四十一話:刻んだ決意
翌日。
ふわりと香りが鼻へと入ってきて、目が覚める。
空を見れば、太陽はまだ木を越えていないけれど、木の間から光が線となって伸びてきていた。
さっきした香りは、サルサキ草のようだけれど、葉っぱの香りも混ざっていた。
それに泉の香りのようだけれど、赤べえ達の香りも混ざっていた。
土や木、太陽の香りも。
いろんな香りに包まれて、起きれるなんて、なんだかうれしい。
今日もいい日になりそう。
僕は起き上がって、空を見上げて口を開ける。
ちょうど落ちてきていたかぼちゃコロッケが、すぽっと口に入った。
うん。今日もおいしい!
ごくんとコロッケを飲み込んで、ぐぐっと体を伸ばす。
これでばっちり。
寝床にしていた石から下りる。
石の上は、僕が初めてそこで寝た時とくらべると、ずいぶんと苔が生えた。
それに――
石のうしろにまわると、地面にたくさんの線が刻まれたあと。
僕が尻尾で消しちゃったり、引いた線でほかの線が潰れちゃったりしていて、もうなん日かわからないけれど、これが僕がこの森にいた時間。
みんなと一緒にがんばって、積み上げた時間。
思い出して見下ろしたら、あっという間のようだけれど、こうして見ると、ずいぶんと高くて、長い。
じっと、その線の一つ一つを目に焼き付ける様に、見つめる。
すると、なんだか体に力が湧いてくる。
そこに刻まれた線の一つ一つ。
そこに刻まれた日々が一つ一つ。
たのしい日々だったけれど、決してたのしいだけじゃなかった。
木にぶつかった日もあったし、狼さんにこてんぱんにされたこともあった。
風になりすぎて動けなくなった日もあったし、エルピと話せない不安な日々もあった。
でも、それでも、その思い出達が、僕を応援してくれている。
これからを作る元気をくれる。
顔を上げて、ぐるりと周りを見渡す。
『ありがとう! 僕、がんばってくるね! 絶対、絶対帰って来るから!』
ざわ……ざわわわと森の木々が揺れ出し、ざわめく。
ハルサキ草も揺れて、ふわりふわりと香りがする。
立っている地面が僕を押し上げようとしているようで、なんだか体が軽い気がする。
僕は一つうなずいて、地面に新しい線を引く。
なにがあっても消えないように、今まで引いていたものよりも長く、太く引く。
世界樹の根っこは、東だけじゃなくて、西や北、南にも伸びているってエルピは言っていた。
だから、森に帰って来た時には、ここに線をまた引くの。
東から帰って来たら一つ。
西から帰って来たらまた一つ。
北と南から帰って来たらそれぞれ一つずつ引く。
そしたら、完成。
完成させるためには、絶対に帰って来ないといけない。
だからこれは、僕が絶対に帰って来るための標。
僕は、必ずここに戻って来る。
次に戻って来るのは、エルピが話せるようになってから。
だからそれまで――
『いってきます!』
世界樹に、寝床にしていた石に、刻んだ標に、ハルサキ草畑に背を向けて、走り出す。
振り返らない。
立ち止まらない。
もし振り返ったら、もし立ち止まったら、名残惜しさに足の裏に根っこが生えて、離れなくなっちゃうかもしれないから。
なんども通ったことで出来たトンネルを通って、フキのような植物の側を通って、泉の側を通って、すこし広場によって、普通の木の間を通って、ついに森を出た。
太陽はすっかり空の上にいた。
森の外は、いつか一度出た時と変わらず、カラッと乾いた空気に心成しか強い日差しで、とても暑い。
行こう。
右足を持ち上げ、前へ――!?
ズン! と全身に重しがのせられたような感覚。
ひび割れた荒野と雲一つない青空を見ていた視界は、だんだんと赤黒い霧に覆われていく。
って、これってもしかして、赤べえ?
すっかりと赤べえの霧? に囲まれて、周りが見えない。
きょろきょろと赤べえを姿を探すけれど、赤べえの姿はない。
霧は僕を覆ってからは、動かないで、じっとその場に漂っているみたい。
赤べえがどの辺りにいるかわからないけれど、近くにいるみたいだし、あいさつしよう!
広場に行ったけれど、みんながいなかったから、あいさつ出来なかったんだよね!
『赤べえ!』
僕が赤べえを呼ぶと、すこしだけ霧が動いた気がした。
そして――
『……わかるのか?』
赤べえの声がした。
それも周りの霧から。
もしかして、この霧も赤べえなのかな?
