四十二話:ギルド長マット
世界樹の森からまっすぐ東。
枯れた大地の先の乾燥地帯に、その町はある。
カンタラ。
枯れた大地で採れる赤土を魔法によって焼き、魔術によって防水を施された煉瓦によって造られた家々が並ぶ町。
煉瓦を使用して様々な形、様々な模様をみせる街中だが、多くのものは長手の段と小口の段が交互に積まれている。
その特徴的な積み方は、それを知る者の息吹きを感じさせる。
世界樹の森を監視するために生まれた町。
冒険者ギルドが管理する町。
□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □
「なんてことだ……」
冒険者ギルドカンタラ支部。
周囲より二回り程大きなその建物の二階にあるギルド長室。
立派なソファや机に背を向け、ギルド長である私――マットは一人、開かれた窓の前で途方に暮れていた。
ギルドに保護され、師の背中を追いかけて剣を磨き、冒険者となってから早
三十四でギルド長となり一癖も二癖もある冒険者達を束ね続け、今現在齢五十九。
これほどまでに腹が痛く、頭を抱えたくなったのは、これで四回目だ。
一度目は師の暴走。
二度目は部下の暴走。
三度目は上司の暴走。
一で白髪が現れ、二で白髪が増え、三で局所的な脱毛と胃に穴が空いた。
髪を染め、残った髪を纏め、回復薬で胃の穴を塞ぎ、辛うじてこの座に腰を据えている。
だというのに、どうしてこうも、ままらないものなのか。
先程報告書を咥えてきた風で形作られた鳥は、役目を終えて霧散した。
その際に頬を撫でた風が、熱が、臭いが、報告書の内容が現実のものだと雄弁に語っている。
「Sランクがなぜ……!」
静かに、しかし荒々しく声を絞り出す。
重たい腕で閉じた分厚い窓硝子には、苦虫を噛み潰した様な自分の顔が映っていた。
鼻の下に伸びる髭も、心成しかくたびれた印象を受ける。
部下には決して見せられない。
だが、こんな顔をするのも仕方がないではないか。
これからの対応によって、町の存亡が左右される。
Sランクモンスターが向かって来ているという状況は、最悪の事態を予期して余りあるものなのだから。
モンスターにSランクがあるように、冒険者にもSランクがある。
それは事実であり、ここカンタラにもSランクの冒険者が六名在籍している。
しかし、モンスターのSランクと冒険者のSランクは、区別のされ方が違う。
まったくと言っていい程に違う。
モンスターはCからSで区別されており、CからAを区別しているのは、好戦的かどうか、と敵対した際に危険かどうかだ。
敵対しても無害のもの、つまり攻撃性をもたないものがC。
好戦的ではなく人を見ても襲ってこない程だが、敵対した際に危険なものをB。
好戦的で非常に危険なものをAとしている。
Sは特殊なランクであり、敵対した際に国単位での被害が予想されるものだけでなく、新種のモンスターにもこのランクが付く。
新種のモンスターにもこのランクが付く事が意味しているものはただ一つ。
過去に新種のモンスターによって滅んだ国がいくつもあるという事。
それゆえの
決して遭遇してはいけない。
決してこちらから敵対してはいけない。
決して近寄ってはいけない天災を示すランクである。
さらに、これはあくまでも単体でのランクであり、複数体の場合はCからSまでランクが上がる事もある。
例をあげるのならば、嘗て西にあった帝国で起きたモンシロチョウモドキ大量発生時に出現したモンシロチョウモドキの群れ――通称“風精の怒り”だ。
Cランクモンスターであるモンシロチョウモドキ八千体もの群れによって、国から群れを遠ざけようとした帝国軍前軍四千五百は全滅。後軍五千は、群れが方向転換し、国から遠ざかっていくまでに、三千八百もの死者を出したという記録が残っている。また、群れの数も勢いも全く衰えていなかったとある事から、そのまま群れが国へ向かった場合の推測は容易である。
対して、冒険者はFからSまで階級がある。
FからDは、年齢によって付けられる階級であり、簡単に言えば、子どもの小遣い稼ぎと剣や魔法などを覚える準備期間用の階級だ。
五歳からFランクとなり、自らが住んでいる町の中での安全な任務を行う。
七歳からはEランクとなり、町外での採取などを行う。
十一歳からは、Dランクとなり、隣接する町への日帰りの配達などを行う。
