Epilogue

 「――――そして、あの子は旅に出てそれっきり‥‥‥」

 寝台の周りには大勢の子供達が詰めかけていた。

 齢九〇を過ぎた老婆には、子供達の姿が朧気にしか見えない。それでも子供達が必死に嗚咽を押し殺していることは何とく気配で判ってしまう。最後は笑いながら看取って欲しい、という願いを、子供達なりに懸命に叶えようとしているのだ。その健気な姿が、重くなった瞼の裏側に鮮明に映し出される。

 もう何度、同じ話を繰り返したことだろう。

 それでも子供達は嫌な様子もなく、時折相槌を交えながら、老婆の話に耳を傾けた。

 「結局、その人は死んじゃったの?」年長者のハルが悲痛な声で訊ねた。その声音にはたった一人の家族を置いて行方を眩ませた少年を非難する響きが含まれていた。

 「いいえ」老婆は、優しくそれを否定する。

 「あの子は強いから、きっと今も何処かで生きているわ」

 「でも、七〇年も帰ってこないんだよ? そんなのもう‥‥‥」

 「何となく解るのよ。あの子はまだ生きているって―――」

 ふと、瞼の裏側にかつて過ごした日々が蘇った。

 ギンが旅立ち、既に七〇年余りの月日が流れていた。

 初めて出会った時は、傷ついた捨て猫のような目をしていた。けれど家族として一緒に過ごしていく内に、次第に笑顔が増えていった。家族が死んだ時は、悲嘆にくれる皆の前では決して弱音や涙は見せず。人知れず涙を流し、悲しむことの出来る優しい子だった。

 ギンのおかげで重度の魔力欠乏症に罹患したサクラは、地上での暮らしと、高額な治療をうけ一命をとりとめた。しかしサクラは、地上での暮らしを捨て、再び地下で暮らすことを選んだ。周囲からは奇異の眼差しを向けられたが一向に構わなかった。

 帰ってくる、ギンはそう約束して旅立った。ならば自分はギンが帰ってくる居場所になろうと決めた。それからは、冒険者時代からの友人ベラとともに身寄りのない子供達を集め、文字の読み書き、はては地下での真っ当な仕事や、冒険者として生き抜く術を教えている。

そして今から一〇年ほど前。

突如、大陸全土で大規模な地震が起きた。

地下街でも落盤などにより甚大な被害が出たが、幸い死者は一人も出なかった。 

 しかし、変化はあった。

 それまで地下に暮らす人々から集められた魔力で運営を続けていた匣が、突如ひとりでに輝き始めたのだ。これにより地下の人々は魔力欠乏症という不安から解放され、それまで搾取され続けてきた王国各地に点在する地下街の住民たちによる大規模な反乱が起こった。

それにより現在では地上と地下を自由に行き来することが可能となった。

 大陸各地に眠っていた匣が次々に覚醒したことで、現在各国は競って匣の攻略を進めている。それにより冒険者の需要は飛躍的に高まり、サクラが運営する孤児院からも多くの第一級冒険者を輩出した。

現在、サクラ孤児院は、冒険者ギルドとして世間に認知されつつある。

 その代表を務めていたベラが他界して五年。

 ギンのことを知るかつての友人たちは皆、一足先にこの世を去ってしまった。そして遂にその順番が巡ってきた。これまでどうにか生き永らえてきたが、それもここまでのようだ。

 これまでの人生に未練はない、と言い切ることは出来なかった。

 最後にもう一度だけ、あの子の―――ギンの肌に触れ、声を聞き、笑っている顏がみたい。

 だけどそれは叶わない。自らの死期がゆっくりと近づいてくるのが解る。

 徐々に意識が遠のき、子供達の声が霞んでいく。

 その時、子供達の声がぴたりと止んだ。怪訝に思い、最後の力を振り絞ってサクラは瞼を持ち上げた。部屋の中を埋め尽くしていた子供達の人垣が割れ、その奥から一人の短身痩躯、銀髪紅瞳の少年が近付いてくるのが見えた。

 輪郭は朧気で、その素顔も判然としなかったが、サクラはそれが誰なのか正確に理解した。

 「おかえりなさい―――ギン」

 「ただいま―――サクラ」

 ゆっくりと持ち上げられた手が、暖かな温もりに包まれる。

 最後に、アナタともう一度こうして会うことが出来て、よかった。

 その言葉は声にはならなかったけれど。

 サクラは微笑み、その生涯に幕をおろした。



 「大丈夫か?」

 「何が?」ギンは敢えて何を言われているのか解らないフリをした。

 「何がって‥‥‥」やれやれ、と黒髪黒瞳の青年が嘆息を洩らした。

 青年の背後から美しい銀色の毛並みに覆われた巨狼が姿を現した。

「終わったのか?」巨狼の背上から紅髪褐色の少女が訊ねる。

 「いや」少女の問いに、ギンは小さく頭を振り「これからさ」と、短く付け加えた。

 匣舟攻略後、無事外界へと転送されたギン、テオ、アカツキ、そして何故か本来匣内部でしか生息出来ないはずのユキまで広い曠野で目を覚ました。周りには一行の他にも大勢の人や動物の姿があり、それがこの数百年間、匣舟に呑み込まれ行方を眩ませた人々であることは明らかだった。

 途方に暮れる人々の元へ現れたのは『空の剣』と名乗る冒険者組織だった。この七○年の間に『蒼キ月』に並ぶ冒険者組織の一つだと駆けつけた冒険者は語った。

空の剣に保護される形で、しばらく王都近郊の村や街で暮らした。そこで匣の中で起きた経緯についての聴取が行われた。あの場で何が起きたのか、唯一真相を知っていたギンは、しかし何も語らなかった。

 否、語れなかったという方が正しいだろう。

 何せ、ギンにとっての匣舟での戦いは終わりではなく、始まりに過ぎないのだから。

 

 「さてっと。それで? 皆はこれからどうするんだ?」

 テオの問い掛けに、ユキに騎乗するアカツキは、ほとんど間を開けずに答えた。

 「私はしばらく大陸各地を旅するつもりだ。七○年も経っているからな、今更執行者に戻るつもりもない。そもそも執行機関が存在しているのかも解らないからな」

 「そっかー。実は俺もしばらく大陸中を旅しようと思ってる。何せ、俺の祖国とっくの昔に滅んでるみたいだからな」世間話でもするような軽い口調でテオが答えた。しかし、言葉とは裏腹に、その裏側には深い懊悩が隠れているように思えた。

 「で? ギンはこれからどうするつもりだ?」

 話題の矛先を向けられ、テオ、アカツキ、ユキの瞳がギンに集まった。

 「俺は――――」

 七○年前から変わらず地下の天上から突き出す匣の一角を見つめながら。

 「レイを助けに行く」

 短く、確固たる意志を込めて言い切った。

 それがどれほど険しく、途方もないことなのか承知した上で。

 「アイツと約束したからな」

 困ったように苦笑するギンの姿に、残る二人が相好を崩した。

 きっとこの先も多くの困難が待ち構えているだろう。生きている意味を見失うかもしれない。

 だがそれでも、レイから託された願いを忘れない限り、道を見失う事はないだろう。

 大切なのは、どこで生きるかじゃない、どう生きるのか。

 心から敬愛する二人の女性から贈られた、この言葉は今も、そしてこれからもギンの中で生き続ける。たとえ、辛く険しい道だとしても、いつか必ず希望は見つかると信じて―――。


                  (完)

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白銀の戦争遊戯 @issei0496

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