一章 陰険根暗げじげじ教授②

 読み書きもやっと覚えたばかりの私には無理難題だとわかっていたけど、学生さんのよくぐあの冷た~いローゼンシュティール教授の態度は見ていられなかった。あの冷血漢め。手続きが大変だぞ、くらいでやんわり済ませておけばいいのに、ズバズバ言わなきゃ気が済まないの?

「う~っ、難しすぎるよ~!」

「シノブ大変そうっすねえ」

 助手課のデスクにした私を見下ろしながら、ユリアンが声をかけてきた。手元の書類をのぞき込んできて、ようこうの多さにうわっと引いている。

「そうだ、ユリアン。教授方の賛成が欲しいから、ここに署名もらってきてくれる?」

「いいっすけど。オレがもらえそうなのは担当の半分くらいっすよ」

「えっ、なんでっ」

「ローゼンシュティール教授だいきらばつっす」

「大嫌い派閥……」

「以前言ったでしょう。ローゼンシュティール教授はじゆもん至上主義だって」

「テオさん」

 ちょうどもどってきたテオさんが私のとなりのデスクに座りながら説明してくれた。

「魔術科は細かくせんこうが分かれていますが、先生方の仲は悪くないんですよ。みなさん古い付き合い同士ですし」

「だいたいお年寄りばっかっすもんね」

「そこに新人の教授がやってきて、それも自分の四分の一のねんれい。態度こそ悪いですが授業は学生に評判で、呪文の人気ばかり上がっているし、学生もしきほうじんはもう古い、これからは呪文だ、なんて言い出したら……面白くないでしょう?」

「面白くないですね」

 そんな過激なことやってたのかあの嫌味教授。なつとくしてうなずいた。

「最近では魔法陣専攻のヴュルツナー教授が派閥の筆頭ですね」

「一番の古株っす」

「彼はローゼンシュティール教授のしようとも旧知の仲だそうですよ」

「師匠っていうと……」

「ヴァルヴァラ・アカトヴァです」

 名前が出たとたんにユリアンは興奮気味に身を乗り出した。

「伝説のハーフエルフっすよね。ガキん頃よく母さんに聞かされましたよ」

「長い間旅して、世界に散らばっていた魔術を集めて再編させたのが彼女です」

 そういえばここ異世界だった。ハーフエルフがいるとは。私はけに半開きの口からかんたんの声をらした。あっ、いやいや、今はそんな惚けている場合じゃない。

「えーと、とにかくすごい人がローゼンシュティール教授の師匠なんですね。──……あれ? でも、師匠が旧知の仲なら、そのってヴュルツナー教授にとっても可愛かわいいものじゃないんですか?」

 テオさんは苦笑する。

「ローゼンシュティール教授はあの通りのひとぎらいだから」

「ああ……可愛げゼロですもんね」

「今じゃ可愛さ余ってにくさ百倍、と。そんなところでしょうか」

 ネチネチ教授はあちこちに敵を作ってるらしい。ごうとくというべきか。私もそんなひとりだけど、一方でそう憎めないと思っている部分もある。こうやって小難しい書類におくれせずに向き合えるのも、ローゼンシュティール教授の嫌味にえて何度も書き直しを重ねた成果だ。でもそれを差し引いても、あの口の悪さでおりがきているんだけど。

 二人に学園祭のことを相談すると、ユリアンが知り合いのツテをたよってみてくれることになった。そういえば商科の出身で、この間の昼休みに商科はお祭り好きで学院でよく行事をやっていると聞いたな。科もけんじゆつ大会を毎年大々的に人を集めて開催しているらしいけど、お祭りならば商科の行事のほうが参考になるかもしれない。予算も魔術科には剣術大会にがいとうする行事が今までなかったから、じよう分があるかもしれない。

 それよりもまずはかくしよしんせいしよるいを一式そろえる必要がある。

「シノブさん、教授の賛成票、これだけ集まりましたよ」

 授業後の後片付け中、ギレスさんが紙の束をわたしてくれた。かなりの厚みがある。どれも学園祭開催に賛成する署名の入ったものだ。

「えっ、こんなに? どうやったんですか?」

 チャラ人脈エベレスト級のユリアンでも担当教授の半数しかもらえなかったのに。それも根暗教授大嫌い派閥の人の名前もチラホラとある。おどろいてたずねると、ギレスさんはちやっ気たっぷりにウィンクした。

