Summertime Blues

衞藤萬里

Summertime Blues

 ラジオのパーソナリティが、今夏もっとも暑い日だと興奮ぎみだった。なぜ彼がそれほどに得意げなのかはわからないが、なるほど、その云い分ももっともだ。まるで圧力をもって秀虎たちにのしかかってくるような太陽の熱は、他の追随をゆるさない絶対王者の貫録すらただよう。

 秀虎たち囲碁同好会の六人は、陽炎がたちのぼるその熱気の中にいた。前会長の織田の前に他の五人が横一列にならぶ形だ。彼ら自身の影が、真下に濃い。

「さて諸君――」織田がおごそかに口を開く。「ただ今より夏合宿を開始する」 「おっす!」

「おおっ!」

「……はい」

「は~い」

「……」

 ひとりだけ無言だ。

「なんだ北森、テンション低いな」

 織田はめざとい。

「織田さん、あたし意味わかんないんすけど……」

「うむ、絶好の合宿日和だ。諸君、緊張感をもって研鑽にはげむように]

「だから、海で何をどうはげめって云うんですか」

「夏は海だろうがっ!」

「ここまで来て、いまさら何云ってんだ」

「これだからオナゴは……」

「明日夢先輩、今夜バーベキューです」

 明日夢に次々と反論の声があがる。

「やかましいっー!」明日夢がキレた。「一週間前にいきなり合宿するって云うから、無理やりやりくりして来てみれば、囲碁同好会が、なんで海で合宿すんだぁっ!ありえんだろぉ!」

 明日夢の言葉に波の音がかぶる。ぷるぷると怒りにふるえる指が差した先で、眼につきささらんばかりのまばゆい白砂とぎらぎらの波が堂々と圧倒的に広がり、すでに多くの鮮やかな水着が彩っている。歓声が聞こえる。

「何の意味があんのか、答えてみろ!あんたら間違ってる、ぜんっぶ間違ってる!」

「いや……そんなこと云われたってなぁ……」

 現会長の貞清と副会長の石黒が、困ったように顔を見合わせる。

「ウチの合宿は、毎年海って決まっているし……」

「じゃ、何で碁石も碁盤も持ってきてないんですか?」

「夏合宿はほら、イメトレ中心だから」

「何を寝ぼけたことを……」歯ぎしりをする明日夢。「そんな不真面目なこと、あたしは許しません!」

「……とか云いながら明日夢先輩、ちゃんと水着着てるじゃないですか?」

 ただひとりの一回生藤江が冷静につっこむ。中学生じみた容貌とはそぐわない、オレンジのドット花柄のビキニにキャロットで完全武装で、なかなかのオンナっぷりである。

「だ、だって持参って云ってたから……」

 口ごもる明日夢。持ってこいって云われたら、着るのかよ……小さくつっこんだ秀虎に、凶悪な視線を向ける。

 そういう彼女は、でっかいペリカンがプリントされた赤いTシャツ風のタンキニに、ベルトがセットになったハイウエストのショートジーンズをあわせている。言動不一致を追及されても、文句は云えない。

「熊谷、北森の教育係はお前だ」織田が冷たく云う。「ちゃんと合宿の意義を教えておけ」

「ちょ、ちょ、ちょっ……」

「さて、話をもどすが、合宿の日程だ」秀虎を無視してつづける織田。「夕方六時からテント前でバーベキューをするので、全員で手伝うように。酒は抜かりなく冷やしておくことを忘れるな。ここ重要な、試験に出ます。そんでもって明日は午前七時起床。朝食後、各自で練習。午後に撤収の予定だ」

