第2話
自問自答の末、分かったこと。
僕の決意はやはり、本物だった。
勇者になりたい。剣と魔法を駆使して、ドラゴンを倒したい。大冒険の末、伝説の大秘宝を手に入れたい。
この世界では体験できないような、感動と興奮を味わいたい。
僕は――幸せに、なりたい。
「っ――!?」
僕がさっきまでいたビルの屋上から、叫ぶような声が聞こえた気がしたが、やがて聞こえなくなった。
僕は頭から、勢いよく落下する。
体が風を切る。
心臓がふわっと、浮く感覚。
あぁ、すごい。今だけは、現実ではない。異世界にいるみたいだ。
そして、次の瞬間。
ぐしゃ、という鈍い音とともに。
僕の身体は地面に叩きつけられ、その衝撃で、全身の全機能が停止し、絶命することに――
――ばふっ。
という、音がした。
ぐしゃ、ではなく。
ばふっ。
僕の身体は、地面に叩きつけられなかった。
その衝撃は、すべて吸収された。
このやや硬めの、でもコンクリートの地面に比べたら圧倒的に柔らかい、巨大なマットのようなものに。
「……なんだこれ?」
僕はまだ、生きていた。
退屈でつまらない、この現実世界に。
どうやら僕の異世界転生は、失敗に終わったようだった。
「ばかぁっ! どうしてあんなこと、したんですかっ!?」
数時間後。
ようやく警察から釈放された僕は、彼女と再会を果たした。
僕の異世界転生を阻止しようとした、お節介な少女に。
どうやら彼女が、警察を予め呼んでいたようだ。
彼女が屋上で僕に語りかけたのも、警察が到着するまでの時間稼ぎが狙いだったのだろう。
まんまとその狙いに僕は、ハマってしまったわけだ……。
そしてその彼女はなぜか今、めちゃくちゃ怒っていた。
涙をぼろぼろ、流しながら。
「えっと……」
「あんなところから飛び降りるなんて、どうかしてます! もし警察の方が間に合わなかったら、死んじゃうところだったじゃないですか!!」
「いや、そもそも僕は最初から、そのつもりで――」
「それがおかしいって言ってるんです! なんで死のうとなんかするんですかっ!? そんなの、悲しいじゃないですか!」
「……」
悲しいって。
誰が? 僕が死ぬことで、誰が悲しむっていうんだ?
家族も友人も恋人も、僕にはいないというのに。
「だから、私が悲しいんです! あなたが死ぬことで、私が悲しみます! だから、もう二度とあんなことしないでください!!」
「な、なんだよそれ。何で君が悲しむんだよ? さっき初めて会ったばかりの、君が」
「私も、あなたと同じだったんです……だからっ」
同じだった?
どういうことだ?
「うっ、うっ……」
彼女はひとしきり泣いた後。
ゆっくりと、話し始めた。
「……私はもともと、あなたのように自殺した人間です」
「えっ?」
「こことは違う、別の世界で。そして、生まれ変わったんです。この世界で――今の、私に」
「な、なんだって?」。
それはつまり、まさしく。
僕が憧れた、異世界転生そのものではないか。
とてもじゃないが、信じられない話だ――なんて、もちろん思わない。
僕が信じなくて、誰が信じるというのだ。
「そうですね。そしてこの世界で目覚めた私はなぜか、人の心を読める能力を持っていました」
絵に描いたような異世界転生じゃないか。
「誰が描くんですか……なんて、誰かというならきっとそれは、神様ってやつなんでしょうね。私をこうして、この世界に導いたのは」
神様。
異世界転生には何より欠かせない存在。間違いなくどこかに、存在しているのだろう。
「……喋るのサボらないでくださいよ」
いや、なんか喋らなくても会話成立してるからさ。
「なんか一人で喋ってるみたいで、嫌なんですけど。まあ、いいです。とにかく私はこの世界で生まれ変わり、心を読めるようになった」
心を読める、能力。
「それはきっと――神様から私への、『罰』だったのでしょう」
罰、だって?
「自殺なんて愚かな行為に走った、私への……だって私の能力は、心が読める能力であると同時に、心が聞こえてしまう能力でもあったんですから」
心が聞こてしまう……。
もしかしてそれは、能力が常に効いていて、止めることができない、という意味か?