「こう見えて僕、人望があるんですよ」

「すごい!」

 人によっては嫌味に聞こえるセリフなのに、さわやかにさえ感じる。思わずはくしゆたたえた。

「書類ももう出来上がりそうなんです。こんなにトントンびように進んじゃっていいのかな」

「シノブさんが僕たちのためにいつしようけんめいになってくれているから、僕らもできることをしないと」

 ギレスさんの手がいたわるように私の肩をやさしくたたいた。じんわりと心にしみて、ちょっと泣きそうになってあわてて顔を上げた。

「残りも仕上げて、ルートヴィヒ様にこうしようしてきちゃいますね!」

がんってください」

 ガッツポーズをして、私は助手課へけていった。

 それからユリアンが商科の事務員仲間から入手したイベントの書類を参考に、辞書片手に学園祭の企画書、申請書を一気にまとめた。テオさんのチェックも入ったので不備はないはず。

 私は意気込んでとうの中央に置かれた転移の石板までやってきた。学院の理事長である領主様に急ぎ判断をあおぎたい用件があるときに、魔術で造られたこの石板を使って領館まで転移する。

 事務棟の中央は広場になっていて、王国のしんこうするがみさませいれいの像がポーズをとっている。転移の石板はその真ん中の女神様が手にしてこちらに向かって差し出していた。石板には文字がられていて、決まった言葉を指でなぞる。辺りがまばゆく光り始めて、ふわっと身体からだが宙にく感覚がする。目も開けていられないほど光った一瞬後には目の前の景色は変わっていた。

 石造りのゆかやアーチの柱はない。みがきこまれてつやを帯びた床に、高いてんじようには魔術できらめくシャンデリアが下がっている。大きなびんにははなやかにかざられた花。領主様のやかたのエントランスホールだ。来客に館の使用人がこちらにやってきたので、名前と用件を伝える。前もってテオさんが伝えておいてくれたから、すんなりと領主のしつ室へと案内された。

 重々しい両開きのとびらの向こうには、久しぶりにお目にかかる領主のルートヴィヒ様がいた。金色のかみに同じ色のカールしたまつに囲まれたへきがん。長い髪をベルベットのリボンでまとめて、背中に流している。白い顔の中心に、まっすぐな鼻筋に少し厚めのくちびる。仕立てのいいシャツにすんなりしていながら男らしい線の身体からだを包んでいる。うるわしいけど、今日はどんよりした顔つきと空気できらきらしさが半減している。

「やあ、シノブ。久しぶりだね」

 ルートヴィヒ様は私に気付くとほおゆるめた。森で初めて会った時こそ美男ぶりにドキドキしていたけど、いつ来ても書類に囲まれて死にそうになっているので最近は体調の心配しかない。まあ執事さんも使用人さんたちもゆうしゆうらしいから、ちゃんとすいみんも食事もってるだろうけど。たぶんいそがしいのは、領主と学院の理事長の二足の草鞋わらじいているからだ。

「お久しぶりです、領主様」

「ルートヴィヒでいいって言ってるだろう? かたるのはこいつ相手だけでいいよ」

 一枚の紙を片手に彼はグルグル肩を回した。

「申し訳ないですけど、その肩の凝るやつを追加で持ってきたんです……」

「君が?」

 ルートヴィヒ様が意外そうに目を見開いた。興味がわいたのか差し出してきた手にははーっと書類を手渡す。

「お目通ししてもらえると助かります。魔術科で、学生主導の行事を考えてるんです」

「へえ……これ、君が書いたの?」

つたないとは重っ々、承知の上です」

 しばらく紙をめくる音だけが部屋にひびいた。自分の肩がこわっているのがわかる。意識してゆっくりと息をいた。最後のページを読み終えた領主様は感心したようにうなった。

「よく出来てるね。しっかりきたえられたらしい」

「はい、テオさんと……特にローゼンシュティール教授にはこってりやられました」

 私の口ぶりが可笑おかしかったらしい、ルートヴィヒ様はふふっと笑った。

「感心感心。私も領主としてはまだまだ若いから、役に立たない人間のめんどうを見てあげられるほどのゆうはないからね。しっかり学んでいるようで安心したよ。これなら真冬に食い扶持ぶちを増やすためにほうり出す必要もなさそうだ」