いずれも森に入る事は禁止している。
CからSは、十六歳から受ける事が出来るようになる昇格試験を合格する事で昇格する事が出来る階級だが、それぞれ求められるものが明確に違う。
Cランク。駆け出しとよく呼ばれるが、最も重要なランクであり、求められるものは、索敵と場作りの能力である。試験でモンスターと戦闘する事もなく、FからDまでの任務を熟してきたならば、その経験で容易に昇格出来るゆえに、駆け出しと軽視されている。だが、Fランクから十一年間かけてCランクになるための訓練をしていると言えば、どれ程このランクを重要視しているかがわかるだろう。モンスターの存在を敏感に嗅ぎ取る嗅覚と、こちらに有利な場作り。それこそが、この魑魅魍魎が跋扈する世界で生き残る上で最も重要なのだ。
Bランク。場慣れしてきた頃だと言われるランクだが、求められるものは、防衛能力。モンスターの侵攻から、民を守るためのランクである。試験でモンスターと戦闘を行うが攻撃面ではなく、モンスターをその場に止める能力を重視している。そのため、そこさえ満たしていれば、討伐せずとも昇格する事が出来る。
Aランク。このランクになって、初めて一人前と言われている。Sランクへの助力を行うランクであり、森へ入る事も多い。当然、モンスターとの戦闘も多く、最も死亡率が高いランクだ。試験で求められるのはSランクの補助に成り得る程の力。当然ながら、モンスターとの戦闘も試験に含まれ、
Sランク。最高のランクと
試験で使用されるモンスターは、CからAのモンスターのみであり、Sを使用する事はあってはならない。
また、ギルドが試験の際そのランクに求めるものは極秘であり、ギルド長以上でなければ、知ってはならない。……これは建前であって、薄々勘付いている者達がいるのは確かだ。だが、Sランクの冒険者がいなければ、四方八方からの奇襲が常の森へ入る事は出来ない。また、最高のランクと言われるSランクを夢見て冒険者になる者が少なくないのも現状。公にするのは、控えるべき事項であるのは変わらない。
まあ、それはいいとして、問題は今だ。
冒険者がSランクのモンスターを倒した記録はある。
運悪く遭遇したSランクモンスターを冒険者が倒し、後にその経験をもとにランクを付けなおした記録もいくつかある。
しかし、それは
名実共にSランクであるモンスターを冒険者が倒した事も確かにある。その冒険者が二つ名を持つSランク冒険者の時もあれば、毎日草刈りをしている度胸がないと噂されていたCランク冒険者の時や配達に来たDランク冒険者の時、冒険者を引退した老人の時もある。
しかし、その者達が今この地にいるという保証はない。
それに、たとえあるSランクモンスターを倒せる力を持っていたとしても、それとは他の種類のSランクのモンスターを倒せるとは限らない。
良くも悪くもギャンブル。
当たりを引けば助かるが、外れを引けば全滅一直線。
あの時の私達のように。
そんな存在が向かって来ている。
生きた心地がしないのも当然というものだ。
息を深く、深く吐く。
疼きだした左目を眼帯越しに押さえた。
まったく、嫌な日だ。
あの日を思い出すなんて。
「どうした? 筋肉が泣いているぞ?」
背後から声がする。
何だか室内が暖かくなってきている。
背後へと振り返る。
黒塗りの机の向こうには、向かい合う様に置かれたソファ。
その更に向こうの廊下へと続くドアを開き、こちらへと腰を曲げて入って来る長身の男。
「ビル……」
彼の名を呼ぶ。
鍛え上げられた肉体を見せ付けるかの様に、ぴっちぴちの白いシャツに青い革のズボンを身に着けた男――ビルは部屋に入って来るなり、心配そうな顔で腕を組んだ。
部屋の空気が暖まっていく。
「君の筋肉の為に私が出来る事はないか?」
「そんな……」
言える訳がない。
ビルは確かに強い。
Sランク冒険者である事がその証明。
だが、それでも言えない。
彼は優しすぎる。
彼は戦いが嫌いだ。
筋肉は戦う道具ではないからだと言っていた。
それでも私の
八ヶ月でSランクになるなんて、常人では考えられない。
そもそも、昇格試験を行う町を巡るだけでも一年はかかるのだ。
だが、彼はそれを、私達のためにやってくれた。
心の優しい彼の事だ、今回の事を話せば直にでも向かってくれるだろう。
私も立場上それをすべきなのは分かっている。
