一章 陰険根暗げじげじ教授①

 なーんて、じゆんすいに人を信じてた時期もありました。

 お母さん、あなたのむすめ、多英忍が異世界へ来て、半年が過ぎました。まだ右も左もわかりません。大変苦労しています。

 半年前は就職活動に明け暮れてましたね。何十社もれきしよを送って面接や試験を受けてはなかなか内定がもらえなかった私が、アーベント王国の北にあるヴェーヌスっていうところで、今は王立学院の事務員をやっています。これってある意味、就活かんりようしたってことでしょうか?

「何だ、このレポートは?」

 乱暴にき返された書類の束に、ローブ姿の学生たちは押しだまった。

 たった今入ってきたとびらを音がしないようにそっと閉めながら、私は息をのんで静かに様子を見守った。

 彼らの前には、私がこの異世界に来て初めて出会い、私が生きていく手助けをすると約束してくれた、エメリヒ・ローゼンシュティール教授がいる。黒絹の髪に、宝石をはめ込んだような深い輝きの青いひとみ。人形かと思うほど美しく整った顔立ちに、長い手足というめぐまれたスタイル。

 アーベント王立学院じゆつ科、じゆもん構築せんこうの教授で、呪文構築スペルクラフトの名手・マスターと呼ばれている。そのせいか、どんなとげとげしいセリフも歌うようになめらかに聞こえてしまう。彼は白くひいでたけんに深々としわを刻み、ものすごく険しい顔でにくにくしげに自分がたたきつけた書類を睨んだ。

 恐る恐る男子学生の一人が訊ねる。

「ど、どこか不備がありましたか?」

「不備だらけだ。まず読みにくい。そもそも誤字が多い。助詞のミスも多い。語順もまずい。なぜ簡潔に書けない? ダラダラと分かりにくい接続で一文が長い。この文章で何が言いたいのか全く理解できない。こんなものを読まされるこちらの身になってみろ、読むだけ時間のだ。こんなものを読まされるくらいなら古代呪文書を解読していたほうがまだ意義がある」

 いきぎもなくスラスラと並べ立てられるのにびっくりする。しかもいちいち細かいてきだ。

 気が遠くなった私は、彼の背後にかけられたタペストリーへ見るともなく目をやった。星のモチーフにいくつもの円やがく模様が折り重なっている。その周りに短い文章が書きこまれている。こちらの字は大陸文字と呼ばれている。覚えてまだ日が浅いけど、何かの詩が書かれているみたいだ。

 神経質そうに教授の指先がコツコツとしよさい机の表面を叩いた。

「とにかく、明日までに書き直してくるように。指摘した部分が直っていなければ次はない」

「そ、そんな!? 明日までなんて無理です!」

「王立学院の学生ならばつうだ。ここで無駄口を叩く時間があるなら、帰って一秒でも早くレポートに取りかるべきではないか?」

「っ……!」

 にべもない教授に、学生さんたちはみして、レポートをひったくってきびすを返した。

「『悪魔』め」

「おれ達ととしもそう変わらないくせに、偉そうに……」

「しっ、聞こえるぞ」

 彼らはもごもごと毒をきながら去っていった。しんちように閉じたばかりの扉がバタンと大きな音を立てて閉まるのを見送る。

「何の用だ?」

「あ、は、はい。実技用のホールの貸出しんせいしよを書いたので、かくにんをお願いします」

「それは昨日たのんだ。難しいものでもない、昨日のうちに作れるはずだ」

「す、すみません……」

「それほどいそがしいのか?」

「いえ、まだ新人なので、せんぱいのテオさんにチェックしてもらってから……」

「話にならないな」

 つかれたようなため息が聞こえてきた。ローゼンシュティール教授はイライラと頬にかかる長い黒髪をうつとうしそうにはらいのける。その仕草さえちょっとした絵画になりそうな美しさだが、美人は三日できるというやつだ。今じゃ逆に憎々しささえ覚える。

 あの夜の印象がまぼろしみたいだ。最近はあの時はねこかぶってたか実は二重人格か、それか実はそっくりなふたの兄弟がいたかと思っている。

「すみません。次はすぐに作れるように努力します」

「努力だけか? 結果に結びつかなければ意味がない」

 こっちは反省しているのに、この追い打ち。ほんっとうに可愛かわいくない。食いしばった歯の下からこの場を去るべく返事する。

「はい、すみません。あの、ではこれで失礼します」

「待て」

「はい?」

「読み書きに加えて、もうそろそろお前も魔術のを学ぶべきだ」

「はあ、魔術……」

 ローゼンシュティール根暗教授が何を言わんとしているのかいまいちよくわからない。首をかしげる私に、彼はわざとらしくせきばらいする。

「お前も『旅人』だ。学院で収まらずに領地の役に立つことをしろ」

「はあ……それが、魔術を学ぶ、ですか?」

「そうだ。本来ならば基礎魔術など家庭教師かじゆくで習うものだが、『旅人』には大きな魔力を持つ者が多い。せんさいで複雑なコントロールを必要とする魔術を教えるのに私ほどの適任はいない」

「はあ……つまり?」

 段々いやな予感がしてくる。察しの悪い私にいらついたのか、陰険教授はかたまゆをピクリとね上げた。

「この私が直々に教えてやろう」

「嫌です!」

 とっさに本音が出た。

「何だと?」

「あー、えっとぉ。教授はただでさえお忙しいでしょうから……」

「問題ない。『旅人』は大きな魔力を持っている。魔術を身に付けることは急務だ」

「でも、教授が教える必要はないですよね? ほかの人でもいいじゃないですか」

「ルートヴィヒのりようかいも得ている」

 私の意思は無視か! ムッとしたけど、言い返すなんてできず、私はちらりと後方確認した。だつしゆつ路よーし。ジリジリと後ろに下がりながら、胸を張って答える。

「私はめられてびるタイプなので! 教授にガミガミ𠮟しかられながら教わってもち───っとも覚えられる気がしません! では失礼しました!」

「おい、待て!」

 待てと言われて待つ鹿がいるかよ! 重たいかしの木の扉まであと退ずさりして体当たりするように開けると、そのまま反転してげた。

 全速力でカーブしたろうけていると、勢いよく何かにぶつかった。

「きゃっ」

「いったた……」

 しりもちをついてしまい、痛みにうめく。持っていた書類が石造りのゆかに散らばっている。目で辿たどると、やわらかいももいろのドレスのすそが視界に入った。

「ちょっと! どこ見て歩いてるのよ!」

 頭上からり声が聞こえて顔をあげると、見知った赤毛の少女がまなじりり上げていた。ハッと目の前を見れば、ドレス姿の少女がたおれている。

 ぶつかったのは人だったのか! あわてて立ち上がり、手を貸そうとする。

「ご、ごめんなさい!」

「無礼者! アンタの手なんかいらないわ!」

 赤毛の少女ににらみつけられた。ほおにはそばかすが散っていて、ツンとした鼻は少し上向いている。こんいろじよのお仕着せを着ている。

 彼女はオリヴィエというらしい。自己しようかいなんてされたことないからどうりようからの人づてだけど。オリヴィエちゃんは侍女で、あるれいじように仕えている。そのご令嬢の代理として、教授に色々と差し入れを持ってくる姿をよく目にしていた。

「やめなさい、オリヴィエ」

「でも、お嬢様!」

 白銀のかみが陽光を受けてさざ波を打つように広がっている。あわい緑の目は長いまつふちどられていて、まばたきで愛らしく見えかくれする。ぶつかったしようげきで髪がほつれていなければ、かんぺきすぎてようせいじゃないかとまがうほどの美少女だ。

 オリヴィエちゃんが仕えているご令嬢というのは、なんとあのローゼンシュティール教授のこんやくしやなのだ。いんけん教授に、婚約者。

 オリヴィエちゃんが付き従って助け起こそうとしているということはつまり、この少女が例の教授の婚約者なのだろう。

「申し訳ありませんでした。私の不注意です」

 声に力をこめて頭を下げる。けいそつだった。私はもう子どもじゃないし、学院は仕事場なのに、なんで後先考えずに行動したのか。第一、廊下は走ったら危ないなんて子どもでも知っていることだ。

「悪いと思っているなら、今度からこんなところを走らないでちょうだいね」

「そうよそうよ! 育ちが悪いったらない!」

「はい。本当に申し訳ありませんでした」

 なるほどたおやかでやさしい人だ。けどそれに便乗して私を馬鹿にするオリヴィエちゃんめ。彼女はどういうわけか教授の助手として接する機会の多い私をにくんでいる。

 私はもう一度頭を下げた。下を向いた視界に、ふわりとたわんだドレスの裾に細い手が動くのが映る。床に散らばった書類を拾い上げて、目の前に差し出された。

「お仕事ご苦労様。もうおこってないわ」

「あ、ありがとうございます……」

 慌てて顔をあげて受け取る。にっこりと柔らかく微笑ほほえまれると、あまりの美しさに何だか頬が熱くなる。ルートヴィヒ様といい教授といい、こっちの世界に来てやたらと美形に出会うことが多いけど、この人はいるだけで辺りの空気がせいじようになりそうだ。

