第5話 休息の地

 初めはただの落書きだった。

誰が描いたかも覚えていない、教科書の隅に殴り描きされた粗末な絵。だが不思議と凝っていて、設定や特徴が細かくされていた。


「きっとアイツも、わかってたろうな。

この学校から出られない事くらい..」

裏口を開けひっそりと学校の外に出る男、この学校の用務員だ。


「俺は出るぜ、ここから出て遠くに行くのさ。何処かで会えたら嬉しいな、なんてな..?」

インクの壁が消えた空は、綺麗な青空が広がっている。この景色を校内の住人は知らない



「…さて、じゃあ出掛けるわよ?」


「ちょっと待てよ!

突然外に連れ出して、何処に行く気だよ!?」

切り替え早く仕事が終われば直ぐに次、社長というものは休み方を知らない。


「さっき行ったでしょ、休息の地よ!」


「..休息の地、なんか聞いた事あるな。」


「なんであんだよ、オレ知らねぇぞ?」


 休息の地

 選ばれし仕事人達が訪れるという安らぎと鍛錬の街。中では様々な商いや店で賑わい側から見れば賑やかな観光街だ。


「一体そこで何すんだよ?」


「何するって一つしかないでしょ、休むのよ」


「文字通りだな。」


「当たり前でしょ?

さ、わかったら早くあの中に入って!」


「あの中?」

レイサが指差す先には緑色のポップな土管、直に生えている。


「…何アレ、何か見た事あるんだけど。」


「あの中は直接街に繋がってるの。でも注意して、入る前に必ず近くの野原に生えているキノコを食べて体を大きくするの。でないと土管内の急激な圧力で擦り潰されるわ」


「怖っ..だからあの人キノコ取ってたの⁉︎」


「..あったぞ。ほら、お前の分だ」

コレオンはフィクからキノコを受け取った。


「私は事前に取ってある、早速食べて!」


「..おう、わかった」

フィクはキノコを食べた。


『...デゲデゲデゲッ!』「何その音!?」


「聞いた事ないの? 大きくなる音よ」


「言わないで? なんかマジになるから!

ニュアンスだけじゃないのコレ!?」

聞いた事ある素材に聞いた事のあるシステム、コレオンは様々な恐怖に揺れていた。


「何を恐れてんだ?

..いいから早く食え、そしてこれを着ろ。」

差し出されたのはローマ字の書かれた赤い帽子と青いオーバーオール、見た事がある。というより完全に〝あの方〟のソレだ。


「うあぁっやめろっ!!

何渡してんだやめろテメェ正気なのか!?」


「何怒ってんだよ?

..あ、もしかして緑の方がよかったか?

悪いな、それはもう俺が着ちまってる。」

作業着の下からチラつく緑のシャツとオーバーオール、顔は何故か強く赤らんでいる。


「何着てんだお前いつからだ!」


「キノコを探している間にひっそりとな。

..ずっとファンだった弟さんの服を着れるなんてな、感激過ぎるぜ...!!」


「何照れてんの、お前?」

英雄の服を着れたのだ、誰であろうと歓喜に打ちひしがれるに決まっている。


「準備出来た?

できてないなら早く済ませちゃいなさい。」


コレオンは大きなキノコを持っている。

食べますか?          →はい

                 いいえ


「何この選択的な会話っ!

普通に話してただろさっきまで!」


「いいから食えっ!」「えぐっ..!」

無理矢理に飲み込まされ肥大化した体を土管の中に詰められた。そこからの記憶は暫く無いが、恐らく土管内を通過しているであろう独特な音声が鼓膜に響く。その音が止んだ頃目を開けた先には、見た事もない..いや見覚えはあるっぽいが訪れた事の無い街の光景が広がっていた。


「着いたわ、ここが休息の地。」


「おぉ、旅の方!..いや観光客ですかな?

ようこそ休息の地へ!」

気と愛想の良い街人が歓迎してくれた。

口を最大限横に広げて笑い手を大きく広げるジェスチャー、見た事あるが知らないとコレオンは無視を決め込む事にした。


「有難う、色々寄りたい所があるの。

この街の地図とかがあれば有難いんだけど..」


「ええありますとも! こちらです!

ゆっくり街を楽しんでいって下さい、くれぐれも迷わないように。」

レイサは街人から

〝休息の地〟マップを受け取った。


『テッテレー!』


「何も聞こえない何も聞こえない..。」


「どれどれ..早速使わせてもらおうじゃない?」

マップを開くと街の全体図が簡潔に描かれており、並ぶ家屋を描いた住宅街や目立つ店には看板のマークや店名が記されている。


「..へぇ、いろんな店があるんだな。」


「取り敢えず飯にしようぜ?

考えてみりゃ朝から何も食ってねぇんだよ」


「いや先ずはココよ、次にココ。」


「なんの場所だこれ?」

レイサが指差しているのはベッドのマークが書かれた建物と丸の中にクロスのような、変わった印の描かれた場所。


「..成程、確かにそうだな。」


「お前わかんのかよ?」

知ったか振りをしている訳では無さそうだ。指を差す順番を見て納得している、そういつた正論に頷く振る舞いに見える。


「見てわからないのか?

どう見ても宿屋と教会だろう。」


「先ずは休んで回復してからお祈りでしょ。」


「休んでってのはわかるけどよ、お祈りって..

なんで教会で祈る必要があるんだよ?」


「..お前、正気か?

教会に行かずに先に進めるなんて危険過ぎる!」


「‥いや〝進める〟って何?」

ただならぬ衝撃を受けた。

〝こまめ〟に〝着いたら先ずは〟をやらないタイプだと同行してから知ったのだ。先が思いやられる、きっと呪文も温存せずに使いまくるタイプだと余計な勘繰りをしてしまう。


「わかってあげなさいフィク、きっとキャンプでついでにやるタイプなのよ。」


「あくまでも寝落ちまで粘るってのか..!

不安じゃないのか、消えたら終わりなんだぞ⁉︎

俺は...やはり神父でなければ心配だ..!」

道端の像ではやはり不充分だ、神の御加護は街で受けたい。慎重派はそう思うだろう。


「なんなんだよ...わかったよ!

とにかくその二つによればいいんだな?

宿屋と教会、なんで祈るんだよ..。さっさと案内してくれついていくからっ!」


「20ゴールドかかるけどちゃんと持ってる?」


「なんだゴールドって! 円で言え!

持ってるよ20円くらい、てか安いな宿屋っ!」

おかしな事を言われれば自然と指摘の言葉数も多くなる、確かに20円は破格の安さだ。


「ゴールドの意味は知ってるんだな..。」

なんとなくのニュアンスを理解する能力は備わっている、ただ解らなくありたいだけだ。


「それじゃ早速一晩寝るわよ!

行動はその後、朝までしっかり休むわよ!」


宿に独特な音楽が流れ目を閉じた。

気が付くと朝になっており、前日の通り宿屋を出た後は教会へお祈りに行った。


「しっかり祈れたようですね。

まだ冒険を続けますか?」


「ハナからしてないよそんなもん。

なんか変な事聞いてくるなこの神父さん」


「..お前、本当に何も知らないのか?」


「何の事だよ?」

当然のようにセオリーを無視し続けるコレオンにフィクは呆れ顔、それでもピンときていない。..いや、知らなくていいのかもしれない


「よし、粗方済んだわね。

ここからは各々単独行動よ?」


「単独行動?」


「そ。個人で強くならないと、足を引っ張っり合うだけでしょ?

だから〝自分の強み〟っていうのを持ってないと、それを探して磨くのよ。ここなら沢山ひとがいるし、一つくらいは合う場所も見つかるでしょ。だから連れてきたの」


「..成程、修行篇か。」


「お前なんでそんな理解力高いの?」

 パブロがレイサに促した意味、それは後の争いの為に強くてなれという事。学園での戦いは序章に過ぎずこれから訪れるであろう更なる脅威へ備え力を付けよという助言。


「っていう段階の人達が訪れる場所なのよ。」


「...あのピエロ関係無いのか?」


「あるはあるけど、そもそもこの街がそういう所なの。休息の地って言うけど、正式な名前は〝休戦の鍛錬場〟街の形をした訓練所。とは言っても普通に街として機能してるから、単純に暮らしてる住人もいるし買い物をしに来る観光客もいるんだけどね。」

決勝前のプロボクサー、ガキ大将との決闘を控えたいじめられっ子。そういった大戦を控えた戦士達がもう一度鍛え直しにやってくる街、それが休戦の地。


「...だとしても妙だな、あの男がわざわざ俺達に力を付けさせる理由は何だ?」


「知らん! けどなんか目的があんだろ。」


「まぁでもいいんじゃないかしら。

力が有って損する事なんてないでしょ?」

客は三人、道は三つ。

各々が強くなる為別れての行動が有される。


「教会を出た先の噴水の広場。

今いる場所が丁度街の真ん中だな」


「じゃあ集合場所ここにしよう。」


「自分の強みを見つけたらここに帰ってくる。

それでいいわね?」

時間に限りは余り無い。存分に鍛錬の時間はある。休息の地は、時間すら緩やかに動く。


「それじゃ解散っ!」

三手に別れて背を向ける。再会するときは、各々顔を見合わせて同じ道を戻る事になる。


「..って別れたはいいが、何処行けってんだ?」

見渡す限り商店街、訓練場など見当たらない。


「取り敢えず強そうな奴がいるところ行ってみるか、何かしら得られるだろ。」

〝しらみ潰し〟という遣り方が最も適切だ。



 休息の地・フィク視点

 掃除機と似た形態をした大きな修正器を肩に掛けながら街を散策していた。


「取り敢えず霊が出そうなマンションに入って何体か吸い込んだ方が良さそうか?」

ファンゆえの発想、出来るだけ近付きたい。ヒーローというものはそんな憧れから生まれるものだ、但し鍛錬の思考とは程遠い。


「...本当に店が多いな、こりゃあ観光したくなる気持ちもわかるぜ。」

所狭しと並ぶ店、飲食店や娯楽店、当たり前のように目移りしてしまうが今は目的が違う。


「..飯屋に入っても腹は空かねぇしな、何か興味を唆られるもんの方がいい。」

となれば娯楽を嗜む事になるが、目に見て止まるのは博打や賭け事、散財させられるギャンブルばかり。身になるどころか滅ぼされる勢いの選択肢ばかり、意識して遊びを選ぶというのはかなり難しい事だ。


「..思うように惹かれねぇな。何か無いか...」

街の賑わいに見慣れてきた頃、角にぽつんと静かに佇む店を見つける。


「..水墨画展、無料。商売じゃ無ぇのか?」

掛け軸に筆で書かれた看板にははっきりとした〝無料〟の文字、墨で描かれた絵を展示しているようだ。


「..ここだな、人も少ねぇし。」

何となく勘で入店する、しかし間違いだとは思わなかった。根拠は無いが、外れではないという多分な自信があった。


「..邪魔するぜ」

暖簾を潜ると座敷が広がっていた。壁や周囲には大量の水墨画が連なり、中心には店主と思わしき老人の姿。座布団の上で座禅を組み、大きな筆を携え握っている。


「ここは..」


「話すでない。」「..何?」


「聞かずとも解る。

儂に求めしは、力の解放....新たなる精神。」


「..わかってるじゃねぇか。」

言葉の前置きはいらない、目的は知っている。

合わせるのは、拳と気迫。


「我が墨の黒、白き色に染めてみせよ..!」

建物の入り口が閉まる。

逃げ場など無い、求めたモノを体得するまで空気は共に外の景色は見られない。


 

 コレオン視点

 修行編と聞かされ誰よりも乗り気で無い彼は楽な道を進もうと心に決めていた。


「なんで鍛錬なんかしなきゃいけねぇんだ。

元々そういうのが苦手だったから何処にも属さず一人で仕事してたってのに..。だいたい鍛錬って何するんだ? 筋トレか?」

いわゆる〝コツコツやる系〟が苦手な男の武器はデッキブラシ一本。手っ取り早く済む方法として二通りが頭に浮かんだ。


一つ目が、武器の種類を増やして誤魔化す。

二つ目は単純に、デッキブラシを強化させる。


個人的には武器が増えりゃあ有難いんだけど..要所で合うもん選べるからな。」

しかし実現するのは難しい、何故なら武器を多く揃える程の金を持ってない。レイサに一度解散を促されたとき、必要経費ですら一切渡されていないのでそもそも買い物が出来ない。商店街で無一文は失礼の権化だ。


「となると二つ目になる訳だが..武器集めるより手間が掛かりそうなんだよな。どっかに平気でいい具合に改造してくれる奴いねぇかな」

辺りを見渡す。華やかな店々が並ぶ中、一つだけ目的と合いそうな店が目に留まる。


「……あそこならいけるかもな。」

意を決して店の前まで駆け寄り、のれんをくぐる。客は余りいないように見える。


「へぇ、すげぇな。」


「..何の用だ?」

愛想の無い職人が、重たそうな槌で金属を叩いている。近くには赤く光る溶鉱炉、熱さを背に最上物を生み出す。ここは鍛冶場のようだ


「アンタ、腕は確かか?」


「誰に聞いてる?

俺は生まれてこの方鍛冶しかしてねぇ、他に得意なもんがあれば教えて欲しいくらいだ」

熱さなど感じない、常にこれが適温だ。


「そうか、なら話が早ぇ。」

男の前にデッキブラシを差し出す


「...なんだコリャ?」


「オレのエモノだ。とある人から受け継いだ、これを打ち直してくれ。」


「..客か。なら注文に文句は付けねぇが、対価は払って貰うぜ」

いい仕事をさせたいのならいい報酬を。商売の世界では常識であり単純な道理、それがわからない訳でもあるまい。


「客じゃねぇ、鍛錬者だ。

..ここに鍛えに来た、それとも打てねぇか?

見た事も無い形のもんは難しいのか」


「..そんな訳があるか。

口が達者な奴は行動も大胆だと聞く、お前もそのクチか。一体誰から受け継いだもんだ?」

挑発とも取れるコレオンの言いぶりは、鍛冶職人に火を付けた。溶鉱炉の熱さは既に職人の元へ覆い被さっている。


「洗剤屋のおばちゃんだ」


「洗剤屋のおばちゃんだと?

..とんだナマクラだな、笑えてくるぜ。」


「打てねぇか?」


「馬鹿を言え、直ぐに打ち直してやる。

..要はナマクラを真剣に変えろってことだろ?」

デッキブラシを受け取り鉄板の上へ

腰の帯を締め直し布を巻いて髪を留める。


「終わるまで外にでも出ていろ。..物騒だと身が心配であれば、これを持っていけ」

渡されたのは小さな短剣。歯の形状は包丁に近い、錆びてはおらず鞘も付いている。


「これ、役に立つのか?」


「斬れ味はまぁまぁなもんだ。

その辺のゴロツキなら抜いただけで退く」


「ホントかよ..?」


「それでも黙らないならこう伝えろ。

..鍛冶場のガンテツのモノだ」


「鍛冶場のガンテツ...」

轟く名前は有数の名工、多くの刀はこの手に有りと数々の刀士が頼りに訪れる。


「誰だソイツ?」


「いいから外に出てろ! 終えたら呼ぶっ!」

無論業者が知る由は無し。



 レイサ視点

 落書き業者の社長に成り上がった若き少女は修行する必要性も無く、大幅に余らせた時間は単純な観光、買い物に利用する。


「さて、物欲を解放しようかしら?」

腕と首を鳴らし準備は万端。

女子の買い物といえば化粧品やコスメ、美容系の小物といったところか。しかし彼女が欲するものはそれらの武装品では無い。


「…〝ホームセンタースズキ〟。

間違いない、私の行くべきはここね!」

様々な工具作業用品が咲き誇る大工の城へ。

求める相手は洗剤並びに使える道具、作業服も手に入れば非常に有難い。


「へぇ〜広いわね!

これは掘り出し物が見つかりそうだわ。」

店内に入るとそこは正に要塞。広いフィールドに高い棚、指では到底足らない数の道具が並び明るい照明により隅々まで見渡せる。


「いらっしゃいませ!

本日は何をお求めですか!?」

制服を着た店員達が元気に挨拶しながら近付いてくる、これが神対応というやつだ。


「そうね、洗剤を詰め替えられる容器数十本。それと清掃に使えそうな作業用具を見せてくれるかしら? 作業着もあればいいわね。」


「作業用具に作業着...。

成程、余り見ない顔だと思えばそういう事したか..わかりました。」

店員達のハキハキした態度が一変し、冷静で落ち着いた雰囲気に切り替わる。


「...な、なによ?」


「少々お待ち下さい。」

深く頭を下げ、店の奥へと戻る店員達。

一人残されたレイサは明るく広いフィールドで、しっかりと考える時間を与えられた。


「なんなのよ..。」

数分後、辺りを見渡すととある変化に気付く。


「..あれ、壁の色が違う。

嘘でしょ...! 入り口を閉められた⁉︎」

白く綺麗な壁は分厚い茶の壁に。振り向けば自動ドアには砦のようなロックが掛けられ岩が落とされたように入口を封鎖されている。


「お待たせしました。」

衝撃を目の当たりにした後店員が再び出現、しかしそれよりも店の完全要塞化が目立つ。


「お待たせじゃないわよ!

ちょっとこれ、一体どういう...。」

店内に圧倒されながら振り向くと、先程とは異なる装いの店員達がそこにいた。


「....何よその格好。」


「貴方を迎える装いで御座います。

参りますよ? 〝鍛錬者様〟。」


「....いや、私は違う」「問答無用!」


「いや! だからホントに違っ..」

ホームセンターは本日も大盛況である。



形はどうであれ各々の修行に入った。

視点は違えど目的は同じ、一部異なる者もいるが最終的な結果は変わらない。


数時間後...


『キシャァァァー!!』


「出た! 自堕熊だぁっ!」

黒く威圧的な巨躯、叫びをあげる咆哮に白く煌めき穿つ牙。休息の地を襲う脅威の権化。


「また出やがったか..!

鍛錬する者の匂いを嗅ぎ分け街に降りてきたな、厄介なケダモノだ。」

鍛冶場の中から外を伺うようにして覗く。遠くの方に、毛で覆われた規格外の巨体が見える。あんなものに街を襲われては一溜まりも無いだろう。


「何なんだ、あれ?」


「あれは自堕熊じだらぐま、休息の地に鍛錬しに来た者を狙って襲って来る。」


「ジダラグマ?」

器用に観光客と鍛錬者を嗅ぎ分けて狙ってくる。修行を終えた直後に現れるその様から、〝初めの試練〟とも言われている。


「成程な、成果を確認していけって事か。丁度いい、肩慣らしといこうぜ」


「..あぁ、だがおかしいんだよな。休息の地ってのはその名の通り人々に安らぎの場を与える処。それは精神と並行して物理的にも言える事でな、鍛錬者はおろか観光客の個人的情報は外部に漏れねぇようにしてある筈なんだ」

触れ込みはある、しかし情報は流さない。

心も身体も完全な休息を与える為、客の情報は外に出さないようにしている。


「秘密主義の街がなんたってあんなデカい熊を寄越したんだ?」


「..誰かが漏らしてる可能性は無いか?」

情報漏洩、訪れた客の名簿やデータが密かにあったとすれば外に漏れる要因もある。


「って言っても相手はクマだろ?

野生のカンって奴だろ、熊だし。」


「そうとも限らんぞ?

だとすれば昔っから出現してて誰かがとっくに倒してる筈だ。アイツが出てきたのはここ最近の事だ、それも突然。

〝ここならエサが有る〟って感じでな」

誰かが餌場を教えて目を付けだした。それまでは動物が街に来る事など無かったのだ。


「そうか、ならアイツ倒せばまた休めるのか?

暴れ獣なら殴っても平気だろ」

鍛錬を経た者達は皆、熊を退治する事を選択する。追い返すのではなく討伐、二度と里に降りて来ないように


「気を付けるんじゃぞ?