「そうです。常に流れて、耳に入るんですよ。周りの人たちの、心の声が」
常に周りの人間から、心の声が聞こえる――それは僕には想像もできない、世界。
異世界だった。
「実際、全くいいものではないんですよ。心の中はみんな、暗い声ばかりで……。そしてある時、聞いてしまったんです。とある、声を」
彼女は、ゆっくり呼吸を整えながら、言った。
「その声は、悲痛に溢れていました。その心は、絶望に満ちていました。その人は――その女性は、自殺で娘を失ったばかりの、母親だったようです」
自殺で娘を失った母親の心を、彼女は読んでしまった。
もちろん彼女にとってこの世界は異世界で、その女性も自分とは何の関係もない人だったのだろうけど。
境遇でいえば、同じだ。まさしく自分の母親の心を読んでしまったことと、等しいと言えるだろう。
「最悪の気分でした。その場で崩れ落ちて、人がたくさんいる中で泣いてしまいましたよ。あれは本当に、恥ずかしかった」
自殺した娘の母親の気持ちを――彼女は身をもって、知ることになったのだ。
「自分が恥ずかしくて恥ずかしくて、たまりませんでした……自分のした行為は、なんて愚かなんだと。そこで気づいたんです――これが、罰なんだと。なんとなく、神様が私にこの力をくれた意味を、理解できた気がしました」
神様は彼女に、心が聞こえる能力を与えた。
自分のことしか考えず、愚かな行為に走った、彼女に。
自分がした行為の愚かさを、身をもって味合わせるために。
人の気持ちを分からせる、能力を与えた。
「自殺なんて、するものじゃないです」
彼女は顔を上げ、僕の目を見て、言った。
震える声で。
「私が言えたものではないですが、私だからこそ、言えることです。自殺なんて、しちゃダメです。悲しむ人が、必ずいますから」
僕が死んで、悲しむ人。
それは。
「私です。私が、悲しみます。だから本当に、やめてください。本当に――」
「僕の負けだよ」
「えっ?」
あぁ、そうだ。僕の負けだ。
だって彼女の言葉はきっと、本当だから。
僕が死んだら本当に、彼女は悲しむだろうから。
それが、分かる。伝わってくる。
僕に心を読める能力はないけれど、それでも分かるくらいに。
そしてきっと彼女は、僕じゃなくても、誰が自殺しようとも、悲しむのだ。
人が死ぬ。その悲しさに、彼女は耐えられないのだ。
それが例え、見ず知らずの他人だろうと、初対面の人間だろうと。
彼女は本気で、悲しんで、子供みたいに、わんわん泣く。
だから僕のような、大切な人も、友人も恋人もいない人間でも、自殺なんてできなくなる。
僕が死んだら彼女が悲しむ。それが、分かってしまうから。
人の心が読めることで、人の気持ちが、誰よりも分かる。
そんな心優しい彼女が、悲しむから。
まったく。
どうやら僕は、思っていたよりも、彼女のことが好きになってしまったらしい。
「負けって、どういうことですか?」
「……えっ? だから」
「それって、死ぬのをやめてくれるってことですか!? どうしてですか、急に! どういう風の吹き回しです!?」
「ちょっと待って。僕の心の中、聞こえなかったの?」
我ながら恥ずかしいことを思ってしまったので、少し後悔しているのだけど。
「あれ、そういえば、さっきまで聞こえてきたあなたの心の声が、突然聞こえなくなりました……あれれ?」
「……」
彼女の能力が、消えた?
なぜ、突然――いや。もし彼女の能力が『能力』ではなく、『罰』なのだとしたら。
「神様がもう、許してくれたんじゃないかな?」
「えっ?」
「ほら。僕はもう、自殺をする気がなくなった。僕という人間の命を、君は救ったんだ。だから君に課せられた罰が、消えたのかも」
「私があなたの命を、救った……?」
「そう。君は僕の命を救ってくれた。僕の、命の恩人だ。だから、その……」
僕が飛び降りる寸前、心の中で伝えたこと。人生最期になるはずだったその言葉を、もう一度、彼女に伝える。
今度は口に出して、はっきりと。
「ありがとう」
僕の言葉を受け、彼女はようやく、喜びの表情を見せた。
「あははっ」
彼女は、笑う。目にまた少しだけ、涙を浮かべながら。
「こちらこそ、ありがとうございます!」
そのとびっきりの笑顔は、僕に生きる意味を見出させてくれた。
もう少しだけ、この世界で生きていても良いかな、と思わせてくれた。
「あの、それで……」
「えっ?」
「結局さっきは何を、考えてたんですか? どうして考えを改めてくれたんですか!? 聞かせてください!」
「それは、絶対いやだ」
「なんでですかぁー!」
彼女の大袈裟なリアクションに、僕は笑ってしまう。
久しぶりに心から、笑えたように思う。
異世界から転生してきた、青い髪の美しい少女。
彼女は僕の命を、救ってくれた。
僕なんて、全然大した人間じゃないけれど――それでも彼女は、その優しい心で、一人の人間の命を救ったのだ。
それだけで、十分。
紛れもなく彼女こそが――真の勇者だった。
僕は異世界転生したい~転生したくて自殺する男の話~ みつぎ @mitugi693
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます