coda~次の、物語へ

 約束通り8月5日に入籍した二人は戸籍上は夫婦になったものの、諸事情あって一緒に暮らすまでに間があった。

「ふーん、じゃあまだ別居中なんだ」

ユニットの相方である真子が打ち合わせの時にそんなことを言った。

「そうだねえ。和さんも私もいろいろあって」

「楽器持ちは引っ越し大変だからねえ。私は実家にピアノも置いてきちゃったけど、里穂ちゃんはピアノ弾きだからそういうわけにいかないだろうしさ」

 里穂はピアノ教師であり、細々と演奏活動もしているためピアノが置ける場所が欲しかった。住居探しでネックだった楽器可の借家が11月の初めにやっと見つかった。音の問題は、音大時代の先輩が、郊外に防音室のある家を新築するので使わなくなった防音ユニットを格安で譲ってくれることになった。

 引っ越しをして住むことになったのがやっと11月の半ばで、それから結婚式の準備が始まり、二人は多忙になった。その矢先。

 

「異動が決まった」

「へ?」

お茶を淹れていた里穂は思わず手を止めた。

「県外に出向だそうだ。打診はされていたんだけど」

技術職の和成は、これが2度目の出向となる。以前の出向よりは近いらしい。

「それって自宅から通勤できる距離?」

「ああ。今より30分余分にかかるけどな。打診された時はまだ結婚するって決めてなかったときだったんで、もっと遠い場所になるかもしれなかったけど、新婚で単身赴任にするのはやめてくれって部長に訴えた」

和成がため息をつくと、里穂も肩を竦めた。まだ二人で暮らし始めて、1週間も経っていない。生活に慣れていないのに離れて暮らすのは不安だ。

「えーと、その出向っていつから」

「年明けから。…ごめん、忙しいときに」

「ほんと、困っちゃうよね」

里穂はわざと鼻に皺を寄せて、拗ねてみせた。

「それでも、本当は12月からって言われてたのを遅らせたんだ。1つは、今関わってる開発が12月が納期で、設計担当の俺がいないと困るとチームリーダーから懇願された。もう1つは」

「1つは?」

里穂が和成の顔を覗き込むと、和成は少し赤くなって呟いた。

「クリスマスと正月くらいは一緒に過ごしたいだろ?」

その様子に、里穂はふっと表情を緩めた。

 

 二人の結婚式は、以前里穂が真子とともに演奏をしたことがある、レストランウェディングの設定がある小さなビストロだった。

 参列したのは和成の両親と弟、里穂の両親と祖母。妹は先に結婚していて、夫と2歳の小さな息子とともに嫁ぎ先の千葉からかけつけてくれた。

 高校時代からの友人で同僚でもある、竹原悟と、卒業後も交流をしていた福岡友紀子、和成の上司と同期の代表、里穂の楽器店での同僚と店長が参列した。ユニットの相方である真子は、余興でクラリネットを吹いた。里穂の合唱部の後輩である大垣くんは和成の弟の先輩、つまり和成の後輩でもあり、和成の側のゲストとして、部の代表としてパーティに参列した。

「言わなかったけど、学祭で見かけて、先輩たち絶対付き合ってるって思ってました」

と大垣くんに言われて、和成は赤面した。自分たちが気づいていなかっただけで、実は多くの人が自分たちを見守っていたのかもしれなかった。

 オペラ公演でパーティに参加できなかった金沢麻弥耶からは2体のくまのウエディングぬいぐるみ電報とウエッジウッドのペアのマグカップが届いた。

大きなくまと小さなくまの組み合わせを見て、和成は「金沢さん、分かってらっしゃる」と呟いた。怪訝そうな顔をしている里穂に、ぬいぐるみを見た友紀子が「君たちのことだよ」と呆れたように言った。気づいていない里穂を見るのがおかしくてたまらないと友紀子は呟いた。

「さっき大垣くんから、私たち付き合ってると思ってたって言われたけど、ゆっちゃんにはどう見えた?」

「さあ。私そういうことあんまり気にしないからさ。文化祭の時二人で行動してたから、ああ、仲いいんだって、それくらい」

友紀子が変に気を回す子じゃなくてよかった、と、里穂は言った。


 里穂は、ショパンの2番のノクターンを弾いた。高校時代に、真面目で几帳面だが情感を出せないと言われて悩んでいた里穂のその日の演奏は、そんな過去があったなどと思えないほど、情感に溢れた演奏で人々の溜息を誘った。

 ウエディングドレス姿でピアノの前に座る自分の妻は美しいと和成は思った。彼女が奏でる音も。



 あの日。高校の卒業式の日に、里穂に会う資格がないと引き返した日にショパンの遺作のノクターンを聴いた和成は、涙を流した。伝わるかどうかわからないが心の内を手紙に綴った。

 

 乱れた字で書かれた手紙を読んで初めて、和成の本当に伝えたかったことが分かった。彼が引き返さずに里穂と言葉を交わすことが出来たら、こんなに時間が経つことはなかったかもしれない。


 すべては、結果論。


 きっと、17年も時間が経ったからこそ、それでもお互いを求めていたからこそ、今日、こうして二人は人生の伴侶として並ぶことができたのだ。



  あなたに、会えてよかった。


 そして。これからまた、次の新しい物語が始まる。

次の物語の主人公は二人。

 その物語には、今ひっそりと里穂の体の中に宿っている小さな命が加わることを、まだ二人は知らない。


 


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ノクターン~nocturne~ さきぱんだ @sakipia-panda

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