欠片

鞠山白湯

第1話

 布団に横になって、音楽を聴く。

 お母さんが作ってくれた朝ご飯を食べて、横になる。

 また音楽を聴きながら、少しうとうとする。

 昼ご飯を食べる。

 家族が帰ってくる前にシャワーを浴び、帰ってきたら夕ご飯。

 また横になって、眠れるまで音楽を聴く。


 「いってらっしゃい」

 もう何度目か数えられないほどの『いってらっしゃい』、以前は言われる側だったのに。

 「おかえり」

 以前は一番最後の帰宅だったのに。

 「いただきます」

 のすぐ後に、

 「ごちそうさま」

 今日も母がお菓子を出してくれる。大好きだったクッキーを頬張りながら、家族の会話を眺める。

 「ねぇ、中間テストいつからだっけ?」

 「ん、来週から」

 自分とは縁遠くなってしまった会話を聞きながら、少し涙ぐむ。それを悟られないようにトイレに逃げ込み、トイレットペーパーで鼻をかむ。

 「じゃあ、お先に」

 家族のいるリビングを通って、寝室へ。家が狭すぎて母と一緒に寝ている寝室は、今や私の部屋と化している。布団の上が一番しっくりくるぐらい長くそこにいるのかと思うと、またまた涙が出てくる。

 母が寝室に来ても、特に何か変わるわけじゃない。音楽を聴きながら、ただぼーっと目を開けているだけ。

 いい時間になったら、睡眠導入剤を飲んでまた布団に潜る。そうすると、徐々に目を開けていられなくなって、夢の中へと落ちていく。


 そんな生活を続けて何年かたった。私は少しずつ回復している。と、思う。

 ふと、習い事をしてみようと思った。何がいいかな。私は歌舞伎に興味があったので、日本舞踊を習ってみることにした。

 自分でお教室を探して、メールして、いざ当日。

 感じのいい、優しそうな先生だった。何もかも初めてで訳がわからなかったけれど、お稽古も楽しかった。続けることにしよう。

 2回目のお稽古。お稽古が終わった後で、先生に言われた一言。

 「いっぱい汗かきましたか?」

 小さな子供に言うみたいに、優しく、あやすように言われた一言。

 

 なぜだか、涙が出そうだった。なぜだか、物凄く嬉しかった。自分を認識してくれたと、そう思ったのかもしれない。

 とにかくその日から、何かが変わっていった。


 「おはよう」

 午前7時半、家族と一緒に起きて朝ごはんを食べます。

 「いってらっしゃい」

 相変わらず言う側だけれど、私だってこれから外出するのです。

 「ただいま」

 私が最後に帰ってくる時もあります。

 「いただきます」

 ずいぶん経って、

 「ごちそうさま」

 今はもうクッキーでカロリーを摂ることはせず、家族との会話にだって入ります。

 「おやすみ」

 もう薬で眠る必要もなく、眠くなったら眠ります。母が部屋に入ってきたら、お話だってします。


 そう、4年前から、私は真っ白い部屋の中。けれど何もなかった部屋に、どんどん彩りが加わります。相変わらずだだっ広くて真っ白い部屋だけれど、家族が顔を見せることだってあります。

 私が苦しんでいる4年間。いまだ出口のない部屋にいながら、それでも息をしている。


 私は、私の命の欠片を探す旅をしているのだ、と時々思う。

 鬱病の、ひとつのかたち。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

欠片 鞠山白湯 @kisekinoozisan5

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