「お嬢様は優しすぎます!」

「オリヴィエ、もうやめてちょうだい」

「でも、お嬢様! 教授はお嬢様の婚約者なのに、こんなむすめに周りをうろつかれたらめいわくです!」

「何度も言いますが、私はただの事務員で、教授とはお仕事以上の関係はありませんから」

 オリヴィエちゃんには何度も説明しているけど、わかってくれない。だいたいあんな根暗で口うるさい人なんか、いくら美形でもこっちから願い下げなんだけどなあ。

「身のほどを知りなさい。アンタとお嬢様じゃ勝ち目なんてないのよっ」

「オリヴィエ!」

 お嬢様はひとつ大きなため息をく。

「教授が待っていらっしゃるわ、行きますよ」

「あっ、お、お嬢様!」

 ドレスの裾をひるがえして歩き出した。オリヴィエは慌てて追いかける。その後ろ姿を見送って、かたを落とした。やれやれ、今日はどうしてこんなに色々続くんだろう。


   ***


 私が今いる、アーベント王国がほこる王立学院は、そもそも北の国境を守るために才能ある若者を集めて、最北の領地であるヴェーヌスにじゆつの卵を育成する機関を設立したのが始まりらしい。春になっても雪をかんする険しい山脈の中、静かにそびえ立つ石造りの城が学院だ。

 城の中は聖堂や中庭、図書館や式典のためのホール、食堂に学生や教授の生活するりようもある。騎士の卵が学ぶ騎士科のそうごんな建物の城館に対して、魔術師の卵が学ぶ建物は城の一番奥にあって、『とう』と呼ばれている。背の高い建物の多い学院の北側にあって、天にも届くかというほど高い。ところどころ教授方が増築して変なせんとうを生やすのでちょっとどころでなくいびつな形をしている。

『塔』の階層が上になればなるほど小難しいことを教えている教授の研究室や住居があるし、下になると授業のための講堂や実技演習をやるためのホール、そしてその足元に城館がつながっていて、学生と教授をお手伝いする私達事務員のひかえるとうがある。塔のエントランスは三階部分までき抜けになっていて、入ってすぐりようわきからえんえがくようにかべ沿いに階段が伸びている。

 階段の合流するおどり場の下はアーチ形にくりぬかれていて、そこが事務棟の入り口だ。塔側の入り口から真ん中までが魔術科担当の事務員、騎士科につながる部分までがあちらの担当事務員の部署だ。

 事務棟の騎士科担当と魔術科担当には境目はないけど、ひと目でわかる。なんとなく金ぴかのよろいや真っ白な大理石のちようこくなどの置物が多かったり、みがきこんで顔が映りそうなほどそうすみずみまでなされているほうが騎士科だ。魔術科は掃除もおろそかにされているのか、蜘蛛くもの巣が張っていたり、置かれている明かりも少なくてどことなくうすぐらい。なんとなくは気付いていたけど、もしかして魔術科って追いやられてる? そういえば『塔』の立地も一番奥で、城の中でも一番寒くて年中日の当たらない北側だ。

 気を取り直して中に入ると、吹き抜けでてんじようが高い廊下がずーっと続いていて、それを支える柱型のアーチの大きさに毎度通るたびにポカンと口を開けてながめてしまう。外からではこんなに高さと奥行きがあるとは思えないけど、魔術で空間拡張しているらしい。

 学生さんのサポートをする学生課、教授の授業の要望を聞いて講堂や授業時間を配分して教授と学生のはしわたしをする教務課、そのとなりが私の所属する助手課だ。さらに奥には講堂や演習場、ホールなどの使用を管理する課、経理課、入試課、人事、警備など、まだまだ色々ある。最近働き始めた私にはたぶんまだよくわかってない課も多いけど、なかなかそうかんで好きな眺めだ。

「ただいまもどりましたー」

 とびらをくぐると、中は相変わらずいそがしそうだ。ある者はすごい勢いで書類をさばいていたり、ある者は通信用すいしように向かって手を合わせて拝んでいる。よくわかんない機材を運んでいたり、分厚い書物を箱にめ込んでいたり、本当に色んな仕事をしている。