今までも数々の鍛錬者が追い出す事は出来ても完全に倒す事は出来なかった。鍛錬の後といえど、無理は禁物じゃ」


「..わかってるよヤヨイのじいさん、元々無理するスタイルじゃないよ俺は。」

暖簾をくぐり外へ出る。以前とは異なる顔つきで、どこか余裕があるように見えた。


「..有難うな、面倒見てくれて。」


「何、頼まれた事をしたまでじゃ」

言われた通り修行をつけた、それだけだ。


「行って来るぜ、じゃあな。」

成果は先ず熊の討伐へ。危険は最早経験値、伴えば伴う程強くなる、対する怖れは無い。


「熊は街の高台にある〝休息の灯台〟の近くにいるのか、覗いたら直ぐにいたように見えたが身体がデカいだけか。」


「大した遠くも無いだろう、目と鼻の先だ」

並走して声をかける長者を背に掛けた男

鍛錬を終えた挑戦者はやはり熊を討つ。


「フィク! お前もやるのか!」


「あれだけ目立たれるとな、どうやったって目に入ってくる。..煩わしくて敵わねぇ」

主張が強ければ、振る舞いは目に余る。己ではその尺度に気付かない、だから他人がいる。


「行くぞ、アイツを倒しに!」


「..仕切るなよ、別に隊じゃないだろ」

高台を登り、灯台付近を目指す。熊は猛り雄叫びを上げ鋭い爪を穿ち空を掻いている。


「グルオオォォッ!!」

背中の毛が逆立つ、怒りを体現しているのか大きく膨張し黒い塊を形成する。


「なんだ?

背中が風船みたく膨らんで..。」


「..マズいな、アイツ何かしてきそうだ」

丸く肥大した毛塊は極限まで膨らむと音を立てて一気に破裂した。壊れた塊の中からは無数の小さな獣が飛び出し、街中に散らばった。


「なんだアレ、出産か!?

あいつメスだったのかよっ!」


「..驚く所そこか?」

本体を討たなければならない二人は下へと降りる暇は無い。下に脅威、上に元凶、八方塞がりもどちらかを取るしか無い。二手に分かれては元凶を倒し切る事が難しい。難儀な話だが、見殺しとまで行かなくとも街は一旦放置してしまう事になりそうだ。



休息の地•商店街


 「出たぞっ! 群勢コグマだぁ!」

街を襲う小さな獣、自堕熊から誕生した群生の子熊が建物や人々を見境いなく狙う。


「グアッ!」

平気な態度でコンクリを破壊。腕力や野性味はそのままで、コンパクトかつ数をなして街を丸々餌場に変える。


「街が..街が壊されるっ!」

悲鳴を上げる青年にコグマが飛び掛かる。一瞬覚悟するも襲われる事は無く、直前で何かに打ち落とされるのが見えた。


「ふんっ!」「ガンテツさん!」

熱を帯びた鉄の槌が熊を叩き潰す。本来鉄を鳴らす道具だ、獣の体など恐るるに足らない。


「逃げろ。街の教会なら匿ってくれる筈だ」


「は、はいっ!」

熊を狩るのは初めてだ、何故なら彼は鍛冶屋。

鍛冶以外の事はした事が無い。


「ふぅんっ!」


「ほっほ、精が出るの。」


「..ヤヨイか、久しぶりに顔を見るな」

大きな筆を杖のようにして携える白髪の髭を蓄えた老人、水墨画のヤヨイが顔を見せる。


「ワシにも手伝わせてくれ。

大変じゃろう、共に街を守るぞ」


「..共に、か。」

街の住人は二手に分かれる。逃げ惑い怯える者、それらを護り防ぎ匿い戦う者。


それは、客でも然り。


「何よアレ、暫く出てない間に随分物騒な街になったものね。..まぁ丁度いいわ」

見下ろす視線、先には小さな無数の毛の塊。


「..グァ?」「グルアァッ‼︎」

下の視線も気付いたようだが、既に刻は遅い。屋根の上にあった体は視線を向ける毛の塊を両断するまでに近付いていた。


「グァ..?」


「クマちゃんにはわからないかしら。

高圧水流の洗剤刀よ?」

両手の前腕部を四角く覆う特殊ウェポン

高圧の水流に載せ様々な形状に変換する仕様で洗剤の刃を造り出した。


『レイサ・イレイサー』


「中々いいもの取り繕って貰ったわね。

‥それよりこの熊ってもしかして....」

暫くは、加勢に行けそうに無い。

といっても手数は増やさずとも足りそうだが..



「うらぁっ!」


「ふんっ..」

暴れ狂う大熊と、腕を振るい激闘するコレオンとフィク。流石の腕力に打撃力、思っていたより速さも有り、雄叫びはただそれだけで土が抉れる程の威力がある。


「グルアァァァッ!!」


「うるっせぇな..!」

イラつきの勢いのままデッキブラシをぶつけてみるも太い腕に防がれてしまう。耐久するも有しているその体躯は正に有能といえる。


「この野郎..!」


「..焦るな、相手は獣だ。」

細い修正器を槍のように振り回し、先端から放出した細い修正液を流動的な動きで熊の身体に縄のようにして巻き付け拘束する。


白糸しらいと縛り。」


「グルアァァッ!!」


「何だコレ、すげぇな!」


「..言われたんだよ、とある人にな。

俺の本懐は攻めじゃなく制御だってな、別に攻撃手段が無い訳でも無いんだが。」

本来の振る舞いは攻めでは無く状況を見た相手の把握、拘束など力を抑える役割だと鍛錬をする事によって見出された。当たって砕けろでは無く〝急がば回れ〟という訳だ。


「..お前は、何か言われなかったのか?」


「言われてねぇが、武器は貰った。」

デッキブラシを後ろに構えると、先端の辺りが煮えたぎり熱を帯びる。


「..お、何だそれ?」


「頑固な汚れはな..洗剤だけでなく熱で殺菌するんだよ、こんな風になっ!」

振りかぶり焼きゴテのようにブラシを叩きつける。拘束された大熊の身体に打ち当てられたブラシは熱を放出し、毛で覆われた表面を燃やし痛めつける。


「グオオォォォッ!!」


「んで..凍結だ。」

巻き付く糸を、修正器と完全に切り離すと熊の身体に強く吸着し急激に温度を下げる。そのまま大熊は、一つの大きな結晶となり石のように固まった。


「すげぇ、何だコレ⁉︎」


「..原理は聞くな、俺もわからねぇ。

ていうかこういう技だ、俺の技で固めたんだ」

プリズムの中に凍結された熊は最早生気を失い化石となりつつある。


「街の様子はどうだ?

..賞賛されるにはちと早い気がするが。」


「そういやなんだか騒がしそうだな、熊はここにいる筈だろ? なんかあったのか?」


渦中の街中では手に負えぬ程にコグマが増殖し、いくら潰してもキリの無い状態にまで至っていた。


「ふんっ!

..なんだってんだ、蜘蛛じゃあるめぇし。」


「ワラワラ出てくるなって例えのつもり?

