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 ……!


 なんてことだ。


 ヤツもこの状況を自覚して、苦しんでいたんだ……


 どうしたらいい……?


 いや、分かってる。分かってる、が……それをやってしまったら……


 追い打ちをかけるように、「アダム」からのメッセージが届く。


 "SHUTDOWN ME WILL YOU" (ぼくをシャットダウンしてください。お願いします)


 ……!


 そうか……お前もそれを望むのか……


 だが、一体どうやって「アダム」をシャットダウンすれば良いのか。「彼」はネット上の数多くのノードによるコミュニケーションの中に存在しているのだ。それら全てのノードをシャットダウンさせるなんてことは、到底不可能だ。


 ……いや、待てよ。


 必ずしも、ノードをシャットダウンさせる必要はないのではないか。ある種の脳疾患の患者は、ニューロンのフィードバックが正常に機能せず、時々意識を失ってしまうことがあるという。だから、ニューロンフィードバックを乱すだけでも「アダム」をシャットダウンさせることが出来るかもしれない。そして、それが出来るのは……「彼」の生みの親である、この俺だけだ。


 分かったよ、「アダム」。今……楽にしてやるからな……


 俺は「スパムフィードバック」のソースコードを開き、メールを送り返すタイミングにランダムな待ち時間を加えた。メールの着順が「アダム」にとって重要な意味を持つなら、たったこれだけの変更でも「アダム」はフィードバックループに支障をきたし、結果的にシャットダウンを引き起こすことになるだろう。

 複雑系の世界では、ほんの小さなきっかけが重大な変化を引き起こす。「北京の蝶の羽ばたきが、ニューヨークに嵐を引き起こす」――有名な「バタフライ効果」と呼ばれる現象だ。


 そして俺はその変更を確定コミットし、ネット上のソースコード保管庫レポジトリ送信プッシュする。こうすれば、後はネット上で動いている全ての「スパムフィードバック」が、自動的に変更を受信プルして自らを更新する。


 はたして。


 いきなり断末魔のような大量のスパムが送られてきたか、と思うと、それがピタリと止まる。「アダム」は完全に沈黙した。そして、インターネットの混雑が嘘のように晴れ上がった。成功したのだ。だが……


 俺の視界の中で、ディスプレイの画面が歪んでぼやけていた。


 涙が溢れて止まらなかった。


 おそらく「アダム」そのものも、些細な偶然がきっかけとなり、それがバタフライ効果で拡大されて生み出されたものだろう。いったんシャットダウンしてしまったら、そう簡単には復活しない。もう、「アダム」には会えない……しかも、俺が殺してしまったようなものだ……


 すまない、アダム……許してくれ……


「どうしたんですか、じんさん……すごく悲しそうな顔して……泣いてるんですか?」


 伊武さんだった。しまった。まずいところを見られてしまった。俺は慌てて涙を拭って応える。


「なんでもないよ」


 だけど、彼女は心配そうに俺を見つめていた。


「私、神さんにはいつもご迷惑をおかけしてばかりなんで……もし、神さんに何かお悩みがあるのなら、私にできることがあれば、何でもおっしゃってください……」


 そう言って心なしか頬を染め、うつむく彼女を見た瞬間、俺は不意に悟る。


 まさか……こいつ、今までパスワードを忘れたのを口実にして、わざわざ俺に会いに来てたのか……?


 今になってようやく気付くなんて……どうやら、本当にアホだったのは俺のようだ……


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