「おかえりなさい、シノブさん」

「おかえり、シノブー」

「テオさん、聞いてくださいよ~」

 テオさんは私の指導役のせんぱいだ。私の泣き言に顔をあげてズレた眼鏡めがねを直す。とくちよう的なかぎばながちょっと知的な男性だ。

 もう一人むかえてくれたのは同期で入ったユリアン。ひょろりとして背が高い男の子だ。テオさんのはすかい、私の正面のデスクに座ってこっちにひらひら手をってくる。

「ローゼンシュティール教授とあいしよう悪いですねえ」

「あっちの問題です。いちいち細かいんですよ! 努力は結果に結びつかなければ意味がないって、つう言います?」

「まあ正しいてきですね」

「テオさん?」

「毎年いるんですよねえ。自分は大物だと言うばかりでレポートひとつまともに提出しない学生さん」

「ああー、オレの同期にもいたっすね。ちよう簿けの課題もろくにやらないでめてたら卒業できなかったやつ」

 ユリアンが頭の後ろで両手を組みながら同意する。彼は商家のなんぼうだとかで、この間まで学院の商科の生徒だったらしい。家に戻って家業を手伝うまでの経験を積むためにここにいる。そばかす顔が健康的な青年だ。ねんれいも近い。気安い名前呼びとか、どこかチャラいところがある。交友はんが広くて業務に上手うまいこと人脈使ってるところがなかなかのやり手だ。チャラさも鹿にならん。

「それは……努力すらしてないですよね」

「そうそう! その点シノブはえらいっすよ~。読み書きもがんってるし、書類作りもテオさんからバンバン教わってるしぃ。正直オレといつしよに入ってきた当初は足引っ張られるんじゃないかって思ってたけど、らいついてるもんねえ」

「『旅人』だから仕方ないとはいえ、半年でよくここまでやってますよ」

「あ、ありがとうございます……」

 照れくさくなってほおきながらお礼を言った。けどユリアンの言い草はめてるにしてもちょっと引っかかるものがあるぞ。

 こちらにやってきた人間は『旅人ライゼンデ』と呼ばれている。

 こっちに迷い込んでくる人は今までにもいたらしい。そして、私もそのうちの一人。

 今までやってきた『旅人』が残した技術はそこここにあって、それは書物に使われている紙一枚とってもそうだ。製紙や印刷の技術、上下水道、ふとしたところで元いた世界の気配を感じる。

『旅人』が暮らしに何らかのおんけいあたえてくれることを知っているので、アーベント王国では『旅人』を保護して魔術の教育をほどこすなどのえんがゆくゆくは国益につながると思っている国民が多い。

 運がよかったことに、私があのふんすいに落ちてやってきたこのヴェーヌスの領主はまだ若くて身軽だ。彼はその日のうちに私を保護して、私を『旅人』だと判断した。

『旅人』だからといってそこら辺で遊ばせることが保護ではない。何かしら学ぶか働くかしながら暮らすことをすすめられて、いまさらもう一度学生をやるのもなんだったので、基本の読み書きを教わった後で事務員として働くかたわら、ゆくゆくは魔術を教わることになっていた。

「教授っていつもあんな感じなんですか? さっきだって学生さんに『こんなものを読まされるくらいなら古代じゆもんしよを解読していたほうがまだ意義がある』なんて言ってたんですよ? ひどくないですか?」

「ローゼンシュティール教授、やる気のない学生さん相手にはようしやないですからねえ」

 テオさんは話しながらも手を動かして書類を完成させた。書き終わった紙のインクに息を吹きかけるように何か唱えて、風の魔法でかわかす。出来上がった数枚をまとめて机でトントンとたたいてそろえた。

「ローゼンシュティール教授、色々うわさがあるっすよね。噂っていうか、伝説? 就任早々の授業で気に入らない学生を追い出したとか、事務員が不用意に研究室に入ったとかでったとか」

「あ、私もそれ聞いた。本当のことなの?」

「さあ? 貴族の教授や学生からはよく思われてないっぽいっすよね。なんか、キレるとヤバい人だとか」

「いつもキレてますけど……?」

「あれ以上にヤバいんすかね?」

 ユリアンと二人して首をかしげていると、テオさんがしようする。

「まあ、じゆつは気難しいところのある人が多いですよ」

「そんなこと言っちゃって、テオさんだってこないだローゼンシュティール教授の無理難題におこって研究室に乗り込んでたじゃないっすか~」

 かんにツッコむユリアンは本当にメンタルがはがねで出来てるなって思う。テオさんは鼻先に引っかかった眼鏡を外した。引き出しから布を取っていている。うつむいたまま、彼はトーンを落とした声で重々しく切り出した。

