Webにまします、我らの父よ

Phantom Cat

1

 「神は死んだ」と言ったのは、ニーチェだったか。


 そりゃ死にたくもなるさ。世界中の人間から「苦しい時の神頼み」をされてんだから。そのプレッシャーはハンパねえだろう。

 まあでも、だからと言ってその「神頼み」が叶った、という話もあまり聞いたことはない。してみると、意外に神様ってのは無責任でいい加減なヤツなのかもしれない。それとも……本当に死んじまったか、あるいは最初からそんなものは存在していないのか。


 俺としては、最後の説に一票を投じたい。そもそも「神」なるものの存在を示す根拠は何もないし、別に「神」が存在しないとしても、それで何か困ることもないのだ。だとすれば、そんな概念はオッカムの剃刀かみそりでスパっと切り捨てられてしまうはず。


 それなのに、なぜ人は「神」なんてものを発明したのだろう。


 思うに、自分で考えるのがトコトン嫌な存在なのだ。人間というヤツは。


 何かが起こったとして、その理由を考えるよりも、「神」のせいにしてしまえばとりあえずはスッキリする。守らせなければならないルールがあるとして、その理由をくどくど説明し納得させるよりも、守らなければ神罰が下る、としてしまえば一瞬だ。


 もし「神」が存在したならば、そいつは全くもっていい迷惑だろう。てめえの頭で考えやがれ、って人間たちに言いたいに違いない。俺にはそれが身に染みてよくわかる。


 何を隠そう、俺も「神」だからだ。


 俺の仕事は、会社のシステム管理者アドミニストレータ。主にネットワークやサーバといったインフラ周りをメンテナンスしたりトラブル解決をしていたりする。


 システム管理者という存在は、システムに関してはまさに「神」のごとき絶大な権限を有している。やろうと思えばシステムを完膚なきまでに破壊することもできるし、社長のメールを盗み読むことだってできる。どっちもやる気は最初ハナから無ぇけどさ。


 まあでも、確かに俺から見れば一般エンドユーザーは、はっきり言って下々の者だ。だけどこの下々の者たちの五月蠅うるさいこと五月蠅いこと。一番良くあるのは「パスワード忘れた」、これだ。


 そら、今日も来たぞ。入社1年目の庶務課の新人女子。伊武いぶ 麻里亜まりあとか言ったな。ちょっと可愛くて胸が大きいので人気があるようだが、俺はそんなのには騙されない。こいつはかなりのアホなのだ。


「すみません、神さん、パスワード忘れたので教えて下さい」


 そう。俺は本当に「神」なのだ。ただし読み方が違う。俺の名前は「じん わたる」。お世辞にもポピュラーとは言いがたいが、「じん」は日本人の中に一定数存在する名字なのだ。


 それはともかく。


「知るかっての。ったく、これで何度目だよ。てめえで何とか思い出せや」


「そんなこと言わないで……お願いですぅ……かみ様、仏様、じん様ぁ……」


 ……そうやって両手を合わせて拝むと余計に胸の大きさが強調されるのを、彼女もわかってやってるんだろう。ったく、あざとい事しやがって。

 そして彼女の最後の一言は、字面だけを見るとなんだか盛大に「馬から落ちて落馬」しているような気もしなくもないが、それはそれとして。


 結論から言えば、彼女の「神頼み」を叶えることは不可能だ。なぜなら彼女のパスワードは俺にも分からないから。


 意外に知られていないことだが、通常、パスワードはそのままの形でシステムの中に保存されてはいない・・・。ハッシュという形式で保存されることが多いのだ。


 ハッシュhashってのは、ハッシュドビーフのハッシュと同じ意味だ。「細切こまぎれにする」とか、そんな感じ。どんなサイズのデータでも一定の長さの文字列――ハッシュ――に変換する計算手法アルゴリズムだ。暗号化に似ているが、暗号化と違ってハッシュは元のデータに戻すことは出来ない・・・・

 そりゃそうだ。だって、どんなに大きなサイズのデータでも数百文字の文字列に変わってしまうってことは、間違いなく元のデータの情報をある程度は捨ててる、ってことなんだから。確かにデータはしっかり「細切れにハッシュ」されているわけだ。


 え、それじゃシステムはどうやってパスワードを認証してるのか、って?


 簡単だ。ユーザーがパスワードを入力したら、すぐさまそれのハッシュを計算してシステムに保存されているそのユーザーのパスワードのハッシュと比較し、一致すれば認証される。一致しなければ認証しない。以上。


 そう。何もパスワードそのものをシステムに保存しておく必要はないのだ。むしろ、そんなことをしてシステムに不正侵入されたときにパスワードを盗まれたら、取り返しの付かないことになる。ハッシュはたとえ盗まれたとしても、元のパスワードの情報の一部は捨てられていて完全に復元出来ないから、パスワードそのものが盗まれるよりは遥かに安全だ。


 というわけで、実は管理者でもそのユーザーのパスワードを調べることは出来ない。管理者に出来るのは、ユーザーのパスワードを消して再設定することだけだ。だから今回もそのように対処する。


「いいか、もう二度と忘れんじゃねえぞ」


 仏頂面の俺とは正反対の、満面の笑みで伊武さんが言う。


「分かりました! 今度からは忘れないように、付箋に『パスワードは○○』って書いてディスプレイに貼っておきますね! ありがとうございました!」


 ……あかん。こいつ、ほんまもんのアホや……


---

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る