鳴かば食わぬ

絵空こそら

鳴かぬなら食してしまえホトトギス

「よもや、これほどまでとは……」

 体重80キロの私の身体が宙を浮く。着地するとき、跳び箱を飛ぶ際の踏み台のような音がし、スカートが翻ったが誰も目をくれぬ。どいつもこいつも目の前のパンに夢中である。

 購買の前に「本日完売」の看板が掛けられると、ある者は歓声をあげ、ある者は落胆を声に滲ませる。そして振り返り、地べたに転がり歯噛みしている私にようやく気付くと、ぎょっとした様子で迂回し、それぞれ食事の場へそそくさと戻っていく。

 かくして購買前の廊下には私と、一人の女子だけが残された。目が合う。私の勘が告げていた。彼女は同志であると。我々は匍匐前進で歩み寄り、固い握手を交わした。


 私はデブである。しかし、矜持を持ったデブである。デブだからと言って卑屈になったことは一度もない。身体を取り囲む脂肪の鎧は、我がグルメ人生における誇りである。恋にかまけてダイエット?おこがましい。恋愛も青春も要らぬ。私に必要なものはただ食のみである。

 私は購買のパン争奪戦において数々の勝利をつかんできた。黒星がついたのは今日が初めてである。


 我が台普遍高校は、名店とコラボした商品を毎年一回期間限定で販売する。今年は宇治抹茶の名店「佐助庵」とコラボすることに決まった。どのような流れでそんな名店中の名店と契約をとりつけたかは知らぬが、そのコラボ商品であるパンがべらぼうに可愛い。ふわふわと抹茶の粒子を纏った小鳥の様相である。中身は甘さ控え目の生クリーム、北海道産の大納言、もちろん、高級抹茶を練りこんだ生地を使用している。その名もディア・レザークッコ。食すより他選択肢はない。一日限定30個。はっ。容易い。これまで様々のコラボ商品を、どんな卑劣な策(体当たりで敵を散らす)を用いても確実に手にしてきた私にとって、限定30個の縛りなどもはやないも同然。そう軽んじて挑み、情けなくも惨敗した。

 私は陽キャなる人種をなめていた。無駄にスタイルのよい彼らのひょろひょろとした細腕など、私の脂肪の鎧を押しのけるに遠く及ばぬと高をくくっていたのである。SNSで「映え」を発信したい彼らの執念が、かように強固のものとは知らなんだ。徒党を組んだ彼らは手強かった。伊達に日々共に青春を過ごしているわけではないとわかる連携プレー。まこと鮮やかな勝利であった。彼らに道を阻まれているうち、大勢の生徒が巨大な波となって押し寄せ、私は無残にも宙に投げ出されたわけである。


 かくして、私と盟友はパン争奪に勝利するため、今日もあたりめをしゃぶりながら策を巡らす。なぜ高校の購買にあたりめが売っているのかは知らぬ。知らぬが、臥薪嘗胆の感を醸すのに丁度よいので、むしゃむしゃとしゃぶる。

「藪ノ内よ、貴様、水曜の4限は移動教室であったな。地学室からなら購買に近い。この日なら勝利の確率が上がると思うが、如何か」

 やはりあたりめをしゃぶりながら、手書きの地図を眺め言う姉小路は陰キャである。しかし矜持を持った陰キャである。姉小路は流行りに乗らぬ根性の悪い女で、彼女が愛すのはただ歴史小説とスイーツのみである。それらへの愛が強すぎるあまり彼女には友がおらぬ。その信念に私は親愛の情を深くする。

「よかろう。貴様の授業は何か」

「音楽だ。音楽室は購買部の真上にある。直行すればかなり早く着く」

 我々の教室は購買のある本館ではなく、別館にある。3年になってから教室が別館の一階になってしまったのである。1、2年は本館に教室があるために、購買までの距離に大きな差がある。しかも、3年も1から3組までは本館に教室があるため、4組の私と6組の姉小路がこの不利を解消するのに移動教室を利用するのは、私も同意である。

「しかし、地学室も音楽室も、購買まで近いには近いが、やはり2階に教室のある2年生には敵わん。我らが到着する頃にはもうショーケースは囲まれているのではなかろうか。彼らを剥がす作戦を立てなければ」

 姉小路はふふんと鼻を鳴らした。

「まあ見ておれ」


 水曜である。4限が終わり購買に直行したはいいが、ショーウィンドウにはすでに落ち武者の体で生徒がわらわらと群がっていた。そこへ姉小路が走りこむ。かと思いきや、彼女は悠然と店員用入り口から購買部に入っていき、やすやすと小鳥型のパンを手にした。呆気にとられる私、店員、群がる落ち武者ども。得意顔の姉小路。

かくして、姉小路は店員の手で外につまみ出された。もちろんパンは没収である。

「馬鹿者!」

 私は一喝した。

「出禁になったらどうする!」

 姉小路は悪びれない。

「護りが薄くなったところを突くのは戦法の基本であろう」

「護りが薄いどころか本丸にいきなり切り込んでどうするのだ!」

 数々の武将の活躍を知っているはずなのに阿呆である。彼女に任せた私が馬鹿だったと思い、溜息を吐く。

「次の戦法を考えなければ」


 それから、毎日手を変え品を変え挑んだが、全く手に入れられる気配がない。落ち武者どもの壁は一層厚くなっていく。コラボ期間終了も間近に迫っていた。


 放課後、我々は家庭部にいた。

 目の前に立つは部長の長井である。彼女は私と同じくグルメであり、食べるだけではなく、作るほうにも余念がない。今は味方の数が欲しいところである。彼女であれば、かのディア・レザークッコの入手に手を貸してくれるかも知れぬと思い、藁にも縋る思いでここへ来た。

