第一章 二つの後宮③
わけがわからぬまま
案内役の宮女に導かれ、玉玲は裙に足をもつれさせながら
「玉玲様がいらっしゃいました」
門番を務めていた宦官に、宮女がしずしずと取り次ぎをする。
「どうぞお通りください」
すでに話が伝わっていたのか、宦官はあっさり告げて、玉玲に
すると、出てすぐの場所に、緑色の官服を着た中肉中背の男性が待ちかまえていた。
「お待ちしておりました、玉玲様。わたくし、北後宮の雑事を取りしきっております、
文英と名乗った男性が、うやうやしくこうべを垂れて拱手する。
玉玲は少し意外に思いながら文英を観察した。まとう空気が
「それでは、ご案内いたします」
じっくり観察していると、文英は笑みを深めて告げ、玉玲に背中を向けた。
「あの、どちらへ行かれるんですか?」
玉玲は文英の後を追いながら質問する。いい加減、
「おや、事情をお聞きではないのですか?」
「ならば、私からは何も話さない方がいいでしょう。主人の
「え~、教えてくださいよ。いきなり飾り立てられて、もうわけがわかりません」
「ふふ、秘密です。主人から直接お聞きください」
文英は人差し指を
気になりはしたものの、文英の
北後宮には夜の
長く連なる建築群に
建物には誰もいないかのように思われたが、ぽつぽつと
「何か、遠巻きに見られてますね。もしかして、全部あやかしですか?」
玉玲は前を歩く文英に、周囲を観察しながら尋ねた。何となくだが、気配が
「ええと、わからないです。申し訳ありません。私にはあやかしが
「そうなんですか? この区域にいる人
「もちろんです。普通の人間には視えません。私が知っている中で視えるのは、皇族の方だけですね。全てではなく、
「霊力?」
首をかしげた玉玲に、文英はどう説明すべきか困ったような顔をする。
「玉玲様は暘
玉玲は「いいえ、あまり」と正直に答えた。生活能力はある方だと自負しているが、
「では、簡単にお話ししましょう。昔、
「その話は本当なんですか?」
おとぎ話のように思えて尋ねた玉玲に、文英は
「ご覧ください、一番北にある巨大な門を。あれが今話した、陽界と陰界をつなぐ
玉玲は示された方角に目を向けた。暗くてはっきりとは見えないが、どこの門よりも大きくて、
「じゃあ、本当に?」
一気に文英の話を信じる気持ちになる。あの門はただの門ではない。
「ここには、陰界へ帰りそびれたあやかしたちがたくさん集まっているという話ですね。人に危害を加えないように集められたとも聞きますが。あやかしは霊力のある人間にしか視えません。太祖の
「でも私、何度かあやかしが視える人に会いましたよ? ここでも今日」
昼間会った青年のことを思い出していると、文英が急に歩く速度をゆるめた。
ぶつかりそうになった玉玲は、立ちどまって前方に目を向ける。門と文英の話に気を取られて気づかなかったが、黒光りする二重
「お待たせいたしました。こちらへどうぞ。詳しい話は主人よりお聞きください」
宮殿に目を
早く事情を知りたい玉玲は、ためらわずに屋内へ足を
宮灯の
文英は扉の前で立ちどまり、うやうやしくうかがいを立てる。
「玉玲様をお連れいたしました」
文英が扉の
いったい誰なのだろう。自分をこんな場所まで呼び出したのは。絶対にただ者ではない。
扉が開く様子を少し
「あなたは──!?」
玉玲は思わず驚きの声をあげた。
「えーと、太監の方ですよね? 私に何の用が──」
「太監ではございません。こちらにおわすお方は、馮
「た、太子様!?」
またもや玉玲の口から
太子というのは、次期皇帝のことだっただろうか。混乱する頭を必死に整理する。
「あれ? でも後宮って、皇帝陛下と
「北後宮は例外だ。北の区域は代々太子が治めることになっている。まあ、ここの内情は皇族の
「情報を規制しなければ、宮女たちが
幻耀の説明を文英が補足し、玉玲に口止めした。
まさか、あの青年が太子様だったなんて。かなり生意気な口を
「それで、この国の太子様が私にどういったご用件で?」
玉玲はいくぶん
幻耀は冷ややかな目つきで玉玲を見すえ、おもむろに口を開いた。
「お前には俺の
「…………はあっ!?」
玉玲の裏返った声が、夜のしじまにこだまする。本日一番の大声だ。
理解が追いついていない玉玲を
「北後宮には今、俺たち以外の人間はいない。俺が太子になってまだ日が浅いからな。北後宮を治めるということは、あやかしたちを監督するということ。それがこの地を番人として治めてきた馮家の
幻耀の手が後方の
刀身がやや
「だが俺は今、他にも大量の仕事と問題を
「えと、それは……」
「あやかしが悪さをしないように導くことができる、そう言ったな?」
「……言いました、けど。妃として、というのは……」
異動ならまだしも、立場が