だとすれば少し分かりにくいと思うけど。」


「なんだっていいんだよっ!」


「グアッ!」

振りかぶった槌がコグマにクリーンヒット、観客がレイサのみなのが惜しいところだ。


「町中みんなこんな感じ?」


「だろうな、どこもかしこも害獣駆除に忙しいだろうぜ。」

勇気あるものや戦える力のある者は皆表で子熊を退治している。そうで無いものは必死に屋内に閉じこもり、家族や街の人々を護っている。誰しもが休息を求める地が今、休む事を返上し稼働し続けている。


「グアァッ‼︎」「ひっ!」

扉を強く叩く音。強力なバリケードにより突破される事こそ無いが、子供たちの心を揺らぎ不安を強く煽る。


「シスター!」


「大丈夫です、此処は休息の地。

皆が安らぎ癒しを求める場所」


「でもこのままじゃここも危ないよ!」


「祈るのです、神は見ています。

必ず、皆を守ってくれますよ?」


「グアァッ!!」「ひぃっ!」

教会のガラスを突き破り、子熊が一体雄叫びを上げ中に侵入する。


「それでも尚、脅威をもたらすというのなら..私が神の使者となりましょう。」

両手で構えた鋼の剣、元は教台を守るガブリエルの像が持っているものだ。


「貴方に、神の裁きを与えます。」

護る者は刻として、麗しき闘士ともなる。


「..今何か大きな音がしなかったか?」


「音ならずっとしてるわよ。

近くでも、遠くでも」

何かが壊れる音、割れる音、叩き潰す音に倒れる音。劣勢か優勢か、音が豊富に乱れ過ぎて判断がままならない程に。


「それよりも、この熊だけど..」


「何だ?」



 とある暗い部屋

 部屋を暗くする理由は、一人だけの空間を落ち着いたものにする為。もしくは、何か大きなものを隠す為。どちらにせよ健康的では無いが、身の保全を阻害させる程大事な要因があるのも事実である。


「明るっ..!

なんでモニターだけ付けてんのよ、もしかして...お金無いワケ?」


「いつもコウだろうが! 文句言うな!」


「うるっさいわねぇ!

あんた根暗だからでしょ!?

アタシは明るく生きたいの、一緒にしないで」


「根っ..テメェふざけんなこの野郎っ!」

顔色の悪い白髪の男が活発な態度の女に軽くいなされる。暗い部屋で表情が分からない為判別はしにくいが、恐らく半ベソをかいている事だろう。


「それよりさぁ、どんな感じよ!?」


「..やられているな。」


「うっわマジ? あ、ホントだ!

ウッソ〜、結構手懐けたんですけどー。」


「お前に懐く奴なんかいるかってんだ..」


「何? 聞こえませんけど?

もっと大きな声で言っていただけませんか?」


「う..うるせぇっ!」

犬猿の仲というよりは、片方が強く押し負けているようだ。相も変わらず暗い部屋でお互いの表情はわからないが。


「これで終わりか?」

二人の前でモニターを眺める男が活発な女に問いかける。


「まさか、ムシロこれからよん?」


「よんってなんだよ」


「うるさいわね、いいから見てなさい!」

懐から電子機器を取り出し、画面に表示されている〝beast〟のバーをタップする。


「これで完璧♪ さっ、見てなさい」

暗い世界で画面が映える。



「グルオオォォッ!!」


「なんだよ!?」

雄叫びが結晶を砕き、凍結を解除する。

再び息を吹き返した大熊の毛は逆立ち、新たに装飾品を備えていた。


「なんだあのカッコ!?」


「あの鎧..成程な、そういう事だったか。」

点と点が繋がった

それも意図しない形で向こうからだ。


「おい!

コイツら..なんだか強くなってねぇか?」

高台の下でも変化は生じ、姿形に変わりは無いものの子熊の腕力や速度が確実に増している。唯の街人には厳しい強さになりつつある


「グルアァ!!」


「..泣き喚いても無駄です、神は貴方を許しません。そして...私もっ!」

各所で武器が交錯する。街は戦場と化し、そこかしこで戦闘が繰り広げられている。


「ふんっ!

..本当だ、確かにおかしいな。」

潰した子熊から滴る血を指で掠め取り、難しい顔をして首を傾げる。


「でしょ?

アナタの言ってた内通者の話が確かなら、間違いは無いと思うけど。」


「意外だな、まさかアイツとは...」


「追いかける?」

煽るようなレイサの視線は単純に起きている事の真相を追えという合図に過ぎない。


「場は預けた。余裕が出来ればお前も来い」


「ええ、余裕が出来ればね。」

群がる子熊を振り払いながら伝えると、レイサは向き直りガンテツを見送った。


「あの野郎..何処行きやがった?」

行き先の目星はたいがい付くが、間に合うかどうかはわからない。自力でどうも上手く事が叶わないときは、例えば〝神に祈る〟などしてみてはいかがだろうか。


「グルアァァッ!!」

吠えたける獣は次々と隙間を見つけては中へ侵入はいる。仮にも神の敷地内だというのに、魔の使いに理解を求めるべきではない


「..シスター、怖い..。」

剣を構える背後でスカートを掴み怯える小さな子供、シスターは目の前で子熊を二体斬り裂いて見せると腰を低くし優しく声を掛ける。


「安心なさい、私がついています。

ここは神の教会です、常に安全で平和な場所でなくてはなりません。アナタ方の事は、私がこの命に変えても絶対に御守りしますよ?」


「シスター..!」「ふふ、ですから..」


「随分と安い加護じゃのぉ、此処は!」

シスターの声は男の太い声と盛大な破壊音に掻き消された。神への冒涜か、魔の悪戯か。


「バリケードがっ..!」

正面に設置したバリケードが、いとも簡単に破壊され、突破されている。


「シスター..」


「..焦らないで。

皆様を連れて、奥の部屋へ避難するのです。」

男の子に指示を促し、安全の確保へ。


「随分と冷静だな、シスターさん?」


「..何故アナタが、こんな事を...⁉︎」


「こんな事? どんな事かな?

儂は元々こういう奴じゃがのぉ。」

大きな筆を肩に掛け、掌で顎髭を撫でる。

商店街で見ていた顔とは別人、いや別人のように見えるだけか。


「私と争い、神に抗うおつもりですか。

...見損ないましたよ、ヤヨイ様!」


「勝手にするがいい、神なんざいねぇのよ。

教会で云う事じゃあ無いがのぉ。..まぁいい、直ぐに黒く塗りつぶしてやるわい!」

白き心は黒くり、獣をもすら凌駕する。


「ひっ!」


「...まだ残ってたかガキ。

丁度いい、こいつを手始めに..」


「ふんっ!」

声を遮る鈍い音が響く。

大きな槌が、空気を裂いて背後を攻める。


「...何の用だ、ガンテツ。」

筆の柄に防がれ跳ね返った槌をつかむのは街の鍛冶屋ガンテツ。その眼は鋭く真っ直ぐに老人を睨みつけている。


「お前こそ..どういうつもりだ、ヤヨイ!」

疑いを拡げる事で辿り着いた結論

街に潜む内通者がヤヨイだとわかった。


「街中に散らばる子熊の幾つかを斬った業者の娘がいた。娘の刃には、黒く濃い墨のような液体が付いていたそうだ。」


「..フン。」


「お前が描いた絵だったんだな!」


「だったらなんじゃ?

