第一章 二つの後宮②

 後宮は四夫人、九ひん、二十七しようと、彼女たちに仕え、宮中の職務にたずさわる宮女、そしてない省のかんがんで構成されている。玉玲が仕えることになった才人は、二十七世婦の最下位。つまりは四十人中、一番下にいる下級妃嬪だ。

 李才人は、少女が話していた通りの人物だった。そうせんたくなど大量の仕事を押しつけたり、嫌みを言ったり。他の宮女に命じて、玉玲の衾褥に虫やかえるを入れたり。

 しかし、玉玲は並外れた体力の持ち主で、一日中体を動かしていても苦にならない。

 口の悪いあにとずっといつしよに過ごしてきたからか、遠回しな悪口も気にならない。

 山からばくに至るまで、へきを旅してきた玉玲にとって、虫や蛙は小さな友達だ。それらを用意した宮女の方が、よほどこたえていたにちがいない。

 嫌がらせが全くきいていない玉玲に、才人のいらちはどんどんつのっている様子だった。

 どうにかして玉玲に、ぎゃふんと言わせたかったのだろう。

 玉玲が後宮入りして十日後。風の強い午後にとつぜん、才人は散歩にいくと言い出した。

 みながおそれている南後宮の北側、ぎよえんに。

 玉玲も同行を命じられ、他二人の宮女と一緒につき従うことになった。

 葉をまとわぬやなぎの枝が風にれ、不気味な音をかなでている。奥にたたずむ高い塀はこけつたでびっしりとおおわれ、手入れを施されている様子はない。地面にいているのは、毒々しい色合いのドクダミばかり。御とは名ばかりの寒々しい光景だ。

「才人様、戻りましょう。ここ、気味が悪いです」

 取り巻きの一人である宮女が、おびえながら才人にこんがんする。

「そうですよ。北後宮に一番近い場所ですし、いるだけでとりはだが立ちます。何か出てきそう」

 もう一人の取り巻きがうつたえたところで、柳の枝からとつじよとしてからすが飛びたった。

 二人の宮女は「きゃっ」と小さな悲鳴をあげ、体をき合いながらふるえ出す。

「どう、玉玲? こわい?」

 才人だけは平静をよそおい、得意げに玉玲を見た。少しだけ彼女の肩も震えているけれど。

「いえ、別に。空気は悪いなぁって思いますけど」

 玉玲は、からりとして答える。きようは全くないが、漂っている空気だけは気になるところだ。やはり、北へ進めば進むほど空気が濁っているような。

「北後宮って何なんですか? みんな怖がってますけど」

 後宮はなぜか南後宮と北後宮にわかれ、間を高い塀で区切られている。南後宮は皇帝の居住区で、妃嬪と宮女が暮らしている場所だ。北後宮については、あまり知られていない。気味の悪い場所だと言って、宮女たちは怖がるばかりだ。

「あなた、知らないの? 『あやかし後宮』を」

「……あやかし後宮?」

「あちらの区域では、火の玉が飛んでいたり、独りでにとびらが開いたり、何もない場所から突然物音が聞こえたりするらしいわ。あやかしがばつする後宮。だから、あやかし後宮。昔、あちらの区域に住んでいた妃嬪が、あやかしに殺されたという話よ。入ったらのろわれるらしいわ」