「よく来たな藪ノ内よ。和議を結びたいとか」

「いかにも。手に入れれば山分けとしよう」

 長井はそのハンプティダンプティ然とした腹を揺すって笑う。

「残念だがな、藪ノ内。もう食したのだよ、かのディア・レザークッコをね」

「馬鹿な。家庭部の人数はただの3人のはず。その少人数で一体どうやって……」

「忘れたのか、うちの馬山は2年8組。購買のすぐ隣のクラスだ。それでも苦戦したようだがな」

 長井はパンの味を反芻するように目を閉じた。

「あれはよいものだ。是非とも貴様には食してもらいたいものだがな、貴様に手を貸して我ら家庭部に何の得がある?」

「何でもしよう」

「何でもか。それでは全国高校スイーツコンテストの前半年、雑用係として働いてもらおうか」

「半年、だと……」

 放課後の時間は貴重である。まして高校三年となれば受験勉強もあるため、おいおいお気に入りの店を巡ることも容易ではないほど、時間がひっ迫する。

「いかにも。私も今年が天下を獲る最後のチャンスであるから、なるべく手が欲しいところだ。貴様とて、最後の購買年一コラボ商品をみすみす逃したくはないだろう。我々の利害は一致しているのではないか」

 長井は福々しい顔でにんまりと笑った。

「くっ」

 私は苦悩する。どうしてもかのパンは欲しい、しかし、時間が惜しいのも確かである。時間と美食を天秤にかける時点で私はグルメ失格ではなかろうか。そう煩悶していると、

「断る」

 姉小路がきっぱりと言った。

「ほう、パンを諦めるか」

「そうではない。貴様らに貸す時間が惜しい。パンならば我らだけで手に入れられよう」

 姉小路は「邪魔したな」と言い、膝丈スカートを翻し颯爽と家庭科室を出ていく。

 長井は目を細めて再び「ほう」と呟き、

「面白い奴ではないか、藪ノ内。貴様らがどこまで善戦するか、陰ながら見届けよう」

といってまた腹を揺すった。


「姉小路よ」

 私は彼女を追いかける。

「貴様、何か策があるのか」

 彼女は振り向いて顔を歪めた。

「小鳥を潰すか?「映え」がなければ奴らの購買意欲も失せるだろうよ」

「馬鹿者!料理人の作品を愚弄する気か!」

 私がそう答えると知っていたかのように、姉小路はまたふふんと鼻を鳴らす。

「その身体に似合わぬ高尚な精神が気に入っているのだ私は」

 そしてお手上げだというように、肩を竦めて見せる。

「正直策らしい策はもうない。後はただ全力で挑むしかないさ」


 翌日、廊下を疾走する私の姿を目撃した教師は、校内に猪が迷い込んだと思ったらしい。4限目が終了するかしないかのうちに、私はフルスピードで教室を出た。向かうは、ディア・レザークッコ一点のみである。あとで教師に叱られようが、知ったことではない。法螺貝のようなチャイムが響き渡り、パンを求める者たちの足音が地鳴りのように響いてくる。負けるものか。私は汗を散らしながら、購買のショーケースに突進する。

「どけえええええ!!!!!」

「藪ノ内が来た!」

「藪ノ内だ!」

「散らされるぞ、みんな固まれ!」

 ショーケースの周りにいた生徒たちが肩を組み防衛陣を敷く。私は構わず突っ込み、力の限り彼らを押す。

「なんだこいつ、強え……!」

「戦闘力いくつだよ……!」

「パンひとつに必死すぎだろ……!」

 感嘆なのか呆れなのかわからぬ声が届くが、知ったことではない。私は力の限り壁のほうに彼らを押しやる。

「うおおおおおおお!!!!!」

「やはり手薄になったところを突くのが戦法の基本であるな、うん」

 後ろでそういう声が聞こえ、私は口の端を上げた。

「ディア・レザークッコふたつ!」


 その後、乱闘騒ぎを聞きつけた教師たちが駆け付け、私と姉小路は生徒指導室に連行され、こってりと説教された。悔しいことに、またもやパンは没収である。


 渋柿のような顔をして、生徒指導室を出ると、もう放課後であった。

 我らは項垂れた。この数週間全力でぶつかってきたが、とうとう手に入れるのがかなわなかった。切ない気持ちで「本日完売」の看板を眺める。と、その時

「君たち」

 廊下の隅から声をかけられた。

 きつい説教を食らったばかりの我らは警戒して振り返る。そこにいたのは副校長の上杉だった。

「お時間いいかな」


 我らは絶句していた。

 目の前に、愛らしい小鳥の形をしたパンがある。何週間も求めて求めてやまなかったパンである。

「教師としては不適当かもしれんが」

 上杉は銀縁眼鏡をくいっと押し上げる。

「よく自分たちの頭で戦略を練り、実行し、諦めなかったな。あっぱれな戦いぶりだった」

 上杉は優しく微笑んだ。大人に褒められたことのない我らは不覚にも涙が滲む。

「ありがたきお言葉でございます……」


 かくして、我らはディア・レザークッコを食した。小鳥の嘴にくちづけるように口に含むと、ふわりと抹茶の風味が広がり、生クリームが舌の上でとろけた。ふわふわとしたパン生地には抹茶の深い苦みがあり、大納言の甘さと絶妙に合う。

 我らは顔を見合わせると、声をあげて笑った。今までの人生で食した何よりも、美味であると思った。

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鳴かば食わぬ 絵空こそら @hiidurutokorono

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