しかし、今回はSランクのモンスターだ。
流石の彼でも無事では済まないだろう。
私は彼をそんな場所に行かせたくはない。
いや、誰も、このカンタラに住む全員にそんな危険な目にあってほしくない。
しかし、私が望もうが、望むまいが関係無く、Sランクモンスターは今この時も着実に近付いて来ている。
私は、私はどうすればいいんだ。
「迷いが見える。そんな事じゃあ折角の筋肉が萎縮してしまうぞ」
そんな私の思いなど御構い無しに、ビルは私の手にある報告書に視線を向けた。
彼にはお見通しの様だ。
私も腹を括るしかない。
私は、ビルに報告書の内容を説明した。
「既に残りのSランク冒険者とAからCランクの冒険者を召集中だ。AからCランクは避難の補助、残りのSランクとビルと私で対象を遠距離から包囲する」
「マットはここに残るんだ」
私では不足だとでも言うのだろうか。
ギルド長は全員Sランクの冒険者から選ばれており、私もその例に漏れずSランクであり、日々鍛錬を行い、腰に差したレイピアの腕は現役以上となっている。
見縊ってもらっては困る。
そう、ビルに抗議しようとしたが、彼の汚れを知らぬ碧眼の瞳に打ち抜かれ、出来なかった。
「君がいなくなったら誰がカンタラにいる筋肉達を守るんだ?」
「っ……」
その瞳の中には、民への慈愛があった。
哀愁があった。
憂慮があった。
希望があった。
言葉が出なかった。
彼は、案じているのだ。
もしもがあった時に残された者達の事を――
「安心してくれ、君の筋肉をもう泣かせはしない」
彼はそう言ってドアへと振り返る。
私は動けなかった。
「それに、私の衛星細胞達が今回は平和的に解決出来ると言っている」
その言葉を残して、ビルはドアの上枠に頭をぶつけないよう腰を屈めて出ていった。
一人残された部屋の中。
ビルが居た事で暖かくなっていた空気が、わずかに寒を含み始める。
「平和的な解決……か」
両手で頬を叩く。
ぴしゃんと音が瞬時に部屋の中を支配し、消えた。
あの日の記憶は消える事は無く、左目の疼きも止まる事は無い。
だが、迷いは消えた。
私は、もう一度報告書に目を通す。
攻略法は検証すらされておらず、戦闘記録は数枚、討伐記録など一つも無い。
これは過去の戦闘記録から、灰色の狼が強いためと思われてきた。しかし、研究者達の十数年かけた研究が発表された事で、本当の理由が明らかとなった。
灰色の狼は、赤鉄の殺戮毛玉を呼ぶのだ。
遥か昔の記録に世界樹の森を攻略しよう試み、森から出た灰色の狼の捕獲に成功した国が一夜の内に滅んだとあったそうだ。
記録自体は、モンスターを侮った者が滅ぶごく有り触れた内容だが、滅んだ国の跡地には、高度な空間転移魔法や
つまり、近年の研究では、灰色の狼を捕獲した国は、赤鉄の殺戮毛玉によって滅ぼされたとされている。
赤鉄の殺戮毛玉に関しては、体長も出現する度に変わり、攻撃法も不明。
鉄錆色の毛を生やした球体である事しかわかっていない。
しかし、研究者達が魔法の隠蔽を解き、現れた魔法を解析するのに十数年かかったのだから、人間が対抗出来るものではないのだろう。
さて、話を戻そう。
今回ここへと向かって来ているモンスターが、灰色の狼の突然変異……いや、もしそうでないとしても、赤鉄の殺戮毛玉を呼ぶ可能性はある。
戦闘は絶対に回避し、思考が単純ならば、土を盛り上げて壁を作り、町を逸れるよう誘導する。
非戦闘員の避難などは、報告書に書かれているもので概ね問題無いだろう。
避難場所は私が選んだが、避難場所として申し分無い。
あそこならば、カンタラが吹っ飛ぼうが民は無事だ。
それにしても、この報告書に対処法まで書いたのはテオか。
お転婆娘のメラニーに日々振り回されている事もあり、緊急事態の中でも冷静で、それなりに考える事も出来るようだ。
あとは細かい部分を詰め、経験を積ませれば、冒険者引退後にギルド職員になる事も出来……それは今はいい。
今は時間が無い。
コンッコンッコンッ
ドアのノック音。
来たな。
「入れ」
「失礼します」
「失礼します」
「失礼しまーすっ」
ギルド職員の制服と帽子を身に着けた三人が部屋へと入り、横一列に並ぶ。
「Cランク冒険者並びにBランク冒険者、Aランク冒険者の召集が完了しました。現在は町民の避難誘導中です。避難誘導は、遅くても一刻半程で完了する見込みです」
