バス停にて

高橋 白蔵主

病院のある町で

 従兄弟の翼とクラスメイトの櫂とわたしの三人でバスを待っていた。

 一生懸命走ったけれどぎりぎり間に合わなかった。ほんの二十メートル先で循環バスは扉を閉め、待って待って、と声を上げたわたしたちを無情にも置いていってしまった。

 新興住宅街の奥深くは、田んぼしかない田舎と同じだ。誰かが色を塗ったんじゃないかと思うくらいの青空、遠くの入道雲、遮るもののない直線の道路。周りに見えるのが空を写す田んぼなのか、ソーラーパネルを備えた家々かというだけの違い。

 

 バス待合用のベンチは、ロータリーの中心にそびえるオオガキノキの日陰から少しはずれたところにあった。

「ついてないなァ」

 追いついてきた翼が肩を回しながらぼやき、櫂に顎をしゃくって「お前そっち持てよ」とベンチを日陰にいきなり動かしてしまった。ちょっとした距離だ。こういうのって勝手に動かしちゃだめじゃないの、と思ったけれど、このおそろしい日ざしの下で待つことを考えると、怒られてもいいや最悪二人のせいにしとこ、という気にもなる。

 

 翼は親族のわたしから見ても、顔だけはとびきりの美形なのだが中身がとても残念なやつだ。性格は普通だが、とにかく勉強が出来ないのだ。陸上の推薦がなかったらうちの学校には入れなかったんじゃないかと思う。

櫂はわたしの隣の席の男子で、顔も体力も普通だけど勉強に関しては翼と同じくらいできない。ただ、時々すごくいい匂いがする。

 翼と櫂は二人とも同じ部活に所属している。ちょっと笑ってしまうくらいバカでも許される陸上部だ。翼は短距離、櫂は長距離。ちなみに次のバスは30分くらい来ないようだった。

 

「ねえ翼、暇だからこれ英語にしてみ」

 わたしは二人の真ん中に座って、メモを書いて渡した。

『わたしたちはバスを待っている。バスは行ってしまった』

 櫂が覗き込もうとしたので腰と肘で軽く押しかえした。

「櫂はまだ見ちゃだめ、あとで見せてあげるから」

 櫂は素直なやつなので、ふうん、と引き下がる。翼は難しい顔をしてわたしのメモを見つめていた。横顔だけ見ると、まるで名探偵が難解な証拠を吟味しているような顔だ。癪だがいちいち絵になる従兄弟だな、と思う。しゃわしゃわと蝉の声が大きくて、もうほんと夏だ。

 櫂の方を振り返ると、彼はぼんやりオオガキノキを見上げていた。片手を日陰と日向の境界から出したり、引っ込めたり。何も考えてなさそうな顔だけど、櫂は櫂なりに結構いろいろ考えていることをわたしは知っている。

 

 さて、たっぷり時間をかけて、時折空なんかも見上げながら翼が書いた英文はこんなものだった。

『wait bus but gone』

 わたしは、この4単語のクオリティとそれを捻り出すために翼が使ったであろうエネルギーに感動するような気持ちになった。翼は多分ふざけてはいない。

高二の夏でこれってのは、けっこういかついなとも思うが、メモを手にしてるやつの顔立ちがあんまりいいものだから案外味のある英文のようにも見えてきてこわい。

「翼さ、字、うまいよね」

 わたしは顔以外に、翼のいいところをもうひとつ見つけた。

 

「櫂、櫂の番だよ」

 わたしは翼の書いたメモを櫂に渡した。

「和訳してみ」

「わやく?」

「日本語に直してみ」

 流石に『和訳』が通じなかったわけではないんだろうけど、ちょっと心配になる。櫂は紙を空にかざすようにして声を出した。

「重量級の」

「重量級の?」

「重量級のブスが」

 わたしは笑わないように奥歯を噛み締めた。いきなりすごいこと言い出したなこいつ。waitはあれか、weightと区別しないのかっていうかそもそもbusはブスじゃない。

 櫂はわたしの方を向く。

「重量級のブスが、ホームランを打った」

 言い切った櫂は爽やかな顔をしていた。ドカベンか。翼が体を折ってゲラゲラ笑った。

 

「ホームランどこから出てきた?!」

 櫂の手から紙を奪って確認したが、やはり書いてあるのは 翼の字で『wait bus but gone』だけ。

 櫂が少し照れ臭そうに笑う。

「ほら、バットで、ゴーン!って」

 柵越えの破壊力にわたしが空を仰ぐと、ちょうどバスが来た。バスはわたしたちのベンチのかなり手前で止まる。そりゃあ、そうだった。ベンチは大移動してしまっているのだ。

「あっ、待って、待って」

 わたしは慌てて鞄を肩にかけ、バスに走り出した。転びそうになりながら二人に指をさす。

「バカは二人でベンチ持ってきて!」

 

 バスの入り口に足をかけて振り向くと、二人は端と端でベンチを持って、陽の下を走ってきていた。

「すみません、バカがあと二人乗ります、ちゃんと普通の人間の料金払いますから」

 わたしが頭を下げると帽子を被った運転手さんはにこにこして頷いた。車内は、わたしたち以外に誰も乗っていなかった。

 わたしたちは、笑いの発作の余韻を味わいながら、一番奥のシートにやっぱり並んで座った。しばらくの間、バットでゴーンの話や今日行った施設の話をした。

 

 バスはしばらく住宅街を走り、造成地を抜けるトンネルに入った。翼は疲れたのか眠ってしまっているようだった。櫂は窓の外に顔を向けている。ふと不安になって振り返ると、背後に見えるトンネルの入り口がまるで夜空の月のように見えた。もぞもぞと櫂の方に手を伸ばすと、ちょっとだけ指先が触れた。

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バス停にて 高橋 白蔵主 @haxose

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