「……織田さん、今日の予定がぬけてますけど?」

 秀虎が手をあげる。織田はもったいぶってうなずく。

「例年だと、各自で自由に練習の予定だが……」

「何の練習だよ……」

「黙れ北森。今年は少々趣向を変えている。十時からビーチバレー大会が始まるので、我が同好会はこれに参加する」

 ペットボトルのお茶に口をつけていた秀虎が、盛大に吹きだした。

「ちょっと待った!ビーチバレー大会って、何ですかそれ!」

「地元の商店街が、地域振興のために今年から始めたらしい」

「いや貞清さん、そういうことじゃなくって……聞いてないですって、そんな話!」

「心配するな、エントリーはしている。ぬかりはない」

 大きくうなずく現会長の貞清。

「いや、オレら合宿に……」

「いいじゃん別に、遊びにきてんだから」

「あっさり遊びってみとめやがった……」

「別にお前には期待していない、今回わが同好会には切り札がある」

「はい……?」

 一同の視線が、織田から明日夢にぐるりと移った。

「……はい?」

 身長百八十二㎝の明日夢が自分を指さした。

 織田がうなずく。

「……あたし、出ませんよぉ」明日夢はそっぽを向いて、べぇっと舌を出す。「のんびり泳いで、ビール呑んで、さざえの壺焼きと焼きそばと海鮮丼とかき氷食べて、夜はバーベキューするんです」

「……だから合宿……」

「あたし、遊ぶんです」小さくつっこんだ秀虎に胸をはって堂々と宣言した。「遊びの中で自分をみがきます。具体的にはオンナをみがきます」

「優勝しなければバーベキューもできない、酒もない」

 織田がぽつりと云った。

「……はい?」

「優勝は三万円分の商品券だそうだ。バーベキューの食材と酒は、その中から出る予定だった」織田は哀しげに首をふる。「そうか残念だ、せっかくの海なのに夜はわびしくコンビニ弁当か……なんてこった……」

 貞清と石黒は空を仰ぐ。天の無情に紅涙をしぼっているのだろう、きっと。

 藤江が手を口元にあてて、悲壮な表情をうかべた。

「……あたし、我慢します。先輩に責任なんてないんです、責めることなんてできません」

 藤江が驚くほどのあざとさを発揮する。

「……二万・一万で手をうちましょう」

 明日夢は、引き金を絞る直前のスナイパーのような硬質の表情で云った。

「バーベキューが二」

「アタシが二です」

「野菜だけになるな。お前、キャベツとピーマンとカボチャだけのバーベキューがいいか?」

「……半々。それでダメなら出場しません。あたしはあてつけで、自腹きってそこの居酒屋で豪遊します」

「……いいだろう」悠々と織田。「あとは熊谷だ」

「あ、やっぱり?流れ的に絶対、俺に振られるって思ってました」

「いい読みだ、合宿の成果がさっそくでたようだな」石黒がうんうんとうなずく。「優勝できなかったらお前たちだけ酒抜きな」

「それひどいんじゃないですか?」

「当然だろう、出る以上は勝つってのは世界の常識だ」

「どういう理屈ですか、それだと出場チームの数だけ優勝じゃないですか」

「あ、云っとくけど」織田が軽く云う。「男女混合の四人制だからな、この大会。貞清、石黒、お前たちも出るんだぞ」

「……はい?」

 ざまみろ。


* * *


 何も視線をさえぎるものがなく、水平線のはるか先まで見通せるこの場所では、はじめて空と海のとてつもない大きさが実感できる。見事である。

 弧状にのびる真っ白の砂浜の一角を区切って、試合がすすんでいる。

 なんだかんだ云って、明日夢は試合を真剣に凝視していた。

 脚下の砂はやけどするほどに熱せられているので、大会実行委員会が準備したタープの下で、秀虎たちは観戦していた。

 コロナ対策といって、ひとチームにひとつタープが割り当てられている。試合前後の握手も、ハイタッチもハグも禁止らしい。このご時世じゃしょうがない。むしろよく強行したもんだと思うが、こんな開けた場所でそこまで心配するのは杞憂にすぎないんじゃないかと秀虎は思う。

 インナーとはルールも微妙に異なる――らしいし、何より脚下がやわらかい砂だ。確かにゲームの様子を見ていると、床のしっかりした屋内とは違って、誰もがどたどたと無様にボールを打ちあっている。

 あれだったら、自分の方がうまいなどと秀虎は能天気に考える。

「よっしゃ、大体わかった」

 かなりおおざっぱな第一試合が終わったのをきっかけに、う~んと背伸びをしつつ、明日夢は云った。日陰だが、海辺の風は熱気をたっぷりだ。肩から首筋に玉のような汗をかいている。

