最終話 「………………うるせええええ!!」

 ベットの上に体をあずける。真上には無機質な天井が広がっている。


「疲れた……」


 俺は疲れていた。とにかく疲れていた。三度もくり返すと、いささかくどいというものである。


 怒涛どとうの日々が続いたものだな――そう回顧させたのは、白い天井のせいかもしれない。


「だるいし、眠いし、こりゃどうしようもないな」


 文芸部が終わり、我が家へ帰ってすぐ、――手洗い、うがい、着替えくらいはしたが――俺はベッドへ直行してしまった。


 少しずつダメージが蓄積し、目に見えない傷は箇所を増やし、ついには目に見えるくらいの疲れへと変貌していた。「ちりも積もれば山となる」とはこのことだ。


 やや意識が朦朧としている。そんな状態ではあったが、俺は、記憶という名の大海に、身を委ねることとした。


 円花とのファーストコンタクトは、この自室のことであった。


 転校生がくるという、いわば神からの祝福をうけただけでもありがたかったというのに、転校生が義妹となるだなんて、想像だにしえなかった。


 理想が現実になってもなお、そこに不満を抱く自分がいたことは記憶に新しい。


 円花の性格をふまえてどう接するか迷った。ヤンデレすぎる性格は、ときに身の危険さえも感じることもあった。折り合いをつけていき、最善ではなくとも、ベターな選択を重ねようとしてきた。


 そしてようやく、一つの区切りがつき、円花との関わり方もつかめてきた。


 たとえ理想が叶えられたとしても、新たな理想が生まれ、現実とのギャップを残酷にもつきつけてくる。


 もっとうまくやれるんじゃないか、改善のしようがあるではないか――――。


 たしかに、そういった向上心も必要だが、現実の残酷さを理解し、足るを知ることも必要である。


 そう考えられるようになっただけでも、よかったのかもしれない。この半年弱は無駄ではなかったのかもしれない。



「ゆーくん、大丈夫ですか?」


 記憶の海から引きずり出してきたのは円花だった。


「ああ、どうにかな。ちょっと寝不足だったりスケジュールきつかったりしたしたせいかもしれん」

「心配させないでください。『ただいま』すらいわず、すぐ二階へいってしまわれては困りますよ」

「悪い。今後気をつける」

「この様子だと、ゆーくんの晩御飯はおかゆで確定ですね。本当は大輔お父さんプレゼンツの焼肉パーティーをやるつもりだったんですけど……」

「な、なにっ!? いま焼肉パーティーというひとことがきこえたぞっ!」


 焼肉パーティー。その言葉は、成竹の血を騒がせる触媒としては充分だった。


 とりわけ、〝男の料理〟と呼ばれる、父特有のワイルドな調理法と味付けが、他の追随を許さないレベルでうまいのだ。


〝男の料理〟において、俺が父さんの一番弟子だという自覚はあるが、それでもオリジナルを超えることは、いまだできていない。


 今回の焼肉はマジで逃せないのだ。


「食わせてくれ、その焼肉。疲れのせいかあんまお腹すいてないし、なんなら気分悪いまであるけど!」

「だーめーでーすっ、えい」


 右頬を人差し指でつつかれ、グリグリ押し込まれていく。こめられた力は想像以上に強かった。


「いてて」

「無理は禁物です。世界随一の焼き肉を前に、悔し涙を流しながらおかゆをいただくがよいのです」

「優しさなのかもしれないがつらすぎるよ」

「しかたないですね。今夜はメイド服〜微エロver〜で支度しますし、食事もしてあげますから」

「……さては食欲を性欲で誤魔化そうとしてるな」


 メイド服は、過去にも何度かお目にかかっている。ただ、〜微エロver〜というのは、思春期男子としては興味を持たざるをえない。


「もし今夜の焼肉を我慢すれば、の話ですけどね。その衣装、かなり際どいですよ。まあ、今回ゆーくんが焼肉を選ぶなら、一生お目にかかる機会はないでしょうね。せっかくいやらしいところを堪能できるというのに」


 いちいち言葉選びが扇情的だ。円花が、メイド服〜微エロver〜を着ているのをちょっとイメージするだけで、いろいろ捗ってしまいそうだ。何が、とはいわないが。充分魅力的な条件である。