 せまった顔で語る才人の話に、またもや宮女たちが悲鳴をあげた。

 恐怖をじんも感じない玉玲は、適当に「へー」と相づちを打ち、塀の上に目を移す。

 するとその時、南から突風が吹きけた。

 それぞれのスカートがひるがえり、才人の肩からうでにかかっていたはくは天高くいあがる。

 才人は披帛をちゃんと掴んでいたのに、わざと手放したような……。

「取ってきなさい、玉玲」

 風がやむや、才人は当然のように言いわたした。

「あの披帛、絹でできたそれは高価なものなの。なくなったら困るわ。早く取ってきてちょうだい。これは命令よ」

 玉玲は直感する。才人はこれがやりたくて、御花園に連れ出したのではないだろうか。

 後宮において、主人の命令は絶対だ。どんなにじんな指示でも従わなくてはならない。

 自分が命じられたわけでもないのに、取り巻きたちの顔は真っ青だ。

「どうしたの? できない? 命令に従えないのであれば──」

「あっちの後宮って、入ってもいいんですか?」

 さっさとお使いを終わらせたい玉玲は、念のためにかくにんした。

「立ち入り禁止だという話は聞いたことがないわ。まあ、怖がってだれも入らないけど」

「じゃあ、ちょっくら行ってきますね。怖かったら戻っていていいですよ」

「行ってくるって……、ええっ!?」

 さっそく動き出した玉玲を見て、才人がきつきようの声をあげる。

 玉玲はまたたく間に近くの木にのぼり、北後宮と南後宮をへだてるかべに飛び移った。

 ざつだんで長年、芸をきたえてきた玉玲にとって、この程度のかるわざなど造作もない。

 ぜんとする才人たちをしりに、へいから飛びおりる。大人二人ぶんの高さは優にあったので、宙返りまでしてみせた。たまには練習しておかないとな。

 みごとに着地し、周囲を観察する。緑がうつそうと広がっているばかりで、建物やひとかげはいっさいない。まるで忘れ去られたはいえんに迷いこんだかのようだ。

 さて、かんじんの披帛は──。

「──あった!」

 少し遠くの低木に細長い布を発見し、玉玲はひとみかがやかせた。

 急いでその場所までけ寄り、引っかかっていた披帛を回収しようとする。

 しかしそのしゆんかん、横合いから黒い風がき抜けて、披帛をうばった。

 いや、風ではない。黒い体毛に覆われた小動物だ。

 披帛を口にくわえ、突風のような速さでげていく。

「待って! それは才人様の大事なものなの!」

 玉玲は直ちに小動物を追った。

 草がぼうぼうと生えた緑地を、黒いもふもふはひたすら北へと駆けていく。

 自分のものならあげてもいいが、のがすわけにはいかない。手ぶらで戻れば、さいじんに何をされるか目に見えている。

「待て待て、どろぼう! 返してよー!」

 必死にらいつき声をあげると、もふもふはビクリとして立ちどまった。

 恐る恐るり返り、玉玲にきようがくのまなざしを向けてくる。

「お前、おいらがえるのか?」

 どうやら、気づかれていないと思いつつ走っていたようだ。

「視えるよ。やっぱり君、あやかしだったんだね」

 玉玲はみをかべながら小動物に近づき、まじまじと観察した。

 縦長のどうこうは黒く、こうさいの色は金。三白眼ぎみの目がやんちゃそうで愛らしい。一見、くろねこのようだが、しっぽがふたまたにわかれている。ちまたの猫より耳も大きい。

 つうの猫はしゃべらないし、見た目も少しだけ違う。びようかいと呼ばれるあやかしだ。あやかしと会ったのは旅のちゆう、山で見かけて以来。四年ぶりだろうか。あやかしは結構希少なのだ。

