僕は異世界転生したい~転生したくて自殺する男の話~

みつぎ

第1話

 異世界に転生したい。


 それがたった一つの僕の、願いであり、望みであり、夢だった。


 だから僕は今、このビルの屋上から、飛び降りるのだ。


 落下防止のフェンスを越えた先に、僕は立つ。下を見れば遠くに、コンクリートの地面が見える。


 この頼りない足場から、盛大にジャンプして、僕は落下する。


 勘違いしないでほしいのは、これは決して自殺などではないということ。


 僕は死にたいわけではない。死にたくて、死ぬわけじゃない。


 生まれ変わるために、死ぬのだ。


 記憶を保ったまま、僕が僕のままで、生まれ変わる。


 RPGのような、ファンタジーに満ち溢れた世界で。


 どんな敵でも次々にさばく、華麗な剣技を持ち。


 炎、水、風、雷、回復蘇生即死、あらゆる属性の強力な魔法を持った、最強の勇者として、生まれ変わる。


 伝説の大秘宝を目指す、感動と興奮の冒険が、始まるのだ。


 そのためには、ここから飛び降りて、落下して、地面に叩きつけられて、死ななくてはならない。


 それが異世界転生を行うための、儀式。


 そう、あの小説の、あの漫画の、あのアニメの主人公も、この現実世界で死ぬことで、転生していた。


 僕がこの世界の主人公であるならば、きっと僕も、そうなるだろう。


 さぁ、そろそろ行こう。


 異世界と違って、この現世には、何もない。剣も魔法もファンタジーも、何も。


 あるのはただただ退屈でつまらない、社会という名のゴミの掃き溜めだけ。


 こんなつまらない、退屈な現世は、捨て置いて。さっさと転生してしまおう――




「本当にそれでいいんですか?」




 と、後ろから声がした。


 透き通った、若い女性の声。


 死ぬ間際の、幻聴だろうか。


 いや、幻聴であろうが現実であろうが関係ない。僕とこの世界との関係はもう、なくなるのだから。


「ねえ、お兄さん。そもそも死んだからと言って、生まれ変われる保証なんて、どこにもないですよ?ましてや、異世界だなんて」


 僕にはもはや、関係がない。


 さぁ、行こう。


「存在するかどうかも分からないですし。いや、あったとしましょう。この世界とは切り離された、全く別の世界が、死んだその先に、あったとしましょう。だとしても、それがあなたの理想とする異世界であるとは、これまた限らない」


 理想の世界に。


 旅立とう。


「転生した異世界も、もしかしたら今とさほど変わらない、退屈な世界なのかも――でも、あるとしましょう。転生したその先は、剣と魔法と秘宝とドラゴンに満ち溢れた、感動と興奮のファンタジー異世界が、あなたを待っている」


 そうだ。そんな世界に、僕はこれから旅立つのだ。


「そんな世界に、華麗な剣技、強力な魔法を持った、最強の勇者として、転生を遂げる――そんな都合の良い話、あると思いますか? 今の世界でも大した人生送っていないのに、どうして死んだら素晴らしい異世界で素晴らしい人間に、生まれ変われると思うんです?」


「いや、分かってるよ」


 そんなこと。


 そう言って、僕は振り返る。


 フェンスの向こう側に、僕を見つめる女性がいた。


「やっと、こっちを向いてくれましたね」


「……」


 現実離れした綺麗な青い髪の、美しい少女だった。


 あまりにも美少女だったので、僕は不覚にも照れてしまい、その女性から目をそらしてしまった。


「あははっ、やだなぁ、美少女だなんて。こっちだって、照れちゃいますよぉ」


「いや、待って。さっきから、めっちゃ僕の心読んでない?」


 僕、ずっと喋ってたっけ?