落として反省でもしろというのか、馬鹿馬鹿しい..。気付かない奴が悪いのじゃよ!」


「お前、正気なのか..?」

開き直り罪悪の感情無し。それどころか、被害に遭った街人を馬鹿扱いする始末。


「清廉潔白など存在しない、総ては黒く濃い悍ましいモノに支配されておる。それを隠すか否か、それだけの事じゃ」

もはや偽り無し、包み隠さず本性を露わにする老獪な態度は物事を小馬鹿に罵り見下す愚者と成り果てている。


「許せん..!」


「ほう、儂を殴るか?

お主も黒に染まろうとしているな」

ヤヨイの振る舞いに、ガンテツはもはや言葉を捨て力を大いに掲げ始める。


「しかし残念だ、黒は儂の味方なり。

...神も仏も有ったものじゃないよのう」


「なっ..!?」

倒れていたシスターが起き上がり、剣を突き立てこちらを睨みつけている。


「シスター様は儂を信じると、神と崇めると決めたそうだ。ならば貴様は悪魔か何かか?」


「シスターに何をしたっ..!!」

瞳に光の色は無く、身体は首を絞められたように黒い影が覆っている。それは正に、悪魔が上に被さっているように見える。


『……!』

剣を振るうシスター。槌はヤヨイを殴る為で無く、刃を防ぐ為に使われた。


「やめろシスター!」


「無駄じゃよ、言葉は届かぬ。

..神でも無い貴様の云う言葉などはな」


「待て、ヤヨイっ!」


『……!』「くっ..!」

教会をシスターに預け、外へ出て行く。街は休息だけでなく安寧の加護を失う。


「グルアァッ!!」


「くそっ、アイツらもか!」

教会に神はいない、シスターはもう笑わない



「さて..ちと遠いがまぁ良いか。」

筆を用い、床に描いた丸の中へ飛び込むと何処かへ消えた。


「……ホウ?」

眼光は彼を逃さない。確実に、追い詰める。



「イレイサーマグナム!」


「グガァッ!!」

洗剤の弾丸が、銃口の無いピストルから発射

され子熊を乱れ撃つ。


「ふぅ、この辺はいいかな?

..あの人ちゃんと間に合ったかしら。」

 強力な人員が減った事で、子熊退治の多くはレイサが担う羽目となっていた。ガンテツに任された管轄はとうに鎮め、街人が息を切らしていた別の箇所に助太刀している。


「有難う、助かったよ。

オレ達だけではどうなっていたか」


「相手がクマなら無理も無いわね。

..それよりも、親玉は何処へ?

これだけいるならお母さんもいるでしょ」


「..多分、高台の方だよ。

この街は小さな灯台のある高台があってね、あっちの坂を登っていけば辿り着くんだけど」


「街の高台...ね。」

男の指差す方面に、確かに坂らしき道の入り口が見える。元を経てばと判断したが、頂上まで登るにはかなり労力がいりそうだ。


「子熊が護るように占領してるわね..」


「そうなんだ、あれさえ無ければオレ達も加勢に行きたいんだけど。」

門番の如く灯台へ続く道を無数の獣が取り囲んでいる。正面から突破するのはかなり困難な所業だろう。


「困ったわね..倒せなくは無いけど、お母さん相手に体力が残っているかしら?」


「オコマリデスカ?

ナラバワタシが手配シテサシアゲマショウ。」


「…え?」

聞いた事のある甲高い声、彼女が最も苦手としている男の声だ。


「....パブロ、あんた何でここにいるのよ。」


「サテ、何故デショウ?

ソレヨリイインデスカ、コノママデ。」


「よく無いわよ!」 「知り合い?」

顔を合わせれば即喧嘩、嫌いというより拒否反応を示している。彼への底知れぬ恐れが逆に反抗心を煽るのだろう。


「ナラバ成立、ワタシも急遽ウエに用ガデキマシテネ。共に向イマショウカ、街ノ皆サンハ役にタタナイノデ消エテクダサイ。」


『「なんだと!?」』


「ソウデスネ。

教会にデモ向カワレタライカガデスカ?

オ暇ハ潰セルト思イマスガ。」


「..すごいわね、人の言葉何も聞いてない。」

興味関心の無い事柄は無意識に鼓膜がシャッターを下ろすのだ。聞く必要の無い事を聞くなら、必要有る事を一方的に話す。これが彼のやり方...いや、性格だ。


「デハ、マイリマショウカ。」


「..皮肉にも、あんたを頼るしか無さそうね」


「残念ナガラ、選択肢ハアリマセンヨ?」

怪しく笑う、道化となりて。



 教会

 神の堕ちた聖堂は黒き彩に濡れ、絶望を露わに体現していた。中心で倒れる銀色の槌を握る男、彼もまた黒に堕とされた一人。


「....ぐっ、シスター..!」


「……」

返事は無い。光の消えた瞳で天を眺め、ぼんやりと虚空を描いている。


「...何故だ、何故こんな事に...!」


「シスターっ!!」

教会の奥の扉から、小さな男の子が飛び出しシスターに抱きつく。


「アイツ、ハベルか...!」

街に住む少年ハベルは教会に良く行き来しては祈りを捧げていた。今日もそうだ、祈りを捧げ教会に居たところを子熊に襲われた。


「おじさん! シスターを助けてよ!

こんな人じゃない、シスターは優しいんだ!」

必死の懇願、変わり果てたシスターの姿に少年は悲壮を露わにガンテツに頼る。


「いいから離れろっ!

今のソイツはいつものシスターじゃねぇ!」


「……」


「なんで何も言わないの!?

ねぇシスター、シスターってば!!」


「……!」「え..?」

少年の顔に、シスターの影がかかる。見上げると銀の頭身が、頭上に落ちる瞬間が見える。



「何やってんだ...離れろ、ハベルっ!!」

(クソッ..身体が動けば...立ち上がれない..!)

直前に足をやられた。

深手が体の自由を許さない。


「シスター..!」


「ハベルっ!!」

刻既に遅し。剣の勢いは止まず、目掛けて下へ降り落ちるのみ。シスターの黒は決して、ハベルの声では消え去らなかった。


「……!」


「....え?」

剣を受け止める黒い影、よく見るとそれは羽織った黒いスーツジャケットの色だった。


「おやおや、仮にもシスター様がお子に手を挙げるとは...見過ごせない愚行ですねぇ。」


「お前..」


「お久しぶりですねガンテツ様。

貴方は〝店舗〟に足を運ぶ事が極端に少ないでしょうから。」

街一番の大型店舗、作業者には大いなる救いとなる道具の要塞。それを統括する大総裁


「スズキのおじさんっ!!」


「もう大丈夫ですよハベル君!