「久しぶりだぁ」

 うれしくなって体をもふもふで回すと、猫怪は玉玲の手にねこけんをくり出した。

「気安くさわるなぁ! おいらはこわーいあやかしだぞ? 呪ってやるんだぞ~?」

「あやかしはそんなことしないよ。後で遊んであげるから、まずはその披帛を返してもらえる? 私の主人、すごくめんどうくさい人なんだ」

 猫怪のおどしなんて何のその、玉玲は平然として訴える。

「お前、おいらが怖くないのか?」

「うん、全然。かわいいよね」

「だから、もふもふするなー!」

 体を撫で回してきた玉玲をシャーッとかくし、猫怪は披帛をくわえて再び走り出した。

「あっ、待ってー!」

 もちろん玉玲もすぐに後を追う。ぬかるみやしげみなどの障害物も難なく飛びえて。

 しゆんそくで身軽な猫怪の走りにも、きよはなされることなく食らいついた。

「くっ、何てすばしっこいやつなんだー! お前、ほんとに人間か?」

 人間離れした速さと動きを見せる玉玲に、猫怪はしようそうをあらわにたずねる。

「いちおうね。駆けっこなら誰にも負けないよ。そろそろ返してもらえるかな?」

 玉玲は息を切らせることもなく言って、猫怪に迫った。

「このひらひらは、おいらのもんだー!」

 猫怪は気合いのたけびをあげるや、一気に加速し、草道を西へと曲がる。

 さすがに本気の猫怪にはかなわず、距離が開いた。

 茂みにまぎれこまれでもしたら、完全に見失ってしまう。

 これはちょっとまずいなと、危機感を募らせた時だった。

 前方を駆けていた猫怪が突然動きを止める。

 何か恐ろしいものにでもそうぐうしたかのように、ぶるぶると震え出したのだ。

 いったいどうしてしまったのだろう。

 おんな気配を感じて立ちどまると、池のほとりに立つももかげから誰かが姿を現した。

 そのれい姿を視界にとらえた瞬間、玉玲ははじかれたように目を見開く。

 長身で引きしまった体にまとっているのは、銀糸でこうりゆうしゆうほどこされたせいらんちようほう。長いくろかみは一部だけをいあげ、きんかんした小冠かんむりで束ねている。瞳の色は遠くからだと、黒とも青とも判別がつかない。ただ言えるのは、とても冷ややかだということ。

 氷細工のように冷冷たるぼうの青年が、桃の木の下に立っていた。

 会ったこともない男性のはずなのに、なぜか胸がざわついて目を離せない。

 身動きもできずに見入っていると、青年が猫怪へと近づきながらじんもんした。

「お前がくわえているものは何だ? 上質な披帛のようだが、ぬすんだものではあるまいな?」

 猫怪をぎようする青年のそうぼうに、やいばのごときえいな光が宿る。

 完全にしゆくしてしまった猫怪は、答えることができずにふるえるばかりだ。

ちんもくこうていと受けとめるぞ。盗みを働いたのであれば、てんりつのつとしよばつする」

 青年の手が、こしいていた刀のつかへとびる。

 その瞬間、玉玲ののうに十二年前の光景がよぎった。

 られるあやかしを何もできずにながめていたおくが──。

「待って!」

 玉玲は直ちに声をあげ、猫怪の前へと飛び出していく。

 もう二度とあの時のような思いはしたくない。

「それは私がその子にあげたんです! そんな簡単にあやかしを殺さないで!」

 十二年前のことを思い出しながらうつたえると、青年はおどろいたようにまゆを動かした。

「お前、あやかしが視えるのか?」

 いぶかしげに尋ねてきた青年を、玉玲はただじっと観察する。

 どこかで会ったことがあるような気がした。

 そうだ、似ている。じようきようだけではなく、顔立ちもふんも。

 十二年前、玉玲の前であやかしを斬った青年に。

「……あの時の人ですか?」

 玉玲はにらむように青年を見すえて問い返す。

「またあやかしを殺すんですか?」

 玉玲の中では、目の前にいる青年と十二年前の青年が完全に重なって見えていた。

 つかの間、げんそうに眉をひそめた青年だったが、無表情で答える。

「物を盗んだだけなら殺しはしない。だが、二度と盗むことがないように手を斬り落とす。それが天律だ」

「盗んだだけで!? そんなのひどい!」

「あやかしはこうかつざんにんな生き物だ。平気で人をだまし、殺すことだっていとわない。悪さをしないように厳しく取りしまる必要がある」

「あやかしはそんな悪い存在じゃありません! 私が会ったあやかしは、陽気で人なつっこくてやさしい子ばかりでした。悪さなんて、かわいいいたずら程度です。わけもなくはいじよしようとする人間の方がずっとひどい!」

 十二年前の出来事をまざまざと思い出し、玉玲は目になみだを浮かべて反論した。

「それはお前があやかしのほんしようを知らないだけだ。この世には、無害であるかに見せかけて人をおとしいれるあやかしが大勢いる。あやかしは悪だ。そう思って対処しなければだれも守れない」