「室内みたいに跳べるようなコンディションじゃないし……う~ん、やっぱり砂浜だとやっかいだなぁ。ボールも多分やわらかいから、スピードは出ないと思う。タッチがむずかしいかな……」

 ぶつぶつとつぶやく。

 高校時代、バレーで全国まで行っている明日夢である。腰の故障で大学ではもうつづけていないが、常人離れした身体能力と野獣のような闘争心は、すでに構内でも数々の武勇伝をのこしている。その彼女がなぜ囲碁同好会などに籍を置いているのかは、今は割愛する。

「いやぁ、どう考えたって無理だろう」

 タープの外で、同好会でただひとりの喫煙者である貞清が、携帯用灰皿を片手にぼそりとつぶやいた。北森は貞清をじろりとにらむ。

「やれるか北森?」

「織田先輩、この大会、今年が初めてって云ってましたよね?」

「ああ」

「なら知名度はないってことだから、参加チームも少ないし、多分あんまり強いとこも出てないと思う。ふ~ん、いけますよこれ、今回が唯一のチャンスかもしれませんね、つーか今夜の肉のためにがんばってくださいね、先輩がた!」

「……俺ら?」

 不安そうな表情で貞清。

「もちろんです。先輩たち以外のどこに不安要因があるって云うんです?先輩たちのミスで敗けたら、おごりですからね!」

「い、いつの間にそんな話になってるんだ!」

「織田さんの陰謀に加担したつけが回ってきてるんですよ、先輩方、くっふっふっふ」

「がんばれお前ら」

「話のでどころは織田さんだろがっ!」

 石黒がほえる。

「ちょっと先輩」と秀虎は貞清と石黒の耳元でささやく。「いつまで引退した前会長に仕切らせてるつもりですか?現役として、締めるとこは締めてくださいよ。とんだとばっちりじゃないですか」

「そう云われてもなぁ……」

 貞清と石黒が渋い顔をする。

「俺ら織田さんには頭あがらんし……」

「おまけに藤江にも勝てないし……」

 同好会の中で織田の強さはけた外れで、貞清と石黒では四石置いても勝負にならない。秀虎と明日夢などは六石置いても相手にもならない。一回生の藤江だけが、二石置いて何とか勝負になるぐらいだ。

 序列にすると織田、藤江、貞清、石黒、そして秀虎と明日夢が再開を争う。どれぐらい差があるかと云えば、織田と藤江が東京―博多間とすると、貞清と石黒は東京―シンガポール、秀虎と明日夢にいたっては、地球半周分ぐらい離れている。

 織田の引退後、現役最強は藤江である。しかも背後には織田がいる、院政だ。序列ができてしまっている。藤江政権は、着々と固められつつある。ちなみに、その序列をものともしない物理的な武力を持つアンタッチャブルが明日夢であり、藤江は彼女に逆らうことはない。本能であろう。

 結果――秀虎が最底辺?

「不安しかないお前らのために、必勝の作戦を考えた」

 貞清たちの不平が聞こえているのかいないのかわからないが、織田が自信満々に云ってのける。

「いや、マジで結構です」

 もうどうでもいいから、とっとと時間がすぎてくれと思っている秀虎がそっけなく答えた。

「いいか、お前ら……来た球は何が何でも上に上げろ、絶対落とすな。そして北森が打つ!お前らはそれ以外するな」

「うわぁ……」

 後輩三人は頭をかかえた。

「さぁ、燃えてきましたねぇ!」

 腰に手をそえて、念入りに脚の柔軟をしつつ闘志に燃えている。発熱するような強烈な気力が、明日夢の中にじわじわと充満していくのが眼に見えるようだった。肉への欲望、おそるべしである。

 世の中には勝つことに対して真摯で貪欲な人種がいる。このあたり、明日夢と織田はよく似ているのかもしれない。


* * *


 さて……

 初めてビーチバレーを経験した秀虎たちであったが、結果から云うと、そりゃあもう散々だった。動けない、跳べない、走れない、変形もできない。砂に脚をとられてこける。拾ったボールは必ず後方へそれる。打ったボールは風に流されてもどってくる。一ゲーム終わった時には、脚もあがらないほどにしんどいものだった。勝てたのは、明日夢がいただけだった。