「は、ははは……頑張ります」

 表情こそにこやかだけど、目はするどく光っていた。ひやあせが止まらないのをまんしながら、あいわらいをする。

「あいつ、言い方はきついけどちがったことは言わないから」

「あいつ?」

「エメリヒのことだよ。君の担当教授」

「ああ……でもですね、もうちょっと言い方ってものがあるでしょう?」

「それが出来ないのがエメリヒだよ」

 手のかかる弟みたいな言い方だ。

「書類、直すところはあるけど、問題はないよ。こちらとしてはね。予算も何とかなる。ただ、教授たちの賛同が得られなければ理事としては許可が出せないな」

「署名が集まればいいんですね?」

「ああ」

 胸の前でキュッとこぶしにぎった。署名もあともう少しだ。

「話は変わるけど。じゆつのこと、エメリヒから聞いたかい?」

 領主様の話題てんかんにちょっと気まずくなって肩をすくめる。

「あの、えーと……はい」

「その顔だと、エメリヒが教師役になるのになつとくしてない?」

「はい。ほかの人ではダメなんですか?」

 疑問を投げかけると、ルートヴィヒ様はまゆじりを下げて目を細める。

「エメリヒはね、子どものころから大きな魔力を持っていたんだ」

「はあ……」

 どうしてここでそんな話が出るのか。ついていけずに首をかしげる私をよそに、彼はしよさい机の上で両手を組み、遠くを見る目をした。

「魔術を習い始めてすぐに、力が暴走した。生まれ持ったもので、彼のせいではない。でも、暴発に巻き込まれて家族が……姉君がを負ってね」

「あの……そんなプライベートなこと、私が聞いてもいいんですか?」

 デリケートな話だ。いくら憎きローゼンシュティール教授でも、赤の他人の私に知られていいはずはないだろう。そう思っていたのに、ルートヴィヒ様は小さく首をる。

「エメリヒが君は知る必要があると言ったんだ。あいつはその後、ヴァルヴァラ・アカトヴァという人のになった。家を出てしゆぎようの旅をしているうちにだいぶ可愛かわいくない仕上がりになったけどね」

「ローゼンシュティール教授が教えれば、私が魔力を暴走させることはないんですか?」

「コントロールの仕方を彼は知っている。君と、君の周囲、この領地の安全のためにも、教師役は彼が適任だ」

「……」

 思ったよりも自分が持つという力の重大さにまどってしまう。それに、間違ったことは言わないとしてもいやったらしい教授から教わらなければならないなんて、まだん切りがつかない。

「まあ、君の気持ちもわかるよ。ゆうはあまりないけど、よく考えて。気持ちが固まったら言ってくれ」

「はい……」


   ***


「署名を取り消しって、どういうこと!?」

 バン! と思わずデスクを叩いてしまった。びっくりするユリアンにハッとして手を引っ込める。テオさんは取り消しですっかり減った署名を手に取った。

「しかもほとんど全員……。何があったの?」

「ヴュルツナー教授が本気で反対し始めたんですよ。教授たちに働きかけた」

「あの教授は魔術科のドンみたいなもんっすもんねえ」

「私、直接話してきます!」

「あっ、ちょっと!」

「シノブさん!」

 二人が呼び止める声も聞こえず、書類一式をかかえてとうけ上った。

 ゴットホルト・ヴュルツナー教授は、口元のていねいに切りそろえられた白いおひげき出たおなかがチャームポイントのおじいさんだ。ユリアンと楽しそうにだんしようしているところを見かけたことはあるが、面と向かって話したことは一度もない。

「失礼します。ヴュルツナー教授はいらっしゃいますか?」

 教授の研究室を訪ねると、お弟子さんがむかえた。ローゼンシュティール教授のように弟子を持たずに研究にぼつとうする人のほうがめずらしく、つうは何人かお弟子さんをとって自分の身の回りのことを手伝わせながら研究に専念する。少なくても一人か二人は弟子をとるものらしい。

「……どちら様ですか?」

 少し上を向いた鼻がとくちよう的な、ひょろりとした男の子だ。ちろりとちゆうるいのような目つきでこちらを見ると、まくっていたそでもどしながらたずねられた。何かの下ごしらえをしていたようだ。