「あれはね、受講者全員に羽ペンをこうにゆうするようにしんせいされたからですよ」

 先輩からただようらめしげなオーラに、早くも私はきようきようとする。ユリアンは全然気づいてない。

「えーっ、マジっすか! 羽ペンはしようがくせい以外は各自調達が基本っすよねえ!」

 その基本を知らなかったやつの担当助手が私だ。タラリと背中をいやあせが伝う。教授たちにも授業を行う際のようこうとして通達されていることだ。ローゼンシュティール教授って、頭はいいかもしれないけど魔術に関係ないことは基本覚える気がない。

 テオさんは変わらず眼鏡を拭きながら、ごく静かに話す。

「ローゼンシュティール教授はね、じゆんすいな学院卒業生ではありませんから」

「そ、そうなんですね?」

「その分知らないことも多くて、貴族だから羽ペンのときみたいに予算を度外視しているところもありますし……少しでもづかいすると怒られるのは私達ですからね。それに、教授同士の交流もしたがらないですし……事務としては非常にあつかいづらい。へそを曲げられても、こちらも規則がありますからね」

「た、大変ですね」

 私の言葉にテオさんはスッと顔をあげる。かけ直した眼鏡が反射してギラリと光った。

他人ひとごとじゃありませんよ、シノブさん」

「は、はい」

 思わずピシリと姿勢を正す。テオさんは落ち着いていて冷静なのに、漂ってくる圧力はただごとではなかった。

「新人同士ということで貴女あなたと組んでもらいましたが、彼が暴走しそうなときはが、あの黒い悪魔の担当だ。これから、ちゃんと、ぎよせるように、頑張りなさいね?」

「ふぁ……は、はい……がんばります」

 普段にゆうなテオさんから表情がけ落ちるとマジで無だった。無すぎて真のやみを感じる。

 本能的なきようを感じて私はうなずいた。なぜかとなりのユリアンも一緒になって頷いていた。


   ***


 まあそんなこんなで、苦労の絶えない毎日だけど、学生さんとは何とか上手くやっていると思う。

 お昼は学院にあるテラスや食堂で教授、学生に交じって職員も食べていて、あいさつしてくれる学生さんも多い。よくレポートの提出なんかで顔見知りになるのだ。年も近いし、学院まで学ぶために来ているので真面目まじめだ。私も大学時代こうだったのだろうか、なんて微笑ほほえましくなるときもある。私の仕事は学生さんと接する以前に教授の手伝いが第一なので、話をするのもそこそこなのだけど。

「こんにちは」

「こんにちはー」

 ぺこりとていねいに頭を下げてくれるローブ姿の学生さんに挨拶しながら、お昼ご飯ののったトレイを運んで空いているテーブルを探す。今日は牛肉と野菜のみ料理とパンのセットだ。運よく早く手が空いて、いつもより早くお昼をとることにした。

「シノブさん。よかったらここ、どうですか?」

 テラス席のひとつから学生さんが手招きしてくれる。そばには大きな木がかげを作っていた。枝葉が日差しを浴びながらきらめくれ日をテーブルの上に落としている。

「僕たちはもう終わって出るところなんです」

「じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとうございまーす」

 同席するのは躊躇ためらわれたけど、そういうことならえんりよはしない。席を立った学生さんたちにお礼を言って、サッとに座り両手を合わせる。

「いただきまーす!」

 スプーンを手にお肉をひとかけすくって口に運ぶ。よく煮込まれてホロホロくずれていくお肉のせんほどよい塩加減と甘みを感じる野菜の出汁だしについ頬がほころぶ。こっちの世界に来て心配だったのは食事事情だけど、白いお米のご飯が食べられないのだけが残念で、味は大満足だ。

 もうひと口、とスプーンで今度は野菜をすくおうとしたところで、頭上から何かがポトリとテーブルの上に落ちてきた。木の葉かなと気にせず食べ続けるつもりだったのに、視界のはしで何かがうごめいた。こういうときほど嫌な予感がする。けどかくにんしないわけにはいかない。ギギギ、と固まる首をなんとか動かして視線を向けると、予想通り、毛むくじゃらのあいつだ! 毛虫がいた!