 もちろん彼女だって、屋内と同じように動くことはできない。それでも自陣内で上がったボールはすべて正確に敵陣へ返すし、相手方の攻撃の七割がたは明日夢が拾っている。脚場の悪いビーチで跳躍する明日夢の高さは、男以上だ。

 秀虎たち三人は、明日夢の手が届かないボールを拾う役にしかたっていないし、そもそもほとんど役にはたっていないどころか、脚を引っぱっている。特に、とりあえず人並程度の運動神経はかろうじて持ちあわせており、大学の体育で一応バレーを経験している秀虎はともかく、貞清と石黒のへっぽこぶりは際だっていた。

 それでもおそろしいことに、北森明日夢は勝たせてしまう。とにかく彼らが何とか上にあげたボールを、明日夢が、かなり強引に無理やり処理する。

 男にもめったにいない百八十二㎝の身長と、あきらかに素人とは違う動きの彼女は、群をぬいて目立っていた。同じコートの中で、北森明日夢の形をした黒豹だけが五割増の速度で動いているように見えるほどだった。

「ナイス北森!」

「先輩、すごいです!」

 一回戦を勝利した北森を、不参加の織田と藤江が能天気にでむかえる。その後ろから、砂と汗にまみれた秀虎たち三人が、上陸作戦に失敗した敗走兵のように疲れきってつづく。

 こんな大会だから、参加チームもそれほど多くはない。十組ほどだ。まずは四組ずつに分かれての総当たりで、それぞれのパートの上位一チームが準決勝、決勝を争う。

 四回程度勝てば優勝、つまり三万円分の商品券、それはすなわち肉の入ったバーベキューと冷えたビールを意味する。ただし敗けたらコンビニ弁当である。

 貧乏学生の秀虎はコンビニ弁当など食べたこともない。普段なら文句は云わない、むしろごちそうだが、海に泊まった夜にさすがにそれはあんまりだ。

 大体、合宿前に食事の準備は考えなくてもよいと自信満々で織田が云った時点で、おかしいと思うべきだった。こんな博奕みたいなことを考えていたとは……などと、今さらながらの愚痴を心の中でこぼす。

 地元の商工会が主催のローカルな大会であるので、もちろんたいしたチームはエントリーしていない。せいぜい県内の高校生が、おもしろ半分にエントリーしているのが関の山で、ほとんどが地元の青年団や商工会や役所の若手で結成されたようなビーチバレー初心者ばかりだったみたいだ。それでも明日夢が眼をつけた二チームは、どうやら経験者だ。

 まず格好から気合の入り方が違う。男は秀虎たちが適当に来ている、襟口のでろんとのびたTシャツとは違い、背中から肩、胸の筋肉がこれみよがしに誇示されるタンクトップ。女はなんか、プロっぽいロゴの入ったぴったりしたレギンス。それどころか、ひとりはへそ下のかなりきわどいビキニ(なぜあんなに短くても大丈夫なんだ……と明日夢が呆然とつぶやいたのを、秀虎は聞きのがさなかった)だ。全員がサングラスをはめ、コート外ではおそろいのパーカーできめていて、とにかく全体的にうまそうな玄人っぽそうな運動神経よさそうな雰囲気をまとっている。

 彼らのゲームを見た明日夢が、いまいましそうに舌打ちした。

「強い?」

 ささやいた秀虎に、これも小声で答える。

「経験者だと思う。ちっくしょう……こんなしょぼい大会、出てくんなって。こっちは肉がかかってんだぞ!」

 それでも組み合わせにめぐまれ、両チームは準決勝でぶつかってくれる。明日夢は、ひっひっひ壮絶につぶしあえ――と、マンガだったら、あきらかに敵キャラ仕様の非常に悪そうな笑みをうかべた。体育会系、意外に腹黒いのである。

