あの夏を忘れない
あれから――数ヶ月後。某川、河川敷。
都市部の水源になる、大きな川。いくつかの支流が合わさった、日本でも有数の長さを誇る一級河川。その管理施設。
煙草を吸い終えた若い男は、足下に落ちていたそれを拾う。
「なんだこりゃ」
種?
―――
数刻後、管理施設内にて。
「妙だな」
「何がですか」
モニタを見つめていた男が首をかしげた。
「定時連絡がない」
「寝てるんじゃないですか」
一服から戻ってきた男は楽観的だ。
「奴らはプロだぞ。普段なら時間きっかりに報告が来る」
「ここ数ヶ月、ずっと“異常無し”ですよ。大丈夫でしょ」
上司と思しき男は訝しげに呻る。
「おい、定点観測カメラを開いてくれ。“現地”と、それから上流だ」
「了解」
若い男はモニタの前に座り、いくつかのボタンを操作する。
「あっ」
若い男が奇妙な声を上げた。
「スッゲェ、カメラが真っ黄色だ」
1カメ、2カメ、3カメ……上流と、そして“ダム”を写すはずのカメラは、どれもが全て黄色に茶色のいびつな水玉模様で塗り潰されている。
上司の顔が青ざめた。
「もう一度、ダムのエージェントに連絡を取れ」
「さっきから電話をかけているんですが、通じません」
「クソ!」
「もしかして、やべーやつですかね、これ」
カメラ操作コンソールから立ち上がった男の足下から、何かがぽろりと落ちる。
向日葵の種だった。
―――
あー
―――
「緊急事態発生! 本部、応答しろ、本部!」
「ダメです、どこにかけても繋がらないっぽいです。それに」
「何だ」
「水量が増加してます。これもしかして、ダムが」
「決壊した……とでもいうのか?」
―――
もっとあそびたいの
―――
上司は慌てて外へ飛び出す。河川敷、川のそば。
砂利に混じって何かが流れ着いている。種。種、向日葵の種。
晩秋の河川敷。吹き付ける風に嫌な生暖かさが混じり始めた。なぜだ。なぜ今になって。もう11月だ。あれから、あの“作戦”から、静寂を保ち続けていたはずだ。
なのに。
「まさか」
男ははっと顔を上げ、川の流れを見通す。
支流からの流れは一つになり、やがて大きな流れを作る。
そして、流れ着く先は――。
「――海だ」
―――
あー
海いきたーい
―――
「本部、応答しろ! アウトブレイクだ!」
大急ぎで管理施設に戻り、緊急回線すらも繋がらない。
一方の若い男は、カメラに写る向日葵の群れをじっと見つめている。
「“夏”が……海を知りやがった!」
―――
そうだ。海へ行こうよ
海にも夏がある 夏には 海がある
やきそば かきごおり 海の家 浮き輪 サンオイル
いいでしょ?
―――
「カメラはもういい! 俺は連絡の繋がる場所まで行ってくる。お前はここで堰を止めろ!」
男は白いヘルメットをかぶり、車の鍵を手に取る。
若い男はまだカメラを見つめたまま、いっこうに動かない。
「手続きは省略だ! 責任は俺が取る! ここで食い止めるんだ。早くしないと――奴ら、海に着いちまうぞ!」
若い男は答えない。
―――
海 夏の海
バーベキュー 花火 音楽 水着 夏イベ 有明
全部あるの
海だよ 一緒に行こう?
―――
「早くしろ! 聞こえないのか! 手遅れになるぞ! なぜ堰を止めない?!」
肩を揺さぶる。がくがくと首が揺れる。
「おい!」
やがて動きはぴたりと止まり、若い男はゆっくりとこちらを向く。
二つの目から、小さな向日葵が咲いていた。
「なぜ?」
開いた口から、ぼろぼろぼろぼろと大量の種が吐かれる。
「なぜ? なぜなぜなぜなぜなぜぜぜぜぜばばばばばばばば」
種がこぼれる。口から、鼻から、眼窩から。
「あばばばばばばばばばばばばばば。なぜばばば。ばばばなぜってばば」
やがて最後の一粒がぽろりと地面に落ち、男は種を吐き終える。
彼は笑って応えた。
「ここにも――やっと“夏”が来るのに???」
S.U.N.F.L.O.W.E.R. -Blue Sky- 黒周ダイスケ @xrossing
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