「あ、シノブだー。ここ相席してもいいっすか?」

 午前中の仕事を終えたユリアンがトレイを持ってやってくる。同意する前にもう座っているのが彼らしい。

「あ、毛虫」

 テーブルの上をっていた毛虫を落ちていた木の枝ではらいのけ、こともなげに食事を始める。

「……助かったよ、ユリアン」

「? どういたしましてー」

 お礼の意味が分かってなさそうだ。スプーンを持つ手を止めて、辺りをわたす。日差しをさえぎるものがない辺りのテーブルは商科やそのほかの学科の学生が多いかもしれない。校舎側でパラソルが並んでいる辺りのテーブルには、服姿の騎士科の学生さんが目立つ。そして、木陰側にはローブ姿の魔術科の学生さんが多い。

「ねえ、この辺は魔術科の席って決まりでもあるの?」

 そうじゃなければ毛虫が落ちてくる心配なしに食事ができる校舎側に座ってみたい。たずねるとユリアンはくわえていたスプーンをる。

あんもくりようかいってやつっすね」

「暗黙の了解?」

「そっす。騎士科の連中は学院で一番高い授業料を払って通ってるし、一番のしゆつがしら。学科の中でも花形。だから一番いい場所はどこも騎士科のものって態度なんすよ」

「なるほど」

「んで、オレのいた商科はお祭り好きが多くて学生生活おうしてるやつらが多いっすね。学院で行事をかくしてはなばなしくやってるのはだいたい商科っす」

「パリピでリアじゆうってことね」

「ぱり? りあ?」

「何でもない。じゃあ魔術科は?」

「魔術科は……担当学科にこういうのも悪いっすけど、暗いっす」

「……確かに。大人しいっていうか」

 ユリアンのてきがもっともすぎて深く深く頷いてしまった。

「そもそも魔術って、オレらも日ごろ風の魔術で書類のインクかわかしたりしてるっすけど、上級魔術って何やってるかいまいち伝わってこないんすよね~」

「わかる。しかも服装はいつも真っ黒なローブだし」

「あれ、もっと派手なやつじゃダメなんすかね? 服もっすけど、しきせんこうの実習って不気味じゃないっすか? 実習室からさけび声聞こえてきたときがあって……」

 身を乗り出して話に熱中しそうになりかけてハッとする。いやいや、昼きゆうけいは短いんだ。こんなことで盛り上がってる場合じゃない。

「つまり、魔術科はいんキャの集まりみたいに思われてんのね」

「きゃ?」

「なんでもない」


   ***


 盛り上がるつもりはなかったのに、ユリアンの話が上手うまくてじゆつにまつわる色んなうわさばなしに聞き入ってしまった。ご老人の多い魔術科の教授だけど、意外とけつとうきで年に数回は何かをけて大人げなくたたかっているらしい。あとはゆいいつじんちくがいな最上階のせんせいじゆつの教授は大人しすぎて逆におんとし百をえているからちゃんと息してるかどうかで時々大わらわしたりする。

 そんなくせものぞろいの中でも、ガミガミローゼンシュティール教授って特にいやきようれつなやつだなって思う。

 午後からは資料を運ぶお仕事を言いつけられて、指定されたしよせきのリスト片手に図書館に来たのだけれど、現在非常に困っている。

「持ち出し禁止、ですか?」

「はい、ご指定のリストのここからここまでは王国指定の重要図書ですので」

「授業に使うものなんですけど……」

「申し訳ありません、規則ですから。他は貸出可能なのですが……」

「ですよね……」

 申し訳なさそうな司書さんに同意しながらこんわくする。どうしよう。コピー機なんてこの世界にあるわけはないし、手書きで写して持ち帰るにも、読み書きを覚えたばかりの私では何日もかかる。しかも一冊どころの話じゃない。

「お困りですか?」

 背後からの声に振り向くと、きんぱつ眼鏡めがねの青年が立っていた。

「ギレスさん」

「こんなところで会うなんてぐうぜんですね、シノブさん」

 ギレスさんは私に向かってにっこり微笑んだ。たんに周りからひそやかな黄色いかんせいがあがった。周囲にいる女子たちからチラチラと熱い視線が向けられている。

 ハーラルト・ギレスさんは魔術科の学生で、イケメンの多い騎士科と人気を二分している、魔術科唯一のイケメンだ。騎士のさわやかなものごしきたえられた肉体とは対照的な、物静かでにゆうな物腰に知的な美形。キャーキャー言う女の子の気持ちもなんとなくわかる。ギレスさんはローゼンシュティール教授の授業を受講していて、助手の私のこともりちに覚えてくれている。