でも、わかるのか? だって。
そりゃわかるよね。
だって、
『縁が赤べえが近くにいるって教えてくれているよ!』
僕の視界には、淡い緑色の糸が一つ、僕から伸びて、すこし前で途切れた様に消えている。
でも、これは切れているわけじゃなくて、その先にいる赤べえに繋がっているから消えている様に見えているんだ。
赤べえが遠くにいたら、もっと遠くまで伸びているから、今は赤べえが近くにいるってわかるの。
でも狼さん達の縁は、うしろの森の中に伸びているから、近くにいるかはわからないや。
『……そうか』
赤べえのすこし残念そうな声が聞こえたと思ったら、霧がなにかに吸われているみたいに、目の前の一点にあつまり始める。
そして形作ったのは、いつか見た毛玉。
その毛玉から、尻尾と首が伸びて、脚、頭が出てくる。
「最後の訓練は動けた、という事にしておこう」
赤黒い毛をぶわりと靡かせて、僕があの森で最初に出会った大きくてかっこいい狼さん――赤べえがそう言った。
『なんの訓練?』
「殺気を受けて尚動けるかの訓練だな。どれ程訓練を重ね、力を蓄えども、死地にて動けなければどうにもならぬであろう?」
よくわからないけれど、僕がちゃんと動けるかの確認だったみたい。
やった! ちゃんと動けているって!
うれしくて、その場でくるりと一回転。
赤べえに視線を戻すと、赤べえは下を向いて、息を吐いていた。
「行くのか」
顔を上げた赤べえの紅い目に射抜かれる。
僕は迷わずにしっかりと頷く。
紅色の瞳がすこし揺れた。
「若葉、我は長い間この森から離れる事は出来ぬ。故に話し相手はこやつ等しか居らんかった」
赤べえが僕のうしろに視線を向ける。
振り返って見ると、森の草木の中から狼さん達が顔を出していた。
狼さん達の視線が僕にあつまる。
「お主の御蔭で短い間であったが、我もこやつ等も楽しめた。何時でも帰って来い。それまで我等はこの森を守り抜く」
僕は狼さん達ひとりひとりの顔をしっかりと目に焼き付けて――
『絶対帰って来るよ! なにがあっても!』
僕の返事に赤べえは頷くと、狼さん達を連れて森の中へと消えて行っ――
『赤べえ!』
僕が呼んだ声に、赤べえが歩む足を滑らせた。
なんとか体勢を立て直して、振り返る。
「……なんだ?」
『赤べえが前にきゅうりを食べたことがあるって言っていたけれど、それってどれくらい昔?』
きゅうりを食べた日がそんなに昔じゃないなら、近くにきゅうりがあるかもって思ったんだ!
すぐに帰って来るって言っても、きゅうりを見つけてすぐには帰って来れない。
でも、早めに見つけておくに越したことはないからね!
「遥か昔、
話し終わった赤べえが、ふとなにかに気づいた様に顔を上げて、小さく頷いた。
「若葉、十五はまやかしだ」
まやかし?
うそってこと?
なんで今、赤べえがうそを吐くの?
首を傾げた僕を見て、赤べえが続ける。
「十五以上の年月を数で出そうとすれば、全て“十五年”となる。これは我も抗えぬ事象だ。故に、十五は信じるな。より先の出来事と思え」
僕が数を数えると、最後は“いっぱい”なるのと一緒だね!
『わかった! ありがとう!』
赤べえは頷いて、狼さん達を連れて森の中へと消えて行った。
それを見送ってから、僕は乾いた大地を歩き出した。
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世界樹の森警備任務緊急報告書 ○○○○○年○月○日
陽の未の刻、世界樹の森より純白の子狼(以降対象と呼称)が出現。
後に紅い霧が発生。霧散した後、赤鉄の殺戮毛玉に酷似した毛色の体長三メートル半の狼(以降赤鉄色の狼と呼称)が出現。同時に森より灰色の狼が二十七体出現。
対象は赤鉄色の狼と灰色の狼に接触した後、東へ進行を開始。
対象は世界樹の森で確認されている灰色の狼とは明らかに毛色が異なることから別の種又は突然変異の幼少期と考える。
赤鉄色の狼は纏う気配、魔力が赤鉄の殺戮毛玉と酷似している事から、赤鉄の殺戮毛玉と同一か同じ種の別の個体と考える。
新種発見時の規定に則り対象と赤鉄色の狼をSランクとし、戦闘行為は無謀と判断。遠方よりの監視に止める。
対象が進路を変えず東へ進行する場合、二刻も掛からずにカンタラ近郊へ到達するため、至急活動可能なCランク以上の冒険者の召集、周辺ギルドからの応援を要請、住民への避難勧告と誘導を実施すべきと考える。
早急な対応を願う。
上記の報告は冒険者ギルドカンタラ支部在籍Sランク冒険者テオ、同じくマルタ、同じくメラニーが肉眼にて確認したものであり、虚偽のものではない事を、義を重んじる冒険者の女神イデアに誓う。
追伸。アベルの阿呆兄貴とギルスの馬鹿がサボりやがった。そろそろ減給してやった方がいいんじゃないか?
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