「主上のご命令だ。南後宮の宮女は、言わば皇帝の所有物。許可もなく北へ異動させることはできない。主上にお前のことを話し、北後宮で仕事をさせたいと奏上したら、条件を出された。宮女ではなく妃として連れていくようにと」
幻耀は不服そうに
「
「いえ、それだけではないでしょう。主上は、十八になっても妃を
「こっ、子をもうけるぅ!?」
玉玲は思わず後ろへ飛びのき、幻耀との
「余計なことまで話すな、文英。俺は地位が安定するまで子をもうけるつもりはない。今は赤子の安全にまで気を配る
幻耀はじろりと文英をにらみ、玉玲に視線を
「手を出すつもりはないから心配するな。俺にはお前のような子どもを
──子どもって……。
そういう
「私、最下級の宮女ですし、もとは
「問題ない。俺は身分にかかわらず能力のある者を重用する。他に何か問題はあるか?」
世継ぎの皇子であるのに、ずいぶんと
意外に思いながら玉玲は、一番重要な問題を口にする。
「あります。私には重い病をわずらった養父がいるんです。高額な薬代が必要で」
「金で解決することなら簡単だ。
「それは、すごくありがたいですけど……」
「何だ、まだ不満があるのか?」
「家族と約束したんです。三年たったら戻ってくる。そしたら、また
思い出すのは家を出る前、養父と
とはいえ、皇族の命令は絶対だ。要求したところで、命じられれば
そう考える玉玲だったが、幻耀は「三年か」とつぶやき、小さく
「いいだろう。父にも言われているからな。三年以内に次の皇后にふさわしい妃を見つけるようにと。それだけの期間があれば俺の地位も今より安定し、問題もあらかた片づいているはずだ。三年たったらお前のことは適当な理由をつけて
まさか、こちらの事情を考慮してもらえるとは思わず、玉玲は目を丸くする。
「つまり、三年以内に太子様は次の皇后にふさわしい妃を見つけ、地位を安定させる。私はそれまでのつなぎで、期間限定の
「ああ。期間を設けた方が目的意識もあがるだろう。どうだ?」
どうだもこうだもない。玉玲にとっては、これ以上にない申し出だ。
太子は思っていたより話のわかる人間のようだが、あやかしへの対応には不安があった。
申し出を受ければ、
「わかりました。そのお仕事、
玉玲は何の迷いもなく
すると、幻耀はふところへ手を伸ばし、
「では、これをやろう」
そう言って、
「これは?」
「あやかしを滅することができる妖刀だ。女性でも
目を見開く玉玲に、幻耀は
「北後宮には結界が
「必要ありません」
玉玲はきっぱりと断った。
「私はあやかしたちと友達になりたいんです。何でも気軽に相談してもらえるような存在に。だから、あやかしをおびえさせるような刀なんていりません!」
冷ややかさを増していく幻耀の空気にひるむことなく言い放つ。養父に、楽しく仕事をすると約束した。刀なんてあったら、自分もあやかしたちも
「お前はあやかしのことをまるでわかっていない。やつらは簡単に人を傷つけるぞ。油断すれば、すぐに
「そんなことはありません! 彼らは人と同じです。真心を込めて接すれば、心を許して
ゆずれない思いを胸に宣言すると、幻耀は玉玲に
「命を落とすことになっても知らんぞ」
「心配しないでください。私、これでもかなりたくましいんです」
幻耀は、話にならないとばかりに軽く首を
「議論を続けても無駄のようだ。文英、彼女を部屋に連れていけ」
文英は
「さあ、まいりましょう。ご案内いたします」
希望は
「どうしてそこまであやかしを悪く思っているんですか?」
部屋を出る
彼が
「あやかしに限った話ではない。俺は
幻耀の言葉と扉の閉まる音が、やけに重々しく耳に
玉玲は
彼のことが知りたいと思った。そして、できることなら受け入れてほしい。人もあやかしも。
自分が幻耀とあやかしをつなぐ
「教えてください、文英さん。どうして太子様は心を
まずは幻耀を理解することから始めるべく、玉玲は質問する。
部屋を出る間際の反応からすると、文英は何か事情を知っているように思えた。
しばらく
「このことは絶対に口外なさらないでくださいね。特に
玉玲は
「殿下はお母上を殺されたのです。北後宮にいたあやかしに」
「…………え?」
「あなたが会われてきたのは、善良なあやかしばかりだったのでしょう。ですが、世の中には危険なあやかしがいるということも覚えておかれた方がよろしいかもしれません」
文英の口からもたらされたのは、予想以上に深い闇だった。
玉玲は言葉を返すこともできずに立ちどまる。
どうすれば幻耀の心を開けるのだろう。彼とあやかしをつなぐことができるのか。
さすがに答えは出てこなかった。
あやかし後宮の契約妃 もふもふたちを管理する簡単なお仕事です 青月花/角川ビーンズ文庫 @beans
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