまった。そして幸せにより緩んだ頬を隠すように俺は話題を振る。


「それはそうとそれならもっと早く告白してれば良かったな。田口は人気あるからOKされるとは思わなかった」

「そんな、私だって中野が中田さんといつも一緒にいるからてっきり中田さんのことが好きなんだと思ってたんだからね」

「ははは、お互い変に気にしてたんだね」

「そうだね。でもこれからは何も気にしなくてすむね」

「だな」


 そんな話をしながら校舎の方に戻る。まだ皆教室にいるに違いない。だが田口は他にも呼び出されている人がいるらしく一旦別れることになった。まあモテる奴はそうなるよな。


 少し残念だが、俺は興奮した気持ちを一旦収め、収められないことがわかり、そんな自分に苦笑した。そして教室に戻るついでに部室に寄った。多分あいつは先生になんだかんだ言ってここ開けてんだろ。そう思いながらドアに手をかけると案の定鍵はかかっていなかった。


「告白成功おめっとさん」


 開けると開口一番そう言われた。


「見てたのかよ」

「まあね。気になってたし」


 中田はそう言ってくるりと反転すると机においてあったカメラを俺の方に差し出した。


「これは……?」

「お祝い。中に写真データ入ってるから現像でもなんでもして。あ、カメラは返さなくていいから」


 俺が聞くと中田はあっけらかんと言った。


「え、ちょ、は? お前どういうことだ?」

「だから言ったとおり。ま、私に付き合って写真部に入ってくれたお礼みたいなもん」


 そんなことを恥ずかしげもなく言ってみせる中田に俺は少し心が浮くような気持ちがする。……マイペースにも程があるぞ。


「写真見ていいか?」

「いいよ」


 許可を取り、俺はカメラを操作して保存された写真を見る。撮られていたのは一枚の写真。それは……。


「なんだよ、これ……。めちゃくちゃ最高の写真じゃねぇか」


 告白が成功してガッツポーズする俺と、横で満面の笑みを見せる田口とのツーショットが収められていた。桜の舞う背景がぼかされていて俺たちに焦点の当たった綺麗な写真だった。


「まあ写真部だし」


 そう言うと中田は自慢する様子もなくそう言った。


「こんなに上手いなら普段から撮りゃいいのに勿体ないな」

「違うよ。私が撮りたいのは素直な気持ちが表情に出てる時だけだから。んでさっきはそうだったから撮った。それだけ」

「へー、なんかプロっぽいな」


 俺にはよく分からなかったが中田には何かの基準があって写真を撮っているらしい。


「だって着飾ったような作り顔撮っても意味ないでしょ?」


 さっきので話は終わるかと思ったが中田は意外にも話を続けた。


「まあ、それは分からなくもないけど」


「だって正直な気持ちでいることが一番いいでしょ」


 と言うと中田はふっと自虐的な笑みをこぼす。そして言葉を続ける。


「……って思ってたけど、気づいたんだよね。必ずしも素でいるっていうことが居心地がいいことには繋がらないんだって」


「よく意味がわからないんだけど何が言いたいんだ?」


「相手の顔色を見たり、相手のキャラ、性格に合わせて表情を変えたり言いたいことを引っ込めたり、自分を盛ったり曲げたり隠したり、そういうのも意味はあるんだなって思ってさ」


 中田は窓の方に目線をよこし俺に背を向ける。


「へぇ、お前もようやく人付き合いってのがわかってきたってことだな」

「うん、あんたと過ごしてようやく分かったよ」

「俺と過ごして?」

「あんた全然気づいてなかったもんね」


「は? 何だよ」


 俺がそう言うと中田はくるりと反転し、


「――好きだったよ。中野」


 少し口角を上げた、したり顔でそう言った。

 

「え……」


 俺は言葉に詰まった。全然そんな素振りなかったのに……。


「じゃあまたどこかで会ったら」


 そう言って中田はひらひらと手を振りながら立ち尽くす俺を残し部室を出ていってしまった。




***


 それから校舎内を探したが中田は見つからなかった。後でラインを送ってみたがブロックされているのか、既読すらつかなかった。こうなると中田と俺の大学は違うし、もう会うことはできないかもしれない。


 それからというもの、俺はふと中田を思い出す時はあの写真を見る。


 今思えば、田口とのツーショットを撮ってくれたのは、中田のの表れなのかもしれない。


 ああ、もうすぐ桜は舞い散るだろう。俺はカメラを持って外に出た。

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