第3話 エトレ・ロンフィット
「おい、どうなっているんだっ!」
使用人と協力してロゼをベッドまで運び終えた時、ギルザが血相を変えて部屋に飛び込んできた。
「ロゼ様が突然血を流して倒れたのです、医者を呼ぶよう早馬を出しましたが、間に合うかどうか……」
「くそッ……」
ギルザは唇を嚙みしめるが、それは無力さの現れだった。
「ロゼ、頼む、踏ん張ってくれッ、もうすぐ医者が来るんだ、必ず何とかなるっ」
「……あ…………なた…………」
ギルザはロゼの手を掴んで必死に語りかける。
それが無意味な行為に思えてくるのは、私が人の死に慣れすぎたからだろうか。
確信があった。
ロゼは死ぬ。その腹の中の子も。
この出血量と部位からして、おそらく彼女の子宮が損傷したと見ていい。
となれば外科手術しかない。開腹して胎児を取り出した後、傷口を塞ぐ。
しかしできるか?
開腹なら容易いが、問題は鎮痛だ。
今から薬を調合していては間に合わない。
いや、確か———―、
「……っ?」
待て、おかしい。
なぜ私は状況を分析している?
私はこれから死ぬのに。
私は、ロゼを————その腹の中の子を、助けたいと思っている?
「————あ」
ふいに、ロゼの隣に首のない死体たちが見えた。
皆、怒っていた。
つまりは、彼らは私に戦えと言っている。
————今そこに在る命を救え、と言っているのだ。
「……ッ、かあさま!」
思い立ったと同時に、私の口からは吐くべき言葉が吐き出されていた。
「エ、トレ?」
「っ、もし、もしあなたが死んだら……あなたの子は私が殺しますからね」
「え……?」
「それがイヤなら、絶対に死なないでください」
意図が通じてくれたのか、ロゼはふんわりと笑みを零した。
「治癒の魔術を使える人は?」
その場にいた女給が、おずおずと手を上げた。
「あ、私が……ですがちょっとした傷口を塞ぐ程度で、とても今のロゼ様をお救いできる程では……」
傷が塞げるなら、止血はどうにかなるという事だ。
「それで充分です。できるだけ清潔な水を用意してください。それと暖炉に火を。私がロゼ様を救います」
それだけ言い残し、私は部屋を飛び出して準備にとりかかった。
◇
暗殺者とは、単なる暴力のスペシャリストではない。
むしろ武力による直接的な殺害は、暗殺術としては下の下に分類される悪手だ。
暗殺の真髄とは、痕跡を残さずに殺人を執行すること。
であれば他に取るべき手段は幾らでもある。
その内の一つが、毒だ。
であるからして、ウルキネス家の生まれである私もそれの扱い方を心得ていた。
「あった!」
マイツァーの執務室の机を漁ると、小瓶が一つ転がり出てきた。
数ヶ月前に彼から頼まれて、私が制作した植物毒だ。
ボルキオと呼ばれる植物から抽出したもの。
神経に麻痺作用をもたらす毒で、希釈すれば麻酔の代わりとして使える。
それを握り締めてロゼがいる部屋に戻ると、私が言いつけたものは全て用意されていた。
「何をするつもりだ、エトレ!」
「開腹して子供を取り出します。その後、傷口を治癒の魔術で止血。そうすれば二人とも助かります」
私が腰からナイフを抜くと、部屋の隅の使用人たちが声を上げた。
「なっ、何を考えているんだ、無理に決まってるだろそんなこと!」
「どちらにせよこのままでは二人とも死にます。どちらかでも助かるなら」
「ッ、だが、だがお前は医者でもなんでもないだろう!」
「————あなた」
ロゼが落ち着き払った声を上げた。
「私はエトレを信じるわ」
「ロゼ! 何をっ、こいつは暗殺者だぞ! 俺たちに復讐する気かもしれない!」
「そのつもりならとっくの昔に私たちを殺しているはずよ。それに……ギルザ。この子だって私たちの娘よ。子を信じない親がいて?」
「っ、ロゼッ!」
水と毒を混ぜ終えたものを杯に注ぎ、ロゼに渡した。
「これを」
「……ありがとう」
「痛みはごまかせませんから。死ぬ気で耐えてください」
本来ならば局所麻酔が適切だが、今それを行う技術も設備もない。
意識を保てる濃度の全身麻酔を施し、痛みに耐えてもらうしかない。
「わかったわ…………母親ですもの、耐えてみせるわ」
ロゼは杯の中身をぐいと飲み干すと、眼を閉じた。
「おいっ、エトレ!」
ロゼが落ち着くのを見計らったように、ギルザは私の両肩を掴んできた。
「絶対にやれるんだな⁉ 俺とロゼの子は助かるんだな⁉」
「…………必ず」
「っ、なら————俺は、何をすればいい」
「ロゼ様の隣で手を握ってあげて、呼吸が乱れないようにしてあげてください」
ギルザは素直に私の言う通りに、ロゼの顔の隣に傅いて手を握った。
「…………やるか」
私は自分の手をナイフを持ったまま、暖炉の中に突っ込んだ。
肉が焼ける音と共に、両手に痛みと熱が纏わりつく。
「ッ———くっ」