「助手課の事務員のシノブといいます。おうかがいしたいことがありまして」

「……お待ちください。教授にかくにんしてきます」

 お弟子さんは私が入ってきたのと別のとびらをくぐった。ここは研究室とは別に教授の私的な部屋がある造りになっているらしい。

 結構な時間を待った後、出てきたお弟子さんは何の感情も読めない顔で頭を下げた。

「教授は今お忙しいので、お帰りください」

「あの、お仕事がお忙しいのなら、おひまになる時間にお伺いします」

「さあ……ボクにはわかりかねますし、教授はいつもおいそがしい方なので」

「大事なお話なんです」

「申し訳ありません。お帰りください」

 冷たい返事だ。もうこれ以上は相手をする気がないと背中を向け、彼はまた作業をするべく袖を捲る。ユリアンと談笑していた教授の様子とはまるで違う対応だった。ここで引き下がるなんてできない。私はお弟子さんの横をすりけて私室のドアにとつげきした。

「っ、お待ちください!」

「失礼します!」

 後ろから服を引っ張られながら、勢いよく扉を開ける。中には白い髭を鼻の下にたくわえたおじいさんが一人、ソファにくつろいで本を読んでいた。とても忙しいようには見えないが、研究の下調べかもしれないし、そこはどうでもいい。

「お忙しいところ失礼します。ローゼンシュティール教授担当のシノブといいます。ヴュルツナー教授にお願いしたいことがあってきました!」

 ヴュルツナー教授はこちらを見るとにっこりと人好きのする顔をした。

「おやおや、ローゼンシュティールの若造は担当にれいも教えていないらしい」

 遠巻きにいだいていた印象とは全く違った。突き出たお腹をらしながら、ヒゲぽちゃ教授は嫌味っぽく笑う。

「……失礼は承知の上で参りました」

「これ以上どんな無礼を受けるのか見ものだな」

 ヒゲ教授はお弟子さんに合図した。私の服を引っ張っていた手がはなれ、お弟子さんは教授の後ろに立つ。

「あの若造は、じゆもんけいとうするあまり、われわれ魔術師がどういうものか忘れているようだがね。本来魔術は呪文やほうじんなどの複雑な要素がからみ合って成り立っている。困るんだよ。彼の授業を受けた生徒には、アレにえいきようされて、魔法陣やしきを低く見る連中もいるんだ」

「はあ……それは、大変ですね……」

 ヴュルツナー教授はとうとうとローゼンシュティール教授への文句を語り始める。ヴュルツナー教授のせんこうは魔法陣だ。積もるにくしみがあるのだろう。気持ちはめっちゃわかる。あいつの自分が正しい大正義俺様頭いいんだぞ俺以外みんな鹿けみたいな態度めっちゃ腹立つよね。つい気持ちが入ってしまい、扉の横に立ったままうんうんうなずいて、ヒゲぽちゃ教授の長いを聞いた。

「あの若造は呪文こそが至上だとでも言いたげに我が物顔で振るうがね、我々が長年築き上げてきた教授間の連帯や生徒からのしんらいを簡単にくずして喜んでいるだけのおろか者だよ」

「はい……お気持ち、大っっっ変、よぉくわかります」

 実感を込めて深く深く頷くと、ヴュルツナー教授はやっと険のある態度をやわらげてくれた。

「君もアレに苦労しているようだね。ところで、君の用とは何かな?」

「はい。学生たちがしゆさいする学園祭について、署名をいただきたくて参りました」

「彼らはローゼンシュティール教授のしんぽうしやです!」

 お弟子さんがムッとして声をあららげる。

「呪文ばかりめそやして魔法陣の講義は真面目まじめに聞きもしない。魔術科の地位を上げるためだとかいう大層な名目があるようですが、彼らにまともな運営が出来るとは思えませんね」

「やめなさい、カミル」

 たしなめられて彼はぷいとそっぽを向いた。ヴュルツナー教授は鼻の下の髭を少しでて、こちらに向かってにっこり笑った。

「君、シノブくんと言ったね?」

「はい」

「シノブくん。私はローゼンシュティール教授がきらいだ。それに流行はやりだなんだと学問に順位を付けてまつあつかう学生にもうんざりしている。よって、その書類に署名するのはお断りするし、ほかの教授たちにも私の意見をはっきりと主張させてもらう」

 ものすごくいいがおで答えるヴュルツナー教授の意志は固かった。それからどうこうしようしようとも、彼が頷いてくれることはなかった。

 結果ざんぱいした私は、助手課に戻ることもできなかった。持ってきていた書類一式をギュッと抱え直す。くやしくて、悔しくてしょうがない。辞書片手にいつしようけんめい書いたしんせいしよも、学生さんたちとどんなもよおしがいいか話し合ったかくしよも、いつしゆんになってしまった。ローゼンシュティール教授のせいで。あの人が他の教授にけんを売るような言動をしなければ。ギレスさんやテオさん、ユリアンに合わせる顔がなかった。あんなに色々協力してくれたのに、これじゃどうやっても学園祭がじつできない。

