著者あとがき
WEB上で人気の異世界転生物でもない長編小説に最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。つまみ食いで読んでくださった方も、小説は必ず「あとがき」から読む主義の方も、とりあえずありがとうございます(笑)。
本作の主な舞台は一九八十年代の終わり頃、インターネットと携帯電話が普及する直前で、恋人たちは一家に一台の電話や公衆電話で愛を語らい、今ではスマートフォンで一瞬で分かる情報も、電話やFAX、郵便、テレビやラジオ、新聞や雑誌、図書館に口コミ……といちいち自分で手間と時間とお金をかけて探さなければいけなかった時代です。
しかし物質面では都市部も田舎もあるものはそれほど変わらず、昨今のインターネット通販の充実を除けば、正直言って今とさほど変わらない生活だったと思います。むしろ今では大都市の駅前に集中している専門店が周辺の小さな町にもあったり、大きな病院に今よりも気軽に行けて薬も病院で貰って帰れたりと、かえって便利な面もありました。
一方でサービス残業の横行、職場やレストランで喫煙は当たり前、男女の雇用機会の不均衡、賃金格差、今でいうセクハラやパワハラ、荒れる学校、そして社会の底流には長引いた東西冷戦の緊張感と終結直前の混沌など悪い部分も多々ありましたが、一億総中流と言われる中でバブル景気があったり、貧富の格差が今ほどはっきりとは感じられなかったぶん、社会の雰囲気には今より豊かな部分もあったかもしれません。
当時は明治時代末期に生まれた御老人たちがまだ存命で、田舎には古い時代の残り香が、その頃でももうわずかでしたが確実に残っていました。都市と田舎を往復するバイクツーリングは、時代の変化を素肌で感じられる時間旅行でもあったのです。
その時期に青春時代を送った私が、当時、林道ツーリングで通っていた湯の里を思い出しながら書いたのが本作です。
「あの頃なら、誰かがこんな経験をしていたかもしれない」
そんな物語を書こうと短編(未公開)を一本書いてみたところで、そこにちらっと出てきた「顔も頭もいいくせに胸まで大きな癇に障る女」と「この間の大学生」が実は出会っているような気がして書いたのがこの長編です。(短編の主人公は……なんとなくわかりますよね?)
本作はフィクションであり、舞台は私の記憶にあるいくつかの山里を参考にした架空の里です。もしよく似た場所があったとしても実在の場所や名前などとは一切関係がありません。ただ当時私自身が体験したり見聞きした事も、ところどころに形を変えて鏤めてあります。もし本作を読んで「あっ!」と思われた方がいたら、きっとあの頃私と同じ場所を旅していたのかもしれません。
時の流れは過去の失敗や悪いところとともに、優れたところや良かったところも一緒くたに押し流してしまいます。現在の我々の常識も調べてみれば少し前まではまったく違っていたなんて事も特に珍しくはありません。
日本の近現代で言えば明治時代がそれまでの文化風習の多くを否定し西洋風に作り変えた非常に大きな変節期で、第二次世界大戦の前後も変節に当たりますが、それらが多くの人々の中ですでに歴史上の出来事になっていた時期を舞台にした本作のテーマにも、そうした変節が深く関わっています。
未来は生きている限り誰でもいずれ知る事になりますが、過去は意識して知ろうとしなければ知る機会はなかなかありません。過去を振り返らなければ人々は失敗を反省せず、同じ間違いを何度も繰り返すでしょうし、現代に生かせる有用な部分に気づく事もありません。
調べても正しい過去に到達するとは限らないのが難しいところですが、過去を知ろうとする事は、より良い未来を作るためのヒントを探す、宝探しでもあるのかもしれません。
本作には性表現があり、内容に嫌悪の感情を抱く方や認められない方もいらっしゃるかもしれません。しかし特に思春期から青年期の人間にとって、性は後の人格や人生を決定づける事もあるほど重要な要素であり、人生を描く物語から性を排除する事に私は強い違和感を覚えます。本作はこうした考えの元に書かれていることをご理解いただければ幸いです。
あの頃私自身が感じた時代の残り香と林道ツーリングで感じた幸せを、どこかに残しておきたくて本作を書きました。あの頃の空気を実際に体験された方はもちろんですが、それを知らない世代の方にもこの作品を読んでもらえたら嬉しいです。
もし飽きずに読了していただけましたら、ぜひ想像を逞しくして俊彦と秋子が浸かった同じ湯に浸かってみてください。その湯は今もあの頃と変わらず湧き続けています。たぶんこの先もきっと、ずっと。
(2021年 著者)
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湯の華 ~湯小屋の乙女~ 岩と氷 @iwatokori
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