..悪魔はここで、断ち斬られますから。」


大型ホームセンタースズキのオーナー

スズキ・ド・ミシュエル

店舗は一つ、売り上げは億銭に拡がる。


「店長が何の用だ..。」


従業員なかまたちもいますよ?」

天から舞い降り周囲にて喚く獣を一掃する。

勿論手元に握るのは我が社の製品、最新式の電動ノコギリやチェーンソーの類。


「..使い方合ってるのか?」


「視野が狭いですねぇ。

用途など刻と場によって変わるものです。」

 フォーマルに一律した黒服で佇む従業員たちは、刃に付いた血を丁寧に拭っている。服に着いた血は目立たなくとも、白い刃についた赤い血は際立ちたちまち錆となる。


「汗を流しても製品の質は落とさない。

言わずと知れた常識ですが、ご存知ですか?」


「……」


「返事なし...ですかっ!」

刃が交わる。黒と黒の打ち合いは皮肉にも、お互いの刀身の白を際立たせていた。


「我が社イチオシの合金用カッターです、少し値は張りますが使い心地は抜群ですよ..?」


「……」

返事は俄然無く、表情も無い。


「おや、お気に召しませんか。

..でしたら店舗にいらして下さい、貴方のお求めになる商品を多く取り揃えていますので!」

弾き合い、吹き飛び合う。

両者剣は離さず、黒は揺るがず。


「ワタクシ達にとってお客様は神様ですから。

..貴方の神はどんな形ですか?」


「……」

信者は多くを語らず、刃先を向ける。



 休息の地・灯台

 街を見守るシンボルは、崩れゆく街を救う事無くただ見つめている。灯台はあくまで、ただ傍観するだけの〝御守り〟に過ぎない。


「グガァァァッ!!」


「なぁ、コイツ強くねぇか?

ていうか本当なのか、コイツがペインターの描いた落書きだってのは」

飛んでくる打撃を避けつつフィクに問う。


「..正式には模写ってところか。

素材は借りてきて、あとは書き足すって感じだ。動物園でも同じだった。あん時は、カバかなんかが鎧着てたっけな」


「カバァ⁉︎

こんなのが他の場所にもいるってのか!」

基本的には大きく強い生き物が好みのようだ。人間でいえば...体育大のラガーマンか?


「..多分だが、アイツの本体は鎧と見ていい。

一度倒れた大熊に書き足して無理矢理起こしてんだ、獣自体はもうボロボロの筈」


「グガァァァッ!!」


「そうなのか、お前..?」

無理を強いられ息絶える事すら許されない。虫やりに拘束されたとすれば、この熊もまた被害者だったという訳だ。


「甘いのぉ...そんな事で情けを掛けるとは。」


「アンタは..なんでここに?」

土の上に小さく浮かぶ黒い沼から姿を表す髭を蓄えた大筆の老人。こんな場所で再会するには、余りにも不自然が過ぎる。


「何でここに、か。

随分と無知なものじゃ..我が弟子は」


「..力をくれた事は感謝してる。

しかし悪いが、今の状況でアンタを恩師と崇めるのは気が引けるな」


「生意気な奴じゃ、恩を仇で返すとはな。」

両手で筆を握り構える。


「やるかジィさん!」


「貴様らなんぞ〝一文字〟で充分じゃわい..」

 宙に描かれる『蛇』の文字。文字は元の象形された物へと還り、本来の姿を見せる。


「何だアリャ!?」


「..嘘だろ、あんたペインターか!」


「ペインター?

無粋な名で儂を呼ぶな、たわけた弟子だ。」

黒き蛇が唸りを上げて牙を剥く

墨の黒は洗剤をも染めるのだろうか、不安を煽る嫌な黒さをしている。


「ヘビがなんだってんだ!

こんなもん他の落書きとなんの違いも..」


「アリマスヨ?」

ヤヨイと二人の業者の間に一枚の壁が隔たれる。幻想的な色味のその壁は、大口を開けていた墨の蛇を打ち消し一つの模様に変えた。


「この壁..アイツか。」

隔たれ、景色は見えないが理解出来る。

学校のときと同じ色、こんな事が出来るのはあの男一人しかいない。


「出やがったな..ピエロ野郎!!」


「..ウルサイデスネェ、アナタ達にヨウハ無インデスヨ。オ嬢サン手をカシテ?」


「え、手?」

共に駆けつけたレイサが腕を重ね掌を見せる。


「サシアゲマス。」「……え?」

掌に乗せたのは壁と同じ色の硬い玉、玉は小刻みに腕の中で揺れると掌に馴染みレイサを壁の向こうへと勢いよく飛ばした。


「えぇぇっ〜!?」


「カレラノ〝お手伝い〟オ願イシマス。

ウルサイト耳障リナノデ。」

邪魔者は壁の向こうへ、極力人に助力はしない。己のやりたい事を出来るだけ優先する。


「ぶぅっ!」


「..壁突き抜けてきたのか?」


「社長、アンタも被害者か。」

向こう側にも脅威は在り続ける

いつから勇者になったのだろう。業者の範疇を超えた汚れが吠え猛ては暴れ狂う。


「グガァァァッ!!」


「これが親玉?

..なんか、ちょっとカワイイわね。」


「..正気か?

人の感覚を馬鹿にする気は無ぇが。」


「いいからやんぞ、放っときゃ死ぬだけだ。」

壁越しの攻防、互いに休み無し。


「何の用じゃ突然、今更儂に興味など無いじゃろうてからにのぉ。」


「アナタニハアリマセンヨ?

フトコロノ〝お宝〟ニハ、アリマスガネ。」

鋭い爪で腹部を指差しにやりと笑う

老獪にも隠し持った物、衛る価値などあるのかどうか。街を脅かす程では決して無い。


彩着晶しきさいだまか、大層な名を付けたものじゃのぉ。ただの染料じゃろうて」


「エエソウデスヨ?

世界を塗リツブスホドノネ。」


「ほう?」

懐から取り出した黒い玉を眺め、反射する己の顔をまじまじと見つめる。


「これが欲しいか?」


「...煽ッテイルツモリデショウカ。」


「何に使うか教えてみろ、用途しだいじゃの」


「....いいから寄越せよ爺。」

左手から伸ばしたインクを槍に返還、有無を言わさずヤヨイの元へ攻め入るパブロ。


「ほっ、若いの。

考え無しに攻め込むとは、小童めが..!」

筆を用いて前方に、大きく『牢獄』の文字を描く。文字は象形され鉄の檻となり、パブロの頭上へと落下する。


「……。」


「言葉も出んか?