「げっ……」

 無意識に歩いて、通いなれたネチネチ教授の講義室の前まで辿たどり着いてしまった。どうしてよりによってここなんだ! 引き返そうと思っていたら扉が開いた。

「何をしている?」

「い、いえ。もう講義が終わったころかなーと思いまして……」

「もうとっくに終わっている。片付けがまだ終わっていないから手伝え」

「……はい」


   ***


 翌朝。気持ちを入れえて働こうと塔に向かうと、学生さんたちがあわただしく階段やろうを走っていく。どうしたのかと思っていると、切れ切れの会話が耳に入ってきた。

けつとうだってさ!」

「しかもあの教授だろ!? こんなのめつに見られないぞ!」

「急げ!」

 行き先は実技演習で使われるホールみたいだ。決闘なんてぶつそうなこと、止めたほうがいいんじゃないだろうか。一度助手課に戻ってだれかに報告するべきかなやんでいると、ホールの見物に来た人ごみの中にユリアンを見つけた。あっちも私に気付いておーいとのんに手をる。

「何があったの?」

「よくわかんないっすけど、教授同士の決闘っす」

「教授同士?」

「ヴュルツナー教授とローゼンシュティール教授っす」

「えっ!?」

 びして人のかきすきから見れば、本当にあの見慣れた黒ずくめの姿が立っている。白を基調にしたヒゲぽちゃ教授とたいする姿はしきさいも相まってくっきりとしたコントラストをえがいていた。滅多なことじゃ研究室から出ないあの根暗人間が、何があってこんなことをしているんだろう?

「古式ゆかしく、どちらかが降参と言うまで勝敗は決しないこととする」

ばんですが、わかりやすい方法ですな」

 ヴュルツナー教授がおひげを撫でながら宣言するのにローゼンシュティール教授はしぶしぶといった様子で頷いた。

「敗者は勝者の要求を受け入れる。どんなことであっても。──それでよろしいかな?」

「異論はありません。私が勝てば、署名を」

 その言葉に、何人かの学生がざわついた。ここ最近で署名と言えば、学園祭かいさいを賛成する署名に他ならない。私はまゆをひそめた。ああだこうだとなんくせを付けるだけで、手伝ってもくれなかったのに、どうしていまさら

「私は君に、教授職を辞するように要求する!」

 ざわついていた観衆がさらにどうようする。学園祭に賛同する署名とはり合いな条件だ。ヴュルツナー教授がそこまでローゼンシュティール教授を嫌っていたとは。ローゼンシュティール教授は眉ひとつ動かすことなくすんなり頷いた。

 二人の魔術師はたがいに背を向けて歩き出した。立会人を買って出たらしいギレスさんと、ヴュルツナー教授のおさんのカミルが歩数を数える。

「十歩目で振り返って戦闘開始っす」

 八、九……十。白と黒のローブがひるがえると同時に、強い風がれた。ヴュルツナー教授のそでから小さな白い鳥が無数に飛び出す。よく目をらすと、白い紙で作られただけのものだとわかる。

「ヴュルツナー教授お得意のじんふだだ!」

「あれは風の魔術か?」

 紙の鳥は群れになっていつせいにローゼンシュティール教授に飛びかった。顔をかばって前に出したうでを黒いローブごと切りく。無数の切り傷が教授の白い手のこうに広がっていく。防ぎきれずに、ほおに一文字の血の筋がかび上がった。興奮した学生のかんせいがあちこちではんきようする。

「あれだけの数、きようじゃないか?」

「バカ、魔術師の戦いは戦う前から始まってるんだよ。ヴュルツナー教授は得意の魔法陣をつねごろストックしてるんだ」

 ローゼンシュティール教授の黒い姿が見えなくなるほど、白い紙の鳥が彼を取り巻いてものすごい速さで飛びっている。もうただの切り傷では済まなくなる。うるさいひとがきを押しのけて割って入ろうかと思った時、きよだいほのおの柱が燃え上がった。