これで消毒は十分と判断し、腕を暖炉から抜いて水に付ける。
皮膚が爛れて赤くなった手。痛みはあるが、動かすのに問題はない。
準備は全て済んだ。
あとは何もかも、私次第。
意を決して、ロゼの真正面に立つ。
妊婦服を捲り上げると、膨れ上がった白い腹が露わになる。
この中に、命がある。救うべき命が。
それを認識した時、自然と私の意思は定まった。
切っ先が、滑り込むように腹に挿入される。
その感触を確認すると同時に、ナイフを下に動かして腹の肉を切り開いた。
今の私には、全てが掴めていた。
切っ先を何センチまで腹に沈めていいのか、腹の中のどこに『命』があるのか。
まるで神様が、こっそり私に耳打ちしてくれてるみたいに、鮮明に。
「はっッ————っ‼」
ロゼが、目を見開いて必死に声を押し殺す。
だが、私はそれに構わずに続けなければならない。
ロゼの子宮は横一文字に大きく裂けていた。
これであれば、子宮を斬らずとも胎児を引っ張り出せる。
ナイフを置き、大きく息を吐く。
開かれた子宮の中から覗く、胎児の頭を両手で引っ張り出す。
そこからは速かった。
ぬるりと出てきた小さな首に手を添え、抱き上げる様に身体を引き抜いた。
「ああっ」
使用人の一人が、絶望に顔を歪めた。
そこまで露骨ではなかったが、その気持ちは皆同じだった。
————————赤子が、泣いていない。
へその緒が繋がったままの身体に耳を当てるが、高鳴っていく自分の心拍に邪魔されて何も聞こえない。
「嘘だっ、ウソだ、うそだッ————————」
体中を駆け巡っていた緊張の糸が解け、私はロゼの腹から取り出したソレを抱いたまま崩れ落ちた。
また私の前で誰かが死ぬのか。
また私は何もできないのか。
そんなの嫌だ。もうあんな無力感を味わいたくない。
私の臓を食ってもいい、魂を差し出してもいい。
生きてくれ。逝かないでくれ。
私の行為に意味をくれ。
「…………ぉぎゃぁ」
「っ、え」
聞こえる。
そう認識した途端、その音は大きくなり始めて。
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
やがて産声は部屋全体に響き始めた。
「あ、あ! い、生きてる!」
「やったッ、やったぞ、ロゼ! 俺たちの子だ!」
「早く治癒を!」
一気に騒がしくなりだす周囲も、火傷で痛む両手も、今はどうでもいい。
血に塗れて泣く赤子の手が、頬に触れる。
その瞬間、忘れ去っていた感情が堰を切ったように溢れ出した。
これは、命だ。私が救った命だ。
「…………わたしっ…………わたし…………生きててよかったんだ…………」
ギルザに赤子を奪い取られてからも、私は言葉にならない感情を涙に変えて垂れ流していた。
◇
開腹と応急処置から、10分後。
到着した医者によってロゼの本格的な治療が開始された。
部屋から追い出された私とギルザは、扉の前でわずかに漏れ出る明かりをぼんやりと眺めていた。
いつの間にか外は暗くなり、横目ではギルザの表情を窺い知ることはできない。
「……っ」
ギルザは先ほどからずっと、何かを言いだそうとしては言葉を詰まらせていた。
「感謝の言葉は不要ですよ」
「っ、ふん、何を勘違いしているんだ。それよりいつまでここに居る気だ?」
「あら、娘にそんな口の利き方をしてよろしいのですか?」
「なに?」
こちらを向くギルザに、一つの書簡を投げつけた。
「ッ、貴様、どこでこれを⁉」
それを見たギルザの顔があからさまに狼狽える。
「毒を取ってくる最中に見つけたので。それ、見覚えありますよね? マイツァー様の遺言状ですもの」
「ッ……」
ギルザが表情を渋くするのは、そこに書かれている内容が彼にとってはあまりにも不都合だからだ。
「『エトレを追放する事は許さぬ』と。そう確かに書かれていましたね。それに則るなら私はまだロンフィット家の一員です」
「……何が目的だ。俺たちに復讐する気が無いなら、お前は何のためにここに留まる」
目的、か。
そういう具体的な答えを要求されると、少し回答に困る。
「それは…………わかりません」
「ならなぜ」
「ですが役には立ちます。ロンフィット家に降りかかるあらゆる災厄は、私がこの命を賭けて振り払うと誓います」
だが、見えたのだ。
私が抱いた命の中に、光が。
ひれ伏したくなるほどの尊さが、残りの命全てを賭けてもいいと思える価値が、確かにそこにはあったのだ。
それを守る為ならば、私のような人間にもこの世に留まる資格がある。
「だから私に、姉として————あなたたちを守らせてください」
その日、私は己の意思で、エトレ・ロンフィットの名を受け入れた。
妹を守る、一人の姉になったのだ。
死神を照らす太陽 @rinme
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