「真剣だな、おい」

「当然!」明日夢は不敵に笑う。「やる以上は勝~つ。そして肉も手に入れ~る。いい?こっちのパートはたいしたことなさそうだからって、絶対敗けられないからね。失敗したら折檻だから。とにかくボールを下に落さないこと。とりあえず上に上げる、つーか絶対に落すな!あとはあたしが決める!」

「あ、やっぱ、そーゆー性格なのね……」


* * *


 ここにくるまではボールにさわったことすらなかったこんな即席のチームだったが、なんとか予選を通過し、準決勝も突破した。もちろん楽勝ではなかった。薄氷をわたるどころか、ほとんど踏み割る勢いを利用して強引に駆けぬけたような、ぎりぎりのぎりぎりの、そのまたぎりぎりの本当のぎりぎりだった。

 当然、他の者の三倍ぐらいは働いていた明日夢の疲労は大きい。身体中、滝のような汗だ。コートから出た明日夢は、藤江から二リットル入りのスポーツ飲料のペットボトルを受けとると、一気に半分も飲みほした。

「先輩、頭下げて~」

 藤江に云われて前傾した明日夢に、別のペットボトルの水を頭からだばだばとかける。犬のように頭をふると、無数のしぶきがきらきらとまばゆく散った。汗と水とで、肌が褐色に輝いている。こうして観察すると、筋肉のつきかたが秀虎たちとはまるで違うことが一目瞭然だ。当然スペックも異なるはずだ。

「しかしお前ら三人は、もうちょっと何とかならんのか?」

 へばってタープの影に座りこんだ秀虎たちに、織田がうちわを使いつつ呆れたように云う。

「無茶云わんでくださいよ……」貞清がげんなりと反論する。「俺たちは完全インドア派なんですから。高校卒業以来、運動はしていないんですよ」

「……まぁ仕方ないか……とにかくあとは決勝だけだからな」

「いや、もう無理ですって、織田さん交代してくださいよ」

「そんな弱気でどうする。合宿の成果をみせてみろ」

「どこが合宿だっての……」

 秀虎がぼそりとつぶやくと、織田はじろりとにらんだ。 

 コートの中では、決勝へすすむ最後のワクをめぐる試合がすすんでいる。両チームとも経験ありらしく、レベルは高い。一進一退だった。

 明日夢はその試合はこびから眼を離さない。秀虎がいっしょに見ていると、明日夢と遜色のない身体能力と技能の選手もいるようだ。さらに他の者も、秀虎たちなどとはレベルが違う。

(だめだこりゃ……)

 秀虎は落胆した。いくら明日夢が敵の選手にひけをとらないと云っても、素人眼にもチームとしての差は歴然だ。万が一にも勝ち目はなさそうだ。唯一のぞみをかけるとしたら、この試合で勝った方が疲労困憊してくれることぐらいだが、決勝戦との間には三位決定戦がはさまるからその間に回復するだろう。

「無理だろ……」後ろで貞清がつぶやいた。「どっちが勝ち残ったって、こりゃ勝てないって……」

「いや、勝算はありますよ先輩。はたで見てたら強いように感じますけど、脚場が悪いから経験とか技術はあまり関係ないです」

「いや、あると思うけど……」

「じゃ俺ら、もっとだめじゃないか」

「大丈夫、弱気にならないで。とにかく必死で拾いまくってください。あたしがんばりますから」

 モチベーションが下がる一方の先輩たちを、必死でフォローする明日夢。さすがに秀虎もあわれに思った。

「いや、ちょっとあれは無理だろ……」

 いいだしっぺの織田が手を振ると、明日夢が凶悪な視線でにらみつけた。

「勝つつもりもないのに、出場するなんて云わないでください!そんなことで勝負強さが養われると思ってんですか、何のための合宿ですか!」

「……合宿?」

 後ろで藤江が呆然とつぶやいていた。

「いいですか、人間、最後は気合です。一人一殺の心構えですよ!」

 物騒なことを明日夢が云った時、歓声があがった。決着がついたようだ。

 よっしゃと立ちあがった明日夢の手が、腰を押さえていたのに、秀虎は気がついた。何気ないしぐさだったが、軽く眉をひそめていた。

「北森……」

 秀虎がささやくと、ちらりと振りかえった。織田たちから離れているのを確認すると、小声で訊ねた。

「お前、腰、大丈夫なのか?」

「う~ん……完全じゃないけど、まぁ何とかしましょう」

 明日夢は、ばつの悪そうな表情をうかべた。こいつ、高校時代の無理がたたって、腰に爆弾抱えている。ほんの二カ月前には、動けなくなって大騒動をおこしている。まだちょっと痛いと云っていた。

 自分もやってみて初めてわかったが、ビーチバレー、お遊びぐらいと思っていたら、とんでもなく激しい運動だ。はたして弱った明日夢の腰が、我慢してくれるかどうか?