「教授のおつかいで来たんですけど、持ち出し禁止の図書があって……」

「ああ、なるほど」

 となりに並んだ彼がカウンターに置かれたリストをのぞき込み、てんがいったようにうなずく。

「それじゃあ、魔術で複写を作ってもらうといいですよ」

「複写?」

 つまり、コピーということだろうか。コピー機はないけどコピーする魔術はあるんだ。便利だな。

「今日はまだ複写できる魔術師が残っているはずです。運が良かったですね。レポート期限前なら全員魔力切れで出来ないこともありますから」

「複写をご希望でしたら、こちらの書類に記入をお願いします。ページ数を指定してください」

 ばやく司書さんが書類を取り出す。でもリストにページ数の指定があったかなんて覚えがなくてうろたえた。

「ページ数……」

「教授もそう考えてたんでしょうね、裏面に書いてありますよ」

 カウンターのリストをひっくり返したギレスさんがほらね、と笑う。

 無事目当ての書籍とコピーの束を手に入れられた私はギレスさんに心からお礼を言った。

「ありがとうございました、ギレスさん。おかげで教授におこられずに済みそうです」

「どういたしまして。ついでに運ぶのを手伝いますよ。その量は重いでしょうから」

 彼は断ろうとするすきあたえず、私のうでから分厚い本をサッと取り上げた。ちゃんと働いていないと怒られることをけてか、一冊だけ残してくれるところもづかいがあってやさしい。ギレスさんはローゼンシュティール教授の講義を受けている学生さんの一人で、どういうわけか『旅人』で事務員をやっている私を気にけてくれている。

「ありがとうございます」

「どういたしまして。シノブさんも毎日大変ですね」

「ですねえ。でも楽しいです」

「楽しい?」

 きょとんと首をかしげるギレスさんに私も同じように首を傾げる。

「楽しいんですよね、これが。毎日わかんないことだらけだし、怒られてばっかりですけど。わかんないってことは、まだまだできるようになるってことだから、かなあ」

「なるほど」

 ギレスさんはとびいろの目を細めて微笑ほほえんだ。笑うと眼鏡しのキツそうな目がたわんで子どもっぽい感じになる。なごやかな空気のまま目的地に辿たどり着いた。

 教授の研究室は講義室と続きになっていて、きようだんわきとびらを開けると、奥にしよさい机、片側のかべに備え付けられたほんだな、作業台に応接セットのソファに黒板に……雑然としているはずなのにそう見えないのが不思議だ。

「失礼します」

 ギレスさんといつしよに作業台の空いているスペースに荷物を置いて、黒板の前に引っ張ってきたアームチェアにあしを組んで座っている教授に声をかけた。何かじゆもんのようなものが書かれていて、それとにらめっこしている。彼はこちらを見ないまま作業机を指差した。

「メモのページにしおりを。それから年代順に並べておくように」

「メモ……」

 指示されたメモを手に取ると、裏面まで細く小さな字でびっしりと書籍名とページ数が書かれている。そしてしおり代わりに使えというのか、細長く切った紙切れが山ほど置かれていた。

「わ、っかりましたぁ」

 ほおを引きつらせながら返事する。とりあえず手近な本から始めよう。

「手分けしてやりましょう」

「えっ」

 しおりをひとつかみ手に取って、ギレスさんはにっこり笑う。私がまどっていると彼はメモをのぞき込んできて言った。

「かなりの量ですし、こういうのは慣れている人間が手伝ったほうが早く終わりますよ」

 そう話す間にしおりをひとつもうはさんでいる。

「あの、ありがとうございます」

「どういたしまして」

 サラリと親切にしてくれるところもイケメンだなあ。心の中で後光が差してるギレスさんを拝みながら、作業を始める。

 手伝ってくれたおかげでしおりは指定されたページに大体挟むことができた。

「あちらにも学院と似た場所があるんですね」

「そうですね。あっちでは、大学って言うんですけど。私も通ってました。ほとんど遊んでたみたいなものですけど……」

「遊ぶ? 学ぶ場所なのに?」

「えーと、授業は真面目まじめに受けるんですけど、課外で色んな活動をやるんです。スポーツや、合唱やバンドとか文芸……文化教養、とか? 同好の士で集まって大会に参加したり、発表会をしたり、作品を展示したり、作品集を作ったり、活動内容は色々ですね」