 青年が初めて語調を強め、おもてに感情をにじませる。

 にくしみ、かいこん、そしてれいてつに思えるほど強い信念。それらをかいて、玉玲は息をめる。

 もしかしたら、彼はあやかしのせいでひどい目にあったのかもしれない。

 それでも、伝えたいことがあった。彼はかたくなになりすぎて、見えていないものがある。

「本当にそうでしょうか? 確かに、人に害をあたえるあやかしはいるのかもしれません。でも、きっと多くの場合、それは人間に原因があるんです。こうげきされれば反撃もするし、優しく接すれば同じ優しさを返してくれる。遊び相手になってくれたり、心をやしてくれたり。あやかしも人間もいつしよです。あやかしに望むことがあれば、言葉や行動で示せばいい。優しく導いてあげれば、あやかしは絶対に悪さなんてしません!」

 夜色の冷たい瞳と視線を交えながら断言する。おのれの信念に従って。

 今度こそ自分の手であやかしを守り通すのだ。

 決意をたぎらせながら見すえていると、青年は感情の読めないせいひつな目をしていた。

「ならばお前は、あやかしが悪さをしないように導くことができるのか?」

「できます!」

 玉玲はそくとうする。そう答えなければ、きっとそばにいる猫怪のことも助けられない。己を通すために一歩も引くわけにはいかなかった。

 青年は玉玲をぎんするように眺め、長い間をはさんでから口を開く。

「名前を聞いておいてやる。どこの者だ?」

「李才人に仕えている玉玲です。十日前に宮女になりました。あなたは誰ですか?」

 会ってからずっと気になっていた。子どものころ、あやかしを斬った青年ではないかと。

「十二年前、ほくそんに来たことはありませんか? せいという名前に聞き覚えは?」

「……阿青?」

「私、以前杜北村に住んでいたんです。その時、助けてくれた少年の名前。優しくてんだ目をしていて、この人になら友達をまかせられると思って、ねこのあやかしをたくしたんです。とてもおだやかで、きれいな空気をまとっていて」

 何年たっても忘れられない。自分を救ってくれた少年のことが。目の前にいる青年があの少年の兄であるなら、阿青とてんてんが今どうしているのか知っているかもしれない。

「もしかして、あなたは杜北村に来て、あやかしたちを斬った人ですか? 弟の名前は阿青っていうんじゃないですか?」

 阿青の情報を求め、期待を込めて訊く玉玲だったが、青年は冷ややかに答えた。

「知らん。ひとちがいだ」

 玉玲はがっかりしてかたを落とす。

 もしかしたら、阿青や天天に会えるかもしれないと思っていたのに。

 ただ、青年がうそをついている可能性もかいではない。雰囲気がとてもよく似ているし、あやかしを敵視しているところも同じだ。あやかしがえる人間もそうはいないだろう。

 疑いの目を向けていると、青年が玉玲に背中を向けて歩き出した。

 いちおうじようを聞いておきたくて、玉玲は「あの」と声をかける。

 彼はいったい何者で、どうしてこんな場所にいたのだろうか。

「先ほどの発言を忘れるなよ。はくはお前がそのびようかいにやったということにしておいてやる」

 くわしく話を聞きたかったが、青年は素っ気なく告げて、東のみちへと消えていった。

 後宮は原則、男子禁制だ。こうてい以外で出入りできるのは、かんがんと十三歳以下の皇子のみ。皇帝は四十を過ぎているらしいから、彼は後宮内の規律を取りしまる高位の宦官だったのだろう。