「あと一試合、いけるか?」

「ま~かせなさ~いって」

 訊ねた秀虎に、タオルで首筋をぬぐいながら、明日夢は強がって親指を立てる。


* * *


 鮮やかなボールが飛んでくる。バレーのボールは白いのに、どうしてビーチバレーのは、こんなカラフルなんだろうと、頭の片隅でぼんやりと考えた。

 色分けされた球面が不規則に回転するので、どうやらレシーブしにくいんだろうなぁ……と思ってたら、案の定変な方向に飛んでいく。貞清がイナバウアーみたいな恰好でかろうじて上にあげる。

 ふらふらとネット際に飛んだボールを、腰の位置が秀虎の顔の高さぐらいにまで跳躍した明日夢が打つ。レシーブ。上がる。ネット際の低く鋭いトス。ネットに近い明日夢を意識してか、ボールが乱れる。どたばたと再び球をあげる秀虎たち。  まっさらな空にあがる鮮やかなボールの真円に、太陽のまばゆさが重なる。まるでボールそのものが発熱しているような熱。白砂が輝く。

 不格好なゲームは、ほぼ相手チームのリードですすむ。しかし驚くべきことに、相当に経験のありそうな相手に対して、素人以下の三名を擁する明日夢の勝負強さは、容易には引き離されない。

 終盤近くになっても緊迫はつづく。

 相手チームのサーブミス。大きく息をついた秀虎は、隣の明日夢の苦しそうな表情に気がついた。多分無意識だろうと思うが、両手を腰にあてている。肩が大きく上下している。今まで以上の汗だった。

(腰――?)

 秀虎は躊躇した。トイレに立つことすらできなかった彼女のことが憶いだされた。あれから二ヶ月ほどしかたっていない。明日夢の話では、彼女の腰は完治するようなものではなく、騙し騙しつきあっていくようなものらしい。そもそも、負担の大きい運動は禁じられている。無理をしたら悪化してしまうのでは?

(……どうする?)

 これ以上、明日夢を出場させるのは、無理な気がする。しかし代わりの選手は……?

 迷っているうちに石黒がサーブをした。へろへろと飛んできた球をレシーブする相手チーム。完全に意識の外で、ぼうっと突っ立っていたままだった。

「秀虎君!」

 明日夢が叫んだ。とっさにあげた顔めがけて、ものすごい勢いで何かが飛んでくる。しまったと思う間もない。視界のはしっこに、手をのばす明日夢が見えた。

 手を出すこともできず、反射的によけようとしていた。その右脚の裏に、するどい痛みがはしった。バランスがくずれ、しりもちをつく。お尻の下に熱い砂の感触。

 秀虎の顔面を直撃しそこなったボールは、あさっての方向へ飛んでいき、勢いよくアウト。

「ナイス、秀虎君!」

 叫ぶ明日夢だったが、秀虎はそれどころでなかった。脚の裏を押さえたまま、立ちあがれなかった。審判がゲームを中断させた。おそるおそる広げた秀虎の手のひらが、真っ赤だった。

「秀虎君!」あわてて明日夢が駈けよる。「何これ!」

「あ、これ……」

 駈けよった線審のひとりが砂の中から、将棋の駒くらいの大きさのガラスの破片を拾いあげた。

「どういうこと!ビーチバレーやるってのに、コートの中にガラスなんかまざってるって、ありえないでしょ!」

「すみません、コート中はよく砂をふるって、こんな物まざってるわけないはずですが……」

 どなられた線審は、貧乏くじをひかされたかっこうになって、しどろもどろに弁明する。

「はずがないって、そんなの言い訳じゃない」明日夢が爆発した。「脚の裏だったからよかったけど、別の場所だったら秀虎君、もっとひどいことになってたわよ!」

「ケガされた方は、とりあえずこちらへ――」

 実行委員会のテントから、何人もの役員らしきおっさんたちがやってきた。テントには救護所が設けられている。秀虎は貞清たちに肩を貸してもらい、片足とびでテントの下へ入っていった。

