これは、ある山の中に現れた怪異を巡る連作短編である。
区域内に入り込んだ(というよりはおそらく何かしらの勢力として使い捨て前提の鉄砲玉として送り込まれた)一般人の遭難記録、調査を行う組織の職員が、あるいは機動部隊が飲まれていく有様、内部には立ち入らず傍を通り過ぎただけの人物がふと目にしたもの、対処のための作戦の1つの顛末、そして無力化に至った作戦とその後を描いたエピローグと各エピソードがそれぞれ別な状況と視点から構成され、それらを「一面のひまわり畑とそこに佇む白ワンピースの少女」という夏のノスタルジーを象徴するような光景(そして、この作品で描かれる怪異)が結びつけている。おそらく、SCP財団の報告書や「ブギーポップは笑わない」といった一つ一つの視点からは全体を俯瞰できないものを、複数の視点を重ねることで浮き彫りにする作品に分類されるし、そういった物語を好む人の好みに合いやすい作品だと思う。
この作品の特徴としては、怪異を巧妙なまでに人間が持つある概念へのイメージを利用し、取り込むための道具として使用する存在である――という形で一貫して描き、その特徴をエピソードの進展とともに少しづつ明かしながら出来事の展開に取り込んだことでその印象をより強めさせたことだろう。「夏」という概念を使う怪異と、それに飲み込まれたり飲み込まれなかった人間の点描は、その要素が統一されているからこそ、よりその恐ろしさとたちの悪さが強調されるものになっていると思う。
7本のエピソードの中では、個人的には「あの夏に向かって」と「あの夏の青空に」の2篇が最も印象的なものとして挙げられる。この2篇では怪異に対峙する人間の背景にまで踏み込まれたこと、作中の登場人物たちの中でも「夏(ないし、それに取り込まれたあとの生活)」に対するイメージに幅があることを描いたことが、画一的な「ひまわりと白ワンピースの少女」の夏との対比としてよりその怪異の恐ろしさを強調したように思える。
しかし、個人的には……この2篇に関しては、他の短編よりもそういった登場人物たちのディテールが描かれたことでそれ以降のエピソード(といってもエピローグに相当する物語のみだが)でもそれを期待してしまい、ちょっと拍子抜けしてしまった面も否定できない。他のシナリオでは怪異が主体になっていたのに対し、この2篇では登場人物たちのほうが主体となってしまっており……「もっとこの人物たちの話が見たい」「他のエピソードでもそういったディテールが見たかった」という感想も生まれていることも否定できないのは事実ではある。(特にホトハラとエダの二人は対極でありながらもどちらも「一般的なノスタルジー」から外れた人物であり、メインとして登場したのは1篇のみであっても「この二人がこういった怪異の対処に放り込まれる話を他にも読みたい」という魅力があり、それだけに怪異を主軸としている中でそこだけ彼女らに意識を吸い寄せられてしまうのが痛し痒しである……)
「怪異に巻き込まれた人物」の物語であることを考えるとそもそもがそちらの話はどちらかというとおまけであるから全篇そういう造りになるわけではないし、全体としての統一感を望むか、個別のエピソードの輝きを望むかという趣味嗜好の面もあるので評価が分かれるところではあると思うが……。