「究極の二択ではあるが……そのうち円花はそれに近いエロさの格好をしてくれそうだしなぁ。焼肉、かな」

「私のエロスは焼肉以下だった!?」

「色気より食い気の年なんだ!」


 本音をいえば、二択のうち両方を選びたかったものだ。ここだけの話。


「ゆーくん、考えてみて。焼肉なんて、水となんら変わらないの」

「どういうことなんだ?」

「野菜なんて特にそうだけど、食べ物って、すくなからず水分を含んでいるじゃない」

「うん」

「つまりは、どんな食べ物も、waterと同値なの!」

「同値ではないだろ! それになぜ流暢な英語で水を発音する?」

「英単語テストが近いでしょ? だから、日常生活にも英語を、って思ったの」

「たぶんwaterはでないだろうね」


 地獄の追追追試が思い出される。今回こそは満点をとらねばならないな。騎里子に馬鹿にされたくないし。


「肉はさておき、野菜って九割は水ですから四捨五入して水ですよ。我が家が箱買いしている、あのおいしい水は、野菜と思っても問題ないんです!」

「……いったんそこから離れようか」



 焼肉パーティーは、無事に遂行された。


 我が家の大黒柱、成竹大輔はここ半年弱でメキメキと料理の実力を養っていて、前回の焼肉パーティーと比べ、味付けに大胆な変更が加えられていた。


 変更はあったが、ワイルドさと塩っぽさは生きていた。むしろ、それをグレードアップさせたうえ、新たな風味もチョイスされていた。


 前述のとおり、俺は焼肉を強行突破で食った。メシができるまでしっかり布団で休み、胃腸薬を飲み、腹八分目ですませるという予防対策を講じたうえでのことである。残念ながら、メイド服を拝むことはできなかった。


「きょうの祐志は少食だな! あしたは雪でも降るんじゃなかろうな? そんなんじゃ甲子園どころか強打者すら目指せないぞ!」


 と、まるで俺が野球少年であるかのような扱いをうけた。やはり父親はつねにミステリアスで意味不明である。本当に同じ言語圏で同じ世界線なんだろうかね。パラレルワールドの俺は将来有望なプロ野球選手志望の高校生なんだろうか。


 夏蓮さん――つまり俺の義母さんは、そんな父さんを気にも留めていなかった。


 こうして四人で食事をすることはさほど多くない。両親が共働きであり、家に帰ってくるのが遅いからだ。


 そういうわけで、四人の食事は貴重なのだ。




 食事が終わり、おのおので好きなことをはじめる。


 やや遅くなって、自室に戻ることにした。


「遅かったですね、ゆーくん」


 二階に上がる。俺の部屋に円花がいた。ベッドの上にちょこんと座っている。


 そして、円花は……。


「なんでメイド服なんか着てるんだよ」

「ひどいですね、せっかくお洒落したのに」


 着てくれないといっていたはずではなかっただろうか。


「なんで着ているのか。そう思ったでしょう?」

「ああ」

「私のサービスですよ。ですが、微エロver、とまではいきませんよ? 


 前から持っていたものです。もし微エロverなんて着た日には、きっとゆーくんは私にこれまで以上に激しく欲情してしまうでしょう。ついに理性が崩壊し、ゆーくんの方から襲ってくるかもしれません。


 そうなったらそうなったで、私は感激の極みですよ。


 ただ、メイド服への欲情だけで、私がゆーくんに奪われるというのも、やはりもったいないと思いましたし、きょうは母も大輔さんもいる。ムードがむの字もないわけです。


 くどくど語りましたが、まだそのときではない、ということです」


「オーケーだ。いまの格好でも充分そそるしたまらないし似合ってると思う」

「ありがとうございます! やっぱりゆーくんに褒められるのは最高ですっ!」


 白と黒のコントラストが美しい。なにを着ても彼女は似合うとわかっているが、これもこれで世界随一である。ちなみに一位タイで、円花:制服、私服、寝巻きなどといったものがランクインしている。


