四十話:いしぶみと目


 大きな人の上半身に、大きな……虎さん? の頭かな?

 でも、こんなに大きいと、人じゃなくて、熊さんみたい。

 あ、うしろの方に毛があるのがすこしだけ見えるし、もしかしたらそうなのかも。

 前に見た時と変わらず埋まっているから、うしろの方はやっぱりわからないや。

 肩と頭から伸びる太くて大きな角は、肩に左右二つずつと頭の一つずつで、ぜんぶで六つ。

 頭の角は、ぐるりと羊さんや山羊さんみたいに曲がっている。

 肩の角は、四つとも外にふくらむ様に曲がって、像の向く方――水面へ向かって伸びている。


 頭でも僕より大きい。

 上半身を入れると、赤べえよりも大きい。

 埋もれている部分を入れたら、きっともっと大きい。

 こんなに大きいと、森の中を歩くのはたいへんそう。

 角が木に引っかかっちゃいそうだよね。


 あっ、いけない。あいさつをしにきたんだった。


 でもその前に。

 ぷはーと、一度水面まで上がって、息を吐く。

 そして、しっかり息を吸って、また潜る。

 上っていく小さな泡をうしろへと見送って、また像の元まで沈んでいく。


 えへへ。つい見惚れちゃって、息が続かなくなっちゃったんだ。

 でも、もう大丈夫!

 しっかり息も吸ったし、あいさつもすぐにするから!


 像の大きな頭についた鼻の下に、コツンと僕の鼻が当たる。

 おでことおでこを合わせたいんだけれど、ここからじゃ出来ないみたい。

 すこしだけ像の上に行かないと、だね。


 足を動かして、水をかく。

 像のおでこが見えたら、頭を近づけて、おでこが合うように、水をかく!


 ゴッ


 勢いをつけすぎて、頭突きみたいになっちゃった。

 でも大丈夫! ちょっと痛いけれど、ちゃんとおでことおでこを合わせられたからね! ちょっと痛いけれど!


 おでこが離れないように、ときどき水をかきながら、像にあいさつ!


『こんにちは!』


 よーし、あとは……なんて言えばいいんだろう?

 森を出るよ! とか?

 それとも、根っこを探しに行くよ! とか?

 あ、赤べえ達が食べられそうな野菜を知っているか聞……く前に、赤べえ達って知っているのかな?

 そもそも、この像、しゃべれないんじゃないかな?


 ……まあいっか!

 なんとなくあいさつに来たから、なんとなく言いたくなったことを言って帰ろうっと。

 えーっと……。


 目を瞑って、像の中に僕の言葉が響くように、話しかける。

 それは自己紹介から始まって、赤べえや狼さん達のこと、普通の木やハルサキ草のこと、泉のこと、世界樹やその根っこのことなど、気づけば息を吸いに行くのも忘れて、像に話し続けていた。


――ぽーん


 遠く……ううん。どこか、奥底から、聞こえる。


――ぽーん


 すこし大きくなった。


――ぽーん


 また大きくなった。


――ぽーん


 この音、像の中から?


――ぽーん


 わ、耳元からするみたいに近い!


――ぽーん


 ぶわわーっと音がして、頭の中に景色が浮かぶ。

 僕の背よりも高い目線。

 すごい速さで走っているのか、どんどん目の前の景色が前からうしろへ流れていく。

 ひび割れた大地に草原。

 ヒトが作ったお家に石が敷き詰められた道。

 木の上に作られたお家。

 暗い暗い森の中をどんどんと進んでいき、地面に立つ一つの石の前で止まった。

 ヒトの手が入っているのか、縦に長いしかくの形。

 周りは木が生えているようだけれど、石の上からしか日が当たっていないのか、暗くてよく見えない。

 背の低い草が影で生えていることがわかるけれど、石の周りは生えていなくて、湿った土が見える。


 もしかして、これがいしぶみ? きっとそうだよね?