罪人にはお似合いの居心地じゃろ。」

捕らえられたパブロを煽るように吐き捨てる、しかし本人には余り焦りが無く冷静な様子だ。


「捕マルココロアタリガアリマセンネ。」

指を弾くと牢獄が消えた、元より拘束などされていなかったのだ。


「終ワリデスカ?」


「..舐め腐るな!」

前方に『蛇』、『蟹』、『狗』の文字。加えて子熊の群れを引き連れ侵攻させる。


「..ナルホド、サシアゲマス。」

小さな丸い粒のような玉を指で弾いて群れの元へ飛ばす。そして牢獄のときと同様に指を弾くと玉が弾けインクを飛ばし、群れの連中全員に覆い被さる。


「...なんじゃコレは?」

動物達は体勢を変え、ヤヨイを睨みつけている


「モウ、アナタニハ従エナイト..ソウ言ッテイルヨウデスガ、イカガイタシマショウ?」


『「キシャアァァッ!!」』

侵攻方向は主の元へ、著作権など既に無い。

黒が多色に染まるとは思ってみなかった事だ


「くっ、一旦退くか..!」


「逃シマセンヨ〝ホクサイ〟。」

群れに紛れて遠方より狙いを定め、槍を構えて打ち飛ばす。標準は正確、狂い無く投打するも標的の体が消えていく。黒い沼に呑まれ、徐々に床へと落ちては姿を無くしていった。


「……」「プギャッ!」

動物達は張った壁に打ちあたり次々と弾けては模様へ変わっていく。一方投げた槍は、壁に当たって砕けるも穴を開け貫通し向こう側に僅かばかりの破片を残した。


「グガアァァッ!!」


「なんだ?

今なんか当たって..」


「いいから攻めるぞ、一気に叩く。」

 別世界から飛来した破片によって大熊の頭の鎧にヒビが入った。悶える大熊はまさに暴君、しかし狙いが定まらない為足踏みをして雑なタップを刻んでいるだけだ。


「確かに、決めるなら今だな。」


「私からいくわ!

大技かますわ..ダブルギロチン!」

両腕を大きな洗剤の刃物に変え、ハサミのように左右から何度も斬り刻む。


「どう?」

痛む頭を抱え何度も悶絶する大熊は抵抗する事も出来ずにただ苦しむのみ。


「仕上げよ!」

両刃を合わせ、止めの一撃。熊は後ろへ退がり息荒く睨みつける。


「流石にタフだな、びっくりするぜ。

..悪りぃが休ませてやる時間は無ぇぞ?」

間髪を容れずフィクが大熊を修正液で縛り上げ拘束する、後ろへ回り込んだフィクは修正器の先端を指で軽く叩き息を整える。


「食らいな。

..帯電式修正網・蜘蛛の巣」

蜘蛛の糸のように絡めた修正液に電流が流れる。拘束された獣には帯電が生じ常に電流が痛みを与える。


「..決めろ、掃除屋。」


「動くなよクマ公、フルバーストッ‼︎」

溶鉱の熱を帯びた全力の解放、逃げ場も防御も一切無い大熊に放たれる渾身の一撃。


「グオォォォォッ...!!」

溶けるように崩れ消えていく大熊の体、後には小さく黒いシミだけが床に残っていた。


「これは..墨か。」


「やっぱり、アイツが描いた絵だったんだ」

墨で描いた熊の絵に重ねて鎧を着せていた。書初め会では暴挙とされる「二度描き」である


「熊達が消えた?」


「……!」「シスター!」

街中から子熊が消え去り、闇が晴れた。騒がしい戦場は再び静寂を取り戻し、休息する。


「..漸く安泰ですね、手間をかけました。」


「アンタ、強いんだな!

オレらが駆けつける頃には、もう殆どが終わってた。シスターはまだ気分が悪そうだが..」

 長い間自我を奪われ無理矢理に意識を行使されていたシスターは酷く体を痛めている。今は意識を失っており、暫く目覚める事は無さそうに思える。


「彼女もまた被害者ですよ。

安静にしておけばいずれ目を覚ますでしょう。

..それまで、神父さんをお願いできますか?」

優しい眼差しでハベルを見つめる。臨時といえど神の使い、生半可な役職では無い。


「..うん、僕頑張るっ!

シスターが起きるまで、この教会を守るよ!」


「頼みましたよ、神父さん?」

街の平和と安寧は彼に託された。

シスターが起きるまで、教会は彼の家となる



 灯台前

 街を眺めて平和を確認し安堵しているのか、いつもより灯りが瞳に優しく映る。


「呆気ナイモノデスネェ..チリザマハ。」


「んな事知るか、何しに来たピエ郎!」

違和感剥き出しで溶け込んだフリをするパブロを罵倒気味に指摘する。


「招イタノハワタシデスヨ?

ナラバ迎エにイクノモワタシデス。」


「…まぁそうなんだろうけどよ。」

聞きたいのはその先の〝何故招いたのか?〟だが、上手く躱されてしまった。というより上手く聞き出せなかった。


「..あの熊は何なんだ。

なんであの人がこんな事してる?」

黒い残りシミが物語る疑問の真相、仮にも奴を師と崇めてしまった己の失態。


「贖罪ノオツモリデスカ?」


「..拭うつもりは無ぇが、感謝って言葉だけじゃ見過ごせねぇもんでな。俺が思ってるような人じゃあ無ぇんだろ?」


「……エエ。」

フィクの思いを汲んだのか、パブロが冷めた目をしながらゆっくりと口を開く。


「アヤツノホントウノ名はホクサイ、ヤヨイハコノ街に滞在スル為ノ偽名デスカネ。本性ハ金デ動ク情報屋デス。ホウシュウサエ頂ケバ、スパイデモ殺シデモナンデモスル下衆野郎デス。水墨画家ナドウソッパチ、タチの悪イ悪徳ペインタート言ッタトコロデスカネ。」


「熊を描いたのも、外へ街の事を流してたのも皆アイツよ。この街の裏切り者!」


「……成程、な。」

ショックを受けている、訳でも無い。

そうだろうと仮定していたものを事実に基づき、確信に変えていく作業を行っているような感覚に過ぎない。意外性も無ければ悲しみも無い、寧ろ心の整理に繋がった。


「とんでもねぇ奴を師匠に持ったな。」


「..まぁな。で、ソイツは何処にいる?」

冷静な目の奥に火を灯し、眼光は鋭くパブロを見つめて刃を研ぎ澄ます。


「ソレヲ教エル為にココニ来マシタ。

..マァ正確ニハ、ワタシノ用事ナノデスガネ。」

培った力は仇なす為に。

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ペイントデリーター 〜アナタの落書きお消しします〜 アリエッティ @56513

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