名無しの猫 p.13

 異界が崩壊していく様子を、一人の男が捕捉していた。


 下水路の入り口から遥か遠くに位置する港の倉庫の屋根に上り、男は双眼鏡を通して異界が消えていくのを観察する。


「あらら、間に合わなかったか」


 男の声は、機関の研究員が救援の連絡をしていた相手の声と同一だった。


 黒髪と黒のレザーコートを着込んだその男の第一印象に、ガラが悪い、という言葉が浮かぶだろう。


 男は何が楽しいのか口角を吊り上げて遠くの様子を伺う。


 双眼鏡でメリッサ達がいる距離を見るにはあまりにも遠く、男の視界だと人影がギリギリ見える程度だった。


「ひーふーみーよー……ハッ! たったの四人で制圧したのか。随分な手練れを寄越したねぇ」


 男は双眼鏡に着いたカメラ機能を使い、手元のモニター端末にその光景を転送する。


 映像を転送されたモニターは解析に移り、粗く拡大された映像を綺麗に整え始め、モザイクのように映されたメリッサ達の姿を徐々に高解像度の画像へと変換していく。


 すると、男のポケットに仕舞われていた携帯端末が鳴り、男はモニターを眺めながら通話に出た。


「はーい、もしもし」

『ルスト! 貴様どこをほっつき歩いているのです! 定時連絡はとっくに過ぎておりますよ!』


 男、ルストが応答すると、電話越しの相手の甲高い声が響く。


「勘弁してくれよ司教様。救援要請が研究員から俺に飛んできたからアーセナルファミリーと交渉して救出チームを組むのに奔走してたんだぜ。全部無駄骨になったけど」


 双眼鏡を屋根に放り、ルストは通話を継続しつつ手元の映像解析の進捗を観察する。


『ふん、なくなった“機関”とやらの技術が我々に利益をもたらすとは思いませんがね。そもそも獣神様を操るなど言語道断。そんな輩は捨て置きなさい』

「はいよ。ファミリーと俺たち”教団”の良い資金源になってたんだけどねぇ」

『資金など、調達方法は幾らでもあります。”機関”の残りカスがなくなってファミリーもパートナーとしての力がないのであれば早々に切り上げて戻ってきなさい。アビス様のご帰還も近いのですよ!』


 通話越しで金切声を上げ続ける司教と呼ばれた男とは裏腹に、ルストは飄々とした態度を崩さず、解析を続けるモニターを眺め続ける。


「アーセナルファミリーとは付き合いも長いし、愛着も湧いてるから、縁切りするのもなぁ」


 半笑いで応える男のセリフは、そのどれもが薄っぺらく、嘘に満ち溢れていた。


 そう話していると映像解析が完了し、メリッサ達四人の素顔がくっきりとルストのモニターに映し出された。


 すると、ルストは目をわずかに見開き、吊り上がっていた口角がさらに上がる。


「はは、前言撤回だ司教様。アーセナルファミリーとは次を最後に関係を絶とう」

『どういうことです?』

「面白話が二つ出てきた。ファミリーをぶつけて共倒れでも起きたら面白そうだ」


 ルストは高解像度に表示された画像をトリミングし、画面に映された四人のスリンガーのうち二名を切り取る。


 モニターにはメリッサとジークの二人がアップで映し出され、ルストはほくそ笑む。



 任務を完了した次の日、メリッサはいつも通り喫茶店の開店準備に勤しんでいた。


 シャムはジークからの指示通り、今日は休みとなり、カウンター席でのんびりとメリッサがテーブルを拭く様子を眺めていた。


「結局、あの研究員も私達が知ってる以上のことはほとんど持ってなかったみたいだね」 


 そうシャムが呟くと、いつの間にかシャムの隣に座っていたリーエンがこれもまたいつの間にか淹れていたコーヒーを飲んで頷く。 


「あぁ。隠れ蓑にしていたファミリーの構成が分かっただけでも収穫だろう。そいつらも制圧作戦が決行されればすぐに消えるさ」

「貴方は今日休暇じゃないでしょ」


 冷静に突っ込みを入れるメリッサだが、リーエンは「そうだったな」とだけ返答し、コーヒーを飲み続ける。


「はぁ。店の準備を済ませたいから、それ飲んだら手伝って」


 メリッサはジト目でリーエンを睨み、本人は頷くが本当に手伝いに参加するのか怪しい。


 シャムはそんな二人の間に挟まれるように椅子に座っていたが、意を決して顔を上げる。


「ね、ねぇ。やっぱりお店の名前、決めない?」

「そんなに重要なのか?」

「うん。やっぱり名前がなきゃ、生きてる、て感じしないじゃん」


 店は生き物ではないような、と至極当然な意見を呟くリーエンだが、メリッサは否定するどころか首を縦に振って肯定する。


「良いんじゃない。あろうがなかろうが、私たちのやることに変わりはないし」


 この前とは真逆の解答をするメリッサにリーエンは静かに目を見開く。


 シャムは「メリッサ―!」と叫びながらメリッサへ飛びつき、メリッサはそれを全力で阻止すべく両手でシャムの頭を鷲掴みにする。


 メリッサとシャムが鍔迫り合いをしていると、喫茶店にジークが荷物を持って入ってくる。


「何遊んでやがんだ」


 肩で風を切ってずんずんと店の奥へと行くジークへ、シャムはニコニコと笑顔を向ける。


「メリッサがね、店の名前を皆で決めようって言ってくれたんだ!」

「いや、そこまで言ってないでしょ……て、ちょっとっ!」


 シャムは必死に抵抗するメリッサをとうとう抱き寄せ、力一杯頬ずりする。


 ジークは荷物を運ぶ手を止め、二人のやりとりを下らなさそうに眺める。


「言い出しっぺが決めやがれ。名前なんざなんでも良い」

「え、私が決めるの?」

「そうだ。なんか候補あるんだろ」


 そう言われ、シャムは「んー」とメリッサを抱きしめながら考える。


「皆が一発の弾丸でバラバラだけど、向かう先は一緒。*シングル・ショット*なんてどうかな」

「それで良いんじゃねぇか」

「私は何でも良い。コーヒーを淹れてくる」

「シャム、もう離して……」


 渾身のアイディアをノリノリで提案するシャムだが、ジーク、リーエン、メリッサは三者三様に応える。


 シャムは嫌がるメリッサをさらに強く抱き寄せる。


「離さないよー! ここは私の縄張りなのだー!」


 名なしの店にようやく名前が刻まれ、シャムは満面の笑みを浮かべた。

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スリンガー -シングル・ショット- 速水ニキ @Hayami_Niki

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