猫好き猫狂いが保護犬カフェに行くとどうなるか?

君は犬を知っているか? ほら、大きかったり小さかったり、散歩してわふわふしてたりする動物。人類の伴侶動物の代表格。えっ、逆にお前は犬の何を知っているのかって?何もわからん。皆目わからん。今日はそういうお話です。


保護犬カフェなるものに行かんとす。

というのも、我々夫婦はそれぞれの実家でかつて猫と暮らした経験があるけれど、犬とは縁が薄い人生を送ってきた。しかし、散歩している犬やドッグランで遊ぶ犬を見ているとなんともかわいい。そこで、もっともっと触れ合いたいと思ったのである。


カルチャーショックは、扉を開けたときからはじまった。

わんきゃんわんわん!

脱走防止柵の向こうに犬が集まってほえたてていたものの、スタッフさんが制すると瞬時に静かになったのだ。


「えっ、人間のいうことを、きいている……!?」


もちろんそういったしつけや信頼関係があってのこと。しかし、これは猫にはないことである。


猫は、ごはんがほしいときはごはんがもらえるまで、扉を開けてほしいときは開けてもらえるまで鳴く。もしくはあきらめて自発的に鳴きやむまで鳴く。要求鳴きに答えないなどの長期的な対策はあるのかもしれないが、仮に10匹ぐらいの猫がにゃあにゃあ言っていたとして、それが人間のひと言でぴたっとやむことはまずないと思う。


猫はおそらく人間の気持ちも言うことも理解しているが、それを汲み取って行動するとは限らない。そういう生き物だ。実のところはわからないが、少なくともわたしや夫の猫観はそうだ。


保護犬たちはみな小型犬で、チワワやトイプードル、シーズー、ポメラニアン、ミニチュアダックスフンドなどがいた。一頭だけいるラブラドールはスタッフさんの飼い犬とのことだった。


ちいさな犬たちは気ままに走り回る。スタッフさんがバックヤードに行くとオヤツかごはんだと思うらしく、ついていって侵入防止柵の周りに集まり、違うとわかると解散し、ふたたび客の足元をちょこちょこと駆ける。たまに立ち止まってこっちを見る子がいるのでなでてみるが、ぷいっとどこかへ行ってしまう。“犬勘”がまったくないので、彼らが何を考えて走り回っているのか、なぜ立ち止まったのかよくわからない。


いや、猫だって何を考えているのかなんてわからないのだけど、「移動している」「眠たい」「遊びたい」ぐらいのことは理解できる……ような気がする。犬についてはそれすらもわからない。こちらのシーズーとあちらのトイプードルでは走る動機が違うのか、だいたい同じなのかもわからない。


それと、犬の移動が平面に限られることも新鮮だった。猫だと飛んだり跳ねたり登ったりと3Dに異動するが、犬はずっと足元にいる。したがって、猫の場合、「高いところに行った=人にかまわれたくない」など動きで推測できるものがあるが、犬はそういうわけにはいかない。きっと犬にもそういったサインはあるのだろう。だが、我々はそれを知らない、読み取れない。わんこリテラシーが欠如している。


ちいさな犬たちに共通しているのは、基本的にそんなに人間に興味がないことだった。好きとか嫌いとかではなく、あまり目に入れていない感じ。犬に対する解像度が低い人間は、「犬はなんだかんだ不特定多数の人間を好きでいてくれるのではないか?」と期待してしまうけれど、そんなことはない。我々は飼い主でも近所の人でもないので、当然なのかもしれない。


犬と仲良くなろうと思ったら、「仲良くなりたい」と心を開いたほうがいいのかもしれない。「へへへ、お犬さん、ご機嫌いかがですか?」と人間がやるのは薄気味悪く、犬のほうは「どうせ来るならバーンと来んかい! ややこしい!」と思っているのかもしれない(思っていないのかもしれない)。


が、そうだとしても、どうやって? 我々は人間相手にもコミュ障なのだから、初対面の犬に対しても自己開示ができないのである。ちなみにとある保護猫カフェには5年以上通っているが、猫にもスタッフさんにも同じような感じだ。


犬との交流のきっかけをつかみきれない我々に対しても、ラブラドールは近くにやって来て、頭や体をなでさせてくれた。なでてみると驚くほどしっかりとした体つきをしている。力強くしっぽをふり、こちらの脛に当ててくるのもうれしい。


そんなラブラドールがなんとも悲し気な顔をして、隅っこに行ってしまったことがあった。どうやら飼い主であるスタッフさんが扉付きバックヤードの向こうに行ってしまったらしい。離れていても目に入る範囲に飼い主さんがいれば平気だけれど、扉の向こうに行くのはさみしいのだ。それでも扉をひっかくでも鳴くでもなく、ただただ悲しそうな顔をして待っている。


