一章 陰険根暗げじげじ教授②
読み書きもやっと覚えたばかりの私には無理難題だとわかっていたけど、学生さんの
「う~っ、難しすぎるよ~!」
「シノブ大変そうっすねえ」
助手課のデスクに
「そうだ、ユリアン。教授方の賛成が欲しいから、ここに署名もらってきてくれる?」
「いいっすけど。オレがもらえそうなのは担当の半分くらいっすよ」
「えっ、なんでっ」
「ローゼンシュティール教授
「大嫌い派閥……」
「以前言ったでしょう。ローゼンシュティール教授は
「テオさん」
ちょうど
「魔術科は細かく
「だいたいお年寄りばっかっすもんね」
「そこに新人の教授がやってきて、それも自分の四分の一の
「面白くないですね」
そんな過激なことやってたのかあの嫌味教授。
「最近では魔法陣専攻のヴュルツナー教授が派閥の筆頭ですね」
「一番の古株っす」
「彼はローゼンシュティール教授の
「師匠っていうと……」
「ヴァルヴァラ・アカトヴァです」
名前が出たとたんにユリアンは興奮気味に身を乗り出した。
「伝説のハーフエルフっすよね。ガキん頃よく母さんに聞かされましたよ」
「長い間旅して、世界に散らばっていた魔術を集めて再編させたのが彼女です」
そういえばここ異世界だった。ハーフエルフがいるとは。私は
「えーと、とにかくすごい人がローゼンシュティール教授の師匠なんですね。──……あれ? でも、師匠が旧知の仲なら、その
テオさんは苦笑する。
「ローゼンシュティール教授はあの通りの
「ああ……可愛げゼロですもんね」
「今じゃ可愛さ余って
ネチネチ教授はあちこちに敵を作ってるらしい。
二人に学園祭のことを相談すると、ユリアンが知り合いのツテを
それよりもまずは
「シノブさん、教授の賛成票、これだけ集まりましたよ」
授業後の後片付け中、ギレスさんが紙の束を
「えっ、こんなに? どうやったんですか?」
チャラ人脈エベレスト級のユリアンでも担当教授の半数しかもらえなかったのに。それも根暗教授大嫌い派閥の人の名前もチラホラとある。
「こう見えて僕、人望があるんですよ」
「すごい!」
人によっては嫌味に聞こえるセリフなのに、
「書類ももう出来上がりそうなんです。こんなにトントン
「シノブさんが僕たちのために
ギレスさんの手が
「残りも仕上げて、ルートヴィヒ様に
「
ガッツポーズをして、私は助手課へ
それからユリアンが商科の事務員仲間から入手したイベントの書類を参考に、辞書片手に学園祭の企画書、申請書を一気にまとめた。テオさんのチェックも入ったので不備はないはず。
私は意気込んで
事務棟の中央は広場になっていて、王国の
石造りの
重々しい両開きの
「やあ、シノブ。久しぶりだね」
ルートヴィヒ様は私に気付くと
「お久しぶりです、領主様」
「ルートヴィヒでいいって言ってるだろう?
一枚の紙を片手に彼はグルグル肩を回した。
「申し訳ないですけど、その肩の凝るやつを追加で持ってきたんです……」
「君が?」
ルートヴィヒ様が意外そうに目を見開いた。興味がわいたのか差し出してきた手にははーっと書類を手渡す。
「お目通ししてもらえると助かります。魔術科で、学生主導の行事を考えてるんです」
「へえ……これ、君が書いたの?」
「
しばらく紙をめくる音だけが部屋に
「よく出来てるね。しっかり
「はい、テオさんと……特にローゼンシュティール教授にはこってりやられました」
私の口ぶりが
「感心感心。私も領主としてはまだまだ若いから、役に立たない人間の
「は、ははは……頑張ります」
表情こそにこやかだけど、目は
「あいつ、言い方はきついけど
「あいつ?」
「エメリヒのことだよ。君の担当教授」
「ああ……でもですね、もうちょっと言い方ってものがあるでしょう?」
「それが出来ないのがエメリヒだよ」
手のかかる弟みたいな言い方だ。
「書類、直すところはあるけど、問題はないよ。こちらとしてはね。予算も何とかなる。ただ、教授たちの賛同が得られなければ理事としては許可が出せないな」
「署名が集まればいいんですね?」
「ああ」
胸の前でキュッと
「話は変わるけど。
領主様の話題
「あの、えーと……はい」
「その顔だと、エメリヒが教師役になるのに
「はい。
疑問を投げかけると、ルートヴィヒ様は
「エメリヒはね、子どもの
「はあ……」
どうしてここでそんな話が出るのか。ついていけずに首を
「魔術を習い始めてすぐに、力が暴走した。生まれ持ったもので、彼のせいではない。でも、暴発に巻き込まれて家族が……姉君が