 わー、この石のところまで行けばいいんだねー。

 ちゃんと覚えておかないと!


 ほかになにか目印がないか探す。

 あ、石のうしろに生えた木の間、暗くてよく見えない黒の中に、なにか二つ浮かんでいる。

 うーん、あれは――



 目。



 それに気がついたら、どんどん浮かび上がる様に、はっきりと見えるようになってくる。

 激しく濃い緑の目に、縦に割れた大きな瞳孔。

 浮かび上がってくるその目には、なにかへの怒りが宿っていた。

 目を縁取る様に、刺々しい赤とやわらかく暖かい黄色の光。

 その光が目が見えてくるにつれて、ぐるりと目の中で回った。


 うわっと目が迫ってきた気がして、思わず目を開ける。

 目の前には、変わらず緑青の像。

 この像がみせてくれたのかな?

 うーん、たぶんそうなの……かな?

 よくわかんないから、そういうことでいいや。


『ありがとう像さん!』


 ちょっとこわかったけれど、いしぶみもどんな形かわかったしね!


 ざぶん!

 ざぶんざぶんざぶんざぶん!

 あわあわー


 うしろの方で音がする。

 振り返ってみると、狼さん達。

 またざぶんと狼さんが泉へ入ってくる。

 泳ぎに来たみたい!


 あ、狼先生。

 あ、あっちには寝坊助狼さんも。

 赤べえも来ていそうだけれど、泉の中には入っていないみたい。

 あ、斑狼さんだー。


『わー』

『きもちいーねー』

『あーわかばいたー』


 みんなが来てくれたことがうれしくてよろこんでいると、僕の周りに狼さん達があつまってくる。

 そして、頭を擦り付けてきたり、上に乗っかってきたりとわいわい遊び始めた。


 みんなと遊べて、とってもうれしい!

 うれしいけれど、もう息が続かないや!


 体の中で流れる魔力を動かして、身体強化!

 そして、足で水を思いっきりかく!


 重りが取れた浮きみたいに、どんどん水面へと上がっていって――


 ざばーん!


 顔が出た瞬間に、息を吸う。

 ふぁー。空気がおいしい!


「む、若葉か」


『あ、赤べえ!』


 泉の畔でゆっくりしていた赤べえを発見!


『一緒に遊ぼう!』


「我は此処でいい」


 なんとかして赤べえとも遊びたい。

 どうすればいいか作戦を考えていると、ぴょこぴょこと水面から狼さん達が顔を出した。

 泉から出て、ぶるぶると体を振るわせている狼さんもいる。

 

『あそぼー』

『おぼれないよー』

『こうたいー』


 僕だけじゃなくて、狼さん達にも言われた赤べえは、ふぅと息を吐いて、立ち上がる。


「わかった。ならば、水中での動きを教えよう――それ!」


 赤べえが跳び上がる。

 その大きな体が上から迫ってくる。

 に、逃げろー。


 ざっばーん!


 赤べえが飛び込んだことで生まれた波が、僕と狼さん達の体を揺らす。


 ……あれ? 赤べえは?


 下を見ても、周りを……あ、いた。

 泉の反対側、その端っこで水面から顔を出した赤べえがいた。

 あの一瞬で、あんな遠くまで泳いだんだ!

 すごい! どうやって泳いでいるんだろう?


「よし、集まれ、泳ぎ方を教える」


 やったー!


 それから僕達は、赤べえに泳ぎ方を教えてもらって、クタクタになるまで泳ぎ回った。

 狼さん達も、赤べえも、みんなたのしそうで、一緒に泳いでいる僕もたのしいし、うれしかった。

 でも、赤べえが教えてくれた泳ぎ方は、すこーしむずかしくて、出来るようになるのは、もうすこし練習しないとだね。

 だって、尻尾をぐるぐる回して前に進むなんて、思いっきりやったら、尻尾が取れちゃいそうだもん!

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