「はぁ〜。疲れました〜」


 座っていた体をそのまま横に倒し、円花はベッドに転がりこむ。布団にまとわりつくように、左右にぐるぐる揺れる。


「やっぱりゆーくんの匂いは落ち着きます。一生嗅いでいたいですね」

「変態か。まあ、兄妹きょうだいだし、全然嗅げると思うよ」

「……そういう意味じゃありません」

「じゃあなんだよ」

「結婚ですよ! 結婚! それ以外になにがあるんですか?」


 くるまっていた布団から顔をひょこんと出す。


 そういえばそうだった。そもそもの俺は、彼女との結婚すら望んでいた。


 現在となっては、円花といることが当たり前になっていて、ほぼ夫婦の関係といっていいくらいだ。結婚に対しての特別感が薄れていた。


「全然ありだぞ。ただ、もう夫婦も同然じゃないか。だから……」

「夫婦も同然! つまり、いつでもゆーくんは私を襲う算段を立てていると!」


 布団を完全に体から剥がし、ベッドの上に立ち上がり、そしてベッドから降りる。


「違う。そうじゃない。結婚にこだわる必要があるのか、少し思っただけだ。円花が先走りすぎただけなんじゃないかって」


 なにをいおうか成竹祐志。自身も少し前までは円花と結婚したい、とのたまうていたというのに。


「安心して、ゆーくん。私は初志貫徹。最初から最後まで、ゆーくんの結婚のことしか考えていません。だから、最初はあなたの女友達はすべて現実世界から退場していただくことすら考えていたんです」

「物騒だな!」


 どれだけの血が流れる予定だったんだよ。末恐ろしいわ。メンタルブレイクどころの騒ぎじゃない。


「でも、ゆーくんにもゆーくんの人生があることを知った。自分本意になることも大事だけど、過ぎたるは及ばざるがごとし。ほどよく欲求に忠実になってやればいいってわかったんです」

「そうだったんだな」

「私も変わりましたよ?」



〝円花〟という名前のように、時は円の上をぐるぐる回り続ける。春夏秋冬が一年周期で巡っていき、花を咲かせたり、散らしたり、新たな種を飛ばしたり……。


 そうして、時が流れる。変化し続ける。


「そうらしいな。俺の親父の変人ぶりは変わらないが」

「ですね」


 円花は笑っていた。


 この笑顔を、これからもずっと見ていきたい。


 それが〝兄妹きょうだい〟という形なのか、〝夫婦〟という形なのか、いまだ自分には予測しえない。


 いずれにせよ、円花とともに、同じ時を過ごしていきたいという思いは変わらない。


「……ゆーくん」

「どうした、円花?」


 なにかいいたげな表情をたたえている。口をちょっと動かしてはすぐ閉じてしまい、言葉がすぐに紡がれることはない。


 ようやく決心がついたのか、円花は口火を切った。


「ゆーくん! 私は答えをもらえていないことにモヤモヤしています」

「ん?」

「結婚のことです」

「おう」


 ちょうど、軽く流してしまったところであった。答えはまだ出せていなかった。


「すぐに返事をもらえるとは思っていません。ですが、これまで以上にアプローチをしないと、きっとゆーくんはノーを選んでしまいそうな気がするのです」

「……たしかに」

「ですから、毎日ゆーくんにプロポーズをしようと思いますっ! そうすれば、鬱陶しくても、結婚のことを意識せざるをえなくなるわけです。つまり潜在意識に刷り込もう作戦を決行するわけです」

「ガチでやるのか?」

「はい! せんぱいだって、本当にプロ野球選手を目指しているなら、素振りくらい毎日するでしょう?」

「するよ。するけどさ、俺は野球男児じゃないからね? 仮定の話とはいえ」


 毎日プロポーズとなると、いつからスタートするのだろうか。


「というわけで、記念すべき一回目!」


 円花は呼吸を整え、一回目のプロポーズ。



「ゆーくん! 


 私と結婚してください! さあ早く! 


 私と結婚してください! いまがチャンス! 


 私と結婚してください! 急がないと変な男に取られちゃいますよ! 


 私と結婚してください! いまなら特典で……」


「………………うるせええええ!!」


 知っていたさ。円花は変人であると。


 せっかくお淑やかで、理想の転校生だというのに、結婚に執着してしつこくせがんでくる、どうしようもなくヤバい奴だと。


 そして。


 俺は、そんな円花のことが、好きで好きで仕方がないのだと。





 完

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お淑やか系転校生は俺の義妹で結婚をせがんでくるヤバい奴だったんだが まちかぜ レオン @machireo26

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