最初に一度頭を下げ、そう報告したのは、薄いピンクの髪の女性――名前をアイシャ。年齢は……確か二十四だったか。
情報処理能力の高さから、Cランク冒険者の時に勧誘した職員。
ドが付く程の冷静沈着さを持ち前の温厚な容姿で見事に隠蔽し、女性職員からも、男性職員からも人気のある凄腕と言ってよい職員だ。
「冒険者ギルド本部や商人ギルドなどへの伝達、終了しますた」
流れるように噛んだ濃い青の髪の男性は、ジョルノ。年齢は三十丁度。
Bランク冒険者の時に勧誘した職員で、性格は真面目で実直。
多少不器用な部分があるが、そこは今後の経験で補えるとみている。
何よりも、彼の働く姿は他を鼓舞する力がある。
上司である私も背筋が伸びるのを感じる程。
今後の成長が楽しみな職員だ。
「アベっさんとギルスは“メルンの酒場”で飲んでるみたいです。いいっすよねあそこのスープ。俺好きなんですよ」
報告の後、大きな口を開けて欠伸をしながら、淡い黄色の髪生えた頭を右手で掻いているのは、ウィリアム。年齢は二十七。
その確かな仕事と熟す速さから、Aランク冒険者の時に勧誘をした職員だ。少々口調が荒く、腰を上げるまでが長い事があるが、仕事は間違い無く熟すため、その点においては職員達からの信頼も厚い。
大きな仕事を回避している節があるので、少しずつ大きな仕事を任せ、責任感などに慣れさせたいと思っていたが、まさかこんな事態になるとは……少し心配な職員だ。
彼ら三人は、我らが冒険者ギルドカンタラ支部の若手ギルド職員の中で、優秀な者達だ。
彼らには、今後重要な役職についてもらえればと期待している。
「報告ご苦労。西門からの連絡はどうなっている?」
「はい。確か「まだ目視、感知共に出来ていないみたいですよ」」
ジョルノの言葉をウィリアムが遮る。
「……わかった。アイシャは避難場所――ギルド本部へ行ってくれ。ジョルノとウィリアムはここに残れ」
「承知しました」
「えっ」
「あーい?」
一礼をしたアイシャが部屋を出て行く。
残る二人は、少し居心地が悪そうだ。
今は説教をする時間も惜しい。
手早く済ませよう。
「さてジョルノ、ウィリアム、君達が日々切磋琢磨している事は、他の職員からも耳にしている。私も常にではないが見ているし、非常によく思っている」
「「はい」」
二人の相づちが重なる。
察したのか、ウィリアムも背筋を伸ばしている。
「しかし、今回は緊急で、非常で、危険な事態だ。一つのミスによって、多くの命が失われる可能性がある」
ジョルノの額を汗が伝う。
ウィリアムは表情を繕っているが、僅かに引き攣っている。
「だが何事にもミスはつきものだ、どんなに慎重に事にあたっても、ミスはする。しかし恐れるな、私は君達がその仕事を熟せると確信したから、任せたのだ。それでミスをしてしまったのなら、その時は私が全責任を取る――」
それが過失や故意によるものでなければ。
私の声が静寂に包まれた部屋の中を反響する。
二人の荒い呼吸音が小さく聞こえ始めた。
このくらいでいいだろう。
私は、ゆっくりと口を開き、喉を震わせる。
「ジョルノ、先の報告は聞かなかった事とする。ウィリアム、遊ぶのは二人の時だけにしろ。以上。持ち場に戻り、避難誘導を頼む」
「……はい」
「はい」
返事をした後も俯いているジョルノの背中に右手を添えて、ドアへと連れていくウィリアム。
ドアが閉まる直前、ウィリアムが小さく「悪かったよ」と言ったのが聞こえた。
二人を見送ると、私は黒い外套を羽織り、部屋を出る。
近づいてきているモンスターの情報が乏しい。
急ぎマルタに意見が聞きたい。
彼女は私達では見えていない何かが見える気がする。
だが、マルタ達からの二回目の報告が来るのがいつになるかわからない。
かと言って、待っている訳にもいかない。
『今回は平和的に解決出来ると言っている』
ビルには悪いが、彼の言う事が本当であるならば、なおさら私が前に出なければならない。
一つ心配なものは、今回のストレスで私の頭髪はどうなってしまうのかという……。
気付かないようにしていたそれに気付いてしまった私は、少し乱暴にドアを閉めた。
若葉のカムイ 序章:世界樹の森 ☀シグ☀ @-Sigu-
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