 サークル活動のことを説明するのってなかなか難しいな。指定されたしおりの場所もあと少しだ。手を止めないように気を付けながら、さらに続ける。

ほかに、学園祭とかもありましたね。大学受験を考えてる人や大学のある地域の人も入れる、外部の人も楽しめるお祭りなんです。だんは閉じた空間の中で学生が何をやってるのかとか、自分が大学に入ってどんな学生生活をしたいかとか、理解してもらうイベントというか……屋台やったり、演劇や演奏ろうしたりとかやってたんですけど」

「それですよ、シノブさん!」

「へっ?」

 ちょうど最後のページにしおりを挟み終えたところで、ギレスさんにパッと両手を掴まれた。顔をあげると思ったより近いところに鼻先があってびっくりする。

「学園祭ですよ!」

「あの、ギレスさん、ち、近いです……」

「あ、す、すみませんっ」

 ギレスさんはあわてたように手をはなした。気まずい空気をなんとかするために口を開いた。

「学園祭が、どうかしましたか?」

「あ、ああ。シノブさん、さっき言ったじゃないですか。学園祭は、普段閉じた空間の中で学生が何をやってるのか理解してもらうイベントだと」

「はい」

じゆつ科は、ここ数年人気がないんです。魔術はじゆくや家庭教師から習えるから、高度な魔術を学院で学ぶ意義は何なのか、疑問に思われることも多くて。場合によっては物好きの集まりのように言われることもあるんです」

「そうなんですね……」

 お昼のテラスでの光景やユリアンとの話が頭にかぶ。ギレスさんはしおりを挟み終わった本を大事そうにでて頷いた。

「学生主導で、魔術のおもしろさを伝える行事をかいさいすれば、そういった人たちに魔術研究の意義を示せるのではないかと思うんです」

「できると思っているのか?」

 とつぜん低い声が割って入る。それまで黒板にねつれつ視線を送っていた教授がこっちに顔を向けていた。のひじ掛けにほおづえをついているだけの姿まで絵になる。

「どういうことですか?」

「仮にその学園祭とやらを開催するとして、具体的にどう計画する?」

「それは、僕たちで考えて……」

「学生主導であっても、魔術科の名前を使うなら教授全員の許可が必要になる。こうしようだれがやる? 開催日の調整はどうする? せつはどこを使う?」

「それも、やります」

「そうか。だが何より、もよおしをするには予算が必要だ。あてはあるのか?」

「それは……」

 ローゼンシュティール教授は表情ひとつ変えずに冷静に告げた。

「空想するだけなら誰でもできる。実行するにはしゆうとうに計画する必要がある」

 ぎ早のてきにギレスさんはされてあごを引く。そんなに言わなくってもよくない? 私は作業台から身を乗り出した。

「ご指摘はもっともですけど、そんな風に切り捨てなくてもいいじゃないですか! 学生さんの自主性をもっと大事にしてくださいよ!」

「自主性? 計画や下調べもなしに行動させることが自主性だと?」

 鼻で笑ういんけん教授にさらにムッとする。

「きっかけはそうかもしれませんけど、失敗をり返して出来るようになりますよ」

「失敗しなければ学ばないのか? それほど鹿なら学院で学んでも時間のだろう」

「そりゃ教授は生まれた時から天上天下ゆいどくそんかんぺき人間かもしれませんけどね、普通の人はおおまではいかなくとも小さなつまずきくらいは経験してるんですよ!」

 言いつのると彼は首をって長い脚を組みえた。宝石のような青いひとみいつしゆんあざやかに光って私を睨みつける。

「なるほど。けんめいだが世間知らずの学生をあおって失敗という貴重な経験をさせてやろうと? だが彼らは他ならぬ魔術科の学生だ。彼らの失敗はわれわれ教授の指導不足。責任を問われるのは私達だ。そそのかしたどこかの事務員は何の責任にも問われず、何の行動も起こさず、ただ失敗した学生をあわれむだけで終わる」

 ぐっと言葉にまった。くやしいけどその通りだ。こぶしにぎりしめて、いやな教授の冷たい目を見つめ返す。でも魔術科の地位を向上させたいギレスさんの気持ちもちがっていない。

「じゃあ、私が責任を取ればいいんですね」

「シノブさん!?」

 ギレスさんが止めるようにかたに手を置く。でも引き下がるなんて無理だった。

「手続きは私が全部調べて学生さんと一緒にやります。教授の許可も私が取ります。日程の調整? 施設の手配? 予算? 私が全部やりますから!」

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