第7話 赤みがかった背中

 「なんでドレスなの?」

聞いて良いかわからなかったが、聞かないのも変な気を遣っているような気がして、素直に聞いた。

「今日、結婚式だったの」

「ほう・・・」

(金曜日なのに珍しいな)

「友達の?」

「ううん。自分の・・・」

「ん?」

俺は意味がわからなくて表情を見た。

「うっそー。冗談。今日ね、職場の授賞式だったの」

「授賞式?」

「そう、仕事の論文が評価されて、大学病院から評価されたの」

俺は驚きのあまり顔が険しくなった。

「論文?大学病院?え?」

「歯科医師なの」

(おぉ)

彼女の職場が歯医者だということはわかっていたが、まさか先生だとは思っていなかった。

「先生なんだ。すごいね・・・」

俺がそう言うと今度は彼女が反応して険しい顔をした。その表情は明らかに怒っていた。

「すごい?何が?」

そう言った瞬間、自分の行動が恥ずかしくなった。

「あ、ゴメン」

咄嗟にその言葉が口をついたが、それすらも後悔した。

 俺は顔を伏せて何も言えなくなった。

「いいの。ゴメンネ」

そう言って彼女は険しい顔をやめた。

「わかってるの。先生とか医師とか言うとなんとなくすごいって思っちゃうんだよね、みんな」

「いや、ホントごめん」

「そう。君が感じてることと同じ。わかるよ。なんとなく”すごい”って言われるの、なんか嫌だよね」

「うん。自分が感じてるのに、ゴメン」

「ううん。いいの。私も君が消防士って聞いて”すごい”って思っちゃったから」

「うん」

 完全に気まずい雰囲気になってしまった。

 やっと彼女が”ドレス”に対して嫌悪の表情を見せた意味がわかった。その真意がどこにあるのかまではわからなかったが、それくらいがちょうど良かった。きっと彼女もそんなに掘り下げられたくない。

 俺も自分が感じている”違和感”を掘り下げられたくない。というか、掘り下げられても自分でもわからなかった。


 俺は徐々に気まずい空気を解いていった。

「沖縄に行ったことがあるか」から始めて、他愛もない話を繰り返した。

 時折、彼女が俺の仕事の話を持ち出した。俺は探り探りに彼女がどこまで興味あるのかを確かめた。

 だいぶ話が砕けたところで、彼女が楽しそうに聞いてきた。

 「そういえば、さっきアヤカちゃんに連絡先聞かれてたでしょ?」

「あぁ・・・うん」

「よかったの?あたしとで」

「ん?」

彼女があえて短く発したから、わざときちんと言わせた。

「アヤカちゃんとじゃなくて良かったの?」

「あぁ・・・今日は祈織さんの方がいい」

「今日は、ってなによ!」

ふざけて怒る顔をした。

 彼女の方こそ、本当の表情を見せたのは今になってだと思った。

笑った彼女の顔は歳上には見えないくらいに無邪気だった。


 「そろそろ行きますか」

 店にいるのが二人だけになって、あまり遅い時間までおばあさんを働かせるのにはばかられて声をかけた。

 そそくさと会計を済ませようと、おばあさんに声をかけた。

 おばあさんは伝票を持ってくると、俺の顔を覗き込んだ。

「兄ちゃん、消防士じゃろ?」

「あ、はい」

「やっぱり、こないだ駅の反対側で火事があったろ?あのとき燃えたところの隣がわたしの家なんじゃよ。兄ちゃん、ずっとわたしの家に水をかけててくれてたじゃろ?”大丈夫ですよ、家は守りますから”って。わたしずっとあんたの顔を忘れられなくてな」

「あぁ・・・それは・・・」

俺が言葉に詰まっていると、おばあさんは伝票をヒョイっとカウンターに投げた。

「今日のぶんはいいよ。こないだのお礼だよ。本当にありがとうね。そのかわり、またその綺麗な彼女連れておいで」

おばあさんはそう言うとカウンターの中に戻っていった。

「ありがとうございます。ごちそうさまです」

俺は礼を言って店を出たが、祈織さんの前でなんだか恥ずかしくなった。


 「カッコいいね。あんな風にお礼言われて。よくあるの?」

カツカツとハイヒールの音を鳴らしながら歩く彼女。

「いや、初めてだよ」

「君はちゃんと人の役に立ってるんだね」

 俺が喜ぶはずなのに、何故か彼女のほうが嬉しそうだった。

 二人で駅に向かって歩いている途中、寂しく光を放つバーの看板があった。そこには「moock」と書かれており、明らかに大人な雰囲気を帯びていた。

 「あたし、こういう店で飲んだことないなあ」

「俺もあんまないな」

「なんか構えちゃうよね・・・」

「でも今日の衣装にはピッタリなんじゃない?」

俺がそう言うと彼女は俺の服を見た。

「あ、これはあんまり似合わないかもね・・・」

俺が自分でそう言うと彼女は不敵な笑みを浮かべた。

「じゃあ今度は君の番ね」

そう言うと、バーの方へハイヒールの先を向けた。


 彼女が扉を開けると「カランコロン」と乾いた高い音が鳴った。

 バーテンダーのお兄さんが絵に描いたようにグラスを布巾で拭きながら、こちらを向いて「いらっしゃいませ」と声をかけた。

 お兄さんは丁寧にグラスを置くと、サッとカウンターまで出てきて高椅子を引いた。

「どうぞ」

低く落ち着いた声で彼女をリードした。

「ありがとうございます」

スマートにスッとドレスのスカートをまとめ、斜めに入り込むように高椅子に座る彼女の姿を見て、

(初めてじゃないだろ)

と思った。

 俺は一気にこの格好と自分の焦りが恥ずかしくなった。

 それでもできるだけ馴染ませようと、彼女を真似して斜めに入り込み、時計を外してカウンターの上に置いた。

「いかがいたしましょう?」

お兄さんに誘導され、少し考えるフリをした。

「えぇと、ジントニックで!」

 前に先輩から、「バーに行ったらジントニックを頼んどけ!ジントニックでその店のクオリティがわかるらしいから、通に見えるらしいぞ」と言われたのを思い出してすかさずそう頼んだ。

「祈織さんは?」

と聞くと、少し俺に視線を残したまま、

「マティーニで」

とお兄さんに微笑みかけた。

 完全に見下している。でもそれがどこか心地良い。俺の小さな自尊心をチクチクと、でも傷つけないように極めて細い針で刺す。

「ねぇ、初めてじゃないでしょ?」

俺は顔を前に向けたまま視線を横に流して彼女を見た。

「どうかねぇ」

彼女は嬉しそうに笑った。


 「マティーニとジントニックです」

ジントニックのグラスの縁にはソルトが塗られていた。

「では、優勝に・・・」

「授賞に・・・乾杯」

と彼女とグラスを交わした。彼女が一気に半分を飲み干したのを見て、俺も顔を上げてゴクゴクと飲み込んだ。

 「そういえば、終電は?」

 俺がそう聞くと、マティーニを片手に肘を付きながらこう答えた。

「終電?そんなのとっくに過ぎてるよ」

真っ直ぐにこちらを見つめる彼女の背中は、ペンダントライトに照らされて、どこか寂しげではあったが、楽しそうにも見えた。

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濃紺の救士 ーオレンジの天の川ー 敷嶋 カイ @Shikishima_MuraMasa

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