真昼の天文部

嶌田あき

真昼の天文部

 色が誕生した日。

 宇宙開闢の10秒後。

 神は「光あれ」と言われた。

 すると光があった――つまり、それまで宇宙を占拠していたほとんどのレプトンが反レプトンと対消滅し、そのエネルギーは光として宇宙に広がった。

 それ以来、私たちの宇宙は色で満ち溢れた。

 ふふふ――。


 高校最初の夏休みを1週間後に控えたある放課後。僕は天文部が根城にしている理科室で頭を抱えていた。黒い天板の実験テーブルを挟んで向かいには思いつめた表情のリョーコが座る。 

「――どう?」

 制服のブラウスからのぞくリョーコの日焼けした健康そうな腕。わりと締まったスポーツ体型に似つかわしくないメガネ。それを指でくいとやりながらアハハと笑うと、後ろでポニーテールが元気に揺れた。

「どうって?」

「ちゃんと聞いてた?」

 秋の文化祭の出し物で「物理的に正しい宇宙創成記」なんてプラネタリウム番組をやる。さっきのはその冒頭。文才も画力もない僕を見かねた部長が、助っ人でよこしたというのが彼女だ。

 なんでも、わが天文部部長は理科部部長と親友で、彼女が兼部しているという美術部からリョーコを連れてきたらしい。女子のフットワークとネットワークはすごい。

「色で満ち溢れたってとこ、ちょっとリアリティない、かな……」

「じゃあ、そのとき何色だった?」

「え……」

 そんな一休さんのトンチみたいな問いに黙りこくる僕を横目に、彼女は「こんな色だったかな?」なんて言って、真っ白なペンで窓の外の青空を指した。

 透き通るような青に夏の白い入道雲。僕が「そうかもね」と気のない返事をすると「よーし。覚えとく」となぜか嬉しそうに笑った。


 ○


「ねぇ、つきあってよ」という告白に誘われ2人で向かった先は駅前の焼肉屋。彼氏彼女でもない高校生2人で、日曜の昼に。彼女の不可解さここに極まれり。

 食べ放題ランチ2人前を注文し終わった僕が思わず

「え? まさか難病かかえてたりするの?」

 なんて聞くと、彼女は「なにそれ?」とケラケラ笑った。杞憂か。

「いや、前にそういう小説、流行ったでしょ?」へらへらと肉を焼く僕。

「あー、あったね。へへ。大丈夫。難病ではない」じっと肉を睨むリョーコ。

 他愛もない話をいくつか交わすと、彼女は「野今くんにだったらいいか」なんてわざと僕に聞こえるよう呟いた。そして「焼けたかなぁ」と例の真っ白のペンを取り出しては、おもむろに網上の肉にかざした。おいおい、まさか――。

「野今くんはC型だよね? 私はD型なんだ」

 色覚多様性。緑は苦手だけど青から紺にかけての階調差はチョー得意、との自己評価。彼女のメガネは色覚を補助する網膜ディスプレイで、白いペンはスポイトツールなのだそうな。僕が美術部ではどんな作品を描いているのか見てみたいな、といったら彼女は少しだけ目に涙を浮かべて赤面した。

 そして、赤と茶色の判別も苦手のため、大好きな焼肉に1人で来られないのが悩みだったらしい。いや、年頃の女の子が1人で焼肉屋に来られない理由は他にいくらでもあると思うけど。

「ほかに何か手伝えることあったら言ってよ。ほら、天文部の手伝いのお返し」

「えっへへ。ありがと」

 彼女は夏の夕立のあとの青空みたいに笑った。


 ○


 彼女にほんとうの色を見せてあげたいと、思ってしまった。

 それが余計なお世話で、彼女のことをかわいそうだと思ってしまう自分が嫌だったけれど。

 僕はいわゆる物理とか工学系な人間で、生物方面はてんで疎い。それでもちょっと調べれば、緑を感じるM錐体を彼女の眼に復活させる医学的な方法がないことはすぐに分かった。しからば工学的発想の出番だが、緑とバランスするように青や赤のフィルターをつけて、とか、あの網膜ディスプレイに緑センサーをつけて、とか、そんなことしか思いつかない。思いついたとしても、高校生の技術力と資金力でできることはたかがしれている。

 部長のキョーカ先輩に相談すると、彼女は長い髪を耳にかけながらこう言った。

「三原色ってあるでしょ? あれはね、人間が勝手に決めたことなのよ」

 人間の目がたまたま赤緑青の3種類のセンサーを使うからそう言っているだけで、物理法則による必然性はない、ということらしい。2種類しか使わない二色覚や、4種類使う四色覚の動物もいるんだって。

「だから、同じ宇宙を見ていても、それぞれ人によって見え方は違うの。これって、とってもすごいことじゃないかな?」

 彼女は何をしろともするなとも言わず、優しく笑って僕たち2人に課題をくれた。


 ○


 夏休み。

 僕とリョーコはクーラーの効いた理科室に入り浸り、ひたすら顕微鏡を覗いた。

「ねぇ、ちょっと聞いていい? これ、ほんとにブラックホールなの?」

 メガネを額にあげ、リョーコが顕微鏡を覗き込んだまま不思議そうな声をあげる。

「正確にはAdS/CFTの対応物」

「なにそれ? あ、これは結構赤っぽい?」

「ホログラフィ原理てのがあってね。3次元のブラックホールは重力のない2次元の結晶の中にマップできる。そのプレパラートに入ってるのはトポロジカル物質っていう特殊な結晶。その中で、ブラックホールに相当するものが閉じ込めてある」

「うー。よくわかんない。けど、キレイ」

 見て、とリョーコに言われ、顕微鏡を覗き込む僕。

 小さなリングが赤から橙色に輝いている。アインシュタインリングだ。

 プレパラートの番号とリングの形、色をメモして次のプレパラートを顕微鏡下にすべりこませる。また彼女が覗き、驚嘆、そして僕に交代。僕が覗き、メモをとる。

 僕らは話しながらも手を止めず、次から次へとブラックホールを分類していった。

 2人で同じ世界を見て、2人で違う色を見る。

 たったそれだけのこと。

 それが、こんなにカラフルで、こんなに楽しいものだなんて、知らなかった。

 ブラックホールは見えないけれど、2人には色が見えた。

 もう僕はほんとうの色をリョーコに見せようなんて思わなくなった。


 ○


 夏の終りに、僕はリョーコに好きだと言った。

 美術室で、青が基調の彼女の絵を見たあとだった。

 彼女は「うん」と言って泣いた。

「赤が見たいの」

「大丈夫、メガネをとってごらん」

 僕もメガネを取る。ぶつかるからね。

 彼女に口づけをすると、彼女の頬は赤くなった。

 



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真昼の天文部 嶌田あき @haru-natsu-aki-fuyu

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