「大丈夫、秀虎君?」

 親指の付け根あたりを消毒される秀虎を覗きこみながら、明日夢が訊ねる。玉のような汗をかいた顔が青い。

「……試合はちょっと無理だと思う」

「……そうじゃなくって、バカ……脚、脚だって!」

「あぁ……まぁそうだな……痛いけど大丈夫」

「痛いけど大丈夫って、何よそれ、マヌケ!」

 不機嫌な表情で明日夢はぼそりと云った。

「あの、すみません……もし出場できないのなら、控えの選手はいらっしゃいますか……進行の関係で……もしいなかったら、棄権ってことになりますが……」

 明日夢の剣幕に、おそるおそるといった感じで、実行委員が訊ねる。

「……今、そんなこと云う?」

 明日夢がにらみつけると、居心地悪そうに眼をそらした。でもここまでやっといて、決勝が不戦勝だったら、いくらなんでも盛り上がりに欠けるのだろう。

「やめろ北森――」秀虎が顔をしかめつつ云う。「大丈夫、控えの選手ならいますよ。交代します」

 織田の背後で、貞清と石黒が声にならない歓声をあげて、はればれとこぶしをつきあげる。

「さ、がんばってくださいね」

 貞清が織田の肩をぽんとたたく。

「え……俺?」

 呆然とする織田。読み違ってコウ立てしそこなったヘボ棋士のように、間のぬけた表情だった。

「もちろん」笑いをこらえつつ、石黒が云う。「優勝まであと少し。織田さんだって、肉なしのバーベキューなんて喰べたくないでしょう?」


* * *


「わっかりましたか、みなさん!いえ特にあなた、織田さん!」人差し指を前会長につきつけながら明日夢。「秀虎君がいたからこそ、なんとかかろうじて、綱渡りで試合になってたんですよ!」

 どこまでぎりぎりだったんだ。

「その証拠に、秀虎君がいなくなったら、一点もとれなかったじゃないですか、秀虎君がケガしてなかったら、優勝してたかもしれないんですよ!」

 結局、秀虎がぬけたあとの穴はうまらず、明日夢たちはそりゃあもう、こっぴどく敗けた。途中から交代した織田は、みごとなまでに脚をひっぱってくれ、相手チームを優勝へみちびく原動力となった。

 そして明日夢は、飢えた雌虎のように憤慨している。

「いや、それはないだろ、俺らもうへろへろだったし……」

「根性なし」

 げんなりと答えた貞清に、侮蔑をあたえて、手にした缶ビールをくいっとかたむける。絶好調だった。

「いいですか織田さん!今度のことで、あなたが、どれだけ、役に立たないか、わかりましたか!猛省をうながします、猛省を!」

 テントの前で肉を焼きながら、まだ陽のあるうちにもかかわらず、彼らはずいぶんの量のビールを消費していた。

「あ~もう勘弁してくんないかねぇ……いいじゃないか、治療費はもらったんだから」

「それ、俺のです」

 ぼそりと秀虎。謝罪と治療費として、優勝賞金と同額の三万円をもらった。もらったが、脚には包帯で、結局海に入ることもできなかった。包帯の間に砂が入ってかゆいし、やはり割りにあわない。