「あの……そんなプライベートなこと、私が聞いてもいいんですか?」
デリケートな話だ。いくら憎きローゼンシュティール教授でも、赤の他人の私に知られていいはずはないだろう。そう思っていたのに、ルートヴィヒ様は小さく首を
「エメリヒが君は知る必要があると言ったんだ。あいつはその後、ヴァルヴァラ・アカトヴァという人の
「ローゼンシュティール教授が教えれば、私が魔力を暴走させることはないんですか?」
「コントロールの仕方を彼は知っている。君と、君の周囲、この領地の安全のためにも、教師役は彼が適任だ」
「……」
思ったよりも自分が持つという力の重大さに
「まあ、君の気持ちもわかるよ。
「はい……」
***
「署名を取り消しって、どういうこと!?」
バン! と思わずデスクを叩いてしまった。びっくりするユリアンにハッとして手を引っ込める。テオさんは取り消しですっかり減った署名を手に取った。
「しかもほとんど全員……。何があったの?」
「ヴュルツナー教授が本気で反対し始めたんですよ。教授たちに働きかけた」
「あの教授は魔術科のドンみたいなもんっすもんねえ」
「私、直接話してきます!」
「あっ、ちょっと!」
「シノブさん!」
二人が呼び止める声も聞こえず、書類一式を
ゴットホルト・ヴュルツナー教授は、口元の
「失礼します。ヴュルツナー教授はいらっしゃいますか?」
教授の研究室を訪ねると、お弟子さんが
「……どちら様ですか?」
少し上を向いた鼻が
「助手課の事務員のシノブといいます。お
「……お待ちください。教授に
お弟子さんは私が入ってきたのと別の
結構な時間を待った後、出てきたお弟子さんは何の感情も読めない顔で頭を下げた。
「教授は今お忙しいので、お帰りください」
「あの、お仕事がお忙しいのなら、お
「さあ……ボクにはわかりかねますし、教授はいつもお
「大事なお話なんです」
「申し訳ありません。お帰りください」
冷たい返事だ。もうこれ以上は相手をする気がないと背中を向け、彼はまた作業をするべく袖を捲る。ユリアンと談笑していた教授の様子とはまるで違う対応だった。ここで引き下がるなんてできない。私はお弟子さんの横をすり
「っ、お待ちください!」
「失礼します!」
後ろから服を引っ張られながら、勢いよく扉を開ける。中には白い髭を鼻の下に
「お忙しいところ失礼します。ローゼンシュティール教授担当のシノブといいます。ヴュルツナー教授にお願いしたいことがあってきました!」
ヴュルツナー教授はこちらを見るとにっこりと人好きのする顔をした。
「おやおや、ローゼンシュティールの若造は担当に
遠巻きに
「……失礼は承知の上で参りました」
「これ以上どんな無礼を受けるのか見ものだな」
ヒゲ教授はお弟子さんに合図した。私の服を引っ張っていた手が
「あの若造は、
「はあ……それは、大変ですね……」
ヴュルツナー教授は
「あの若造は呪文こそが至上だとでも言いたげに我が物顔で振る
「はい……お気持ち、大っっっ変、よぉくわかります」
実感を込めて深く深く頷くと、ヴュルツナー教授はやっと険のある態度を
「君もアレに苦労しているようだね。ところで、君の用とは何かな?」
「はい。学生たちが
「彼らはローゼンシュティール教授の
お弟子さんがムッとして声を
「呪文ばかり
「やめなさい、カミル」
「君、シノブくんと言ったね?」
「はい」
「シノブくん。私はローゼンシュティール教授が
ものすごくいい
結果
「げっ……」
無意識に歩いて、通いなれたネチネチ教授の講義室の前まで
「何をしている?」
「い、いえ。もう講義が終わったころかなーと思いまして……」
「もうとっくに終わっている。片付けがまだ終わっていないから手伝え」
「……はい」
***
翌朝。気持ちを入れ
「
「しかもあの教授だろ!? こんなの
「急げ!」
行き先は実技演習で使われるホールみたいだ。決闘なんて
「何があったの?」
「よくわかんないっすけど、教授同士の決闘っす」
「教授同士?」
「ヴュルツナー教授とローゼンシュティール教授っす」
「えっ!?」
「古式ゆかしく、どちらかが降参と言うまで勝敗は決しないこととする」
「
ヴュルツナー教授がお
「敗者は勝者の要求を受け入れる。どんなことであっても。──それでよろしいかな?」
「異論はありません。私が勝てば、署名を」
その言葉に、何人かの学生がざわついた。ここ最近で署名と言えば、学園祭