 一人なつとくした玉玲は、とりあえず危機をかいできたことにあんし、後方に目を向ける。

「もうだいじようだよ」

 震えていた猫怪だったが、優しく背中をでてやると、じよじよに平静さを取りもどしていった。

 青年は猫怪のことをのがしてくれたみたいだし、あとは心配ないだろう。

「さて、帰るか」

 玉玲は猫怪を思う存分もふもふしてから立ちあがった。

「おいっ。いいのか? このひらひらは?」

 我に返った猫怪が、披帛を示して問いかける。

「さっき、『あげた』って言っちゃったからねぇ。もらったことにしておきなよ」

「でも、お前、めんどうくさい主人がいるんだろう?」

「まあね。でも、私なら軽くたたかれる程度だから。君が手を斬られるよりはましでしょう?」

 青年から猫怪を守りたくて、とっさに嘘をついてしまった。その責任は負わねばならない。

「その披帛はあげたことにするけど、もう物を盗んだりしたらだめだからね」

 玉玲はいちおう猫怪に注意し、がおで「じゃあね」と別れを告げた。

「お、おいっ」

 猫怪に呼びとめられた気がしたが、すでに走り始めていた玉玲の足は止まらない。

 あまり待たせると、さいじんげんさらに悪くなってしまう。

 軽いしよばつで済むことをいのりながら、玉玲は来た道をけ戻っていった。


 北後宮にはへいの近くに木がなかったため、出るのに時間がかかってしまった。

 結局、南後宮と北後宮をつなぐゆいいつの門へ行き、見張りの宦官をぎようてんさせたのだ。

 けいを説明した後、玉玲は彼らにこってりしぼられた。本当は上の許可がなければ、北後宮に入ることはできなかったらしい。才人は知らなかったのか、いやがらせのいつかんで嘘をついたのか。宦官が同情してくれたおかげで処罰は厳重注意で済んだが、才人が暮らす殿でんしやへ戻った時には、日が暮れかけていた。

 玉玲はゆううつな気持ちで才人の部屋へ向かい、彼女の前に立つ。

「玉玲、披帛を持っていないじゃないの。これだけ時間をかけておいて、まさか見つからなかったなんて言うのではないでしょうね?」

 案の定、才人の機嫌は寒気を覚えるほど悪かった。手ぶらの玉玲を見て、つりあげた口角をぷるぷるとふるわせている。

「はい。見つかりませんでした」

 玉玲は開き直って答えた。

「お前、よくもいけしゃあしゃあと!」

じようけいですよね。さっさと済ませちゃってください。持ってきましょうか? じよう

 面倒くさくなって自ら進言する。杖刑とは、杖と呼ばれる木の棒ででんを叩く刑罰のことだ。罪をおかしたり、命令に従わなかった場合、主人であるひんは宮女に罰を与えることができる。杖刑程度なら己の裁量で処罰してもいいらしい。死なないくらいまでなら。

 後宮というのは本当にじんな場所だ。どんな無理難題でもすいこうできなかった場合、罰を受けなければならない。中には優しい妃嬪もいるらしいが、横暴な主人にあたったのが運のき。

「さあ、どうぞ」

 部屋のすみに置いてあった才人愛用の杖をわたし、玉玲は自ら臀部を向ける。

 才人はずっとこれがしたかったのだ。玉玲をくつぷくさせ、一度でいいから苦痛にゆがむ顔が見たかったに違いない。早く終わらせるため、適当に痛がっておくか。

「生意気なっ」

 玉玲の態度にいらちをつのらせた才人は、勢いよく杖をりあげる。

 素直すぎてもだめだったか。失敗したなと、こうかいしかけたその時。

「李才人!」

 部屋の入り口からとつじよとして女性の声がひびいた。

 見慣れない宮女が室内へと駆けこみ、あわてた様子で才人のそばに寄る。

 彼女から何かを耳打ちされた才人は、徐々にまゆくもらせ、青白い顔でさけんだ。

「えっ、嘘っ!?」

 才人の耳に、おそろしくて意外な情報が飛びこんだらしい。明らかにいかりではなく、きように全身を震わせている。かみなりにでも打たれたかのようだった。

「どうかしたんですか?」

 玉玲はこしを曲げた体勢のままたずねる。すると、

「申し訳ございませんでした、玉玲様ぁ!」

 才人がいきなりゆかに頭をこすりつけて謝罪した。

「はいぃっ?」

 これにはきもの太い玉玲も、きつきようの声をあげる。叩かれるかくをしていたというのに、いったい何事か。わけがわからなすぎて、体勢がもとに戻らない。

 しばらく玉玲の臀部に向かってこうとうしていた才人だったが、やがてすくっと立ちあがり、近くにいた取り巻きの宮女に、こう命令した。

「何をしているの? 早く湯あみの準備を。玉玲様のおえを手伝いなさい!」

 宮女たちはまどいの表情をかべながら返事し、外へと向かっていく。

「玉玲様、あちらへ向かわれるまでせいいつぱいお世話をさせていただきますわ。ですから、これまでのことは全部水に流してください! どうかお許しをぉ!」

 才人は玉玲の臀部をあがめるように再度ひれしたのだった。

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