 灰になった紙がはらはらと落ちていく。

 その中心には平然とした顔のエメリヒ・ローゼンシュティールが立っていた。彼はすました顔でほつれた黒絹のかみうつとうしそうにかきあげる。

「やはり紙の魔法陣は強度が問題になってくる」

 ふむ、と考え込むつぶやきが聞き取れるほどホールは静まり返った。それから、ドッと周囲がき立つ。

「今のじゆもんは何だ!?」

「聞こえなかったぞ!」

「あの炎の大きさ、見たか!?」

 みな、口々に自分の目にしたものを語り始めた。

「むう……参った、降参だ」

「約束通り、署名していただきます」

 くちし気にヴュルツナー教授がうなった。私はぼうぜんとして根暗教授を見つめた。まさか、本当に勝つなんて。

 ローゼンシュティール教授は長いあしで一気にきよめて、姿勢を正した。

「私は少々、ひとぎらいだと自覚しています。それでかんちがいされることも一度や二度じゃない」

「少々どころじゃなく付き合いの悪い若造だよ、君は」

「申し訳ありません。あいらくの激しい人間よりも、たいぜんと変わらずある書物のほうが、こころおだやかにいられるもので」

「研究室に引きこもってじゆつたわむれていては、見えんものもあるのだぞ」

「おっしゃる通りです。ですから、こうして今回は確かめに来たのです」

 ローゼンシュティール教授は青白い顔を引きめて、ぐるりと辺りを見回した。

「……これほど多くの人間が、ここにはいる。考えていることも様々です。何人もの口をかいすればゆがんで伝わってしまう。理解しようとするならば、面と向かって話し合わねば」

「ほう?」

 ヴュルツナー教授が髭をつまむ。再び向き合ったローゼンシュティール教授は青い目で相手をえた。

「金属板に書き付けたほうじんもあったはずです。燃えないように保護をかけた陣札も。おかげでけいしようで済みました」

「何のことかな?」

 髭をねじりながらとぼける老教授に、彼は口元をゆるめた。

「私が呪文にけいとうしているのは、深い興味を持ったのが呪文だったからです。だから呪文をせんこうした。ヴュルツナー教授もそうでしょう?」

「なるほど、至上主義をかついではおらんのだな?」

「日夜研究にぼつとうしているだけですが、そう取られるのは心外です。魔法陣の奥深さ、美しさは私もよく知るところです」

「そうかね」

「我が師ヴァルヴァラ・アカトヴァからも、魔法陣にかけてはヴュルツナー教授の知識欲と探究心にはかなわないとよく聞かされていました」

「うむ。そうかね。そうかね」

 目に見えてヴュルツナー教授の態度がなんしたのがわかった。まだ髭をねじっているけど、表情はやわらかい。

「私も勘違いしていたようだ。君のような若者が教授になるくらいだ、魔術を構成する要素のおうみようさをよく理解している」

「教授に比べればまだまだです」

 私はポカンと口を開けた。ローゼンシュティール教授がお世辞を言えないことくらいわかっている。心から本当にそう思ってけんそんしていることにおどろかされた。とつぜんの人間らしい振るいに、どんな心境の変化があったのだろう。

 二人はどちらからともなくあくしゆして、あの学園祭開催に賛成する書類に署名した。そのしゆんかんを見守った学生たちはかいさいさけび、あっという間にとう中の人の知るところとなった。

 そうなると、日和ひよりしていた教授たちもその日のうちに意見を変えて、ほぼ全員分の署名が集まった。


   ***


「失礼します」

 一日の講義の終わったローゼンシュティール教授の講義室は静まり返っていた。散らかっていたいくつかの机を片付けて、きようだんの上に出しっぱなしになっているすいしようを布にくるんで足元の箱にしまった。ここにだれもいないということは、教授は研究室のほうだろうか。

 ノックをして中に入ると、思った通り彼はそこにいた。ひじしずみ込むように座り、そろいのオットマンに長い脚をのせている。にくらしいほどスタイルがいい。遠目でもわかるほど顔色が青白い。

「あの、ありがとうございました」

「ああ……」

 教授はかんまんに顔を上げてうなずいた。シャープなラインを描く頬にきずあとが痛々しい。

「手当て、もうしました?」

「これぐらい、ほうっておいても治る」

「ダメですよ! 小さな傷でも鹿にできませんからね。ばいきんが入ったら大変です」

 どこかで見かけたはずの消毒液とガーゼをさがして見つけ出し、作業台の下の丸椅子を引っ張ってきてとなりこしけた。

「腕と、顔と、ほかはどこですか?」

「……ローブでかくれていて助かった」

「そうですか、よかった」

 かべのフックに掛けられたローブを見れば、わいそうなぐらいボロボロになっている。持ち主の代わりにせいになってくれたんだ。消毒液を多めにガーゼを湿しめらせて、頬の傷をおおうように押さえる。