なんたるいじらしさ! そんな気持ちが高まるあまり、夫は「さみしいの? 待ってるの、えらいねえ」と犬にひたすら話しかける危ない中年と化してしまった。


その保護犬カフェは基本的に抱っこOK。常連らしき小学生ぐらいの女の子がトイプードルを膝に抱いているのを見て、わたしもいっちょ抱っこしてみるかと思った。


ラブラドール以外にもう一頭、テコテコ寄ってきてくれるポメラニアンがいたからだ。「わあ、なんとかちゃんっていうの」と声をかけてなでようとすると、「いや~まあ~そういうわけでも~」と去っていく。猫好きはこういう対応に弱い。近づいてまた去ってを繰り返すうち、なんとなくその子と目が合うことが増え、頭やあごをかいてあげると気持ちよさそうな顔をしてくれるようになった。その子を抱っこしようと、「なんとかちゃ~ん」と猫なで声で話しかけながら、前脚のつけね、脇のあたりに手をかけて気づく。


――どうやって抱っこすればいいのだ!?


猫とちがって、ぐんにゃりしていないのだ、犬は。四つの脚でしっかりと床を踏みしめて立っており、可動域がそんなに広くないであろうことが察せられた。猫は体がめちゃくちゃに柔らかいので、抱き方が悪かったり嫌だったりした場合、流体のように腕から抜け出ていってしまう。逆に言えば、よほど強引にことを運ぼうとしない限り、「ケガをさせてしまう」と思うことはほぼない。


まあそもそも猫はたいてい抱っこが嫌いだし、そういう性質を知っているので保護猫カフェも抱っこ禁止のところを選んで遊びに行くので、そんな機会もまずないのであるが……。


ともあれ、犬は「抱き方が悪かったら、ぬるりと逃げる」といった融通をきかせてくれそうもない。人間側の技量が問われる。しかも、ポメラニアンは別に抱っこされることを喜んでもいないが、逃げようともしない。どんなに下手でも抱っこができてしまいそうな恐ろしさがある。


常連の真似をしようとしたわたしが浅はかだった。


店を去るとき、思い切って店員さんに「この子を抱っこしてみたいのですが、抱っこの仕方を教えてください」とお願いしてみた。スタッフさんは懇切丁寧に、前脚の付け根を持つと靭帯に負担がかかわることがあるので、肋骨のあたりに手をかけること、そのまま後ろ脚も支えつつ、四本の脚がしっかりと下に向くような姿勢で抱えるとよいと説明し、一度やって見せてくれた。言われたとおりにし、えいやっと抱っこしてみる。なんだ……これは……猫とぜんぜん違うぞ……。


そのとき、猫を抱っこするときは、つゆほども考えなかったことが頭をよぎる。


――わたしななんのために、いま、このワンちゃんを抱っこしているのであろうか。


猫の場合、ぐんにゃりとした猫ちゃんを全身で感じて、顔をくっつけたい! みたいな欲望が頭の中にしっかりとある。ついでにいえば、猫が嫌そうな顔をして腕を脱するところまでがワンセットになっている。が、犬の場合はそういったイメージが自分の中にない。


ポメラニアンはかわいい。いわゆるもふもふというやつだ。三角形のお耳が中央に寄っているところも、わけがわからない愛らしさ。小さくてあたたかい。しかし、とても四肢がしっかりとしており、犬自身も察してじっとしてくれているため、慣れないわたしの抱っこは、どうしても運搬のような雰囲気になってしまう。


この子はかわいい……が、わたしはなぜ抱っこしたいと思ったんだろう……抱っことは……かわいさを全身で感じるための儀式なのか……しかし、いま、わたしが感じているのはなに……。


犬イマジネーションの欠如を感じながら、スタッフさんとポメラニアンによく礼を言い、わたしは犬を床におろした。


結局わかったことは、保護犬カフェに1時間いたぐらいでは犬のことは何もわからないということだ。おそらく一緒に暮らさないと何もわからないし、暮らしたとしてもわかる可能性があるのは、共に暮らすその子のことだけなのかもしれない。これは猫でもイグアナでもきっと同じなのだろう。けれど、もう少しぐらいは理解したい。


犬、この未知なる生き物よ。もうすこしお近づきになれたらと願いを込めて、また店に足を運ぼうと思う。


※別の場所に投稿したテキストの編集版です。

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キャットキャットクレイジー 丸毛鈴 @suzu_maruke

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