 いや、そんなはずはない。


 例え独り言だってこの僕が、異世界転生への夢を、口に出して話すはずがない。


「んーまあ、読んでるといえば読んでますし、読んでないといえば、嘘になります」


「じゃあ読んでるんだよね……。えっなに、人の心が読める、ってこと? 超能力?」


「まあ、そうですね。でもそんなことはどうでもいいです。ほんとに」


「こっちからしたら、どうでもよくはないんだけど……。ていうかそもそも、君は誰なんだ?」


「そんなこともどうでもいいんです。そんなことよりお兄さん、自殺なんてやめません?」


「……あぁ」


 なんだ。


 たまにいる、的外れなお節介を焼くタイプの人か。


「失礼な! 初対面の人に、なんてこと言うんですか!」


「あっ、ごめん……。いや、言ってはないんだけどね?」


 心を読まれると分かっていると、何だか落ち着かないな。


 なんて思っているのも、読まれているのか。


 でも、さっきもずっと僕の心を読んでいたのなら、もう分かっているはずだ。


「確かにさっき、『これは自殺じゃない』みたいなこと考えてたみたいですけど、それは間違ってますよ。これは立派な、自殺です。いえ立派な自殺なんて、ないんですけど」


「……なに。君は僕を、止めにきたわけ?」


「はい、そうです」


「そうですって……。だとしたらやっぱり、的外れなお節介だよ。僕は死にたいんじゃない。生まれ変わりたいんだ。いや、生まれ直したいんだよ」


「だから、このまま死んでも、生まれ変われる保証なんてないでしょう?」


「生まれ変われない確証もない。少なくとも、試す価値はある」


「ないです。少なくとも、あなたの命以上の価値なんて、ないですよ」


「今の僕の命に、価値なんてないよ。だから生まれ変わりたいんだってば」


「もー、埒があきませんね。こんな言い争い、何の生産性もないですよ。時間の無駄です」


「いや、うん……」


 何で勝手に話しかけてきて、勝手に呆れてるんだ、この人は。


 生産性とか時間とか、僕にはもう何の関係もない言葉だし。


 そもそもこの人の話に付き合う義理だって、僕にはないはずだ。


「大体私、もう分かってるんですよ?」


「なにが……」




「あなた本当は、そこから飛び降りる気なんて、ないんでしょう?」




「は?」


 急に素っ頓狂なことを言い出した。


 いや、素っ頓狂なことは、ずっと言っているんだけど。


「素っ頓狂じゃないです。言ったじゃないですか。私には、心が読める能力があるんです。ですから口では何と言おうが、あなたにそんな気持ちがないこと、私にはお見通しなんです」


「いや……」


「本当は、死ぬのが怖くてたまらないんですよね? 分かりますよ、その気持ち。ですからもう、やめましょう。自分に正直に、なりましょう」


「あのさ、僕が正直なのは僕が一番分かってるから。僕は自分に嘘をついたことなんて、一度もない。この決意は、本物なんだよ」


「あぁ、なるほど。あなた、自分で分かってないんですね。自分の本当の気持ちに。深層心理では、どう思っているか」


 ちょっと待て。なんだこの展開は?


 この人はやっぱり、僕を説得しにきたのか?


 見ず知らずの僕の、自殺というか生まれ変わりを、止めにきたお節介な人間。


 心が読める、超能力者。


 彼女は僕の深層心理を、読み取った――僕は本当は、死にたくないと、思っている?


 この世界から消えてしまうことが、怖いと思っている?


 異世界に転生することを、望んでいないというのか?


 僕は異世界最強の、勇者に――なりたく、ないのか?


「あなたは本当は、死ぬことなんて、望んでいない。その証拠に――」


 僕は――


「さっきからあなた、ずっと私の話に付き合ってくれて……。全然そこから、飛び降りようとしないじゃないですか」


 それが、何よりの証拠です。


 と、彼女はニヤッと笑い、人差し指を突き出した。


 証明完了、と言わんばかりに。


 いや。


 根拠として、薄すぎない?


 なんて僕の考えを読み取ったのだろう。彼女の笑顔が固まり、それから徐々に不安そうに曇っていく。


 図星だったようだ。


 でも確かに、彼女の言うことも一理ある。


 彼女が僕の転生を止めに来たのだとしても、フェンスの向こう側にいる以上、なにもできないのだから。


 話を無視して、さっさと飛び降りてしまえばよかったのだ。死ぬ気がないと思われても、仕方がない。


 だけどそれこそ、仕方がないのだ。


 楽しかったのだから。


 誰かとこんなに会話するの、久しぶりだから。


 見ず知らずの他人でも、僕にこんなに関わろうとしてくれた人は、たぶん初めてだから。


 ちょっとだけ、彼女と会話するのが楽しかった。


 だから最期に、お礼ぐらいは言わなきゃな。


 心の中で。




 ありがとう。もういくよ。




 僕はそう心の中で呟いて、ゆっくり体を後ろに倒し。


 やがて、仰向けに、ビルの屋上から身を投げ出す形となった。

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