「ッ」

「あ、痛かったですか?」

「そっとやれ、馬鹿者」

「すみません」

 今度は痛くないようにしんちように押さえた。近くで見るときめが細かくてれいはだだ。女の子でもなかなかいないぞ。横から見ると、鼻筋のまっすぐさがよくわかる。まつも長いし、本当に整ってる人だ。まじまじと観察していると、少しうすめのくちびるがゆっくりと動いた。

「私をきらってるんじゃないのか、お前は」

 なんだか子どもっぽい言い方だ。ある程度大人になってきたら、好きじゃない人ともそこそこに付き合う。教授になるほどかしこい人が、そういう処世術を知らずに育ったみたいな考え方だ。ふっとかたの力がけた。

「世の中にはもっといやな人がいっぱいいますよ。教授みたいな人は可愛かわいいもんです」

「何だと?」

「でもムカついてはいました。だって間違ったこと言わないし。知ってます? 正しいことってめちゃくちゃ歯がゆいんですよ。ゆうずうがきかないし、視野もせまい。正しいことで自分は動けても、他人は動いてくれない」

 上手うまくいかなかった就職活動、どうしてなのかちょっとわかってきた気がする。あのころの私は就職がゴールだと思って正しく振るわなければと思っていた。でも、あそこはゴールじゃなくて、生身の人間がたくさん働いている場所なんだ。

「今日の教授はかっこよかったです」

 あれほどいがみ合った相手なのに、スルリとめ言葉が出た。まだ青い顔の教授は青い目をこちらに向けて、何か言いたげに唇を開いて、また閉じた。

「お前は、よくがんっている」

 どこかぎこちないしゃべり方でぽつりとこぼす。目を合わせようとするとらされた。座ったまま反対どなりしよさい机の上から紙の束をつかんで、差し出してくる。

「これは……」

「わざと忘れていったんじゃないのか?」

「ち、違いますよっ!」

「だろうな」

 教授がフッと口角を上げて──笑った!? 初めてちようしよう以外の教授のみを見てしまったかもしれない。あまりのしようげきにぎくしゃくしながら、昨日くしたと思っていた学園祭の書類を受け取る。

「見も知らぬ文字や言葉を勉強して、たった数ヶ月で身に付けた。かくしよしんせいしよまで書きこなすようになった。お前をしたう学生は多い。全部お前の努力の成果だ」

 指の長い大きな手がこわごわ頭をでた。いつもなら他人のことなんかめもしないくせに、今日はやけにしおらしいじゃないか。

 まとめたかみくずれる不器用な手つきに、何だかくやしくなった。

 ギレスさんやテオさんたちがいつも助けてくれるのとは全く真逆で、ローゼンシュティール教授は嫌なことばかりき付けてくる。できないこと、知らないこと、わからないこと……無知だの馬鹿だの言われて腹を立てている間に、いくつかできることが増えた。知ることも増えた。考え方も変わった。

 気付かないうちに、教えられていた。読み書きだってユリアンやテオさんに頑張っていると褒められるほど成長したのは、教授がいつも細かくてきしてきたからだ。私の居場所を少しずつ広げてくれた。

 やさしくなんかない、全然ない。でも、彼の厳しい言葉は、みちしるべのように、気が付いたら私を導いてくれている。

 この現象をなんと呼んだらいいのか、彼は何がしたいのか、少しも読めない、わからない。

 でも、他の人相手ならこう疑っただろう。「きっと私が『旅人』だから優しくしてくれているんだ」──エメリヒ・ローゼンシュティールはちがう。彼にあわれみはない。優しさも、思いやりもない。その代わりに、正しい。

 私は背筋を正して彼をまっすぐに見た。ローゼンシュティール教授の宝石みたいなな目が私をとらえる。

「教授。──じゆつ、私に教えてください」

 みやくらくのない私のたのみに、教授はおもしろいぐらい不意をかれた顔をした。

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異世界転移したけど、王立学院で事務員やってます 平穏な日常、時々腹黒教授 虎石幸子/角川ビーンズ文庫 @beans

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