「い~え、容赦しません。どうせアタシと秀虎君をからかうつもりだったんでしょ、みんな知ってて、アタシたちだけ教えてなかったんだから!」

「北森、こうして無事にバーベキューができてるんだから、もうそんな目くじらたてなくても……」

「無事って何よ、無事って。最初っから肉は買ってたんですよね、織田さん?」

「はははは……」

「……ってことは、別に出場しなくてもよかったんですよね、藤江?」

「えっと…どうなのかにゃあ、あはははは」

「藤江、ちょっと体育館の裏までこい」

「あたしは無実です。全部先輩たちの陰謀です、よろこんで証言台に立ちます」

「うわっこいつ、マッハで裏切りよった!」

 あれだけおどしておきながら、織田たちはバーべキューの支度はちゃんとしていた。つまり明日夢と秀虎はからかわれたのだ。全員がグルだったのだ。

 そのことを聞いた明日夢の怒りはおさまらない。怒りにまかせ、呑みかつ喰べ、そして吠えて糾弾しつづける。


* * *

 

 かたむきつつある夕陽が、夏の宵へと意匠を変えつつある。彼らはもう何ものっていないバーベキューセットのまわりに思い思いに座っていた。炭だけがちりちりと、小さな火をあがていた

 酔いが公平に彼らにおとずれていて、海のかなたが急に遠ざかるような感覚があった。遠ざかりつつあるその距離をはかるように、不意に石黒が訊ねた。

「そういや織田さん……本当にプロになるつもりなんですか?」

「ん?あぁ……なる」

 意外にアルコールに弱い織田は、酔いのまわりはじめた口調で答えた。しかしその表情は落ち着いていて、何の力みも感じられなかった。

「織田さん、前から一度訊きたかったんですけど……なんでプロにならずに、大学来たんですか?結構いけてたらしいじゃないですか?」

「うん、まぁ……親父との約束でな」

 織田がぽつりと云った。ちびりとビール缶に口をつける

「プロを目指すのはかまわんが、大学まではきっちり行く、それが条件だった」

 織田の実家が地元では結構でかい建設会社をやっていることは、以前に耳にしていた。彼は総領息子で、下には妹しかいないらしい。十代のころ、プロをめざしていた織田と親との間に、衝突があったことは聞いている。

「……はあ、それ条件厳しすぎませんか?」

 現在、プロ棋士になる条件は実は将棋よりも厳しい。受験できる年齢は原則二十二歳までという制限があり、この時期をのがすと、後はアマチュアとしてプロにおとらない成績をのこして、特別枠で編入するほかに手段はない。年間数人しかプロになれない、九分九厘の者が行く手をはばまれるけわしい道だ。

 織田はこれまでプロ試験にものぞんで、かなりのところまでいっていたらしいし、全国の学生選手権でも優秀な成績をのこしているが、同じ野望をもっているライバルも少なくはない。年齢からいえば、ほぼ最後のチャンスだろう。

「プロへの道は厳しい。プロ間違いなしって云われてたやつが、結局狭き門にはばまれて去っていくことだって珍しくない。十代のすべて碁に費やしてしまって、挫折してしまっても、碁しか知らないやつは世間では生きていけない。だからそれなりの学業をおさめろって、それだけは譲れんって云われてな。保険みたいなもんか。ま、勉強会へ参加するための費用なんかは出してもらっているから、文句は云えんわな」

 そう云うと、織田は晴れ晴れと笑った。薄紫色の幕がかかったようだった空が、今はもうフェードアウトしつつある。

 明日夢はそんな織田にそっぽを向いて、唇をとがらせてビールの缶をかたむけていた。その顔が赤かった。

「来月……からでしたよね、外来の予選」

 藤江が唇をかみつつ、小さく訊ねた。

「よかったんですか、こんなことして」

「ばか騒ぎも、これでおしまいだ」

「あきらめてないんですか」

「あぁ、なるって云ったろ?なりたいんじゃない、なるんだ俺は」

「うお、かっちぇええこと云ってますよ、織田さん」

「おお、今のうちにサイン書いてやるぞ。タイトルとったら、気安く近よれなくなるからな」

 そう云って、にいっと笑った織田の表情は、これまでにはなかった成熟した大人の気配があった。笑う織田の目元は、もう秀虎の視線とは位相が異なっていた。秀虎はそれを、さびしくもあり、うらやましくもある感覚でとらえた。織田の夏は、もう自分たちとは分かたれていたのだ。

 自分にもいつかおとずれる夏のおわりだと、秀虎は感じていた。


(了)

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Summertime Blues 衞藤萬里 @ethoubannri

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