「私は君に、教授職を辞するように要求する!」
ざわついていた観衆がさらに
二人の魔術師は
「十歩目で振り返って戦闘開始っす」
八、九……十。白と黒のローブが
「ヴュルツナー教授お得意の
「あれは風の魔術か?」
紙の鳥は群れになって
「あれだけの数、
「バカ、魔術師の戦いは戦う前から始まってるんだよ。ヴュルツナー教授は得意の魔法陣を
ローゼンシュティール教授の黒い姿が見えなくなるほど、白い紙の鳥が彼を取り巻いて
灰になった紙がはらはらと落ちていく。
その中心には平然とした顔のエメリヒ・ローゼンシュティールが立っていた。彼はすました顔でほつれた黒絹の
「やはり紙の魔法陣は強度が問題になってくる」
ふむ、と考え込む
「今の
「聞こえなかったぞ!」
「あの炎の大きさ、見たか!?」
「むう……参った、降参だ」
「約束通り、署名していただきます」
ローゼンシュティール教授は長い
「私は少々、
「少々どころじゃなく付き合いの悪い若造だよ、君は」
「申し訳ありません。
「研究室に引きこもって
「おっしゃる通りです。ですから、こうして今回は確かめに来たのです」
ローゼンシュティール教授は青白い顔を引き
「……これほど多くの人間が、ここにはいる。考えていることも様々です。何人もの口を
「ほう?」
ヴュルツナー教授が髭をつまむ。再び向き合ったローゼンシュティール教授は青い目で相手を
「金属板に書き付けた
「何のことかな?」
髭をねじりながらとぼける老教授に、彼は口元を
「私が呪文に
「なるほど、至上主義を
「日夜研究に
「そうかね」
「我が師ヴァルヴァラ・アカトヴァからも、魔法陣にかけてはヴュルツナー教授の知識欲と探究心にはかなわないとよく聞かされていました」
「うむ。そうかね。そうかね」
目に見えてヴュルツナー教授の態度が
「私も勘違いしていたようだ。君のような若者が教授になるくらいだ、魔術を構成する要素の
「教授に比べればまだまだです」
私はポカンと口を開けた。ローゼンシュティール教授がお世辞を言えないことくらいわかっている。心から本当にそう思って
二人はどちらからともなく
そうなると、
***
「失礼します」
一日の講義の終わったローゼンシュティール教授の講義室は静まり返っていた。散らかっていたいくつかの机を片付けて、
ノックをして中に入ると、思った通り彼はそこにいた。
「あの、ありがとうございました」
「ああ……」
教授は
「手当て、もうしました?」
「これぐらい、
「ダメですよ! 小さな傷でも
どこかで見かけたはずの消毒液とガーゼを
「腕と、顔と、
「……ローブで
「そうですか、よかった」
「ッ」
「あ、痛かったですか?」
「そっとやれ、馬鹿者」
「すみません」
今度は痛くないように
「私を
なんだか子どもっぽい言い方だ。ある程度大人になってきたら、好きじゃない人ともそこそこに付き合う。教授になるほど
「世の中にはもっと
「何だと?」
「でもムカついてはいました。だって間違ったこと言わないし。知ってます? 正しいことってめちゃくちゃ歯がゆいんですよ。
「今日の教授はかっこよかったです」
あれほどいがみ合った相手なのに、スルリと
「お前は、よく
どこかぎこちないしゃべり方でぽつりとこぼす。目を合わせようとすると
「これは……」
「わざと忘れていったんじゃないのか?」
「ち、違いますよっ!」
「だろうな」
教授がフッと口角を上げて──笑った!? 初めて
「見も知らぬ文字や言葉を勉強して、たった数ヶ月で身に付けた。
指の長い大きな手が
まとめた
ギレスさんやテオさんたちがいつも助けてくれるのとは全く真逆で、ローゼンシュティール教授は嫌なことばかり
気付かないうちに、教えられていた。読み書きだってユリアンやテオさんに頑張っていると褒められるほど成長したのは、教授がいつも細かく
この現象をなんと呼んだらいいのか、彼は何がしたいのか、少しも読めない、わからない。
でも、他の人相手ならこう疑っただろう。「きっと私が『旅人』だから優しくしてくれているんだ」──エメリヒ・ローゼンシュティールは
私は背筋を正して彼をまっすぐに見た。ローゼンシュティール教授の宝石みたいな
「教授。──
異世界転移したけど、王立学院で事務員やってます 平穏な日常、時々腹黒教授 虎石幸子/角川ビーンズ文庫 @beans
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